無情剣 面の皮 6
クロスロードには、二種類の賭博場がある。
ひとつは、国の管理する、公営遊戯場。十五歳以上であれば、自由に出入りは可能だが、手持ちの金額以上は使用不可であり、もしも大勝した場合は、常駐の騎士が銀行まで護衛するなど、警備の面でも考えられており、入場料さえ払えば、中では飲食が無料と、至れり尽くせりであるのだ。
こちらは、貴族や裕福層の遊興の場であり、社交場でもあり、カードや遊戯台の他、競技場を使用した、大規模な賭け事も行われる。
もう一つの方が、いわゆる裏賭博であり、裏口屋や、やくざの資金源ともなっているのだが、後ろ盾として、大貴族の息がかかっている事が大半であり、なかなか摘発もできぬ事情がある。
こちらは、庶民の密かな娯楽でもあり、ささやかな期待と小遣いを握り締め、賽の目に一喜一憂する者や、胴元に金を借り入れ、人生を棒に振る愚か者まで、悲喜こもごも、と、いった態である。
南町の裏賭博場のひとつ、炎帝騎士団に所属する従者の寄宿舎、その一角に、裏口屋ふくろうと、南町の大やくざ「男爵」ヘイロンとの、共同で管理する賭場がある。
赤虎炎帝騎士団団長が、士気昂揚の為と、半ば黙認している賭場とあって、安全だからと人気も高く、身分こそ隠しているものの、騎士や貴族から、賞金首まで、様々な人物が足を運ぶのだ。
その為、ここでは、客に対して詮索無用、争いも御法度という、暗黙の了解がある。
なればこそ。
「くそ、今日はしけてやがる」
他所の賭場で問題を起こしたギンタでさえも、こうして、賭け事に興じる事ができるのだ。
先ほどから、賽の目が彼の逆ばかりを突いてくる、これは、壺振り師が、賭場で殺しをした事のあるギンタを、追い出す為の、作為的なものであったのだ。裏の情報は馬より早い、というやつである。
もちろん、彼はそんな事には気付かない。今日は、息子が溜め込んでいた小銭を掻き集め、増やしてやると息巻いて家を出たのだが、これは、もう、どうにもならぬであろう。
胴元に金を借りるにも、多少の信用は必要なのだ、腹立たしいが、今日はもう帰るしかあるまい、繁華街にでも立ち寄り、酔っ払いの懐から、財布でも抜き取れば良いだろうと、頭を掻きながら立ち上がる。
「ちょいと、にいさん」
不意に声をかけられ、ギンタは振り向いた、機嫌が悪かった為に、さぞ睨み付けていただろうと、自分でも分かる。
「何だ、手前ェは、知らない顔だぞ」
「いやね、にいさんの賭けっぷりがね、あまりに気持ち良かったからね、俺はもう、ほれぼれ、しちまってね」
にこにこ、と笑う男は、二十代半ばであろうか、黒髪黒目の、さして特徴の無い男。
「良かったら、どうだい、もうひと勝負」
ギンタを隅に引き、小声で囁くのだ。
「なんだよ、金かしてくれんのか? 」
「まぁね、でも、この賭場はやめときな、分かるだろ、あの壺振り、にいさんの事が嫌いらしいぜ」
ばくち打ちの性か、なるほど、と、ギンタは納得してしまうのだ、確かに、先ほどまでの賽の目は、あまりに偏っていただろう。この男は信用ならないが、新しい賭場を紹介して貰うだけで、次からは楽しく遊べるはずなのだ。
「おぅ、なら紹介して貰おうかな、南町に来るのも、随分と、久しぶりなんでなぁ」
足のつかぬよう、クロスロードを、時計回りに移動しながら仕事をしてきたギンタは、南町住まいであったのだが、実際に暮らした期間は、おそらく、ここが一番短いだろう。
「任せておくれよ、ささ、そうと決まれば、ついてきな」
怪しげな男に連れられ、通りを二つばかり移動すると、一軒の宿屋に辿り着いた。
「ここはね、もう、客を泊めて無いんだよ、二階が賭場になっているのさ」
玄関の木扉を開けると、薄暗い明かりに照らされ、綺麗に並べられたテーブルと椅子、店内に飾られた花や絵画も、よく手入れされており、一見して賭場には見えぬだろう。
「なんだこりゃ、えらく、上品な所だな」
「そりゃあな、見て分かるだろ、マルティエは良い女だからな、それを、可哀想に、放置しやがって、もし旦那が帰ってきたなら、二、三発は殴ってやろうと、いつも常連達と話し合ってるよ」
「はぁ? 手前ェ、何言って」
突然、訳の分からぬ事を言い始めた男を睨むため、振り向いたギンタの顔面に、御用猫の拳がめり込んだ。
「……まぁ、とりあえずは、お前からだ」
倒れた拍子に、したたかに頭を打ち付け、気を失っていたギンタが目を覚ますと、すぐに猛烈な目眩と、吐き気を催す。違ったのだ、目を覚ましたのではない、腹を踏まれて、起こされたのだ。
「おう、おはよう、ギンタ君よ、どうする、首が良いか? 明日まで待って歩いて行くか? ほら、早く選べ」
誰だ、何だ、何処だ、いったい、何を言っているのか。
ぐるぐる、と回る頭で、それでもなんとか、考えを巡らせ、最初に出た答えが。
「ぅぁ……御用、猫」
どすん。
再び、腹の上に落とされた踵に、息を吐き出すと、本能的に逃げ出そうと身をよじる。
しかし、両腕は背中で縛られ、両足は、僅か五十センチ程の長さを残し、頑丈そうな鋼糸で繋がれていた。確かに、何とか歩くくらいは、可能であろうか。
「余計なおしゃべりするつもりは無いんだよ、ここが、マルティエの店じゃなければ、もう、首を刎ねてた」
脅しではない、今更脅す事に意味はないのだ、ただ、事実を告げただけ。目の前の男は、確かに、先ほど出会った者であった、傷があるか無いかの違いしかなかったのだが、しいて言うなれば、眼が、ぎらり、と、肉食獣を思わせるような。
その眼の色は、しかし「岩飛び」ギンタに、格別の効果があったようだ。そもそも彼は、けちな盗っ人であり、生きるか死ぬかの死線などからは、程遠くに生きてきたのだ。
酔った勢いの喧嘩で、一人殺したとはいえ、何をどうしたものかは覚えておらず、ただ、ぼんやりと、血を流して倒れた男の形を記憶しているだけであり、彼自身が、あれは夢だったのではないかと、未だに、疑問に思う程であったのだ。
「た、たすけて、みのがし」
どすん。
仰向けに転がされた、無防備な腹に、容赦無く踵が落とされる。おそらく、この男の、期待する答え以外には、同じ行為が返事の代わりに繰り返されるのであろう。
ギンタは、そう理解したのだが、だからと言って諦める訳にはいかないのだ。
「命だけは」
どすん。
「金なら」
どすん。
涙と涎で木床を濡らし、ギンタは悶える。何なのだ、この悪魔は、賞金首がそんなに憎いのか。
「ま……まって」
御用猫は、黙って足を振り上げる。
「息子が! 餓鬼と女房がいるんだ! 」
ぴたり、と、悪魔が、その足を止めた。
のしっ、と、その足で腹を押さえ、ぽつり、と、呟く。
「そんなもん、誰にでもいるだろう、お前が殺した相手にも、な」
しかし、ギンタは気付いていた、初めて、まともな返事があったのだ、足も止まっているではないか、これは、手掛かりなのだと。
はっきりと、理解する。ここが瀬戸際だと、生きるか、死ぬかの関頭なのだと。
「せめて、せめて時間をくれ、今まで、女房と、息子に、迷惑をかけた……ふたりに、別れを、言わせてくれ」
ギンタは、目を瞑って祈る。賭け事以外に祈った事など、初めてであった。
ただ、じっと、死神の沙汰を待つのだ。
「……まぁ、いいだろう」
腹の上から退けられた足に、ギンタは芋虫のように縋り付く、今なら、それを舐めても良いとさえ思うのだ。
御用猫は、煩わしそうに足を振って、ギンタを剥がすと、こきこき、と首を鳴らす。
「よし、なら行くぞ」
「……は? 」
何を言われたのか、理解出来ない様子の、小悪党に、御用猫は再び告げる。
「は、じゃねーよ、謝りに行くんだろ、すぐ行くぞ、案内しろ」
胸ぐらを掴まれて、身体を起こされたギンタは、何もかも、予想と違う展開に、ただ、戸惑う他には、なかったのだった。




