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伊藤慎也のお昼休み

 楽器を始めたのなんてそんなもの、モテるために決まってる。

 だから女だらけの吹奏楽部に入ったし、イケメン楽器の代名詞みたいなサクソフォンをやっているのだ。

 なのに、どうして。どうしていつもいつもこんな目に遭うんだろう。

 「女ってこえぇよなぁ…」

 県予選前最後の1日練習も半分が過ぎた。今はお昼休みの時間だ。

 練習の合間だから、音楽室には裸の楽器がゴロゴロ転がっている。そんなところで万一の事があってはならない、と飲食は厳禁だ。部員はもっぱら個人練習のために借りている教室に分散するか、あるいは楽器倉庫の比較的開けた場所の床に直に座り込んでお昼休憩をとるのが常だ。

 俺はそのどちらでもない。

 楽器倉庫のさらに奥の扉の中。楽譜置場になっているデッドスペースで、本棚に埋もれるようにしてご飯を食べている。

 扉の向こうからは女子部員の華やかな話が漏れ聞こえて来て、俺のもの悲しさを倍増させる。かといって、あの扉を開ける勇気ない俺はそれに耐えるしかないのだけれど。

 「慎也。またこんなとこでご飯食べてるの?」

 「…芳里か。いいから早くその扉閉めてよ」

 ギッと扉が軋む音がして、涼やかな声が1人分部屋に滑り込んできた。声の主は、間違えようもない。同じパートの同期である高倉芳里だ。

 ほどなくして、声の主は本棚の陰からひょっこりと顔を覗かせた。俺を見つけて驚いたような顔が、すぐに破顔して笑い出す。

 「なんでそんなに縮こまってんの?今日ぐらい向こうで一緒に食べようよ」

 「…俺だって、そうしたいけどさ」

 「あの会話の内容、気になって出て行けないって?」

 図星をつかれて、言葉に困る。

 「わかってるなら、なんとかしてよ」

 「別に気にしなきゃいいんじゃない?あの子たちだって聞かれて困るような話はしてないだろうし」

 言いながら芳里は俺の隣に腰を下ろす。行儀よく座って弁当を広げだすあたり、ぼっちの俺に気を遣って来てくれたらしい。

 「だって、気にしないとか無理だろ。なんでよりによってこんな時に、し、下着の話なんてしだすんだよ」

 そう、扉の向こうの女子たちの今日の議題はどうも『下着』らしい。

 話している方は気にしてなくとも、健全な男子としては気になる話題でもあり。しかし、聞くわけにはいかんだろうとここまで逃げてきた次第なのだ。

 「意外と大事なのよ?本番で着る下着って。気になって演奏に集中できなくなったら元も子もないじゃない」

 「だからって今しなくても。男子がいるんだからさぁ」

 少数ながら男子はいるのだ。吹奏楽部はいくら女子が大多数を占めるからと言って、そこのところを考慮してもらわなければ困る。

 「あら?桐野も梨壱も、それから俊くんも向こうで平然とご飯食べてるわよ」

 「嘘だろ!?さっき見たときはいなかったのに」

 なんだか仲間外れにされた気分だ。いや、でもアイツらは悪くない。俺が勝手に引きこもっているだけなのだから。

 「にしても、アイツらほんとよく平気だな」

 「あの3人はもう慣れっこなんじゃない?ほら、中学の時も吹奏楽部だって言ってたし」

 4人いる同期の男子部員の中で、高校から楽器を始めたのは俺だけだ。桐野と俊は中学から、梨壱に至っては小学生の頃から、大勢の女子がいる吹奏楽の世界で生きてきたのだという。確かに、今更下着の話など気にならないのかもしれない。

 「どうする?男子のとこ混ざる?」

 芳里に聞かれ、少し考える。たしかにそれは魅力的な提案ではあったけれど、もう弁当を広げて寛いでしまっているから、今更場所を移るのも面倒だ。

 それに、芳里を放って行ってしまうのにも気が引ける。彼女はわざわざ俺を心配してきてくれたのだから。

 「いや、今日はここで食べるよ」

 「そう、ならいいんだけど」

 芳里は俺の思惑に気付いているのか、いないのか。なにも考えていませんよ、とでも言いたげに平然とした顔をしている。

 天井近くに小さな窓が1つしかないここは、真夏の昼でもどこか薄暗い。俺たちがいる窓の真下が、辛うじて明るいと言えるくらいだ。

 特に何を話すでもなく、黙々と弁当を食べる。普通に考えれば、こんな薄暗い場所で男子と2人だなんて危ない状況にもなりかねないだろうに、彼女がそれを気にする素振りは微塵もない。

 それもそうだ。俺がそうであるように、彼女にとって俺は『男』というよりはただの『同期』。男として見られない事を悲しむべきか、信頼されていることを喜ぶべきか、微妙なところだ。ただ今は、この距離がとても心地いい。

 「慎也は吹奏楽部に入ってよかったと思う?」

 「なんだよ、急に。」

 何の前置きも無しに投げられた問いに、答えるよりも先に驚いた。過去を振り返るようなそんな発言は、ひたすら前を見続ける性格の彼女にはあまりにも似合わなかったからだ。

 「別に、ただなんとなく。ほら、慎也って入部の理由が『女にもてたいから』だったじゃない?でも現実はこんなだし。もしかしたら後悔してるんじゃないかって、そう思ってね」

 「こんなって…。まあ確かに大してモテたりはしなかったけどさ」

 芳里の言葉に促されるように、俺は記憶を手繰り寄せた。


 中学の頃の俺は、とにかくイケてなかった。

 部活は帰宅部。女子とはまともに話せず、暗くて、いつも教室の隅でぼーっと空を眺めている、まるで空気みたいな存在だった。

 何かに熱中できない自分をどうにか変えたくて、高校では何か部活に入ろうと決めていた。なるべく華がある部活がいい。どんくさい俺でも目立てて、女の子にちやほやされる部活ならなおさらいい。

 そんな甘い事を考えてゐる俺に対して、現実は厳しかった。

 運動がからきしだった俺に、サッカー部やバスケ部は論外だった。そのくせ、パソコン部や文芸部は華がない、とハナから足を運ぶことさえしなかった。

 このままじゃまた帰宅部か、と自分の甘さを棚に上げて肩を落としかけた時、見つけたのが吹奏楽部のpスターだった。

 サクソフォンが前面に描かれたそこには、『女の子に囲まれて部活ができる』『サクソフォンで君もモテモテに』『高校デビューもできるかも』なんて文字が躍っていた。

 その文言に乗せられた俺は、その足で音楽室に行き、入部届にサインすることになった。

 実は俺が見たそのポスターは、当時のサクソフォン担当の上級生が面白半分で描いたものだったからしい。『まさかあれで新入部員が釣れるとは思ってもなかった』と、俺が入部してしばらくはネタにされたものだった。

 たしかに、部活の大多数は女子だった。

 サクソフォンをやっているといえば、『かっこいい』『今度はどんな曲やるの?』と女の子たちにちやほやされたし、そのお陰で暗い自分を変えることもできた。

 確かにあのポスターの文言に間違ったことは書いてなかった。ただ、重要なことが抜けていた。

 吹奏楽部の女子は往々にして気が強く、囲まれるというよりも男子はこき使われるだけだった。練習はほとんど毎日で、せっかく女の子と仲良くなれても遊びに行くことさえままならない。

 挙句、他の部の男子たちには『ハーレムで羨ましい』とやっかみを受ける始末。『そんなことはないんだ』といくら訴えたところで、誰も信じてはくれなかった。

 それからの日々は、俺の思っていたようなものとはだいぶ違った。吹奏楽部は、俺が思っているほど甘い部活ではなかったのだ。

 底抜けに楽しい部活ではなかった。『今日限りで辞めてやる』と思ったことも、何度あったことか。それでも、楽器を演奏する楽しさはそれに勝った。

 ただがむしゃらに、練習に明け暮れた。気づけば俺はいつの間にか3年になっていて、そしてとうとう明日が最後の県予選。本当にどうしてここまで続けたのか、よくわからずじまいだ。

 「後悔とか、してる暇なかったよ。どうせお前ら女子は、そんなことさせる暇さえくれなかったじゃないか」

 「そんなにひどい扱いをしたつもりは無いわよ」

 冗談めかして文句を言えば、芳里はわざとらしく口を尖らせた。

 思えば彼女とも随分打ち解けたものだ。最初のころは会話も随分ぎこちなく、呼び方も『芳里』じゃなくて『高倉さん』だった。

 そういえば、彼女には恥ずかしいことも沢山知られてしまっている。泣き言を言ったのも、それこそ彼女の前で泣いた回数も数えきれない。

 男としては情けないが、今更何も隠し立てできない関係だからこそ、こんな風に穏やかに話ができるのだろう。なにより『信頼』はよい音楽を作るための重要な要素だ。

 「いよいよ明日だな」

 「そうね、明日ね」

 いつの間にか芳里の弁当箱は空っぽで、俺もあと2、3こおかずが残っているくらいだった。

 昼休みがもうすぐ終わる。今日の練習も、残すところあと半日だ。

 「っし、じゃあ午後の練習も気合入れて行かないとな」

 「もちろんよ」

 芳里はおかずをつまむ俺を置いて立ち上がる。

 「じゃあ、先に行ってるわね。午後の練習には遅れないでよ」

 「はいはい、わかってるよ」

 軽やかな足取りで彼女は倉庫を後にした。彼女が小さな扉をくぐって向こう側に行ってしまうと、倉庫の中は再び俺一人になってしまった。

 小さな窓を見上げると、ガラスの向こうの青い空を千切れ雲がゆっくりと流れていった。

 理想とはだいぶ違う日々も、それはそれで悪くないと思えた夏の昼下がりだった。

 

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