第九話 運命の出会い
1
「失礼いたします。審議官、出港の準備が整いました」
ヴァレンティン共和国海軍所属の高速船、エルウィン号の船長アルメックは、ロンバルドにそう告げた。
ヴァレンティン共和国が誇る高速三角帆双胴船エルウィン号。
細く長い二艘の船を横に連ね、その二艘の上に甲板を載せて繋げたような形状で、二つの船体が共に細長いため波や風の影響を受けにくく大変高速航行に適しているが、小回りが利かないため戦闘には向かないとされている。
また甲板上にそびえる三本のマストにはそれぞれ三角帆が張られており、逆風を受けても直進することが可能であった。
ロンバルドとシェスターはそのエルウィン号の甲板後部に設置された船室内にいた。
「うむ。では、直ちに出港してくれたまえ」
「はっ!それでは」
ロンバルドの回答に勢いよく返事をするやいなや船長は踵を返し、即座に船室を出て行った。
そして室外に出たとたん、船長は大声で「出港!」と叫んだ。
するとその大音声に呼応した船員たちの「出港!」の声が次々に鳴り響いた。
そして暫くの時を経てエルウィン号は静かに、そしてなめらかに港を出立したのであった。
「エスタ到着まで、およそ三日というところですか」
シェスターの問いにロンバルドが答えた。
「そう聞いている。何事もなければの話だが」
「あってもらっちゃ困りますよ。事変が勃発してすでに丸二日経っているわけですからね」
ローエングリン教皇国とレイダム連合王国との国境線であるアルターテ川の中洲地帯、エスタにおいて両国軍による衝突が起こったのは九月九日のことであった。
エスタにはヴァレンティン共和国を含む周辺七カ国による監視団が駐留しており、それぞれの国の監視員は事変勃発と同時に自国へ急報を発していた。
その中で最も早くその報を受けたのは、地理的にもっともエスタと近いヴァレンティン共和国の属州エルムールであった。
エルムールはエスタからアルターテ川を南に真っ直ぐ下った河口部に存在する町であるため、川の流れにも乗ってわずか二昼夜でその急報がもたらされたのだった。
だがエルムールからエスタへ向かうとなると話は変わってくる。
川下から川上へ向かうということは、川の流れに逆らって進むということである。
もっともアルターテは世界第二位の流域面積を誇る大河であり、川の流れはとてもゆるやかであるため逆風を受けても直進できる三角帆を持つ高速船エルウィン号であれば三日ほどで到着できると思われた。
「大規模な軍事衝突という報告だったが、実際どの程度の規模なのか今のところまったくわからん。実はちょっとした小競り合いを駐留監視員が慌てふためいて大げさに報告してしまっただけなのかも知れないし、逆にすでに完全なる戦争状態に突入してしまっているのかもしれない」
「そうですね。我々が今こうしてエスタに向かって北上している間にも伝令船が二報、三報を携えて次々に南下してくるでしょう。それらがもたらす報を待たねば今の段階では判断できませんね」
「ああ。状況しだいで対処法は変わるよ。とは言っても既に戦争状態となれば出来ることはほとんどないがね」
「ええ。そうでないことを祈るばかりですね」
それを聞いたロンバルドは、小さく開いた丸い船窓からアルターテ川の広大な川幅を眺めながら、シェスターの願いは神に届くのだろうかとぼんやりと考えていた。
2
「坊ちゃま、それでは出発してもよろしいですか?」
ガイウスはシュナイダー家の家紋が入った年代物の豪奢な二頭立ての馬車の中で、年老いた従僕の声を聞いた。
「はい。出発してください」
ガイウスの許可を得た老従僕は、右手に持ったステッキで馬車の天井を軽く二回叩いた。
そしてそれを合図に馬車を操る御者が、流れるような毛並みの二頭の鹿毛馬に鞭を入れた。
すると地面に綺麗に敷き詰められた白石を蹄が叩く音と同時に、大きな車輪がきしむような音を立てながら回転をし始め、馬車が前方にゆっくりと歩み始めた。
馬車はシュナイダー家の広大な敷地を抜けて豪壮な佇まいの正門を潜り、秋の気配に赤く彩られた林道をゆるやかに進んでいた。
ガイウスは大きく開いた四角い窓から流れる風景を眺めながら、久しぶりの外出を楽しんでいた。
出立から二十分ほどが経った頃、ガイウスが老従僕に尋ねた。
「あとどれくらいで着きますか?」
「もうまもなく、おそらく五分ほどかと」
ガイウスは老従僕の返答にうなずくと、また景色を楽しもうと車窓に顔を向けた。
するとガイウスの目に訝しげな光景が飛び込んできた。
初めは遠目なためよく判らず、なにやら数人の人間が踊っているかのような光景に見えたが、馬車が近づくにつれその光景の意味するものがよく見え始めた。
それは四人の男が少女を襲っている光景だった。
ガイウスは瞬時に叫んだ。
「馬車を止めて!」
従僕は年老いているため目が悪く、外の光景が見えていなかったため、何事が起こったかわからずおろおろとしていた。
ガイウスは埒が明かないと思い、あわてふためく老従僕の持つステッキを強引に奪い取り、すかさず天井を激しく何度も叩いた。
すると御者がそれに気づき、馬車の速度が緩み始めた。
しかし速度の緩みは遅く、事は急を要すると判断したガイウスは、馬車が止まるのを待たずに扉を開けて外に飛び出した。
ある程度速度が緩まっていたとはいえ、動く馬車から飛び降りたためガイウスの身体はもんどりうって激しく転がった。
しかし以前よりロデムルに体術を習っていたガイウスは、なんとか受身を取ることが出来た。
多少の打ち身と擦り傷を抱えながらもガイウスは、少女とそれを襲う男たちに向かって懸命に走り出した。
ガイウスは少女に向かって一直線に駆けながら、その少女の横顔を見て自らの記憶をたどっていた。
(あの子どこかで見たことある!……そうだ!ダロス王国の貴族の娘だ……たしか名前はクラリス。俺より一つ年上だったな……かわいい子だからってよくもまあ俺も覚えているよな)
ガイウスは全速力で走り続けたものの、いかんせん身体は六歳児のものであり、近づくまでにかなりの時間を要した。
しかもあたり一面だだっ広い草原だったため、四人の男たちに早々に気づかれてしまった。
するとその中の一人がガイウスに向かって叫んだ。
「餓鬼!止まれ!それ以上近づいたらぶっ殺すぞ!」
男の怒声をガイウスは苦笑交じりに聞いた。
(止まれと言われて止まる奴がいるかよ……面倒くさいしいきなりぶちかますか……ロンバルドには魔法の使用を禁じられてるけど、この状況なら大丈夫だろ……)
ガイウスは一定の距離を取ったところで突然立ち止まり、両手を軽く握って人差し指を一本づつ突き出した。
次いで両腕を地面と水平に上げ、二人の男の顔面をその二本の人差し指で指し示した。
するとガイウスの両人差し指が薄ぼんやりとした水色に輝きだした。
そしてガイウスは小さな声で呟いた。
「アクア」
するとガイウスの人差し指の先から、とてつもない勢いの鉄砲水が二本同時に吹き出した。
それは圧倒的な速度で空気を切り裂き、男たちの顔面を激しく叩いた。
直撃を食らった男たちの首はそれぞれ後方に大きく反り返り、次いで男たちの身体も首と同様に反り返った後、音を立てて地面に激しく倒れこんだ。
突然倒れた男たちを見て残りの二人はとても驚き、お互いの顔を見合わせたのちガイウスに対して戦闘態勢を取ろうとしたが、ガイウスはそれを赦さなかった。
「遅い!」
ガイウスは言うや否や残りの二人目掛けて鉄砲水を発した。
二人は避けるまもなくその直撃を受け、先ほどの二人とまったく同じ姿勢で地面に倒れ臥した。
突然あらわれた自分より背の低い、明らかに年下の男の子が、大の大人四人をあっという間に倒すという光景を見た少女は、驚愕の色をその可愛らしい顔に浮かべていた。
「大丈夫?怪我はない?」
ガイウスは少女にとても優しげに語りかけながらも、心の中では狼の顔を覗かせていた。
(パーティーの時は可愛い顔に似合わず、高慢ちきで俺のことなんか鼻にもかけないって素振りだったけど、今ので完全に俺に惚れたな、この子)
「ねえ覚えてる?前になにかのパーティーで会ったことがあると思うんだけど……僕はガイウス。君の名前はたしかクラリスだったよね?」
すると少女は驚愕の表情の上に怪訝な表情を重ねた。
そして少し怯えながら少女はようやく口を開いた。
「わたし……クラリスって名前じゃない……わたしの名前はユリア……」
「えっ!?……あっそう?じゃあ僕の記憶違いだね」
「それにわたし……あなたに会ったことないと思う……」
それを聞いて今度はガイウスが怪訝な表情になった。
「いや、前に何かのパーティーで会ったんだけど……覚えてないかな?……まあ僕もどんなパーティーだったかよく覚えてないんだけどね」
「わたし……パーティーなんて出たことないし……やっぱり人違いだと思う……」
ガイウスはさらに怪訝な表情になって少女に問いただした。
「あのう……君ってダロス王国の貴族の子だよね?……」
すると、少女はさも吃驚したという表情で勢い込んで言った。
「貴族!?とんでもない!わたしはただの平民です。父は剣術家で、すぐそこの町で剣術道場を開いています。ダロスなんて行った事もないです」
ガイウスはユリアの言葉を聞いて悟った。
「あのう……もしかして君のお父様はアキレス・クラウディウスさん?」
「ええ!そうです。父をご存知で?」
「ええ、まあ……そのう……今日からそちらの道場で剣術を教わることになってまして……」
「父の生徒さん?……あっ……もしかしてシュナイダー家のお坊ちゃま?」
ガイウスは多少ばつが悪そうな顔をしつつ、居住まいを正して挨拶した。
「改めましてガイウス・シュナイダーです。よろしくお願いします」
「あっはい。わたしはユリア・クラウディウスです。助けていただいてありがとうございました」
二人はお互いの顔を見合わせ、それぞれぎこちなく微笑んだ。
それが二人にとっての運命の出会いとなった。




