25.伏線も脈絡も無しに始まる世界の危機(1)
――その日、真里の姿は公爵城内の領主執務室にあった。
懐かしい我が家ではあるが、正直うんざりしてしまうのを止められない。
真里がライゼンボルグとの賭けに勝利し手に入れた子爵領での作業期間は約一年。
まだ半分を過ぎたところで戻る必要はない。
本来の予定なら、今度こそ目標値を達成すべく、子爵や領民と夏蒔き麦の計画を立てていたところだ。
だが、徴税官が帰って数日後、父から急いで一度帰れとの命令が届いてしまった。
内容は十中八九子爵領の収穫量のことだろう。
(お父様も私が戻る日まで待てばいいのに)
『そうは言うが、あの子爵領で豊作以上の数字を出したんだ。この反応も予測できただろう』
(まあ、それもそうね……)
久しぶりに見る父の顔は相変わらず厳めしい。
真里が入室しても悩むように眉間に皺を寄せ、無言で彼女を見つめている。
苦手意識が染みついたマルガレーテの身体で、この顔の父と見つめ合ったままというのはご遠慮願いたい。
丁寧に頭を下げ、解りきってはいたがこちらから問いかけた。
「お父様、急ぎの用とのことでしたが一体どうなさったのですか?子爵領から呼び戻す程の何かがあったということですわよね?」
「……あの数字を聞かされて驚くなとでも?」
「目標には届かず残念です」
「はっ?1ヘクタール辺りに換算すると公爵領以上だぞ!?あの寂れた子爵領で何をすればそうなるというのだ!」
「お父様、落ち着いてくださいませ。私は土地にあった適切な農業を行っただけです」
真里は無限収納から紙の束を取り出し父に手渡す。
「既にこのように、他領でも再現可能な形でレポートを作成してあります。本当は夏蒔きの際のデータも入れて完璧なものに仕上げてからお渡しする予定でしたが、どうぞご覧ください」
「……わかった」
黙って読み始めたライゼンボルグの顔がどんどん険しさを増していく。
かと思えば目を丸くし、今度はこめかみを抑え……そんな百面相を真里はハーブティを味わいながら眺めていた。
「骨粉や鶏糞はまだ解るがなんだこの窒素肥料というのは。それに麦を踏む、だと……!?聞いた覚えがないぞ!こんなやり方で収穫量が上がるというのか」
「実際の数字は徴税官からお聞きになりましたよね?それが真実です。いかがでしょうか?」
「くっ……ぐぬぬ、見事な成果だと……認めざるを得ない。まさかディートリヒの魔法を超えてくるとは……」
レポートに一通り目を通り、ライゼンボルグは悔し気に唸りながら肩を落とす。
真里の完全勝利だ。
(あはは、お父様ったらめっちゃ悔しそう!いやあ、いいもの見られたわ)
『随分楽しそうだな』
(いきなり呼び戻されて不満だったけどこれなら大歓迎よ!次は500キロ超えてお父様を怖がらせましょう)
レポートも渡し終え、ここへ呼び戻された用件は終わったはずだ。
真里は意気揚々と席を立とうとするが、その動きは父の待て、の一声で静止された。
「王都で行われる収穫後の諸侯会議は知っているだろう?この国の全十二領を治める四公八伯が揃う集うものだ。そこにお前も来なさい」
「はい?お、お父様?私、子爵領でまだ仕事があるのですが」
「陛下直々のご命令だ。お前の話は既に王都でも広がっている……逃げられると思うなよ」
「うわあ……」
王様の命令からは逃げられない。
流石の真里もそれ以上の抵抗はできなかった。
◇◇◇
(だからってなんでこうなるのよー!ああもう、このドレス妙にきついし重いし)
王都へ向かう馬車に押し込まれ、真里は内心で愚痴をこぼす。
すぐに子爵領に戻るつもりで選んでいたシンプルなワンピースは脱がされ、公爵家の敏腕メイドたちの手でデビュタントのパーティ以上に派手に着飾らされていた。
父曰く、王や諸侯の前に出るならばこのくらいは当然だ、と。
(ヒール脱いで足伸ばしたーい)
『キミの父上が見張っているぞ』
(わーってるわよ。したいって願望語ってるだけじゃない)
『そう言いながら足がもぞもぞ動いているぞ』
(このくらいは許しなさい)
しかし、諸侯会議の場に到着する頃には、真里はレクシスの行動補助機能をフルに使い完璧な貴族令嬢の仮面を被っていた。
挨拶の後であからさまにならないように周囲を見渡す。
まだ年若い者から杖をついた白髭の老人まで、集まった顔ぶれは様々だ。
最奥に座した一際豪奢な衣装の中年男性――彼が国王陛下だろう。
肖像画で見たことくらいはあったが、面と向かって話すのはこれが初めてだった。
ルーマ王国。
この世界で最も広い大陸・中央大陸の西方部、エウロペニアと呼ばれる地帯。
そこの内海に突き出ているタリアンド半島全域を領有する王国である。
半島北部にそびえる峻厳なアラニア山脈を酒杯の蓋に捉えると解りやすい逆三角形の、凡そ二百万キロ平米の広大な国土を持つ。
初代国王ルーマ一世の御代から数え凡そ三千年という長い歴史を持つ国である。
国土のほぼ中心に王家が治める王領と王都があり、その四方東西南北を四大公爵家が領地を治め、国境でもある山脈沿いと海岸線を八家の伯爵家がその領地を治めている。
四大公爵家はその広い領地の中に自分の寄り子たる子爵家を区域分領した地方領として配し、八伯家も己がより子を男爵家として地方領主として任ずるシステムになっている。
そして、四月の終わりと十月の初めに四公八伯家がそれぞれの領地での税収の報告を持ち寄り、王都中心の湖の小島にそびえる王城に集結し行われるのが諸侯会議である。
巨大な円卓の上座には今代国王ジャービー十六世が座し、その脇を四大貴族が固める。
四大貴族はそれぞれ代により持ち回りが変わるが、財務・軍務・法務の三長官を兼任し、残る一家が国王を補佐する宰相の立場を任ずる。
八伯家もまた、代が変わるときに持ちまわったり歴任するときもあるがそれぞれの大臣職を引き受ける。
今代、マルガレーテの父ライゼンボルグは国の財政を司る財務長官を兼任していた。
「全く信じられぬ話だのう、ライゼンボルグ」
「はは、陛下。そのセリフ、私も徴税官に言ったばかりでございます」
「で、東の。お前の隣にいるその娘っ子が、お前の所の嫁さんの慈悲の力を受け継いだっつぅ噂の娘っ子かい」
「北公。陛下の御前ですよ。その乱暴な言葉遣いは控えられた方がよろしい。しかし東公殿、私の領にも山間の寂れた土地がございますが、その様な土地でこの麦の収穫量は……」
「某も同意するところでありますな、西公殿。我が南公領は幾分か他の三公領に比べて温かいので、麦の収穫は安定しておりまするが、まさかこれ程とは……」
豪快に笑い、砕けた口調で話しかけてくる北公。
生真面目に、神経質そうに彼の行動を諫める西公。
そして時代劇の侍を思い起こさせる鋭い武人の目をした南公。
四大公爵と纏めて呼ばれているが、自分の父親とは随分と雰囲気の違う男たちだ。
真里は静かに彼らの話を聞きながら、レクシスにデータを記録させていく。
「ふむ……そちがライゼンの娘。確か名は……」
「はい陛下、マルガレーテ・フォン・バルディアンにございます」
「美しい。我が末妹、ディートリヒの若かりし頃とよく似ておる」
「お褒めに預かり光栄にございます、陛下」
「うむ。そちの噂はわしも聞いておる。昨年のデビュタントにおいて、我が国三千年の歴史において二人目の全属性の魔力を持つ奇跡の子が出たとな」
「恐れ入ります。これも全て父と母の教えと陛下のご人徳のおかげと拝しております」
『キミ以外の全属性の魔力持ちとは興味深いな。一体誰だ』
相棒の声が脳内に割り込んだ。
相変わらずの淡々とした声に珍しく好奇心が滲んでいる。
答えは彼が目覚める前――真里がただのマルガレーテであった頃の記憶の中にあった。
(この国の初代国王にして、このタリアンド半島全域を支配していた魔王軍を絶滅させた伝説の勇者……大英雄ガ・ルーマ様よ。この王城の立っている湖も、この地を支配していた魔王と魔王城ごと、はるか上空からの大呪文一発で吹き飛ばした跡地だって話。まあ……おとぎ話のエピソードを聞くだに、私みたいな人工の転生者じゃなくて天然チート持ちの転生者じゃないかと思うんだけどね)
『なるほど、是非後で参考になるデータを見せてくれ』
(はいはい。私も小さい頃にお母様から寝話に聞いた伝説くらいしか知らないんだけどね)
小さなノイズを残してレクシスが静まった。
早速脳内でマルガレーテの記憶データを探っているらしい。
「ほっほっほ。自分の功績に奢ることなく謙虚でよい娘じゃ。是非その謙虚さ、口の悪い我が宰相に見習わせたいものじゃのう。のう、北公?」
「へっ!俺が口が悪いのは生まれつきのサガだ、仕方あるめえ。よぉ、奇跡の娘さん。その麦の増産に必要なネタってぇモンを一つオイラたちにもご教授いただけねえかね。うちの領地はどうも寒くていけねえのさ。なぁにタダとは言わねえ。うちの領で出た宝石なら樽に詰め込んでお送りするぜ」
「北公、おやめなさい。成人したての淑女に対して下品が過ぎますよ。ですが確かに、麦増産の知恵は私達もご教授いただきたいところ。私どもは西方諸国より手に入れることのできる舶来品の中からお好きなものでも……」
「ふむ、某の領地には貴女の喜ぶような贈り物があるかどうか。当領の名産といえば果物と牧畜くらいしか……」
(牧畜!果物!?)
『血中アドレナリンの増加を確認。落ち着けマリ、にやけそうなキミの顔の表情筋をコントロールするのが誰だと思っている』
(はいはい、いつもありがとう)
公爵領でも子爵領でも十分に味わえない果物への興奮。
思わず垂れかけた涎まで、口元が引き締まって抑えられる。
行動補助機能さまさまだ。
「いえ陛下、並びに諸侯の皆様。私の功績は私のワガママを聞いてくださった父の功績。そして私のような年端も行かぬ小娘をサポートしてくださったバルザック子爵様の功績でもあります。なお、私の行った農業改革の全ては報告書として既に父に提出しております」
「うはははは!これは愉快痛快。我が麗しき姪御殿は謙虚である上に、父や寄子の子爵まで男を立てる淑女。そちこそまさに国の至宝。惜しいのう。そちがライゼンの娘でなければ王家の宝物庫に飾りたいくらいじゃ」
「お戯れを、陛下。ごほん……皆様のお手元に文官たちに清書させた報告書の写しを用意しております。こちらに目を通していただき、質問等がありましたら我が娘に……」
「急報!急報にございます!陛下、諸侯御前の中失礼をお許しいただきたい!」
ライゼンボルグの言葉を遮るように、荒々しく扉が開かれる音と上擦った叫び声が部屋に響いた。




