第1話「7月2日、空に影が差す」
ムラサメ 確定仕様(完全差し替え版)
全高:甲冑モード2.5m/飛行モード3.2m
全幅:甲冑モード1.6m/飛行モード2.2m(主翼展開時)
重量:850kg(両モード共通)
分類:試作可変式からくり機体(パワードスーツ型)
動力源:マブイ
制御:完全機械式(電子制御・コンピュータ制御なし)
必殺兵装名称:マブイ変換砲(「陽電子砲」表記は誤り・統一済み)
第1話「7月2日、空に影が差す」
目覚まし時計が鳴るよりも先に、葉加瀬銀太は台所に立っていた。
出汁の香気が立ち上る味噌汁に、ジュウジュウと脂を弾かせる焼き魚。
「紬、味噌汁できたぞ」
二階からドタバタと慌ただしい足音が響き、寝癖を跳ねさせた少女が階段を駆け下りてくる。娘の紬、十四歳だ。
「お父さん、今日って早く帰れる? 前夜祭、一緒に見に行く約束だよね!」
「ああ。班長には話してある。定時で上がって、夕方五時に中央広場で待ち合わせだ」
「やったあ!」
紬は破顔し、勢いよく箸を手に取った。
銀太は窓を開け、銘柄『敷島』に火を点ける。紫煙が7月特有の湿り気を帯びた朝の空気へと溶けていく。
明日は建国記念日。首都は前夜祭を迎える熱気に包まれ、隣家の軒先には八洲の国旗が誇らしげに揺れていた。
「学校は午前で終わりだっけか」
「うん。午前中の授業が終わったら、すぐ中央広場に行って生徒会の設営手伝いなんだ。私、看板担当だからさ」
「そうか。人が押し寄せるから気をつけろよ」
「もう、子供じゃないんだから」
口を尖らせる紬に、銀太は苦笑を漏らした。
どこまでも平穏で、愛おしい、ありふれた朝だった。
娘を送り出した銀太は身支度を整え、八洲民主共和国軍需開発局へと向かった。
目抜き通りには色鮮やかな提灯が連なり、スピーカーからは祝典の行進曲が流れている。出店の仕込みをする露天商の威勢のいい声、注連飾りが施された街路灯。国家の威信を祝う神聖さと祭り騒ぎが混ざり合い、街全体が浮き立っていた。
局へ到着し、自席で端末を起動して間もなくのことだ。
通信モニターの端に、ノイズが走った。
銀太は眉をひそめる。ケーブルに異常はない。再起動を試みるが、ざらついたノイズは消えない。通信技術者としての十五年の経験が、嫌なざわめきを胸に生じさせた。
「班長、全般通信系に不可解な雑音が入っています」
「ああ? こっちは正常だぞ。お前の端末の経年劣化だろ」
班長は書類から顔も上げない。銀太は割り切れない思いを抱えたまま、窓の外に目をやった。
雲ひとつない青空――そのはずだった。
「……なんですか、あれ」
若手職員の不審そうな声に、室内の視線が一斉に空へ注がれた。
――巨大な『影』があった。
太陽の光を鈍く、重厚に跳ね返す漆黒の円盤。目測で直径二キロを超す巨大な質量が、首都の真上にのしかかっている。
「前夜祭の花火演出か?」
「バカ言え、いくらなんでも大きすぎる!」
局内がにわかに騒がしくなる。だが、まだ危機感はない。誰もが新型飛行船か企業の度を越した広告演出だと思い込もうとしていた。
銀太だけは違った。背筋を氷の針で刺されたような戦慄。先ほどの通信ノイズ――あれは雑音ではない。広帯域にわたる強烈な『妨害波』だ!
直後、局内のすべての機械が沈黙した。
電話が切れ、照明が明滅し、モニターが黒い絶望を吐き出す。
「通信、全系統ダウン!」
「独立有線回線まで死にました!」
怒号が飛び交う。銀太は血相を変えて携帯端末を引っ張り出した。
指が震える。『紬』の着信ボタンを押す。だが、画面には虚無的なエラー表示が浮かぶだけだった。心臓が早鐘を打つ。胃の奥が雑巾のように絞り上げられる。
その時、非常用独立電源のサイレンが甲高く鳴り響いた。
「軍需開発局、全職員! 第一会議室へ緊急招集!」
木霊するサイレンの中、軍服姿の将校が扉を蹴破るように入ってきた。
「時間がない! 通信・解析の技術者は全員来い!」
銀太は弾かれたように立ち上がった。最後に一度だけ窓の外を見る。巨大な円盤は、変わらず首都を見下ろしていた。下界の街では、まだ人々が首をかしげながら空を見上げている。誰一人、これが何をもたらすのかを知らない。
高層階の第一会議室になだれ込んで数分後――世界が破裂した。
空の円盤の底面が極彩色に発光したかと思うと、一筋の太い光線が一直線に地上へと突き刺さった。
落ちた場所は、中央広場。
音より先に、目を焼き切るほどの純白の閃光が視界を塗り潰す。
一瞬の真空。遅れて、爆風が軍需開発局の強化ガラスを激しく震わせ、重低音の衝撃波が腹を殴りつけた。
「……あっ」
銀太の声にならない悲鳴が漏れた。
中央広場。午前が終わればすぐに設営に向かうと言っていた紬が、今まさにいるはずの場所。
「各都市の上空でも同様の物体を確認! 攻撃が始まりました!」
「首都だけじゃない、全国だ!」
飛び交う将校たちの叫び声が、遠い異国の言語のようにすうっと遠のいていく。
銀太の網膜に焼き付いているのは、光に呑み込まれた中央広場の光景だけだ。
「紬……紬!!」
建国記念日を翌日に控えた七月二日。
八洲の空を覆った影は、一人の父親・葉加瀬銀太から日常を完璧に奪い去った。技術者としての使命か、娘を救うための暴走か。狂気と炎に包まれた長き一日が、いま幕を開ける。




