■ 九.午後三時六分
■ 九.午後三時六分
郵便局員が桐の箱に入った辰宮数馬の遺品を持ってきてからというものおっちゃんは
毎日、ぼんやりと神棚に置かれた時計を見ていた。
声をかけても空返事で、今泉千鶴子も心配していた。
「宮司さん、どうしたんかしら」
「・・・さあ」
俺は、本当のことは言えなかった。そんなある日、今泉千鶴子が
「古閑さん、いつも神社ばかりにいるのも退屈でしょう?うちにきませんか」
「え」
「近所のおばさんたちも古閑さんに会いたいみたい」
「・・・うーん・・・」
確かに
俺はほとんどといっていいほどこの神社の敷地内から出ることはなかった。
いつ空襲があるかもわからないし、下手に出かけて迷子にでもなってこの
辰宮神社に帰れなくなったら大変だからだ。それに俺は髪が茶色で外国人
みたいだから、連合軍のスパイだと思われるかもしれない、とも言われた。
髪が茶色いだけでスパイ、だなんてとんでもねえ世界だ、とも思ったけれど
笑い事でもないみたいだった。
「おっちゃん、ちょっと外にいってきます」
「・・・ああ」
俺を見ずにおっちゃんはそう言った。長い境内の階段を降りる。
逃げ水が見えた。
「あらあ、宮司さんのところの」
「こ、こんにちは」
「日本語がお上手なのねえ」
・・・って俺日本人だけど。まあ、おっちゃんの奥さんの親戚、ということに
なってるので、外国人ってことにしておいたほうがよさそうだ。
俺は東京のほうから疎開してきたおっちゃんの甥、ということになっていた。
髪が茶色いのはハーフだから、ということになっている。たまたま本当に
おっちゃんの亡くなった奥さんはドイツ人だったそうで、ってことは数馬って
奴も結構、外国人ぽく見えたのかもしれない。おっちゃんの奥さんは、もう十年も
前に肺結核という病気で死んでるのだそうだ。そのときに一緒に、辰宮央司・・・
おっちゃんの息子の一人も同じ病気で死んでるらしい。
肺結核で人が死ぬ、というのを俺は聞いたことがない。死ぬ、っていったら
だいたいがガンとか、交通事故とか、老衰とか・・・そういうことがこの世界には
珍しいみたいだ。『戦死』『空襲で焼死』『栄養失調』・・・俺が知らない死因
ばかり。
今泉千鶴子の家は神社のすぐ近くで、神社と同じで古い日本家屋だった。
「どうぞ」
「あ、どーも」
お茶を出してくれる。・・・何もない家。家族写真があった。
「・・・これは?」
「ああ、私の家族」
「・・・多いね」
何人兄弟なんだ?まだ今泉が小さい頃の写真だったが
「これが一番上の兄、二番目、三番目。姉と、下の弟に、妹」
「・・・七人兄弟?」
「うん。でも姉ちゃんは病気で小さいときに死んで、妹は養子にいったん」
「・・・ふうん」
千鶴子の兄弟も、戦争で死んでいたり、病気で死んでいたり・・・もしも
千鶴子が俺と同じ時代の人間だとしたら、兄弟が戦争とか病気とかで死ぬ、
ってこともなかったのかもしれないが。
「この家にいるのは私と弟です」
「弟」
弟がいるのか。でも見たことがなかった。空襲があっても防空壕で見た
ことがない。
「弟はずっと工場にいるからたまにしか帰ってこんのやけど、もうあと
何年かしたら戦争に行くことになると思う・・・」
「弟、っていくつ?」
「ひとつ下やけ、16かな」
「・・・」
そんな頃から戦争に行く、とか考えたくない。
風鈴が鳴った。
「・・・父も戦争に行ったっきり。いつ、終わるんかな。この戦争・・・」
「・・・もう、すぐに終わるんじゃない?」
「・・・」
でも、この戦争には負けるのだ。
でも・・・そんなことを言いたくなかった。
「ただいまー・・・」
玄関先でそんな声がして、誰だ?とのぞくと
「う、うわーっ!?な、な、なんだ貴様!?」
「萬亀」
「が、が、外人!?・・・ひーっ」
坊主頭の中学生くらいの男だった。俺の髪の色に驚いてるみたいだった。
「これが弟の萬亀です。萬亀、古閑万里さん。宮司さんの親戚の方よ」
「あ、そーか。宮司さんとこの・・・じゃあ数馬にいちゃんのイトコなん?」
「う、うん。まあそんなもん」
「・・・数馬にいちゃん元気かな・・・最近は手紙もこんくなったし・・・」
「数馬さんは戦地で立派に戦っちょるよ」
「うん。俺も、数馬にいちゃんみたいな立派な軍人になるんちゃ」
「・・・」
「特攻でもいいよな。敵艦に突っ込んでいくん。かっこいいよ」
「・・・と、特攻?」
何だそれ・・・
「知らんの?神風特攻隊。敵の駆逐艦に零戦で突っ込むん」
「・・・そんなことしたら死ぬやん」
「陛下のためなら命なんて惜しくないよ」
「え」
「・・・ドイツでは違うん?」
「・・・」
・・・ありえねえ・・・
返答に詰まっていると
「ところで古閑さんは・・・ドイツから来たん?」
「え?あ?あ、ああ、そ、そう(本当は未来からきたんやけど)」
「すっげー。かっこいい。ドイツは潜水艦の技術が優れちょうって数馬にいちゃんが
教えてくれたけど・・・古閑さんは陸軍?それとも海軍?」
「お、俺は・・・が、学生やったん」
「ふうん・・・軍人じゃないんか」
「まだ俺、17だし・・・」
「え!?そうなの!?・・・すっげー大人みたい」
・・・なんだか俺よりも千鶴子とか萬亀とかのほうがよっぽど大人みたいだ。
萬亀は
「こないだの空襲で工場が燃えてさ・・・何人か同じ学校の子が怪我したり、
死んだり・・・別の工場に配属されるまで家にいろって。でもすぐ工場が
決まるんだろうけど」
「まあ・・・」
「なんか、どうなるんかな・・・これから」
「・・・」
神社には一人で戻っていると萬亀がついてきた。
「古閑さん、神社行ってもいい?」
「あ、ああ・・・」
・・・この時代の人間ってどんなこと考えてるんだろう・・・神社の神殿にすわって
聞いてみると
「え、将来なりたいもの?・・・そりゃー軍人にきまっちょうよ。・・・俺の父ちゃん
は海軍なんちゃ。船に乗って敵の戦艦をやっつけちょるんよ」
「へえ・・・」
「武蔵、って船に乗ってんだ」
「・・・武蔵」
「今頃はどこかなあ・・・たぶん太平洋なのかな。俺も海軍がいいな。
父ちゃんと同じ船に乗りたいんだ」
「・・・そうか」
「・・・万里さんは?海軍と陸軍だったらどっちがいい?」
「・・・といわれても」
どっちもイヤだ、とは言えない雰囲気だった・・・
萬亀が帰ったあと、俺は辰ちゃんの渡してくれたレポートを読んでみた。
戦艦武蔵
昭和17年(1942)8月に竣工した戦艦「武蔵」は建艦技術の頂点に立ってい
る。
主力艦の数の不足を個艦の優秀性で補おうと、極秘のうちに三菱重工第二船台で
建造された当時世界最大、最強の超弩級戦艦であった。竣工の翌年2月には
連合艦隊旗艦となり、太平洋各海域に転戦した。昭和19年(1944)10月
レイテへ向けてブルネイを出撃し同月24日19時35分魚雷20発、爆弾17発、
至近爆弾多数を受けシブヤン海に戦没した。
しかし
戦艦武蔵の戦没は戦後に公開。戦中にその最後を知る者はいなかった・・・
「・・・嘘だろ」
この世界では去年の10月にすでに武蔵は沈没している・・・ということは、
千鶴子や萬亀の父親は死んでるということだろうか。
でも、二人ともソレを知らない・・・?
「・・・」
なんだかいたたまれなくなった。
萬亀が家に帰ってきている間じゅう、神社に遊びに来てくれた。
俺も萬亀がいるときは退屈じゃないのでありがたかった。でも、千鶴子も
萬亀も、週のほとんどは『工場』とかに行って働いているようだった。俺も
この時代に生まれていたら、日本の戦争の勝利を信じ続けて工場に毎日通っ
ているんだろうか。
「万里さんはいつ帰るん?」
「え」
「ドイツに帰らんの?それともずっと日本におるん?」
「・・・うーん」
俺はどうやったら帰れるのだろう・・・わからない。
ひょっとしたらずっと、この世界にいるとか・・・。
・・・寒気がした。
「でも、ドイツに帰らんでよかったら、ずっとここにおったらいいやん」
「え」
「ね」
「うーん・・・」
でも
・・・俺、本当にもとの世界に戻れるのか?
もしも
このまま一生、戻れなかったら・・・?