遭遇
ネイノートは森を歩いていた。
監視する者であるカノンカもネイノートの後ろをついてくる。
カノンカは、まるで目的地が見えているかのように歩くネイノートを見て不思議に思う。
そして不気味に思った。
いつもならすぐに襲ってくる魔物がさっきから一匹も襲ってこないことに……
森を歩き始めてから半日。
日が傾きかけたころ、ネイノートは漸く歩みを止めた。
「ただいま」
目の前にあるのは、ネイノートが今朝方出てきた彼の家である。
呑気に帰りの言葉を呟くネイノートとは対照的に、カノンカは頭を抱えた。
まさか森に住んでいようとは。
最初に出会った時から高圧的な態度を取っていたのは、やはり普通の人とは違った生活のせいなのだと、その点は彼女も納得する。
だが当たり前のように小屋の中で火を起こす彼を見て唖然とした。
試験開始直後に、彼のやることに文句は言わないといったカノンカだが、あまりにも予期せぬ行動に困惑が隠せない。
少年は慣れた手つきで生活の準備を始める。
ネイノートはカノンカに家で待つように伝え、いつもの狩りに出かけた。
保存食がないわけではないが、新鮮な肉を焼きたてで食べるほうが美味しいに決まっている。
ネイノートはそう思い、今回はいつもの二倍獲物を狩ることにした。
幼き頃より一人で生きてきたネイノートにとって、父以外の人との食事は記憶になく、純粋に楽しみだった。
そんな特別な食事を、味気ない干し肉なんかで終わらせたくなかったのだ。
高揚する気持ちを抑えながらも、彼は兎を狙う。
カノンカは夕暮れ迫る時分、小屋の周りの散策に精を出す。
彼女はネイノートの実力を図れないでいた。
彼は、肉を取ってくるから待っていろ、といって飛び出したのだが、剣のようなものは持たず布の塊だけを持って行ったのだ。
更に後を追うカノンカは彼をすぐに見失ってしまった。
彼女はある理由から一人で冒険者として活動しているため、大抵のことは一人で熟せ、戦闘の腕も確かである。
そもそも監視する者は、いざとなったら人一人を守らねばならないのだから、実力がある者にしか声がかからない。
冒険者ギルドは各地に支所を持つほど、巨大な組織である。
その冒険者ギルドに身を寄せる冒険者は実力でランク分けされていた。
これも勇者が決めたルールで、勇者を「S級」とし、次いで「A級」「B級」と下がっていく。
C級もあれば冒険者として一人前に扱われ、その稼ぎは贅沢しなければ一生を暮らすのに困らない程になる。
カノンカ・ヒュエリエは現在D級の冒険者だ。
D級になったばかりの彼女だが、他のD級冒険者より頭一つ秀でている。
肝心のネイノート・フェルライトだが、試験に合格すれば漸くF級となる。
二つもランクが下の……それも自分より年下の少年に簡単に撒かれてしまったのだ。
どうしても彼女のプライドは傷ついてしまうだろう。
自分の不甲斐なさに歯噛みしたカノンカは、夕闇が迫っていたため辺りの散策を切り上げ、ネイノートの家に入っていった。
ネイノートは二匹の兎を腰につけて帰宅した。
下処理した兎肉をあらかじめ起こしていた火にくべる。
それをカノンカと共に齧りついた。
彼女は当初遠慮していたが、ネイノートが、折角とってきのだから食え、食わないなら捨てるだけ、といって無理やり食べさせたのだ。
兎肉を渡した時、彼女は何かに気付いたようだ。
刃物で突き刺したような跡。
丸焼きであったがために気付けたその傷は、剣のそれとはどこか違う。
「この跡は……?」
布の塊の不自然さも相まって、カノンカはネイノートと隅に置いてある布の塊を交互に見やる。
ネイノートは仕方ないと布を取ってみせた。
カノンカは白い布の下から出てきた弓に酷く驚く。
「たとえ弓でも、七日生き残れば冒険者になれるんだろ?」
ネイノートの問いかけに彼女は曖昧に頷くだけだった。
前例もないことだから無理もないだろう。
その後、二人とも口を噤み肉に齧りつくだけだったのだが、その夕食が少年の想像するものと違ったのは言うまでもない。
それから六日目の夜まで何事もなく過ぎ去る。
それもそのはずだ。
ネイノートは自分の家で以前と同じように生活しているに過ぎない。
監視するはずのカノンカが、まるで彼の家に呼ばれた客人のようだ。
この試験の中で多くの入団希望者は、合否に直接関係ないとはいえ、自らの力を見せるために魔物との戦闘を求める。
戦闘で見せた力は監視する者を通じ、現役の冒険者に伝わり、その逸話がパーティー勧誘の話に繋がるようになっている。
監視する者の役目は、その中でも真っ先に逸材を勧誘できるチャンスなのだ。
彼女もその例にもれず、パーティ―メンバーの勧誘のために監視する者の役を引き受けた。
ところが、ネイノートはこの六日間。狩りはすれど魔物との戦闘は一回もしていない。
何度か狩りに同行したこともあり、弓の腕には驚かされはした。
まさに百発百中。相手が兎だろうが狸だろうが、走っていようが跳んでいようが外すことはなかった。
しかし実践ではないのだから、これでは力の全ては図れない。
カノンカはネイノートの実力を見れず落胆するも、そのまま時間は過ぎ去り六日目も夜となった。
今も彼は狩りに出かけている。
カノンカは呆然と目の前で揺れている火を眺めていた。
これではまるで主人の帰りを待つ女房のようだ、などと失笑しながら。
一瞬。
カノンカの耳が何かを捉えた。
たき火が爆ぜる音に混じって銃を撃った時のような破裂音が。
カノンカは武器を手に取り家から飛び出す。
魔物は夜行性のものも多く、夜道は危険だ。
さらには視界の悪い森の中。
この家にいるほうがよっぽど安全だろう。
だが彼女は全力で音が聞こえた方へ走った。
誰かの叫び声が聞こえる。
狼の遠吠えがした。
けたたましい金属音が聞こえる。
次第に音が近くなり、彼女はその騒音の中心へ躍り出た。
そこは凄惨な有様だった。
泣き崩れている少女。その傍らに腰を抜かす少年。
顔面蒼白で立っている監視する者。
そして……夥しい量の血の跡。
鼓動が早くなるのを感じる。
ごりっと何かが砕ける音がした。
カノンカはゆっくりと音の方を向く。
視線を向ける間に見えたのは白い狼の群れ。
『ホワイトウルフ』という魔物だ。
カノンカが倒せない相手ではないが、少し数が多い。
彼女は武器を構えると同時にその存在に気付く。
白い群れの中に血のように真っ赤な狼がいた。