(22)地下道②
指が形作る円の中に、何かが蠢いている。
それが何か考える前に、言葉が出ていた。
「シャ・ラ」
円の中から水が噴き出した。
水はたちまち両手にたまり、傷口の血と泥を洗い流す。
何が起こったのか理解できず、ロッシュはただ呆然とそれを見つめていた。
手のひらからすっかり水がこぼれてしまって、初めて理解した。
ハリシュが言っていた、輪の中で動くもの。これだ。
もう一度円を作る。
「シャ・ラ」
水が湧き出る。それを口に含む。うがいし、口の中の埃っぽさを流す。
もう一度円を作る。
「シャ・ラ」
次はのどを潤す。
もう一度。
もう一度。
もう一度。
のどの渇きが収まるまで繰り返す。
人心地ついて、考える。
(私には才はなかったはずだ。それが、開花したのだろうか)
もしかしたら、ハリシュの訓練を見ているうちに開花したのかもしれない。
あるいは、ハリシュの指輪ではダメだったが、自分で作る指の輪だとうまくいくのかもしれない。
(ほかの呪文も使えるだろうか)
小さな石を前に置く。
指で円を作り、それをのぞく。
「ク・ロッシュ」
石が割れた。
穴から落ちたときのことを思い出す。
(あの時、両手を伸ばし、無意識で円を作っていた。だから、助かったのではないか)
両手を伸ばし、円を作る。
「ファイ」
空気が体を押し上げる。
「やった」
このまま上がれ。あの光まで。
しかし、すぐ落っこちた。
打ち付けたお尻をさすりながら考える。
「きっと力が足りないんだ」
ハリシュは「ク・ロッシュ」で粉々にした。でも、自分は二つに割っただけだ。
彼は毎日訓練をしていた。そのやり方は、見て知っている。
自分も訓練を重ねれば、この壁を上れるかもしれない。
でも、できるようになるまで、どのくらいかかるのだろう?
水は確保できる。でも、食べ物は?
ハリシュが試していた魔法には、食べ物を出す呪文はなかった。
第一、そんなことが出来たら凄すぎる。一生、働く必要もない。
壁を上るか、穴を進むか。
「進もう」
ロッシュは決意を固めるように声に出した。
ここにいても仕方ない。壁を上る力も空飛ぶ力も、今の自分にはない。
ならば、可能性のある方に賭けよう。
(リシュならきっと、無謀だって笑うだろう。でも、それが私だ)
穴をのぞく。幅は、匍匐前進タイプ。では、長さは?
「おおい」
穴に向かって呼びかける。
反響の仕方が、思っていたのと違う。
(この穴、短い気がする)
「よし」
意を決して穴に入る。
それを二、三度繰り返したとき、頭のてっぺんが何かにぶつかった。心臓が激しく動きだす。もし、地下道の終点だとしたら……。
しかし、伸ばした指先に触れたものは、土ではなかった。
(これは、板?)
少しささくれた、けれど、平らに削った板の手触りだ。
(何でこんなところに?)
そう思いながら押してみる。板はあっけなく倒れ、指先は空を掻いた。
(外!)
ちょうどロッシュの身長より少し長めで、トンネルは終わっていた。
最後の踏ん張りで、体を引っ張り出す。続いて足。両足が出たところで、立ち上がる。
「痛ぁ」
こんなに天井が低いとは思わず、強か頭を打ち付けた。目を閉じ、手のひらで打ったところを撫でる。
その目を再び開いたとき、わずかに漏れる光に浮かび上がった光景に息を呑んだ。
「ここは……」
そこは、天井こそ低いものの、きちんと整備された居間だった。
ドールハウスのような、木製の小さな椅子と机。壁には食器棚があり、小さなお皿とお椀やコップが並んでいる。そっと引き出しを開けると、スプーンにナイフとフォークがそろっていた。
入って来た穴を振り返ると、そこは出入り口だったようで、扉代わりの木の板が倒れ、自分はそれを踏んづけていた。急いで降りると、穴の横に立てかける。
近くには、調理台付きの薪ストーブがあった。煙突が壁に突き刺さっているところを見ると、さっきまでいた空間につながっていて、そこから煙を出すのだろう。
残った二つの壁には、それぞれ一つずつ、出入り口の穴があった。
まず、小さい方の穴をのぞいてみた。穴の径は首も入らないほど狭いうえ、向こうが暗いのでよく見えない。しかし、壁にベッドのようなものが取り付けられているのが、ぼんやりと見て取れた。
「寝室だな。きっと」
穴に腕を突っ込み、ベッドの上の布団をつまみだす。それは、布の袋の中に乾燥させた草をつめたもので、柔らかく、微かにポプリの香りがした。思わず、笑みがこぼれる。
布団を戻し、もう一つの穴をのぞく。
思った通り、通路だった。
しかし、その幅は、寝室に通じる穴よりは幾分広いものの、匍匐前進でも入れないほど狭かった。
(つまり、これ以上は進めない)
ロッシュは、体中から力が抜けるのを感じた。
脱出の可能性は断たれた。
否。諦めるのはまだ早い。
ここは台所。食べられる物があるかもしれない。
ロッシュは、改めて部屋の中を見回した。
食器棚の向こうに、さっきは気づかなかったが棚があるようだ。
土壁を削って作った棚で、布の袋がいくつか見える。
まず、一番下にある一番大きい袋を開けた。
「穀物、かな?」
麦のような穀物が、籾に入ったままの状態で一握り程入っている。初めて見るものだが、籾を取ればきっと食べられるだろう。
次に大きな袋には、乾燥した豆と思われるものが入っていた。ほとんどが虫に食われた穴あきで、けれど、二粒、三粒、しっかりと形を保ったものもあった。
上の棚には、おそらく芋と思われるものの残骸が入っていた。乾燥し、カチカチに縮んで、とても食べられそうにない。
最後の袋を開けて、思わず声が出た。
「ロシュナーハ!」
たった一つだけれど、殻に包まれたままのロシュナーハの種が入っていた。
ロッシュは急いで取り出すと、両手で包み込むようにして感謝の祈りをささげた。
それから、引き出しからナイフを取り出し、それを使って殻をこじ開けた。
いつ頃収穫されたものかは不明だが、ロシュナーハは恵みの果実、種は長期保存がきく。その上、栄養満点。一つあれば、お腹がかなり満たされる。味も悪くない。
貪るようにそれを食べ、ほあーっと安堵の息を漏らした。
さて、どうやってここを脱出するか。
ところが、考えているうちに、眠気が襲ってきた。
大きな欠伸をする。目がとろんと垂れてくる。
(腹の皮が突っ張ると目の皮がたるむ、っておばあちゃんが言ってたなぁ)
などと思っているうちに眠ってしまっていた。




