その手を差し伸べるのは
「よし、今日からキミを〝ネロ〟と名付けよう! 」
「……由来が気になるところね」
深夜の明条学園。中等部校舎を前にした、校庭の一角にダンボールを囲む集団があった。『りんご』と書かれた真新しいダンボールには、灰色の猫が目を見開いて固まっている。
さて、のっけから脈絡もなく名付けに走っているのは我らが新聞部部長、香織。隣で呆れたように息をつく霞は、それでも一応反応してあげる優しさがあるようだ。
「うーん、まだそう歳でもなさそうだな」
「これ何て種類なんすかね」
「種類……猫については」
粋先輩と向井は安定のスルー。その猫の特徴をあれこれと模索しているようだ。慣れがもたらす正しい姿勢だと思う。
くいっ、裾が引っ張られた。振り返ると、先程出会ったばかりの少女が怪訝そうに首を傾げていた。いつの間にか、フードを被り直しているので表情までは分からないが。
「ネロ?ネロって、ローマ帝国の暴君で知られてる? 」
「多分な」
「何故? 」
「あー、あれはだな、恐らく一人で懸命に闘ってきたあの猫の強さを讃えて付けられた名前だ。暴君で知られるネロ帝だが、若くして野望と信念の強さは人一倍だったそうだからな。何せ実母を殺すまでだ。社会で生き残る為に、そうな強さを持って欲しいという香織なりの意味があるんだろう」
絶対意味なんてない。
「……本当に?」
めちゃくちゃ怪訝なお顔をなさっていた!そりゃそうだよな。
と、また裾を引っ張られる。てか何んで裾なの?直接は触りたくない的なアレかな?生理的に無理の例のアレかしら?言われるとキツイんだよね、見てる方すらいたたまれなくなるんだから──止めよう、深く考えてたら首を吊りかねない。俺が。
「もしかしたら、フラン○ースの犬の方かも」
「意外に乗ってくるのな、アンタも……」
フードの奥の目が光った気がする。
そもそも犬なうえにネロは人間だけとね☆
あの後。
火渡優理。そう名乗った謎の少女を連れて、俺と向井は一旦皆が待つ校庭へと戻った。向井には威嚇するので、ダンボールは俺が持つことにして─意外と重いのだこれが─戻ってくると、何ととんでもない光景に出くわした。
涙目になった香織の髪をやさしく、正面から吐息のかかる距離で撫でている霞の姿が!二人とも、マリア様がみてますよ!
ヤバい西条さんじゃないけど薔薇を描きたくなりますよどうしようそうだ病院に行こう!
とふざけつつも声の正体についての説明をすると全員が一様に安堵したように緊張感がとけていった。
「よしよし!辛い目にあったね!でももう大丈夫、私達が絶対に飼い主さんを見つけてあげるから! 」
香織は真っ先に猫に駆け寄り抱きしめていた。やはりコイツはぶれないな、と少し安心。
因み猫は威嚇をして抵抗を試みたが、その圧倒的な猪突猛進振りには全くの無力。威嚇しようが爪を立てようが、「よしよし」と慰める香織節の前に、遂には抵抗を諦めたようだった。流石だわ。
霞には警戒を見せたものの、危険を感じなかったのか、まだ硬さは残るものの撫でられても抵抗する素振りは見せないようだった。
先輩と向井には威嚇をしてしまうので、今のところ、女子のみ触れることが可能である。こいつもしかしてオスか。あれ、でも俺にも威嚇されなかったぞ?え?そっちの展開?違う違う、違うからにじり寄るの止めてください脳内の西条さん。怖ぇよ、P.E.なの?発火しちゃうの?
で、今はダンボールの前で香織と霞が猫を撫でたりしていて、残り四人がそれを少し離れて見ているという構図が出来上がっていた。未だ深夜の校庭である。
「君が、猫の世話をしていたんだよね」
「一応、ね」
ダンボールの方の二人と猫に目をやってから、火渡の方へと顔を向けた。
考え事をしているのか、はたまた元々こういう感じなのか、飾り気のない返事をする。結構無気力系というか素っ気無いタイプなのかしら。
「そっか。それは大変だったろうな。俺は折濱粋だ、新聞部でタイプと校閲とかをやってるよ」
爽やかな笑顔で自己紹介をする粋先輩。流石手慣れていらっしゃる。部の印象は確実にアップすること請け合いだ。
「さっきも言いましたけど、向井です。部では……主にでっち上げのゴシップとかを」
「やってないから!いい加減なこと言わないっ! 」
「ちっ」
向井のテキトーな紹介の途中で突然割って入ってくるのは部長さん。あらぬイメージを植え付けられると焦ったのか、危機察知能力が強化されていたらしい。
「私は穂坂香織!明条学園でも伝統と誇りのある新聞部の………えっと第何代かな、氷室先輩が……だからえっと、とにかく部長をやってるよ、よろしくね! 」
「………よろしく」
新聞部押せ押せだな。
元気全開のその挨拶に若干引き気味になりながらも、頷く火渡。分かる分かる、コイツ距離感とか考えないからね。戸惑う人も多いのだ。ちょっと苦手そうかも。
「で、こっちがかすみん」
「……成條霞。よろしく」
対して短い自己紹介。アレだな、スク○ェスだとUR級のクールエンブレスに匹敵するレベル。
「それで、俊也の瘴気にあてられて助けを求めてる彼女と猫を救うのが今回の依頼の全容なのね」
「ちょっと?人のこと公害扱いしないでくれますか? 」
「あら、そんな事言ってないわ。公にも認められていないじゃない、貴方の場合」
満面の笑顔で心をえぐってくる。いつも以上に傷つけた場所に躊躇いなく毒を注いでくる。
彼女こそ毒属性だ。
と、今度は香織が火渡の前まで来て、いきなりその手を取った。
「大丈夫?俊也に変なことされなかった? 」
「おーい人のこと犯罪者みたいに言わないでくれますか? 」
「初めに会ったのが俊也だもん!そりゃ身を案じるよ」
ねぇ、何なのこの娘達。人のこと何だと思ってるのかしら。いや、俺も聞きたいわ。
「そう言えば、まだ名前聞いてなかったよね。えっと、もし嫌じゃなかったら教えてくれると嬉しいな」
「……火渡優理」
「そっか!優理ちゃんか、よろしくね優理ちゃん! 」
「ゆ、優理……ちゃん? 」
ギュッと両手を包みように握ってブンブンとやや大袈裟に振ってみせる。完全に相手が戸惑っているのにも関わらず、全く引く気をみせない。恐れを知らぬ正面突破はダイヤの硬度さえも穿つのである。
「よし、私達新聞部の出番だよ!」
手を放すと、香織は再びダンボールの方へと向かっていく。皆の注目を集めて、猫を抱き上げた。
「優理ちゃんの為に、このネロの為に!新しい飼い主さんを探してあげよう! 」
もうネロは決定してるのね。
「先輩、何でネロなんすか? 」
今更突っ込むのかよ。
「お、向井くん良い質問だね!ふふん、皆も気になってたことでしょう 」
気になってないどころか流したかった。
「これはね、ローマ皇帝のネロ帝からとっているんだよ。ネロは暴君って言われてたけど、その野心や我の強さは人一倍だった!今のこの子にはそのくらい周りを見返す強さ、社会で生き残る強さを持って欲しいと思って名付けたのだよ」
「……マジでか」
「良い名前でしょ? 」
意気揚々と胸を張る部長を見て肩を落とす。これじゃあまるで、俺までこいつのネーミングセンスと同類みたいになってしまうではないか……え、そうなの?
「当たってたのね」
「あぁ、正解して気分が落ち込むことはそうないよな」
全然嬉しくない。
そもそもネロ帝にはワガママってイメージのが強いんだけど。冷酷非道な地政を敷く暴君じゃなくて、ワガママで手が付けられない大混乱をもたらす暴君だ。……まぁそれもある意味強さだけどネ。
それはともかく。「猫を助ける」という部長の意見に反対をするものはおらず、改めて方針が決定したようだ。
「……そういえば、名前」
「ん、名前が何だよ? 」
三度裾が引っ張られる。火渡が、思い出したような表情でこちらを見つめてきた。猫の名前にでも意を唱えたいのだろうか。
「あなたの名前、まだ聞いてなかった」
すっかり忘れていた。
「藤咲俊也だ。高等部1年C組、取り敢えずよろしく」
こうして、部の依頼は「怪奇現象調査」から「新しい飼い主探し」の第二段階へとシフトした。
で、翌日。
「よぅし!早速、依頼を開始だよっ!」
すっかり元気を取り戻した香織の声が部室に響き渡る。夏休みも真っ只中、だというのに律儀なことに新聞部はフルメンバーが集まっていた。なんだかんだ言って、この部室の居心地は良い。
「……私も? 」
しかし部員ではない女の子が一人。フードを目深に被ったまま、怪訝そうな声をあげていた。
「うん!優理ちゃんがお世話してた猫なんだし、最後まで付き添ってあげて欲しいなって」
「それは、構わないけど」
「というわけで、1日体験新聞部!何ならこのまま流れで勧誘に──」
「? 」
「な、何でもないよ、あははは」
意外と下心が見え隠れしていた。隠すの下手だなオイ。という訳で、この依頼は火渡も一緒にやるようだ。レベルの決まっているゲストキャラみたいなものである。
さて、キリの良い6人となったところで、依頼の第二段階スタートだ。まずは学内でどこか宛が無いかを探す。決定は出来ずとも手近な所で〝そんな話がある〟という認識を与えられればそれでも良い。口コミで広がってくれれば尚良し。
二人一組になり、それぞれ範囲を分けて聴き込みを開始することになった。ついでにネコの飼い主を探している主旨の張り紙─粋先輩が急ピッチでこしらえてくれた─を教員の許可の出た範囲に貼ってゆく。
グループ分けは古典的な割り箸くじだ。香織と向井の主導権争いが起こりそうなチーム、粋先輩と霞の安心安全安定な幼馴染チーム、俺と火渡の出会ったの昨日だけど平気?チームだ。
「わわっ⁉︎いきなり優理ちゃんがビンボーくじをひいちゃった! 」
「俺は剥奪する貧乏神かよ……」
ルーレットで進化するよ☆
「あれ、嫌い……変なカード押し付けてくるから」
「アレな、皆でやるゲームとか言ってるけど人間関係壊す元になるよな」
「社会の縮図ね」
恐ろしいことボソッと呟いたよいま火渡。
しかしまぁ、責任のなすり付け合いの練習をテレビゲームから学べるとか、現代の子供たち過酷な環境に身を置きすぎでしょ。
「身の危険を感じたら、迷わずこれを鳴らして。きっと貴女を救ってくれるわ」
「親の形見みたいに防犯ベルを渡すな」
ランドセルについてるような水色のブザーを火渡に優しく手渡す霞。というか、香織といい霞といい、何かあたりが強くないですか?
あれ?すんなり受け取ってる火渡もどうなのそれ?
そんな話は捨てておき、今は行動分担の確認だ。
「取り敢えず、先輩とかすみんは中等部の校舎を回ってみて下さい。私と向井くんは主に中庭とか体育館とかを当たってみます」
テキパキと範囲を決めて、分担していく香織。再び部室集合、時間を指定して各自解散となる。
因みに、俺と火渡は高等部校舎が割り当てられた。……知り合いあんまいないんだけどなぁ、気が重いぞ高等部。
「じゃあ、俺たちも行くか」
「これは? 」
「置いてっていいからな」
防犯ブザーは部室に残し……ちょっと?何で若干名残惜しそうなの?鳴らしたいの?俺は鉄格子の部屋と向かい合うのは嫌だと改めて思い直しながら、高等部校舎へと向かうことにした。
「おぉ!俊也じゃ、奇遇じゃのう! 」
「お」
校舎1階の下駄箱付近で、弦と出会った。半袖のワイシャツに、黒いズボン。これから外に出ようとしていたのか、手には自身の履物である赤い……下駄かよっ、一昔前の番地かお前は。いや確かに下駄箱っていうから元は下駄入れなんだろうけど。
「久しぶりだな、元気だったか? 」
「久しぶり?何を言うとるんじゃ、つい先週あったばかりだろうに」
「あぁ、そうだったな」
「カッカ、相変わらず変な奴じゃなぁ」
うん。裏では割と会ってるが、表向きにはかなり久しぶりだからな。何となく言っておかなきゃならないと思って。何を言ってるんだ俺は。
「して、隣のお嬢ちゃんは? 」
「あーっと、あれだ。1日体験入部生?みたいなもんだ、多分」
なるほどと頷く弦と対照的に、いつの間に入部?と首を傾げていらっしゃる火渡さん。すまん、つい香織のがうつってしまった。
「ワシは近藤弦じゃ。俊也とは同じクラスで同じ会に入っとる、よろしくのぅ」
「………よろしく」
ニカッと笑みを見せる弦に静かに頷いて返す。抑揚のないような返事、弦のような明るいタイプはあまり得意ではないようだ。
「ところで、弦よ」
「なんじゃ? 」
「お前、猫とか好きか? 」
ここで本題。
「猫……か?まぁ動物は好きじゃが、それがどうかしたんかのぅ」
「いや、話せば長いようで短いんだが」
簡潔に説明してみた。弦は途中から何となく事情を察したらしく、難しい表情で首をひねっていた。
「むぅ……まっことに残念ながら、ワシの住処は猫が厳禁でのぅ」
「えらくピンポイントだな」
「大家が、大層な猫アレルギーなんだそうでなぁ。動物は基本構わないが猫だけはダメらしいんじゃ」
なるほど。それはよくある話だ。弦の悔しそうな表情を見ればわかる、彼なりにこの短時間で真剣に考えてくれたのだろう。
「力になってやれんくて済まんが……」
「いや、その気持ちだけで十分だよ」
「世話の仕方とかじゃったら、いつでも頼ってくれ。狩りの基本からみっちり仕込んでやれるからなっ」
……時々思うが、コイツはどのように生活してきたんだろうか。
「そういや、もう帰るのか? 」
「いんや、椎名先輩の頼みでの。買い出しに行ってくる所じゃ」
「なるほど」
聞けば弦は先輩に熱心に教えを受けて、少しずつではあるものの料理を覚えていっているらしい。元々、先輩の強い信念に惹かれて入部したとか言っていたが、他にも何か理由があったりするんだろうか。
「彼は何かの部活に入っているの? 」
「いや、同好会だな。料理研究同好会」
「料理……」
弦と別れた後、火渡が何とは無しに尋ねてきた。声色的にはほんのちょっと興味ありそうだけど、止めておいた方がいいよマジで。
椎名先輩、今日いるのか……遭遇しないように注意しなくちゃな。
「おや、私から逃げられるとでも思っていたのか?だとしたら、その認識の甘さを直した方が良いぞ、lupus4」
捕まっちゃった☆
という訳で二人とも家庭科室に連行。
「ようこそ、闇と光の狭間に囚われた咎負い人の寝床へ」
「………」
家庭科室です。
「生憎と、canis3が出払っていてな。私一人しかいなかったんだが、lupus4がちょうど戻ってきてくれた訳だ」
因み会員は3人しかいないのに、3とか4とかどういうことなの。……あれ?俺いつの間にか会員って認めちゃってるよ、どういうことなの。
カニスはラテン語で犬、ルプスはラテン語で狼を指す。どうやら最近の先輩の流行りらしい、実は先週あたりから呼ばれていたりする。
先輩は腕を組んだままふっと、静かな口調のまま視線を隣に移動させてみせた。陽射しが彼女を後ろから照らし、後光のような形で俺たちに映る。悔しいがかなり絵になっている。黙っていれば本当にカッコイイ。
「して、その淑女は? 」
「………」
「否っ!皆まで言うな!言わずとも私にはわかる。君もまた、ゾディアックの専制的な支配に疑念を抱き、内に秘めたるそのやり場のない力を置き所を探していたのだろう。よろしい、私が導いてあげよう。では、まずは私とゾディアックの───」
……黙っていれば、な。
その後、どのくらいの時間が経ったのか分からないが、椎名先輩のお話は開始6秒で理解が追いつかなくなった。前は3秒だったから2倍の耐性がついたよ、やったね!
隣の火渡はというと、そもそも最初から話を聞いていなかったようで、眩しい陽が照らす夏の中庭を、窓のからぼんやり眺めていた。玄人だわこの人。
「そう言えば先輩、ネコとかって興味あったりします? 」
「ネコ?どうした、藪から棒に」
「実は、ですね」
エピソードIIIの中間辺りで、何とか俺たちの目的である飼い主探しの話を切り出すことが出来た。椎名先輩は何かを思案するように口元に指を当てていたが。
「そうだな、私個人としては好きな方だよ」
「本当ですか! 」
そう言って微笑んでみせる。その様子は年相応の女の子らしかった、ように思いました。まる。
「ただ、昔からあまり犬猫の類には好かれなくてな。どうも、彼等には避けられる節があるようだ。すまんな、力にはなれそうにない」
「……そうなんですか」
「仕方のないと言えば仕方のないことだ。幾重もの戦場にこの身をさらしてきた。まだ残る血の匂いが、彼等を遠ざけてしまうようだ」
つまり相性が悪い、と。
仕方ないな、他の人をあたろう。おもむろに立ち上がると、火渡もハッと我に返ったようにそれに倣った。
「なんだ、帰るのか?これからこのエリアの変革について様々な考察を紹介しようと思っていたのだが」
「いや、すみません。そろそろ飼い主探しに戻らなきゃならなくて」
「む、そうか。それは引き止めて悪かったな」
エピソードがいくつあるのか分からないが、最後まで聞ける機会にまた馳せ参じよう。今度は7秒を目指す!
「あぁ、そうだ。ちょっと待て俊也」
「はい? 」
家庭科室を後にしようとした時、出口付近で不意に呼び止められる。
「その件だが、あす……いや、東雲にでも尋ねてみるといい」
「東雲って……東雲明日菜先輩ですか?生徒会の? 」
「あぁ、アイツも猫や犬は好きだったからな。飼えなくても、宛を紹介してくれるかもしれないぞ」
今日も確か仕事で蒼天の階(生徒会室)にいるはずだと。そんな事まで教えてくれた。
毎回突拍子もない言動が目立つ変わった先輩だが、こういう丁寧な所があるから憎めないというか、ついついこの家庭科室に足を運んでしまうのだ。べ、別に料理研究同好会が好きな訳じゃないんだからね!
というか。
「椎名先輩と明日菜先輩って、お知り合いなんですか? 」
「あ、いや……そういう訳ではないが」
生徒会と料理研究同好会は(一方的な)敵対関係にあると常々先輩から聞かされてきた。その副会長ともあろう、明日菜先輩と通じている?これはスキャンダルではないか……‼︎
「て、敵の状況は常に把握しておかなくてはならない。当然の情報だ」
「はぁ」
そういうことにしておこう。あまり詮索しても悪いし。礼を述べて、俺たちは家庭科室を後にした。
「次はどうする気? 」
「せっかく椎名先輩が教えてくれたし、生徒会室に行ってみよう」
こくり。火渡は了解の意を示すように頷いてくれた。
「明日菜……東雲先輩は知ってるよな?」
「生徒会の人……朝会とかで見る程度だけど」
まぁ、学園でも圧倒的な知名度があるからな。……俺、そんな人に気軽に会いに行って良いのだろうか。
「因みに、東雲先輩は副会長だけど……生徒会長は知ってるか? 」
「知らない」
「…………」
ちょっとだけ会長に同情した。頑張って!
生徒会室は高等部校舎ではなく別棟だ。俺たちの割り当ては高等部だが、生徒会室がある棟への割り当てグループは無かった。そんなに距離がある訳でもないし、だからまぁ、ちょっとくらいなら良いだろう。
「ん? 」
家庭科室が高等部三階。一旦外に出る為に、一階を目指して階段を降りていたのだが、二階の職員室辺りで見知った顔を見つけた。
「………」
そいつも俺に気付いたようであっという表情を……「うわー、変な人と目が合っちゃった」みたいな顔しやがった。と思ったらすぐに可愛らしい笑顔になる。
「せーっんぱい!」
シャツの胸元にあるピンクのリボンと短めの赤いスカートを、ひらひらと危なっかしく揺らしながら。甘い声色と共に、こちらに向かって駆けてくるのは古湊茉莉。
妙な縁から顔見知りになってしまった後輩である。……小悪魔系?ぶりっ子系?よく分からんが、関わらないに越したことはない系ってのは確かだ。
「あっ、何でそんな嫌そうな顔するんですかーっ」
「いやつい今しがた君もしてたからね、もっとひどい顔」
「せんぱいっ、女の子にひどい顔とか言ったらダメですよー」
頬を膨らませる古湊後輩。あれ?おかしいな、何この一方的な暴力。訴訟できるレベル……こっちが負けるな、多分。世の中ってマジで理不尽。
「で、何の用だよ? 」
「え? 」
「え、じゃなくて。何か用があるから話しかけてきたんだろ? 」
え、何違うの?
古湊は上目遣いで綺麗な青い瞳をこちらに向けてくる。あざとっ。
「用がないと話しかけちゃダメなんですかぁ? 」
「ダメじゃないけど」
「ま、用も無しにせんぱいに話かけたりしませんけど」
「ちょっと?上げてからわざと落とすの止めましょうね? 」
フリーフォールより怖いし速い。上げられた分だけ落ちる加速もつくし恐怖もつくのである。
「───。ところで、そちらはせんぱいの彼女さんですか? 」
「……え? 」
傷心のあまり前半の声がほとんど届いていなかった。
「あ、えっと……今回のうちの依頼人というか協力人というか。そんな感じだ」
「あ、なるほどー」
ポンと手を叩いて「まつり☆超納得♩」みたいな表情を浮かべる後輩。……何か納得の仕方に悪意ない?お前程度に彼女なんて出来る訳ねーだろ、みたいな。何それ泣ける。
「私は、中等部三年の古湊茉莉です。せんぱいとは全く関係ないどころか赤の他人でもちょっと考えるようなないような感じですが、よろしくお願いします! 」
「……火渡、優理。よろしく」
二人の自己紹介タイムなのに無闇にナイフを投げまくってくるこの後輩。さっきから刺さりまくってるから、容赦ないなほんと。
きゃるるん☆挨拶とは対照的に、ぼんやりとしたなんと言うか、形容しがたいが気力の薄い挨拶を返す火渡。いや……よく考えれば、今まで会った人大体そうか。
「で、せんぱいにちょっとご相談なんですけどー」
「断る。じゃあな」
「あ、ちょっと待ってくださいってば!」
服の裾を思い切り引っ張られる。こらやめなさい、伸びちゃうから。
「んだよ? 」
「私、さっき資料室から職員室に資料運ぶの頼まれちゃって。でもちょっと量多くて、一人だと大変なんですよぉ」
「お前一人に任せられたのか?」
量がどれくらいかは分からないが、女の子一人に任せるだろうか?それはちょっとおかしい話だ。
「いやー、まぁアレですよ。私頼まれると断らないタイプじゃないですかー?」
「いや知らないけど」
「頼まれたとき、手伝ってもらうから大丈夫って言っちゃって」
てへぺろ☆
軽く舌を出して頭を小突く古湊。現実にこんなことしてんのに、可愛い容姿で可愛い仕草に早変わりするのは流石である。因みに俺の手伝う気も急降下。その落差、フジ○マを超える。
「じゃ、俺たち行くから。後頑張ってな」
「ひどっ、ナチュラルにスルーしたぁ! 」
忙しないやつである。
そういうのはもっとこう、夢見がちな哀れな男子にやってやれ。俺はとっくに夢を捨てたんだ……おぉ、これ体良く断れて尚且つイカすセリフだな」
「いや気持ち悪いだけですけど」
「じゃあな」
軽く手を上げて背を向け──火渡に裾を引っ張られる。ブームなの?裾ブーム?世の中の服の裾全て伸び切らせてどうするつもりだ。
「困ってるみたいだし、手伝うくらいなら良いんじゃない? 」
「火渡せんぱい!なんて良い人! 」
初対面だというのに古湊は感極まったように瞳をうるうるとさせてから、抱きついてみせた。……何か霞×香織の構図を思い出す。やべっ、マリア様がみてるよ。
抱きつかれてやや戸惑いながらも、火渡はこちらを見てくる。
………まぁ、仕方ないか。
「……で、資料室はどこだって? 」
「4階です、4階の一番奥の資料室です! 」
「へいへい」
「せんぱい、ありがとうございまーす」
わざとらしく後ろで手を重ね上目遣いで礼を言う古湊。ったく、調子の良い奴だ。
………ほんの少しだけ、ほんの一瞬だけだが、彼女の顔が普段見せないようなものに映った。もしかしたら、単に安請け合いしたのではなく、他の理由があるのかもしれない。何の根拠もなくそう感じたが、詮索することはできなかった。
「ありがとうございましたー! 」
ぺこりとお辞儀をする古湊と別れて、再び一階を目指して階段を降りていく。一階まで降りたところで、ふと思い出す。
「そういや、猫のこと聞いときゃ良かったな」
「そういえば……」
「ま、アイツの場合、違う方向に話もってきそうだけど」
進一が猫好きなのか?とか、進一が猫好きな女の子が好きなのか?とか、進一が猫飼ってるのか?とか。進一ばっかだな……いや違うよ?俺じゃないよ、古湊がだよ?西条さん違うからにじり寄って来ないで脳内から。
因みに進一が飼っているのは犬だ。サルサだ。愛奈ちゃん元気かなぁ。
「火渡は犬と猫どっちが好きなんだ」
「ね……猫犬」
「そんな生き物いないからな」
「じゃあ鵺」
「見つけたら世界の終わりだからな」
アホ74%くらいの会話を交えながら、下駄箱に向かっていく途中だった。ふわりと甘くて優しい香りが俺の足を引き止めた。ふと振り向けば、美術室の文字が目に飛び込んでくる。そのまま室内に視線をズラすと……女子生徒がキャンパスに向かい座っていた。
なんだ……天使の休息所ってここのことだったんだね。ねぇジョバンニ、僕は先にこの駅で降りるよ。
「あ、俊也くん! 」
女子生徒はこちらに気付いて、笑みと共に小さく手を振ってくれた。それだけで今日一日生きていけそうですはい。
天使へ……いや、桜愛華へ向けて会釈する。ちょっとだけ、この天使の羽休め場に寄って行こう。
猫、猫な。猫の事を尋ねる為だから。それを忘れないように。忘れないようにね?
美術室へ、ちょっとだけ寄り道をすることにした。




