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【更新停止中】漢方薬屋のにゃーん  作者: 帰初心
第一話 スコ令嬢と蜜柑箱の君(スコティッシュフォールド視点)
4/4

 以前から体調は悪かったらしい。


 だけど一族ではままある症状。

 気にせず、いつもどおりに仕事をせずに団室でお昼寝をしていたそうだ。

 しかしある日。

 六人いる妻の一人にマッサージをしてもらっている最中に、とある異常を指摘された。

 しぶしぶ王立診療所で犬人の派遣員の検査を受けると、その正体はすぐに判明する。


 ――――余命宣告付きで。



 

 男らしい美貌が陰る。


「背中のしこりが悪性でした」

「それって……」

「白変種だからという訳ではないとは思いますがね。そもそも病気に罹りやすい我が一族では致し方なく」

「私がみんなを治したじゃない! ちゃんと白じゃなくて、黄金色に毛並みが戻って!」

「チュール。魂の傷の治療師である貴女には全猫が感謝しています。ですが……そもそも魂の異常を治したとしても、猫が心から『治したくない』と思う物は治りようがないんです。王族のようにね」


 後ろで立ち止まるみかん箱の君。

 彼は状況を察したのか、「……伝票は棚に置きますね」と告げ、足早に去って――――は行かなかった。

 ふと箱猫になって私の足下に座り込んだ。

 すっぽりと《三日月蜜柑》に包まれた箱猫。隙間から差し出されたにゃんぱん足の分厚い肉球が、私のサンダルの足先にそっと置かれた。

 

 ……どうやら、私の焦る気持ちを察したのかそばに居てくれるらしい。


 頭に小さく、

『何も出来ませんが……』

 と申し訳なさそうな声が届く。




(嬉しい)

 

 流石はみかん箱の君。

 真摯な彼の対応に感動する私の前で、リカルドは表情を見せない琥珀色の目をしばらくミカン箱の君が人姿で立っていたところに向け、やがてこちらに視線を戻した。


「動揺させてしまい申し訳ありません。もう駄目だとは分かっているのですが、噂では『通常の医学とは違うアプローチをする』と有名なミー先生に会ってみようと思いまして。そして――――貴女に会いたかった。私の魂の傷を必死に治そうとしてくださった、猫の救済」





 犬人ほどではないが、猫人は珍しい姿を保つためにおぞましい実験を繰り返された変身人種の一つだ。

 特に貴族は美しい容姿とは裏腹に、様々な魂の病も併せ持つ。


 リカルドのライオン家は白変種だった。

 ホワイトライオンという、白い個体が生まれやすい珍しい家系だった。


 白変種そのものは病気ではない。

 問題は、そのせいで大昔に負った、魂の傷の後遺症の方だ。





 

 変身人種は、一つの魂に二つの姿をもつ人種だ。

 だが別に怪異でもなく、魂の在り方が違うだけだ。

 動物の姿を持たない純人と同じように《旧大陸》時代から存在する普遍的な存在だった。


 だけど古代純人が大陸を支配した頃に、彼らは奴隷の境遇に落とされた。

 ただ奴隷というならまだ優しい。

 純人は私たちの祖先を《有効活用》したのだ。


 そのために行われたのは――――口に出すのもおぞましい実験と生産の繰り返しだった。



 

 とある特徴を備えた女の子がいたとしよう。

 古代純人にふさわしい、または気に入った形質を持ったその子は、そのままでは一代で終わってしまう。

 

 もったいない――――だから増やさなければ。

 その形質を代々繋げるためには、似た形質のものと繁殖させなければならない。

 では誰と? 

 

 魂が近しいものが隣にいるじゃないか。

 ほら――――。


 一緒に生まれてきた兄弟や、父親が。




 そうして確実に増えた《純粋な品種》は、純人にはあり得ないほどの才能や力を宿す一方で、魂にいびつな傷を残していた。


 ――――ルマニア大陸には、多くの家名が存在する。

 形質を冠したものも当然多い。

 だが《品種名》としての歴史を持つ家名には、それ相応の魂の傷を持っている。 





「ライオン一族の中でも、祖先は白変種という珍しい我が家です。色素が薄いだけならいいのですが、白い個体を貴重に思って《保護》の名の下に増やそうとした古代純人に……まあそういうことですよ」


 忌まわしい方法で刻み込まれた魂の傷。

 千年近く経つというのに、未だに消えることはない。

 特に高位の貴族ほど、その記憶は鮮やかに引き継がれている。


 リカルドはどうやら、無理矢理増やした白変種という形質をなくすことには同意をしたが、遙か昔に先祖が受けた屈辱による「病気になりやすさ」という魂の傷は、治すことを拒否していたようだ。




 猫人はどの変身人種よりも、古代純人への恨みが深い。

 犬人のように『飼い主』に出会って落ち着いた人種とは違う。

 野生のままに荒々しい感情を胸に秘めている。


 故に、彼らに【品種改良】【品種保存】という名の元に改変された魂の後遺症。

 この魂の歪みによりあらゆる病気が生まれたが、猫人は一向に治そうとはしない。


 猫らしく在ること。

 魂の病気と共に生きること。


 どちらも猫人のアイデンティティーであり、誇りなのだ。




 私は震えているように見える、リカルドの手をそっと上から握った。 

 同情などではない。

 これは抗議の抱擁なのだ。


「私だって一族の垂れ耳とスコ座りを治したんだから、それくらい……」

「チュール。立ち耳の貴女も可愛らしい。スコティッシュホールド公爵のスコ座り――――いえ、魂の傷による股関節痛が治るのも素晴らしい。公爵は頭が柔軟な方ですからね。王宮で『魂の傷なら治せるはず。治せるものなら治してしまえ』と宣言し、活動された貴女も尊敬いたします。だけどこれは別です。むしろ男の意地と思っていただきたい」


 彼が女性の手を握り返さない。

 だから、これは本気だと分かった。

 私の力は、不要なのだと。


「私は誇り高きライオン家の当主です。生活も経営も仕事も、生きるのに必要な物は皆女性たちに任せます。その代わりに命を掛けてコタツ王国を外敵から守りますし、ホワイトライオン一族の誇りを最後まで守るつもりです」

「……」

「私をかっこいいと思ってくださったら、妻の一人として私を支えませんか。とりあえず借金を返してくださるだけでも」

「そこは断る」

 

 だからといって駄目男を許容すると思ったら大間違いだ。

 私の足下の、にゃんぱん肉球の圧が強まった。






 蛇足だが、私は不思議な力がある。

 この時代に生まれ直す時、とある女神様からもらったものだ。


 猫人の魂の古傷を癒す力。

 これは魂の暴走により変化した、かつての暴食の怪物・シロクロオデブクマのような病気を治すことが出来る。

 特に私が前世で生きた旧大陸で受けた魂の傷などには有効だ。

 メインクーン家が代々発症する心肥大も、アビニシアン家の網膜症も、これで解決した。

 

 当時の猫好き純人の中でも、最悪を体現したような猫狂いの気持ち悪い神様だったが――――その力は、確かに多くの猫人を救ったのだ。




《猫を好きになってちょうだい》


 猫を憎んでいた私に、女神は言い残した。

 そうして嫌がらせのように猫に転生した私。

 相変わらず猫の怠惰な性は嫌いだが、私を産み育ててくれた猫人両親や親戚の魂の傷を治せた時には、心の底から感謝した。


 ちなみに私にも魂の傷はある。

 スコティッシュホールド一族の特徴である「スコ座り」。背中に壁をつけ、後ろ足を前に放り出すアレだ。

 これも好きでやっているわけでは無い。

 股関節が痛いから、そんな座り方をするしかないのだ。


 ちなみに――――折れ耳がある猫人ほど、関節が異常を起こす。

 折れ耳猫を大量に繁殖生産された一族――――我々の生まれつきの苦痛はそういうことだ。

 スコ座りをのんきに可愛いなど言う純人がいたら呪うぞ。




 無理矢理ねじ曲げた形質による悲鳴は《作られた純血種》ほど抱えている。

 だけど、リカルドは――――貴族たちは――――己の歴史への誇りとプライド故に、死すら受け入れてしまうのだ。


 だけど苦しむ顔を見せるのも片腹痛い。

 静かに、誰にも告げず去る。


 ゆえに気がつけば、猫人は失踪している

 街の張り紙に「うちの○○知りませんか」と書かれたら、方向音痴と縄張りの問題以外は――――十中八九、どこかで静かに死んでいる。 


 猫はどこまでも怠惰で、どこまでも誇り高い生き物なのだ。

 駄猫はまごうことなき駄猫だが。

 ……「誇り」や「愛情」を言い訳にしたヒモ宣言も、絶対に認めないが。






 カウンター越しに静かに向かい合う私とリカルド。

 私に告げたのは、あくまで元上司で、猫の魂に向き合った私を尊重してくれたから。

 だから猫人の宿命として、受け入れざるを得ない――――そう諦めた、その時だった。 


「み」


 二本のしっぽが、私とリカルドの握り合った手をふんわりと軽く叩いた。


「先生?」

「み!」


 手を離して下を見下ろす。

 腹を上下させて寝ていたはずの先生が、私とリカルドの間にお座りしていた。

 リカルドを見上げ、二本のしっぽをぺちぺちとカウンターに叩き付けて抗議をする。




 男らしい美貌の主は、下手な子猫よりもちっちゃな医師の、全く怖くない剣幕に苦笑した。


「ミー……ミミィ殿。いや、治しに来たんじゃないのかと言われましてもね」

「み!」

「王から、漢方は腫瘍や外科を劇的に治すような類いのものではないと聞いています。強いて言えば――――ヒーリングでしょうか。変わったハーブで気晴らしのお茶をするには良いかと思いまして」

「み……み!」

「うさんくさいと思っているだろうって? そりゃあうさんくさいですよ。その辺の草を煎じて飲ませ続けて良くなると思う猫がいたら、詐欺師のカモですよ。純人教の新興宗派みたいなものです」

「うな!」


 私の足下で箱猫が抗議する。

 べしべしと床を叩く音。しっぽを床に打ち付けているのだろう。


 三つの大陸からミー先生の求める生薬をかき集めてきては販売しているニャンコ商会からしたら、詐欺師と一緒にされてはかなわない。




 だが、死期を悟り受け入れてしまった男は冷たく「無駄です」と突き放す。


「私は元々、国の権威であるコタツ医学ですら信用していませんからね。あれこそ詐欺だ。ケンネルの医学は数で物事を判断できるだけマシですが、あれだって限界がある。そもそも魂の運命を無理矢理改変しようだなんて……古代純人と同じではないですか」

「み!?」


 しっぽがぶわり膨らんだ先生。

 リカルドはたてがみのような髪に手ぐしをいれて、後ろに流す。

 そして私を見つめた。


「王は好きみたいですけどね、漢方うさんくさいいがく。本当はチュールを妙な世界に入れたくなかった。団長をやってくれないなら、私のハーレムに入って欲しかった」

「それはお断「分かっています」」


 唐突に話を切る。

 ふと、訪れる沈黙。


 琥珀色の瞳が私の蒼色の瞳を覗き込む――――唐突に近づく距離。

 あまりに真剣な眼差しに動けない。 


「せめて――――貴女の魂に私を少しでも刻み込みたい。宜しいですか?」

「ぶみゃっ!?」


 私ではなく、箱猫がなぜか悲鳴を上げた。

 リカルドは「大借金を作る勇気もない引きこもりに、私を止める権限などありません」と呟く。




 近づく顔。かかる吐息。

 私はパニックになりかけ――――唐突に子猫の絶叫が響いた。


「みゃあー!!」

「がっ」


 がつん。

 突然リカルドがカウンターに突っ伏した。


 後ろを見るといつの間にかカウンターを降りて、ふしゃーふしゃーと毛を逆立てていた白毛玉。

 全身膨らみすぎてウニのようだ。


 そして手前には大きな白い布袋。

 子供一人入りそうな大きさのこれを、リカルドにぶつけたらしい。

 相当の衝撃だったのか、色男は木のカウンターに額をぶつけたまま動かない。

 広がるたてがみが痛々しい。


「ふー、ふー」

「先生、どうやってこの袋を持ち上げたんですか!?」

「申し訳ありません。先生に頼まれました」

「ミカン箱の君!」 

「あの、その呼び名はちょっと……」

「みっ」


 作業着の人の姿になったミカン箱の君もなぜかリカルドの後ろにいる。

 恐縮しながらも、少し怒り君に黒い軍服の背中を睨んでいる(ように見える)。


 


「み、み!」


 爆発ぎみの白ウニ毛玉はぺしぺしとピンクの肉球で白い布袋を叩いた。

 この袋の中身を見ろ、ということらしい。


 私はカウンターを出ると、ずっしりと重い袋の口を開けた。

 そこには――――。





「『りかるどくんせいいくにっき』……? リカルドの奥さんの一人の夫観察日記ですか?」

「み」

「奴の生活をよく読んでみろ、ですか……って、何これ」




『【にゃん月にゃんにゃん日】

 今日もうちのりかるどくんは運動もしないで朝からごろごろ。

 せっかくのリリーのご飯も食べず嫌いを起こして、焼き肉しか食べない。

 野菜も嫌いなのだから、せめてビタニャンを取れる生肉を食べろと言っているのに匂いが嫌だなんて生意気極める。でも可愛い』


『【にゃ月にょにょ日】

 またりかるどくんが風邪引いた。

 ビタニャンをちゃんと取らないからこうなるのよ、と叱ってもしっぽを布団に打ち付けてしらんぷり。

 無断欠勤以外にも風邪欠勤も多いから、いい加減首になっちゃうんじゃないかしら。可愛いからいいけど』


『【にゃおん月ふぎゃー日】

 りかるどくんが暗い顔をして帰宅。

 診療所のピレニーズ先生に腫瘍の宣告をされたそう。

 一人旅用の荷物をまとめ始めた。私たちは大混乱だ。

 慌てて王城に行くと、聞いた話は白猫特有の皮膚の腫瘍だった。

 今は良性の腫瘍だけど、免疫(ピレニーズ先生が教えてくれた病気になりにくくする仕組み)が低いから高齢猫並にあっという間に悪性に変化するだろうという先生のお言葉をいただいた。

 その場合の余命は半年。元々腫瘍に弱い家系らしい。

 免疫は良い運動と良い食事と治そうという気持ち。

 だけどりかるどくんは「そんなの無理だ」と絶望に囚われている。

 どうしましょう……可愛いけど』




 …………。


 つまりだ。

 リカルドはそもそも免疫が低い家系であるが、自分でより下げていた事実があり……。

 発生した病気も、生活を大幅に改善すれば治る可能性があるくせに、やりたくないから現実逃避的にやけっぱちになり……。


 腕を組んで怒っているミカン箱の君の肩に、えっちらおっちら、ちっちゃな爪を立ててよじ登ったウニ毛玉。

ようやく場所を決めてから、「み!」と動かない黒軍服を叱る。

 私も動かない金色の美形にすっかり呆れてしまった。


 そしてここまで甘やかしきった奥さんたち。

 旦那の堕落を応援し、むしろ死に追いやる姿に、悪意すら感じてしまう。



 

 そもそもリカルドの病は、アル中や生活習慣病患者と同じだ。

 治そうと決心しながら、生活を変えられない彼ら。

 どんなに確かな医療があろうと、そこに精神的な努力を求められたら途端にモチベーションを落としてしまう。


 恋の病や末期の病も不治で、魂の傷よりもずっと厄介で難儀な病。

 

『やる気がない』


 に、彼は罹っていた。




 ……お手上げた。

 どうしようもない。


 私はリカルドの葬儀代を計算し始めた。






「み」


 すっかり白けた空気に、ウニから普通のふんわり毛玉に戻ったミー先生の声が響く。


「……諦めちゃだめだ、って。そもそも本人が駄目じゃ」

「み」

 

 先生は首をふるふると振ると、漢方薬を作ろうと言い出した。


 そしてとことこと製品棚に登る先生。

 紙袋に入った一つの処方を口に銜えた。

 よいしょと物を引っ張りだして、お尻をふりふりカウンターまで運んでくる。

 

「先生、手伝います」


 ミカン箱の君が、素敵に節だった手で、先生ごと紙袋をすくい上げる。

 そしてカウンター内に据え付けてある簡易台所でお湯を沸かし始めた。

 先生の指示で生薬も棚から取り出し用意し、土瓶どびんに入れて煮だし始めた。


 漂い始める香り。

 不思議な生きた薬の匂い。




 我に返った私も慌てて聴診の軍服男を姫抱で持ち上げて、店内のソファーに横にさせた。

 先生は患者の顔の横まで登る。

 そしてピンクの小さな肉球で、患者の頬を持ち上げたり、瞼を持ち上げたり。

 周囲をとっとこ走り回る先生。

爪まで走り寄って観察し、なにやらふむふむと頷いている。


 そして「みっ」とジャンプして、リカルドの腹に乗っかった。

 必死にみっみっと腹をふみふみするが、どうにも力が足りないようだ。


「先生、その前に服を脱がさないと腹診できませんよ」

「みっ!?」

「……チュールさん。後は僕がやりますから、煎薬せんやく(※)を見ていてください」 

「そうですか? ではお言葉に甘えて」


 私はミカン箱の君に任せてその場を離れ、煮詰められて量が減ってきた土瓶を見つめる。

 半分以下にお湯が減った時が完成だ。


 正直複雑でぐちゃぐちゃした変な匂いだ。

 だけど、この匂いこそ沢山の成分が入っている証だと思えば気にならない。

 誤解ないように言うが、無臭な鉱物系の生薬もある。

 まあ、それはそれだ、




 結構時間がかかるものなので、先生は先に製品を用意した。

 薬の服用するお湯の方が先に出来たので、コップに入れて少し冷まして先生のところに持って行った。


 ようやく目を覚まして体を起こしたリカルド。

 流石に喧嘩だけは強い猫。

 何が起きたかなんとなく察したようで、先生とミカンの君を睨みながら白いシャツで腕を組んでいた。


 ぼさぼさのたてがみが、あちこち跳ねている。

 

「リカルド。先生のお薬よ」

「……チュール。私はもう」

「患者で来たのでしょう? なら、はい。うちの薬。騙されたと思って飲みなさい」

 

 私は白湯さゆ(※)と粉状に加工してある方剤を、彼の厚い胸に押しつけた。

 しぶしぶ包まれた紙に入った薬を眺めて、匂いを嗅ぐと動きが止まる。


「まずそうですね……」

「飲まないと絶交するわよ」

   

 あれこれ言い訳をし始める美形の口を無理矢理開けさせ、白湯と共に押し込んだ。

 少し涙目になりながら飲み下すリカルド。




 そのまま布団を掛けて無理矢理横にすると、彼はうとうとと眠り始める。

 ふと、大きな巨大黄金猫の姿に変わり丸くなった。


「み!?」


 豪勢なたてがみに、一瞬埋もれた白毛玉。

 あわてて先生は金色の毛の草原から脱出する。


『漢方なんて効かないのに……』

「試しもしないであれこれ言うのはやめて。とりあえず一晩泊まっていけば良いわ。起きてから文句は効くから」


 腰に手を当てて立つ私に、巨大猫は切なそうな視線を向ける。


『チュール。私があなたを群れに迎えたい気持ちは嘘ではありません』

「……分かったから。その下半身の力を治す気力に変えて欲しいわ」  


 よく飲めました。

 そう言って立派なひげを撫でてあげると落ち着いたのか、目を細めて大きなため息を吐く。


 ……なんだかんだ言っても彼も不安だったのだ。

死の恐怖をずっと怯え、悩んでいたのは嘘では無い。 

 すりすりと甘えるようにたてがみを擦り付ける猫を、優しくなで続ける。


 やがて大きく腹を上下させる金色の巨大猫。

 ゆるりとふさのついたしっぽをゆらし、やがて床に垂らしたまま動かなくなる。

 まるで稚い子供のような、穏やかな寝顔だった。

 





 ことことと、土瓶から漂う薬の香り。

 ようやく静かになったところで、カウンター前の椅子に座ったミカン箱の君に御礼をし、カウンターでごめん寝をし始めた先生に訊ねる。


「先生。なぜリカルドにあの薬を投与したのですか?」

「み……」


 こくりこくりと、揃えたちっちゃな前足に顔を突っ伏しかけてながら、先生は答えた。

 彼もまた「気虚ききょ(※)」なのだと。


 だから今回選んだのは補中益気湯ほちゅうえっきとう(※)。

 飲むと元気を増す薬として、若い人にもよく売れている。 


 名前の通り、「中(=お腹)」を補って、「元気」をす薬だ。




 ミカン箱の君が先生の体をカウンターから落ちないようにずらしながら言う。


「先生に習ったことがあります。とはただ元気を指すだけでなく気力も指しているのだと」


 漢方医学において、気とは見えないエネルギーや、「機能」の総称だ。

 精神力そのものも指す。

 当然、やる気もこの中に含まれる。


 つまり、この場合に彼の診断「気虚ききょ」とは……やる気がないとも診断出来るわけで。


「やる気のなさに投与した、というのですか?」

「み」


 それだけではないよと、先生はぽすぽすと前足に激突しながら続ける。


 構成生薬である人参にんじんを中心に消化吸収機能と――――免疫を上げる効果があるのだ。

 ただでさえ、免疫力が低下しやすいリカルドにはちょうど良い薬だと言える。


「胃腸薬と精神薬が一緒だなんて――――本当にこの薬は変わっていますね」

「み」

「でも面白いでしょって、そうですけど」


 無理矢理でも飲ませて、なんとかリカルドを病んだ怠惰なライオンから、せめて普通に怠惰なライオンに為なければならない。

 それは奥さんたちに任せ――――ても大丈夫だろうか。

 『りかるどくんせいいくにっき』に潜んだ殺意を恐れつつも、あまり考えないようにした。

 

 そして私は、ミカン箱の君に再度感謝をした。

 彼は残ったお湯で見本に持ってきたお茶を用意してくれていた。

 袖を捲ってしっかりと筋張った腕を見せ、重い鉄瓶を軽く片手で持ち上げ優雅にお茶を入れてくれる彼。


 首から上が箱の彼は、「そんな」と謙遜する。

 

「先生が元気で仕事が出来て、チュールさんが元気に仕事を出来ることが大切なんです。僕は何も才能のない、一介の配達猫ですが、少しでもお手伝いできれば嬉しいです」


 はにかんだような声。


 どきゅん。

 胸が射貫かれた。

 

 顔が熱くなる。

 完全に動かなくなった先生を揺さぶって、この萌えを聞いて欲しくなる。


 ……ああ、私はこの国に産まれてきて良かった。

 先生がいて、家族がいて。

 そして応援してくれる憧れの人もいる。


 漢方はまだまだ奥が深いけど、もっとたくさん勉強して、たくさんの猫を助けていきたい。

 深く決心をした。







 ……のだが。

 すぐに決心はぐらついた。




 早朝出勤すると、そこには豪奢な金髪の美形。

 なぜか軍服ではなく白衣を着ている。


「……なんでリカルドがここにいるんですか」

「みー……」

「やあチュール。ミミィ、いやミー殿に、どうしても薬を飲みたくないなら、ここに通ってチュールに飲ませてもらえば良いというものですから。有り難く受けることにしました」

「受けるって、ちょっと」

「ちなみに王からも『いいんじゃない?』と許可を頂いております。それと妻たちから、この手紙を……」

 

 胸元から取り出したのは白い封筒。

 文字は『りかるどくんせいいくにっき』と同じ筆跡。

 嫌な予感。




 封筒を恐る恐る開けるとそこには――――。


『うちのりかるどくんの世話をしてくれるって聞きました。ありがとう! あのクソ猫はのたれ死んでも良かったけれど、チュールちゃんが私たちの仲間になってくれるなら大歓迎! にゃん生命保険の相談は――――』


 全てを読みきることができず、無言で手紙をしまう。


「チュール。さあ、私はソファーで寝ていますのでおやつの時間になったら起こしてください!」


 私と一緒にいるということで、ある意味やる気が盛り返した美丈夫。

 キラキラした美しさが、まぶしすぎる朝日のように――――痛い。

 



 猫生で初めて、ヒモ猫を少しだけ気の毒だと思いつつ――――。

 箱をかぶった素敵な配達猫が来るまでの時間。


 ずらりと並んだ生薬のびんを、綺麗に揃えておくことにした。




漢方医学解説

気虚ききょ

目に見えないエネルギー(熱、生命力、精神力)の総称・気き。これが足りない状態。

ちなみに「やる気・がない」状態も、漢方だと気虚という病気。

補中益気湯ほちゅうえっきとう

人参養栄湯ほど慢性化した疲労倦怠はなく、元気だったけど過労や病気で免疫が落ちた人向けの薬。飲むと元気になる。人によっては下半身も元気になる。だらんと弛緩したリカルドの筋肉にも少し緊張が戻る。

煎薬せんやく

生薬を一から煮出した煎じ薬。飲みやすいように乾燥させ、粉薬にするのは最近の技術。

白湯さゆ

水を沸かしたもの。ただのお湯。


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