121 夢と目覚め
ずっと、長い夢を見ていた。
顔はよく見えないが、美しい、いや可愛らしい女の子、いやもう大人の女性かな? そんな女性と、海沿いのカフェで話をしている夢。
青空の色を映し出した海の色は紺碧に輝き、暑くもなく寒くもない快適な風が通り抜け、カフェの外の木々を揺らす。
俺の手は痩せていて、いや違うか、中年になる前の俺の手はこんな感じだったような記憶が蘇る。つまり俺は今、目の前の女性と同じくらいの年齢なのだろうか。
俺は女性の顔を見ようと、手から目線を上げる。だけど、女性の顔は口元しか見えない。ぼんやり顔の輪郭はわかるが、なぜか顔は見えない。
いや、そうではない。見えないのではなく、俺は目の前の女性の顔を知らないんだ。だから見えないんだ。
見たいのに、知りたいのに、知ることはできない。だって俺はこの女性のことが好きなのに、何も知らないから。
目の前の女性の顔がわからないのに、感情と言葉だけは伝わってくる。彼女は、首を傾げて俺に質問をした。
「どうしたの? もっと楽しいお話しようよ」
「……そうだね。もっと、君のことを知りたい」
俺が心から願っているのは、目の前の女性のことを知ること。話すこと。そして……
「私のこと、知らないんだね」
「うん、大好きなのに、君のことを知らなすぎるんだ」
なぜ? こんなにも好きなのに、守りたいのに、会いたいのに。
会いたい?
だったら、目の前の女性は何なのだろう?
「あなたが私を探してさえくれれば、こんなことにはならなかったんだよ?」
探したよ。でも俺にも、やらなきゃならないことがたくさんあった。だから、見つけることができなかったんだ。でもそれは言い訳にしかならないと自分が一番よくわかっている。
「これから、どうなるんだろうね、私たち」
わからない。ずっと考えているけど、考えが先に行かない。いや、考えても考えても結論が出ないんだ。だって……
俺は勇者だし、君は魔王だ。
どちらかが倒れないと、その先には進めないんだから。
「そうだね、ポメくん」
目の前にはいつの間にか、茶色い可愛らしいトイプードルがちょこんと座っている。
そして俺の手も、白いフワフワした毛に覆われている。
プー。なぜ君は、魔王に生まれてしまったんだろう。
そして俺はなぜ、勇者に選ばれてしまったんだろう。
俺たちはもう、2匹で暮らしていくことはできないのだろうか……
◇◇◇
風景がぼやけている。一瞬前まではっきりと見えていたトイプードルは姿を消し、見覚えのある、どこかの部屋が見える。
ふと、チャーハンの匂いがした。犬になってからは食べていないが、この匂いは覚えている。これは、カレーチャーハンの匂いだ。佐藤家のママさんが得意で、子供の友梨奈ちゃんと風太くんも大好きな匂いだ。二人がニコニコしながらカレーチャーハンを頬張る姿を見るのが、俺は好きだった。
え? カレーチャーハンの匂い?
俺はすっくと立ち上がり、体をブルブル震わせると、少し思考がスッキリした。
ここはもしかして、いや間違いなく、俺が飼われている家、佐藤家じゃないか?
「クウ〜ン?(なんで佐藤家に?)」
俺は確か……あれ、どこにいたんだっけ。それにさっきまで、すごく悲しいことがあったような気がするけど。あれは夢だったんだろうか。なんだか体がとてもだるいから、多分夢だったんだろう。中身は一つも覚えていないけど。
すると、パタパタパタ……とスリッパの音が聞こえ、俺の視界に佐藤家のママさん、青葉さんが走り込んでくるのが見えた。
「モフっ! 目を覚ましたのっ?」
言うなりものすごい勢いで俺の側に走り寄って俺は一瞬たじろぐ。そのまま俺を抱き上げ、ギューっとしてきた。ちょちょっ、青葉さん、豊かなお胸が僕の顔に……
「心配したんだよ? 1ヶ月も目を覚さないんだもん……うわ〜ん」
青葉さんは俺を窒息死させそうな力で抱きながら号泣した。大粒の涙が俺の顔にボトボト降り注ぐ。
えっと、今、どんな状況なんだっけ?
1ヶ月も目を覚まさないって言ってた。
俺、なんでそんなに眠ってたんだっけ……?
(私を探して、って言ったのに)
頭の片隅に、可愛らしい、だけど冷静な声が響く)
(もう遅いのよ、ポメ)
脳内に閃光が走ったような感覚。そうだ、思い出した。
横浜。決死隊の突入。操られる豆之助。血まみれで倒れるサバトラ。現れたツキノワグマの球磨嵐と、魔王の使徒カール。
そして、魔王の登場。
俺が倒すべき相手である魔王。その正体は、俺が転生後に愛したその犬だった。
(勇者よ。いずれ、お前とは決着をつけねばならない。だが今は、見逃そう)
(今はまだ『その時』ではないからだ)
魔王は、いや、トイプードルのメス犬であるプーは、燃えるような眼差しで俺にそう言った。
(待つのだ)
何を、いつまで、待てばいいんだ?
俺がこの世にポメラニアンとして転生してから、様々なことがあった。
でも、俺はどうすれば良い?
ひと月ぶりに目覚めた俺は、まだ混乱の最中に一人取り残されているかのようだった。




