老剣 木枯らし 12
「若先生、すこし、宜しいでしょうか」
リチャード少年が近寄ってきたのは、田ノ上老が甚助老と連れ立って、屋外稽古場に向かった直後であった。ようやくに女性陣の準備も整ったらしく、道場の外には既に迎えの馬車も到着している。
「どうした? 手早く勝負は済ませるつもりだから、時間は取らせないが」
「いえ、そういった事ではなく」
少年は少し俯き、何やら申し訳無さそうな雰囲気を醸し出している。
「若先生……僕は、謝らねばなりません……最初に、あの老人を見とめた時に、感じたのです……若先生には、会わせてならぬお人だと、それを」
御用猫は、彼の言葉を遮るように、頭に手を乗せる。上目遣いに様子を伺うリチャードの瞳には、はっきりと不安の色が見て取れた。
「そうか、お前にも分かっていたなら、これは間違いないな……どうにも、田ノ上の親父は、この手の恐怖に鈍感なところが、あるからなぁ」
御用猫は、その感覚を大事にしろよ、とリチャード少年に告げ、頭を軽く撫でてやると、稽古場に足を向けるのだ。
「あ、来た来た、ゴヨウさん、何をしているのですか、ほら早く」
御用猫が外に出ると、からから、と下駄を鳴らしてサクラが走り寄ってくる。本当は、着物用の底の厚い草履を用意していたそうなのだが、下駄の音が好きだからと、サクラの希望で、表付きの白下駄が急遽用意されたらしい。
これは、以前にフィオーレから、随分と熱く語られた事であった。越年祭の為に、三人で揃いの中振袖を作ったのだとか。
「リリィアドーネ様は、お仕事なので残念ですが……早く引退していただいて、来年は、皆で作りたいですわね……ねぇ、ゴヨウさま? 」
なにやら、意味ありげな視線を送られた御用猫であったが、アルタソマイダスや王女達が、そう簡単にリリィアドーネを手放すとも思えないだろう。
御用猫は、そのような事を思い出していたのだが、サクラに尻を盛大に叩かれて、現実に戻ってくる。流石の彼女も、着物姿では、得意の蹴りが使えないようだ。
「どこを見ているのですか、ほら早く」
ぴょこぴょこ、と、せわしなく跳ねる彼女は、小桜を散らした薄い桃色の振袖姿であった。足元に近づくにつれ、色が濃くなり、花の数も増えていく、他の二人も色違いではあるが、同じ意匠であった。
フィオーレは薄い青色、ティーナは髪色に合わせたのか、薄い橙色である。
(なるほど、これは確かに華やかだ、黒雀とチャムにも着せてみるか、フィオーレに聞けば良い店を……)
「いいから! 早く! 」
すぱぁん、と再び尻を鳴らされ、御用猫は眉間に皺を寄せるのだ。なんと性急な少女であろうか。
「分かった分かった、早く祭りに行きたいんだろ、手早く済ませるからな」
首筋の辺りを掻きながら、御用猫が稽古場の方に足を向けると、しかし、手首を掴まれるのだ、がっしりと。
「なんだよ、まだ何かあるのか? 」
「そっちではなくて! ……いえ、何かある、というか……何かありませんか? その、なんと言うか、あの」
普段は啄木鳥の様なこの少女が、こうして歯切れの悪い時は、何か言いたい事があるのだが、それを言い出せぬ時、ばつが悪いか、恥ずかしいかの、どちらかである。
そこまでは、御用猫にも分かるようになってきたのだが、しかし、その理由までは分からぬのだ。彼女がどのような答えを期待しているのか、などと、野良猫には想像もつかぬ。
はて、と首を傾げる御用猫の前に、差し出された救いの手は、やはり、この少年からであった。
(ほ・め・て・く・だ・さ・い)
サクラの背後に回り、彼女の着物を指し示しながら、大きな口の動きだけで、そう、伝えてくる。
御用猫は、ようやっと理解する。そう言われてしまえば、なるほど、至極単純な答えであろうか。
「冗談だよ、サクラ、お前があまりに可愛かったものでな、少々、意地悪をしたくなったのさ」
御用猫は、目の前の小さな少女を、軽く抱きしめながら、耳元で囁いた。結い上げた髪の毛を崩さぬように、うなじの辺りを優しく撫でる。
「良く似合ってるぞ、ううん、しかし、これは、世の男どもが、放ってはおかないだろうか……もう、成人前に手を付けてしまおうかな? 」
「ごりゅんっさものなにゅってんてすりゅさゃむどでにょわぬしややや! 」
ばしーん、ばしーん、と二人掛かりに尻を叩かれ、押し出されるように、御用猫は稽古場まで送り出された。
会話の内容までは聞こえていなかった筈なのだが、呆れたような視線を送るティーナと、完全に目の据わったフィオーレに、若干の恐怖は覚えたのだが。
御用猫には、にこにこ、と満足そうな笑みを浮かべる、甚助老こそが、何とも不気味であったのだ。