33.公爵令嬢の花嫁修業~バルザック子爵領編~(1)
セレニア連山。
東の公爵領の最北に位置し、北公領との領境にもなるその連山は、半島のさらに奥プレートテクトニクスによりできた長城たる国境。
アラニア山脈が誕生した時の余波で、地面を一枚のテーブルクロスと例えた時に造山された大きな皺のようなものである。
そして得てして山というものは言わば川の母だ。
山という集水装置が水源となり、最初はちょろちょろとした清水の流れがやがて海に流れ出る巨大な大河となる。
そしてここ、バルザック子爵領。
セレニア連山からも川が流れている。
山脈から名を取り、その川の名はセレーネ川という。
水ぬるみ始める6月初旬のある日、5月の祝賀パーティで半ば無理矢理婚約者を決められてしまった真里は、9月初旬の収穫後、西の辺境伯領へ輿入れ&花嫁修業に行く前。
父との約束である子爵領での農業改革を完遂するためにまだバルザック子爵領にいた。
「空圧衝撃魔法プレッシャーカノン……!」
真里がかざした右の手に緑色の大気を操る魔力光がその輝きを放ったかと思うと、普段は無色透明で見えぬはずの大気が凝集しその屈折率を変え、第三者の目から見てもわかる程に揺らいで見える球形に変化しものすごい勢いで射出される。
その見えぬはずの空気の球はセレーネ川の流れの中央に鎮座している巨岩に見事命中。
清涼な風の音や鳥の鳴き声で彩られた森の音色の中に「コーン!」という甲高い打撃音が響いたのであった。
「さあ領民の皆、魚がいっぱい浮かんでくるわよ!ちっちゃいのは放置しちゃってもいいけど大きいのは獲って!ワタを取ったら塩漬けにして燻製小屋で美味しい燻製にしましょう」
『これは前世で言うところのガチンコ漁だな。河川の岩などに衝撃を加え、そこに住む魚を一時的に気絶させる。確か前世では禁止されていた漁方だったと思うが』
(大丈夫よ、この国の法律では禁止されてないもの)
『しかしあの数々の風魔法での実験のリサイクル品がこうなるとはな』
(だってせっかく作った魔法だし、使わなきゃ勿体ないじゃない)
『ステイツならばロスカットの一言の元にお蔵入りになるのだろうが、その日本人ならではというかMOTTAINAIスピリッツは大したものだな。物を粗末にするとMOTTAINAIゴーストが出るという民間伝承があるらしいが』
そんな脳内会話を真里とレクシスがかましている間に、子供を中心にした領民たちが川の中で水の冷たさを味わいながら、次から次へと川魚を捉え刈り取りの終わった麦わらを加工した魚籠に入れ込んでいく。
魚種はアマゴやヤマメ、イワナに似たマス科の魚が多く、大きさも15センチくらいから30センチオーバーの大物もいる。
領民は皆大はしゃぎだ。
「じゃあみんな、大きいのは燻製にし辛いからここで食べちゃいましょう」
鱗とワタを抜いたお腹にタラの芽や行者ニンニクに似た香草を詰め、全体に塩をまぶした後葉でくるみ、濡れてしまった領民たちの衣服を乾かすのにも使った焚火の熾火でゆっくり小一時間焼いていく。
それを領民たちと食べ終え、燻製小屋に持っていく他の魚たちの塩漬けを大人の領民に運ばせ、真里たちは領主邸への帰路に就いた。
「なあなあ乙女様あ。乙女様は夏麦が取れたら西の端っこの方にお嫁に行っちゃうって本当か」
「うん、うちの爺ちゃんも父ちゃんも言ってた。乙女様にとっては幸せだって言ってたけど、私達寂しくなっちゃう」
「そうだそうだ。せっかくなら領主様んとこの息子の所に嫁に行ってくれればいいのに」
「ふふ、ごめんね皆。私の結婚は私が決めたんじゃなくて王様が決めたの。この国で一番偉い王様が、私が一番幸せになれる相手は西の辺境伯様だって決めてくれたのよ」
『ふむ、流石我が宿主。国家統治の最高権力者に責任を全て負いかぶせる手腕は流石の一言だ』
「でもみんな安心して、今まで通り会えるわけじゃないけど、またたまに会いにくるからね」
『ほほう、これもまた良い手段だ。たまにという曖昧な表現で……』
(いちいちやかましい。黙らないと円周率の演算を永遠とする罰を与えるわよ)
『すまない真里、私が悪かった。頼むからあの数億桁の演算をやらせた後に、最後に3.14でいいわよねというあの罰はやめてくれ』
花嫁修業。
それはこの世界の貴族、というかルーマ王国貴族の婚姻における慣例である。
貴族家の子女は15歳のデビュタントを過ぎた後、1年~2年で婚約者を定めその貴族家の領主家に入り、その家の家風家訓などを覚え、もしいるのならば他の婚約者たちと顔を合わせ馴染ませることが求められる。
その期間は大体2年~4年とされ、18歳前後になると晴れて婚姻となる。
だがこの花嫁修業の間にもし余程2人の相性が合わなかったり、他の婚約者との良好な関係が構築できなければその縁談は破談となる。
なお花嫁修業の時点で縁談が破談となることは両家にとって大変な不名誉となる。
夫側の貴族は包容力その他が無いと貴婦人たちに揶揄され、子女の方は夫側に認められなかったと各家貴族の放つ言の葉に乗せられる。
なので、両家破談ということは滅多にないのだが、それでも数年に1組や2組はそのような悲劇に見まわれ、王宮や諸侯たちが開く晩餐会や園遊会の良い酒の肴になったりする。
そんな花嫁修業の修行先、というか婚約者を決定づけられた真里が、修行の下準備を始めたかと思うとそんな事は一切なく。
麦踏みのまじないで領内のアイドル枠を不変のものとした真里は、本日も領民たちに乙女様という愛称を呼ばれながら春撒きの麦にだけ発生する病害虫の予防のための自身がいなくなった後でも実行できる一案を授けるべく、大量の魚の塩漬けが陰干しになっている燻製小屋で、排煙のための煙突の加工を始めたのであった。
「なあなあ乙女様、この煙突の先から続いている管がくるくる渦巻いてるこれって一体何なんだ?」
「ほんとだ。くるくる巻いてる管の先っちょが折れ曲がって壺に先っぽ突っ込んであるけど何だろ?」
「うーん、本当はね、炭焼きの煙を使うのが最善なんだけど……」
『ふむ、ここでも日本老女特有のMOTTAINAIスピリッツの発動が……』
(こーら、レクシス君?あまりお口の悪いスマートブレインはお姉さんチョメしちゃうぞ)
『私の個体としての性格はキミの長期記憶のデータから反映されて作られているはずなのだがね』
(お口の悪いスマートブレインには教育が必要かしら?この世で最も無駄の多いガウス先生の例の方程式200セットいっとく?)
『私が悪かった真里。お願いだから私にあんな非生産的なことをやらせるだなんてそんな恐ろしいことは言わないでくれ』
「さて領民の皆」と真里が両手を慣らした。
村の次世代を担う子供たちを中心に、麦につく害虫や赤カビ病や白さび病の予防にもなる木酢酸液の作り方を教えていく。
「……とまあ難しい理屈を言うとこうなんだけど、ものすごーく簡単に言えば、木を燃やしたときの煙をこういう管に集めて水や風の流れで冷やしていくとね……」
「わっ、ほんとだ。普段は煙突から黙々出るだけの煙が」
「不思議だね。冷やしたらポタポタと茶色い汁になって管先から出て壺にどんどんたまってく」
「いい、みんな。これが木酢酸液よ。もっと略して木酢とも言ったりするわ。これはすごくすっぱくて舐めても美味しくないし、体にも毒だから絶対口にしちゃだめ。燻製小屋の煙や……一番いいのは炭焼き小屋の煙なんだけどね、とにかく木を煙にしたものを冷やすとこの茶色い液が出てくるの。これを水で薄めてから穂が出かけた麦に撒いてあげると、麦が害虫や病気にやられにくくなるからね。みんなやり方をよーく覚えておくのよ」
領民たちの了解を示す返事の後、それぞれの子供たちに平民でも使える一般魔法を主軸とした空冷や水冷の基礎を教えながら真里の農業改革を領民たちに教え込む日は続いていった。




