Day 6
午前9時。控室の空気は、重かった。
直哉は、着ぐるみの頭部を抱えたまま、動けずにいた。
腰は、もはや“痛み”ではなく“警告”を発している。
首は、少し動かすだけで吐き気を催す。
昨日の達成感は、今朝にはもう消えていた。
「あと2回」
そう言い聞かせても、体は動かない。
麦茶のペットボトルを持つ手が震える。
「今日、倒れるかもしれない」
そんな予感が、頭をよぎる。
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控室のドアがノックされる。
スタッフが顔をのぞかせた。
「…今日、あの子が来てます。毎日来てる女の子」
直哉は、ゆっくりと顔を上げた。
「“ヒーロー、今日も来てくれるかな”って、朝からずっと言ってて…」
その言葉が、胸に刺さった。
“俺が出なきゃ、あの子は待ちぼうけだ”
それだけで、直哉は立ち上がった。
痛みは変わらない。
でも、心の奥に火が灯った。
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ステージ。
気温38度。風はない。
着ぐるみの中は、開始3分で限界を超える。
視界は曇り、呼吸は浅く、足元がふらつく。
それでも、直哉は立っていた。
悪役との戦闘。
動きは鈍い。
ジャンプはできない。
だが、ポーズは決めた。
拳を高く掲げ、胸元に当てる。
“俺は、ここにいる”
その意志だけが、体を支えていた。
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ファンサービス。
あの女の子が、母親と一緒にやってきた。
「ヒーロー、今日も来てくれてありがとう」
直哉は、膝をつき、手を差し出す。
女の子は、そっと手を握りながら言った。
「ヒーロー、ちょっと元気ないけど…でも、ちゃんと来てくれたから、うれしい」
母親が、静かに頭を下げた。
「この子、毎日ヒーローの話ばかりで…本当に、ありがとうございます」
直哉は、着ぐるみの中で目を閉じた。
汗が流れ、痛みが走る。
でも、心は少しだけ軽くなった。
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その後、別の男の子が駆け寄ってきた。
「ヒーロー、明日も来るよね?」
直哉は、拳を高く掲げて応えた。
“約束だ”というポーズ。
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閉園時間。
最後の子どもが手を振る。
直哉は、笑顔のポーズで応える。
痛みは限界。
でも、心は折れていなかった。
控室に戻り、着ぐるみを脱ぐ。
汗が床に滴り落ちる。
田所さんが、黙って缶コーヒーを差し出す。
直哉は、それを受け取りながら呟いた。
「明日で、終わるんですね」
「そう。最後の変身だ」
「…ちゃんと、立てるかな」
「立てるさ。だって、お前はヒーローだろ?」
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この日、直哉は“支えられるヒーロー”を知った。
ヒーローは、誰かを守る存在であると同時に、
誰かに“信じられる”ことで、立ち続けられる存在でもあるのだ。




