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第1話

※noteでも「珠樹アイナ」名義で先行掲載している作品です

 8月上旬とは言っても、湖周辺であれば快適な夏を過ごせると思い込んでいた。しかし現実に、16時を過ぎても容赦なく暑さが和らぐことはない。自分の故郷も盆地なので夏は十分に暑かった。同じ県内にあるからといって、この湖の畔だけが避暑地のように涼しいわけがないと、少し考えればわかりそうなものだった。


 中型スーパーの屋上駐車場に停めたハイエースバンの窓を完全に閉め、クーラーの風量を強めに設定しているというのに、照りつける日差しのせいで車内はまだむわっと熱気がこもっている。


 羽田(はねだ)柊輝(しゅうき)は、暑さと、なかなか戻ってこない待ち人に対するイライラを密かに募らせていた。曲がりなりにも接客業の真っ最中なのだ。もしこんな顔を宿泊客に見られたら怒られてしまうだろう。元々の柊輝はどちらかと言えば愛想も良く、人当たりも悪くない方なのだが。


 凍らせて持ってきたスポーツ飲料のペットボトルは、すでにほとんど溶けて水滴をまとっている。涼しげに見えるように選んだカーキ色に黒いワンポイントの半袖シャツも、濃紺のジーンズとキャンバス地のスニーカーの重たさの前には全く意味をなさなかった。


「遅くなってすみません」


 それからさらに15分ほど待って、ようやく待ち人である大学生3人組が、両手にいっぱいの買い物袋を抱えてハイエースへと走ってきた。女性2人と男性1人だ。


「いえ、大丈夫ですよ。レジ、結構混んでたんですか?」


「それがさぁ。こいつがずっと買うお酒に悩んでて時間かかったんだよね。別にお酒なんてなんでもいいじゃん。味は一緒だべ」


 最初に乗り込んできた金髪セミロングの女子大生が疲れたような口調で、男子学生を一瞥して吐き捨てる。自分の方が年上なのに平気でタメ口を使ってくる態度に少しだけカッとしたが、顔には出さないようにして相槌を打つ。言われた男子学生はむっとして反論した。


「よくねーよ。今夜と明日は皆お待ちかねの合宿のレクリエーションタイムなんだぞ。OBOGもたくさん来るんだからさ」


「そうそう。お酒にうるさい先輩も結構いるし。ていうか、あんたもスタッフさんにタメ口で喋っちゃダメでしょ。すみません、不快な思いさせちゃって」


「いえ、大丈夫です。気にしないでください。じゃあ、青春荘(あおはるそう)まで戻りますね」


 もう一人の金髪ショートカットの女子大生が申し訳なさそうに頭を下げた。柊輝は愛想よく笑って、ゆっくりと車を発進させた。


 柊輝が働いているのは、観光地として有名な湖から歩いて7分ほどの場所にある民宿「青春荘」だ。その名の通り――というわけでもないが、ここは部活動や勉強合宿のために学生たちが集まる宿泊所としての利用がメインだった。そのため、夏休みシーズンである8月、9月は年間を通しても最大の繁忙期となる。


 普段は柊輝のほかに、民宿のオーナーである兄と、食事を担当する女性スタッフの3人で切り盛りしているが、さすがにこの時期ばかりは人手不足が深刻だ。また、閑散期対策として同じ敷地内でカフェ“Rose Bleue(ローゼブル)”も営業しており、こちらも最近は徐々に人気が高まっていた。例年なら繁忙期はカフェを閉めていたのだが、「それでは閑散期に入ってからの客足が落ちてしまう」という理由から、今年は時短営業かつメニューをスイーツとドリンクに絞って継続している。


 毎年、繁忙期には泊り込みの短期アルバイトを数名雇っているが、今回はカフェのスタッフも兼ねてもらう必要があり、例年より多い7人を採用した。それでも、もう少し人手が欲しいと柊輝は思わずにはいられなかった。


 湖周辺は観光スポットとしてそれなりに整備されているものの、民宿自体は駅から少し離れている。今回のように夜に部屋で飲み会をするための買い出しをするには、歩いてすぐのコンビニではどうしても品揃えや量が物足りない。そのため、柊輝がこうして学生たちの買い出しの足役を務めるのは日常茶飯事だった。


「飲み会するのはいいですけど、他のお客様に迷惑だけはかけないようにしてくださいね」


「それはもちろんですよ。俺たちはオーナーさんには毎年お世話になってますからね」


 3人は都内の大学のテニスサークルのメンバーだ。といっても、全国大会を目指してピリピリしているような体育会系ではなく、テニスを口実にワイワイ楽しむことが目的の、いわゆる“エンジョイ勢”だった。


「てかさぁ、スタッフさんも監視がてらうちらの飲み会に参加すればいいじゃないですか」


「何言ってるんだ、お前」


 金髪セミロングの女子大生がまたとんでもない提案をし、男子学生が慌てて制止する。


「だってスタッフさん、普通にイケメンだもん。来てくれたらみんな喜ぶと思うなぁ」


「確かに。スタッフさんなら大歓迎だよね」


「は、はぁ……」


 確かに、柊輝は顔立ちが良い方だ。身長は175cmと飛び抜けて高いわけではないが、高校までサッカーを続けていたおかげで引き締まった体をしている。


 色白で、キリッとした切れ長の二重。高くはないがスッと通った鼻筋に、薄めの唇。パーツをトータルすると、周囲からよく「ある有名俳優に似ている」と言われていた。名前も少し似ているせいで、その俳優が主演した有名な少女漫画原作のドラマのセリフを無理やり真似させられたという、甘酸っぱくも面倒くさい黒歴史がある。


 そのため、仕事のときはなるべく髪を染めず、スポーツ刈りより少し長いくらいの短髪に抑えていた。このサラサラとした黒髪は、宿泊客のウケも悪くない。


「お前ら、変なこと言うなよ。ごめんなさいね、失礼なことばかり言って」


「いえ、大丈夫です。でも、飲み会のほうはごめんなさい。兄に迷惑をかけてしまうので。気持ちだけ受け取っておきます」


 兄に迷惑をかけることはできないというのは本心だった。元々柊輝は都内の大学に通っており、就職活動もしていたのだが、あいにくの不景気で結果は全敗。それを知った兄が「うちの民宿で働かないか」と拾ってくれたおかげで、今の自分がある。


 もともと兄弟仲は良く、兄は何かと可愛がってくれたし、柊輝にとっても親以上に大好きで頼れる存在だった。


「はい、到着しましたよ」


 車を走らせているうちに、青春荘の敷地へと到着した。ドアのロックを解除すると、3人は荷物を抱えていそいそと降りていく。


「宿泊客用の冷蔵庫に入れるときは必ず名前を書いておいてくださいね。冷蔵庫の前にマーカーと付箋が置いてあるので」


「はい、ありがとうございました!」


 3人はわらわらと建物の中へ消えていく。柊輝もその後を追うように入り、フロントへと向かった。短期アルバイトたちのバイトリーダーを任されている柊輝にとって、日々の細かな目配りも大切な仕事の一つだ。


「羽田さん、お疲れ様です」


「ただいま。俺がいない間、何かあった?」


「来週宿泊予定のお客様から、問い合わせの電話がありました。私ではすぐに答えられない内容だったので、確認して折り返しお伝えしますと伝えて、今お待ちいただいているところです」


 フロントのデスクに置かれた問い合わせ用のパソコンを確認する。どうやら、来週から勉強合宿で宿泊予定の高校の引率教師からの連絡らしい。予定していたレクリエーション施設が諸事情で使えなくなったため、何かおすすめのスポットはないかという相談だった。


 学生の合宿所として使われることの多いこの宿では、こうしたレクリエーションの相談を受けることも多い。勉強やスポーツも、ただぶっ続けていればモチベーションや効率が落ちてしまうため、適度に息抜きを挟むのは定石だ。


 オーナーである兄もその辺りは心得ており、オプションとして様々なプランを用意している。この湖周辺は観光地だけあって、候補にできそうな場所はいくらでもある。


「今回は勉強合宿が目的だから、あまり羽目を外さないアウトドア系のほうがいいかもしれないな」


「例えば?」


「この時期ならフルーツ狩りもできるし、夜にちょっと離れた場所で天体観測をしたりするのもいいかもね」


 あまり派手に遊び回るような場所は避けつつ、いくつかのアウトドア系スポットを候補として選定し、スタッフにメールで送るよう指示を出した。


「今、送信しました」


「ありがとう。もうすぐ夕飯の配膳時間だし、俺もキッチンを手伝ってくる。何かあったらまた声をかけてね」


「わかりました」


 腕時計に目をやると、時刻はすでに17時45分。繁忙期は常に多くの学生が滞在するため、夕食は18時から20時の間に30分刻みでシフトが組まれている。フロントの一部を除き、総出で配膳をこなさなければとても回らない。


「お疲れ様です、手伝い遅くなってすみません」


 食堂のキッチンに顔を出すと、スタッフたちが宿泊客用の夕食が盛られたお皿を次々とトレイに乗せていくところだった。


「シュウ君、おかえり。18時からの組は1組だけだから、まだ余裕あるよ」


 そう言いながら、大きな炊飯器からしゃもじでお米をふんわりとほぐしているのは、料理スタッフの飴矢(あめや)雪花(ゆきはな)だった。


 166cmの長身で、ぽっちゃりというよりはスポーツマンらしい筋肉のついたがっちりとした体格の彼女は、見た目通りの頼れる姉御肌だ。仕事中ということもあり、肩までのストレートな黒髪をすっきりとポニーテールにまとめ、前髪もピンで留めている。趣味の釣りのせいか、少し日焼けした健康的な小麦色の肌がよく似合っていた。本人はもう少し色白になりたいと美容に勤しんでいるようだが、不健康なまでに色白な柊輝からすると少し羨ましいくらいだ。


「でも、カフェのほうもまだ忙しいんじゃ……」


「ああ、あっちはもう客足が途絶えたから平気だよ。ただ、そろそろ店じまいしなきゃいけないから、代わってもらえると助かるんだけど」


「わかりました、すぐ行きます」


 雪花は“Rose Bleue”のパティシエール兼料理スタッフでもある。民宿の朝食と夕食を彼女が仕込み、日中はカフェで軽食やスイーツを担当するという獅子奮迅の働きぶりだった。


 もっとも、繁忙期は宿泊客の食事の準備だけで手一杯になるため、日中のカフェメニューは焼き菓子や日替わりスイーツのみに制限している。短期バイトの学生たちもカフェスタッフとしてシフトに入れているため、雪花が文字通り過労で倒れてしまう事態だけは何とか回避できている状態だった。


 柊輝は、雪花がよそってくれたご飯の入ったおひつを抱えて食堂へと向かう。ご飯や味噌汁、お茶や水は基本的にセルフサービスだ。このあたりの手間を適度に省くのも、大人数を回すためのコツだった。


 熱々の味噌汁が入った大鍋を運び込むと、ちょうど待ちかねたように宿泊客の学生たちが談笑しながら食堂になだれ込んできた。1日中体を動かしていた彼らにとって、夕食の時間は何よりの楽しみである。


「うわぁ、美味しそう……!」


 学生向けの安い民宿の食事になど期待していなかったのだろう、歓声を上げる学生たちを見ながら、柊輝は手慣れた手つきで配膳の作業に没頭していった。

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