144 愛の魔王
「新宿中央公園、かぁ。こんなビル街にも、公園ってあるんだね」
誰にともなく呟く私に、答えを返す人はいない。
時折ビルからの冷たい風が吹き下ろしてくる公園には、分厚いコートを着込んだサラリーマンが数人、ベンチで俯いているだけだった。
「あれ、今って冬……なんだよね」
八咫烏と会話をしていた時には感じなかったけど、一人(1匹)になってみると、気温といいビル風といい、私の寒々しい気持ちにさらに拍車をかけるように寒さが襲ってくる。
私はブルリ、と体を一回震わせると、風を避けるために公園の奥に歩を進める。
頭に浮かんでくるのは、さっき聞いたばかりの、あのことだ。
「《《魔王に不可能はない。それをよく考えて行動するのじゃ 》》」
三本足の喋る不思議なカラス、八咫烏はそう言って消えた。
不可能はないって……私、神かなんかなの?
不可能がないんだったら、そもそもこの寒さを何とかしたいんですけど!
震えながら公園の奥に進むと、そこには沢山のダンボールハウスがあった。あ、ニュースで見たことがある。ここって、ホームレスの人たちが住んでるんだよね?
バナナが腐ったような、据えた匂いがトイプードルである私の鼻にツン、と入り込んできて、一瞬私は思わず鼻にシワを寄せてしまう。
でも、ダンボールって暖かそうだよね。この際、このニオイは我慢するしかない。私はダンボールハウスの中で、人が今居ないハウスを探し、その中に潜り込んだ。
ハウスの中には、薄っぺらくて薄汚れた毛布が、古新聞で作られたベッドの上に敷いてあった。ここの住民が戻ってくるまで、ここで寒さを凌がせてもらおうっと。
「ふう。やっぱり風がないだけでもマシだよね。快適快適!」
毛布の上に座ると、じんわりと体に体温が戻ってくるような感じ。元々わたし、犬だし。体温はあったかいはずなんだよね。でも、室内犬だからなぁ。
「違う違う! そんなどーでもいいことじゃなくって!」
考えなきゃ。さっき聞いたばかりの、八咫烏の話を整理しなきゃ。
八咫烏は、自分のことを「地球の生命が進化を続けるための『きっかけ』を作る役割を持った存在」だと言っていた。
その『きっかけ』を作るための『何か』を人為的に起こす存在が「魔王」だって言っていた。
魔王が『何か』を起こして、歴史を乱す。それによって人類は更なる進化を起こしていくんだって。
でも、でもさ。
なんでそれに、私が巻き込まれなきゃいけないんだろう?
八咫烏は、私が『魔王』に選ばれたのは偶然であり、必然だと言っていた。よくわかんないけど、私じゃなくても良かったってことだって私は理解している。
なぜ、私なの? 私は自分の意志とはまったく別に『魔王』と呼ばれる存在に生まれ変わってしまって、それで、世の中を乱す存在になっちゃうなんて、酷すぎるよ……
でも、気になるのはさっきも思い出した、八咫烏の最後の言葉だ。
「《《魔王に不可能はない。それをよく考えて行動するのじゃ 》》」
八咫烏は、私が『魔王』であることを辞めることはできないと言っていた。だけど『勇者』に、自分の存在を消して貰えばいい、とも。
でもそれって、私の愛するポメに、殺されちゃうってことじゃん。
あのポメが、いくら私が魔王だからって、素直に私の命を奪うとは思えないよ!
……だよね。ポメくん、大丈夫だよね?
でもさ。
私が、世の中を乱さなければ、何も事件を起こさなければ。
魔王のチカラを使わなければ良いだけ、じゃないの……?
超カンタンな思いつきだけど、それって最良にして、唯一の答えである気がするけど?
そうよ! 私には不可能はないのよ!
私は、マジメな魔王になろう! 世の中を見出さない、愛の魔王になろう!
そして、ポメくんと暮らすんだ! ふふふ〜ん!
こんなカンタンなことだったんだね。
私はなんだか心が踊るような気分になって、思わずダンボールハウスから外に飛び出し、そのまま寒空の公園を走り出した。
「うん! さっそく、ポメくんに会いに行こう。私の考えをポメくんに伝えて、ポメくんたちと仲直りして。魔王軍も解散して、ポメくんたちに動物たちを任せよう!」
「そうは行きませんな、魔王様」
走る私の耳に、暗い声が聞こえた。
足を止めた私の前に、可愛らしい、だけど目が赤く光っている、1匹の犬が立っていた。
それは、ミニチュア・シュナウザーだった。
「ここにおりましたか、魔王様。探しましたぞ?」
「……カール、さん」
「何をしておいでです? 魔王様の我儘のおかげで、真王教の選挙演説は滅茶苦茶ですぞ? すぐにでも戻り、今後の体制を立て直さねばなりませぬぞ」
妙に威圧感のある態度で、私の一番の部下である『魔王の使徒』カールが言う。
あれ? いつもは私に媚びたような態度をとっているのに、今日はずいぶん強気だねぇ。
「あのね、カールさん。私、決めたの。魔王軍、解散するね。で、真王教も止めてもらって……」
「お巫山戯もほどほどにしてください。私がここ数年、必死に考えた魔王様復活の計画が、あなた様の我儘で崩壊寸前なのですよ? 私の言うことを、今後は聞いてもらいます」
そこまで大声で言ったあと、カールは小声で「色ボケ犬が……」と小さく舌打ちまでした。
当然、私はカチンとくる。
「ちょっと! あんた何なのよ? 私は魔王よ! 私が決めたんだから、アンタは私の言うことに従いなさいよね!?」
カールは顔を顰め、私を睨む。
「魔王なら、魔王らしく行動してもらわないとな。確かにアンタは魔王だ。俺はその使徒、つまりアンタには力では叶わないし、アンタがいないと勇者は倒せない。だがな……」
「何よ。だったら、言うこと聞きなさいよ!」
「魔王の使徒は、八咫烏様から一つの権限をもらっておる。『魔王が魔王たりえなかった時、本来の魔王の姿に戻す』権限だ」
「……何よ、それ」
私は、この世で一番強い、何でもできる、魔王のはず。
なのに。
部下である魔王の使徒、カールが怖い。彼が言った言葉が、怖い。
『魔王が魔王たりえなかった時、本来の魔王の姿に戻す』
それって、どういうことなんだろう。私が、本来の魔王になっちゃうってこと?
本来の魔王って、何?
また、私が私じゃなくなっちゃうの?
せっかく、ポメのところに行こうとしてたのに。
そんなの、許せない。
だけど、私の足は動かなかった。
「魔王様。一刻も早く、我らをお導きください」
その後にカールが言った言葉を聞いた瞬間、私の意識は再び闇に落ちた。
「魔王様。この世を闇に!」
1990年2月12日、夕方。
私は再び、全能の魔王に戻った。自らの意志とは、全く別に。
私の目的は、この世の歴史を乱すこと。
そのためには邪魔な存在である『勇者』を倒すこと。
目的の邪魔となるものは全て『消去』すること。
『愛の魔王』を目指していたはずなのに。
私の頭には、それしか無くなってしまったのだ。
自分ではそのことに気づきもせずに。




