大道寺俊の寄り道
運動部並みに過酷で多忙な練習を送る吹奏楽部といえど、さすがに大事な大会の前日はいつもより早めに練習が終わる。『明日は遅刻するなよ』という顧問の言葉を背に、何週間かぶりに日暮れ前の街を帰った。
今日くらいはゆっくり休んで、明日の英気を養おう。
「…って思ってたはずだったのに」
我に返った時、俺は大手チェーンのハンバーガーショップで3人分の席取りをしていた。がやがやとうるさい店内で、俺のため息など誰にも届きはしない。
なんでだろう。まっすぐ帰るつもりだったのに。
「はい、俊くんの分のハンバーガー」
「あ、紀子ありがとう」
「俊くん、ちょっとそっち詰めて」
「ああ、ごめんごめん。花菜」
相次いで声をを掛けるのは、俺をここまで引っ張って来た同期の女の子たち。俺にハンバーガーの乗ったトレイを差し出した蓼科紀子と、俺の隣に座ろうと詰めてきた三橋花菜の2人だ。
紀子はクラリネットという黒い縦笛を、花菜は打楽器全般を扱うパーカッションを担当している。対して俺は、管楽器の中でもひときわ大きくて低い音が出るチューバという楽器の担当だ。
3人とも楽器はバラバラ。一見すると接点はないが、紀子は木管楽器の、俺は金管楽器の、花菜は打楽器のリーダーを任されているという共通点がある。
纏めている楽器やメンバーは違うけれど、まとめ役としての苦労は似たようなもので、愚痴をこばし合ったり情報を共有したりする仲だった。
と言っても大体集まって話をしよう、と言い出すのは女の子2人のどちらかで、俺はいつも言われるがままについていくだけだ。両手に花、といえばなんとなく聞こえがいいが、彼女たちはおとなしく飾られてばかりの女の子ではない。
綺麗で可愛くて、だから人気もあるけれど。同じだけ気が強くて、芯があって、軽々しく扱えない。花の中でも、棘に覆われた美しい薔薇のような2人だ。
「いよいよ明日かー。ここまで長かったわねー」
「大変だったわね、ほんと」
「おいおい、まだ終わりなんかじゃないだろ」
まるで今日で何もかもが終わりだとでも言うような態度の2人を咎めたけれど、彼女たちはそんなことを少しも気に留めてはいないようだった。
「だって、正直もう私たちができることは残ってないでしょ?」
「そうそう、あとは明日の朝の最終調整と、直前のリハーサルしかないんだから」
「そうだけどさ」
もう随分長い間、吹奏楽部という女の子だらけの世界で過ごしていると、いろいろなことに気付く。例えばそう、女の子っていうのが男が思ってるよりも、というか下手すると男よりも大分リアリストだってこととか。
男はみんな馬鹿だから、時には人を傷つけてしまうような事実よりも、『信じれば夢は叶う』とか『努力は人を裏切らない』だとか、そういった精神論めいた綺麗ごとを信じたがる。
女の子っていうのは、男よりも大分リアリストだ。
かくいう俺も、そんな馬鹿な男の1人だ。
今だって、2人の台詞にヒヤヒヤしているのだ。諦めるような、突き放すような事を言ったら、僕らを統べる運命たちに見放されてしまうような心地がして。
「でね、そうしたら百合花がさ」
「あはっ、さっすが百合花様。えげつないねぇ」
ぼんやりとそんなことを考えていたら、2人は俺を置いて彼女たちだけの世界に入ってしまった。こうなったら、もう俺のことなんて意識の外だろう。
俺は小さくため息をついた。こうなることは予想がついていた。それでも断り切れずに着いてきてしまったのは、ひとえに自分のせいに他ならない。
楽しそうに話をする2人を眺めながら、楽器を始めた頃のことを思い出した。
俺の通っていた中学は、何かの部活動に必ず入らなければいけないという決まりがあった。特に趣味もなく、運動神経も悪くなかった俺は悩みに悩んだ。
どれにも興味無かったし、どの部活になっても特に差し障りが無かったから。
吹奏楽部に決めたのは、ただ単純に一番勧誘が強引だったからだ。
『吹奏楽部、入らない?』『今から始めれば、どんな楽器だって上手くなるよ』
部員が多いだけに、どこにでも勧誘は現れた。何度も何度も誘われるうちに断り切れなくなって、『じゃあ見学だけ』と音楽室に足を向けた。見学に行くと『せっかく見学に来たんだから』と楽器を渡されて吹くことになった。
そのうちに断わるタイミングを失い、そのまま入部してしまった。楽器を決めたのだって、周りが俺が勧めたのに従っただけだ。
笑えるくらい人に流されてばかりだが、流れの末に決まった割に俺は自分の担当楽器を気に入っている。
自分ではなく、他の誰かを目立たせるために脇役に回る楽器。それは俺の性格を映したようにそっくりで、親近感がわく。
だからこそここまで続けてこれた。これで全然性に合わない楽器の担当になっていたら、どこかでリタイアしていただろう。
リアリストな目の前の女の子2人には笑われてしまいそうだけど、この楽器に出会えたのは『運命』のようだと思っている。ぼんやりと人に流されるままに生きてきた俺を不憫がって、神様が俺とこの楽器を引き合わせてくれたに違いない。
それゆえに信じられない。
明日の演奏次第で、楽器を手放さなければならないという事実を。
「ねぇねぇ、俊くん。聞いてる?」
紀子に肩を叩かれて我に返った。ああ、いけない。またぼんやりしてた。
「ごめんごめん。で、何の話?」
「だぁーかーらー、もし違う楽器をやるとしたら何がいい?って話」
私はオーボエがいいなー。じゃあ、私はフルートにしよう!
2人は自分の担当楽器をそっちのけにして、好き勝手にはしゃいでいる。どんな話題であっても、女の子がはしゃいでいる様子を見るのは華やかで楽しいものだ。
そんなことをぼんやりとした頭で考えながら、俺の口は勝手に動く。
「俺は違う楽器をやろうとしても、気付いたらまたチューバ吹いてる様な気がするよ。今こうしてチューバ吹きになってるのも、運命みたいな気がしてるし」
言ってしまってから、ハッとした。思ったことを、そのまま口に出してしまった。こんな事、2人はきっと笑い飛ばすだろう。『運命』だなんてそんなこと、リアリストな彼女たちは信じない。
白けた空気を変えようとあれこれ言葉を探すけれど、浮かんだ言葉はどれもいいものではなくて。ええいどうにでもなれ、と開き直ってみたけれど2人は一向に笑い出す気配がなかった。
それどころか、お互い見つめ合って納得したように深く頷きあっている。
「確かに、それはあるかもしれないよね」
「うんうん。なんか切っても切れない縁がある感じするときあるもんね」
笑われることを覚悟して身構えていた体から力が抜ける。なんだ、考えていたことは同じだったのか。
心配して損した。
「…意外だなぁ。2人はもっとリアリストだと思ってた」
「そうかなぁ?男子ほどロマンチストじゃないつもりだけど」
「たまに男の子って、笑い出したくなるくらい夢見がちな台詞言う事あるよね」
君の瞳は星が宿っているようだね、って本当に言われた時は驚いたけど。
え、嘘。ちょーウケる。
笑う2人に苦笑を零しつつ、花菜を口説こうとした男子には心底同情した。きっと頑張って考えたロマンチックな台詞だったろうに。渾身の台詞が意味を無さず、あまつさえこんな風に笑われていると知ったら泣き崩れるどころの騒ぎじゃないだろう。
「うん、でも私たちにも愛はあるから」
「そうそう。私だって自分の楽器愛してるもん。だから明日で終わるなんて絶対イヤ。どんなことをしたって、上を蹴落としたって進んでやるわ」
リアリストが語る『愛』は、ロマンチストが抱く『運命』よりも壮絶だ。
「怖い怖い。力みすぎて楽器壊すなよ」
茶化すように軽口を叩くと、彼女たちは2人して「ヒドイ」と声をあげた。
「今日は俊くんの奢りだからね!!」
「はいはい」
頬を膨らませる2人を宥めながら、俺は心の中で固く誓うのだ。
この2輪の薔薇の棘に何度刺されようと、血を流し両手がボロボロになろうと。彼女たちが美しく咲き続ける限り、決して手を離さない、と。
手を繋ぎつづけていられるように、努力をしよう、と。
「俺の出来る事なら、いくらでも」
世界が色を変える、翌日。
少年たちの思いが実ったかどうかは、彼等だけが知るところだ。




