第六十九話 氷の館
1
シェスターの悲痛な叫びは、階下でくつろぐ両親の耳にすぐさま届いた。
二人はシェスターの悲鳴にただ事でないものを瞬時に感じ取り、天敵が近づいてきた時の小動物の如き機敏な動きで立ち上がり、その際の衝撃で座っていた椅子が後方に倒れこむのもかまわずにシェスターのいる二階に通じる階段めがけて駆け出した。
そして真っ先に階段に到達した父親が、そのままの勢いで一気に階段を駆け上がり、瞬く間にシェスターの部屋の前へとたどり着いた。
「シェスター!どうした!?なにかあったのか!?」
父親が、普段の温和な表情ではない非常に険しい顔つきでドアを激しく叩きながら、シェスターに向かって強い口調で呼びかけた。
そこへようやく母親が追いつき、不安からか父親の服のすそを掴みながら父親同様にシェスターへと呼びかけた。
「シェスターどうしたの!?さっきの声はなに!?」
父と母の焦燥感漂う呼びかけにようやくシェスターがドア越しに応えた。
「……だめだ!やっぱりだめだ!入ってきちゃだめだ!!」
シェスターは先ほどの救済を求める言葉から一転、拒絶の言葉を発した。
それを聞いた両親は互いの顔を見合わせてしばし沈黙した後、ほぼ同時にドアへと向き直ってシェスターに対して厳しく問いただした。
「なにを言っているんだシェスター!?言っている意味がわからないぞ?父さんたちに判るようにちゃんと説明してくれ!」
「シェスターなにがあったの?ねえ一体どうしたって言うの?」
両親からの度重なる悲痛な呼びかけに対してシェスターは、ただひたすら「部屋に入らないで」、「ドアノブにさわらないで」と繰り返すのみであった。
そのため埒が明かないと思った父親は、愛する息子の制止を無視してついにドアノブに手をかけてしまったのだった。
すると父親の厳しかった顔つきが、突如として怪訝なものへと変貌した。
「なんだこれは?この冷たさは一体……」
すると部屋の中からシェスターの叫び声が響いた。
「だめだ父さん!すぐに手をドアノブから離して!じゃないと父さんまで凍っちゃうよ!」
「どういうことだシェスター!?一体なんだというのだ?…………なっ!?」
その時、金属製のドアノブの表面がいちじるしく変化した。
それまでの銀色の輝きが一変、またたくまに白色へと変貌を遂げたのだ。
「こ、これは霜か?……だめだ……張り付いて手が離れない!」
父親は必死でドアノブに張り付いた右手を離そうと、左手を添えて引き剥がそうとしたのだが、またたくまに左手までもが凍り付いてしまった。
父親は仕方なく身体全体を使って勢いよく引き剥がそうと試みるも、すでに凍結は肘のところまできてしまっていたため、その努力は徒労に終わってしまったのだった。
するとそこで父親がはっと我に返って叫んだ。
「母さん!離れなさい!今すぐに!」
しかし時すでに遅く、父親の服のすそを固く握り締めていた母親の腕はすでに凍り始めていたのだった。
「だ、だめ……凍ってしまって……だめ……」
消え入りそうな母親の声を聞き、シェスターはたまらず叫んだ。
「ごめん!父さん!母さん!俺が愚かだったばっかりに!」
そしてシェスターもまた消え入りそうな声でそっと呟いたのだった。
「……ゆるして……」
2
翌朝、町は大騒ぎとなった。
なぜならばわずか一晩の間に町中に氷の館が突如として現出したからであった。
町の人々は氷の館を見上げ大層驚き、中には腰を抜かすものまでいた。
そして人々は同時にこの家の住人たちの安否に思いを寄せた。
だが彼らにはこの事態を解決する手立てが見当たらなかった。
どうやら氷の館はその成長をすでに止めているらしく、町の人たちが氷に触れてみても彼らが凍りつくようなことはなかったのだが、かといって氷をうまく溶かす算段も思い浮かばなかったのだ。
なぜならば透き通った氷を透かし見ると、その厚さは優に1Mはあったのだ。
[注]1メルクルは約1メートルである
ただ溶かすだけならば干し藁でも家の周りに積み上げて火を付ければ済むであろうが、中の家も無傷というわけにはいかない。
消化のタイミングを誤れば全焼してしまう恐れもあるのだ。
そのため町の人々は途方に暮れていたのであったが、そこへ解決の糸口を指し示す者が現れた。
酒屋のぺテウスである。
日頃、自分の店の酒まで飲んでしまうほどの大酒飲みで、年柄年中酒を飲んでは誰彼かまわずくだを巻く嫌われ者で役立たずの酔漢であるが、この時ばかりは彼のかつての軍役が役に立った。
「おい!これは魔法によるものだぞ!」
ぺテウスは、かつて彼が軍にいた時に魔法士の繰り出す氷結魔法を見ていたのだ。
「魔法?間違いないのか?」
ぺテウスの数少ない友人である道具屋のバラックの不審げな問いにペテウスは自信を持って答えた。
「間違いない!俺は昔見たことがあるんだ。それにだいたい魔法以外でこんなことが自然と起こるものかよ!」
日頃、周囲から嫌われ疎まれているペテウスであったが、今の彼の発言には説得力があった。
そのためペテウスの言葉を聞いた周囲の人たちは皆口々に「魔法か……」「魔法だったのか……」とざわめき始めた。
そしてついにそれは町を束ねる町長の耳に入ったのだった。
「そうか……魔法であったか。となれば我らではどうにもならん。誰かすぐに魔法協会に連絡を取ってくれ!」
町長の命に、近くにいた若者がすぐさま駆け出し、町のはずれに見る見るうちに消えていった。
町長は若者の姿が見えなくなったのを確認すると氷の館へ向き直り、深い嘆息を一つ漏らしてから言った。
「それにしても……一体誰が魔法をかけたというのだ……」




