40.公爵令嬢の花嫁修業~アイゼンボルグ辺境伯領編~(6)
それからも二人は忙しい日々を続ける。
真里はサンプルにと母に送ったリンスは公爵領の公都だけではなく、王都を含め他の公爵領や伯爵領でも話題になっていた。
その領内にいる数百はいるであろう貴族家の子女たちから、我も我もとその輝かしい艶めやかな髪への渇望を記した手紙が届く。
「あーもう全くディード母様ったら何も王宮晩餐会でおもっくそ自慢なんかしなくてもいいのに。そりゃま確かに見た目は若いけどさ、16になる娘がいる母親なのに……ぶつぶつ……」
『そんなに愚痴を言うものではない。魔法の精度が乱れるぞ。世界が変われど時代が変われど、変わらぬのは女性の虚栄心と自己顕示欲というだろう』
「まあ、その通りだけどね。はぁ、あと何袋分の大豆からレシチンを分離精製しなきゃいけないのかしら」
『予備も含めて目標総量450本分。残りの大豆の袋は後たった47袋だ。せいぜい集中したまえ』
「それにしても次郎君は冷たいなあ。転生者仲間のよしみで手伝ってくれてもいいでしょうに」
『しょうがあるまい。痩せても枯れても彼は領主だ。それでなくても今彼はキミが始めた様々な改革を行政的に安定させるため、皆安寧に3000年の長き間、何も変えることをしなくてよかった昨日までと同じ日々をより良き明日になると信じさせて改変し、また新たな安定に導くという一番つらい作業をしているのだ』
「まあそうよね。ある意味私の後始末を押し付ける形になっちゃってるものねえ」
『だがその対価は来季分この領の税収や領民たちの幸福度の増大という形で如実に表れることになるだろう。マリ、キミがやりたい事。前世というキミが本来生きてきた世界、その地位や名誉、家族や財産をも失ってでもやるべきキミが思う科学者としての使命なのだろう?』
「それは違うわレクシス。私はね、とことん自分中心主義のワガママな女なのよ。そりゃあ前世でも色んな手段使ってできる限り自分のやりたい実験とかやってきたつもりだけど、あの世界じゃ私のできないことが多すぎるの。社会的な倫理道徳、他にも様々な制約に縛られてね。それに比べてこの世界は自由よ。今の私はどこの国にも縛られていない。おまけに今の私にはあんたって最高の相棒がいる。そしてこの世界では前世では果しえなかった私が新たなステージに立つための力――魔法がある」
『マリ、セリフだけ聞いていると世界征服を企む悪のマッドサイエンティストのそれに近いぞ』
「うっさいわね。いやそりゃ確かに世界征服も悪くないけどさ、そんな面倒くさい支配構造と権力に酔っ払うような自己陶酔的なナルシズムは持ち合わせがないわ。何度も言うけど私の第一目標は私の知的探求心の赴くままやりたい実験を好きなようにやること。結果人々がそれで潤ってくれるならなおさら良し。第二に未知への探求。今の私は金髪碧眼、陶磁器みたいな白い滑らかな肌をしてはいるけど、心根はあのウニやホヤでも食べちゃうような日本人の端くれよ。前世の知識を持ったまま異世界チートでこの世界のあらゆる美味や謎の探求。この二柱が今世の私のライフテーマね」
『うむ。今の発言から類推すると、美味8割、謎2割というところか』
「訂正しといて、シブロクよシブロク」
『了解した。食いしん坊令嬢様。で、このレシチンを抜いた大豆は何に使うんだい?きっとキミのことだ、例のMOTTAINAIスピリッツを使って何か違うことに再利用するのだろう?』
「ご名答。まあ普通に味噌や醤油にするには乳化成分であるレシチンが含まれている方が都合がいいんだけどね、逆に言うとそれのない大豆で作った醤油はサラっとした出来になるの」
『ふむ、そうすると……』
「関東や九州風のほんの少しだけとろみのある醤油と違って、京料理とかでよく使うサラリとした白しょうゆを作ろうと思って」
『同種の液体調味料でもあの狭い島国でよくもそれだけ細分化した代物を作り出せる。我々ステイツ育ちの感性からすると、日本人のオタクスピリッツには全く脱帽するほかないな』
「まあ凝り始めたらキリが無いのは日本人の長所でもあり欠点というか悪癖よね。こだわりすぎちゃって使いやすさより性能を追いかけまくって気が付いたら周りから「お前一体何やってんだ」って目で見られてる。うちの旦那も和ちゃんも次郎君もそういう気質だったわね……あは、そういえば私の父さんもだった。うーんやっぱり血筋なのかな」
『確かにキミの一族のDNAは未知なものに対しての知的好奇心が高くなる遺伝子と物事への理解と集中、そしてミクスチュアが得意な因子がより顕現している傾向が高いな』
「へえそうなんだ。あ、そうするとねえねえ、じゃあ今の私の体、このマルガレーテのDNA配列はあんたの前世データの知ってる範囲で比べると一体どんな傾向が……」
その時、真里の脳内に着信を伝えるテレパスフォンの呼び出し音が鳴り響いた。
「教授、今日も届きましたぜ。教授の作った魔法の整髪料の注文の発注というか……中を一読すりゃこりゃもう嘆願書ですね。まだ受けるって言っても無いのに、一緒に金貨入りの小箱まで届いてますぜ。よっぽど断られたくないんでしょうね」
『あらマスター、何度も言うけど女が欲する美容への執念はそれはすごいものよ。残念ながら私はまだ観測したことが無いけれど、きっと怨霊だって逃げ出すわ』
「ああもう、イリス。返信用の書式データの作成は任せる。ったく、他にも目を通さなきゃいけねえ資料が山ほどあるってのによぉ……」
「あはは、ごめんね次郎君。お一人様一本限定ってことで何とか話付けてちょうだい。一本当たりの価格は次郎君が決めてくれていいわ。大体の相場はそうね……地方男爵家でも無理をすれば買えるってくらいの価格帯にしといて」
「そっすね。一本当たり金貨二枚って所っすか」
「うんうん、そんなところで」
『マリ、流通には下手な商人を挟まずにジークの部下だけを使って国内に供給させると良いだろう。中間マージンや領内通行税を加味しない形にしないと国の端と端とでは同一商品に最大10倍の価格差が出てその価格差で下手な争いの火種のもととなる可能性がある』
「あ、そっか。ありがとレクシス」
『なるほどそのついでに、宅配させる部下たちに各領地の情報収集をさせようっていう魂胆ね。流石おじいさまこすっからいこすっからい』
「あは、いいわよイリスちゃん。この皮肉屋にもっと言ってあげて」
「あーくそ忙しい。教授ー、確かに俺も代用じゃなくて本物のコーヒーが味わいてえっす。ギブミーカフェイン」
「はぁ、ほんとよね。とりあえず今は私達の愛しい相棒に活躍してもらって精神の安定化図りましょ」
『了解だ、マリ。ベータエンドルフィン受容体を最大化』
『マスターはどっちにする?ドーパミンとアドレナリンどっちがいい?』
「ちくしょう、両方で頼む」
二人の異世界転生者と二つの人工意識体が織りなすデスマーチはこうして着実に年末進行というクライマックスに突入していくこととなった。




