始まりの章
第一節 櫓
晴れた朝。
爽やかな風が渡ってゆく。
朝。
一人の男が、見張り櫓を登っていく。
背中には、紐で括った子供を背負っている。
交代の時間だ。
「お疲れ様。交代だ」
「ありがとよ」
簡単な挨拶だけで、男たちは交代する。
ここから数時間。
見張り台から周囲を眺めるのが、男の仕事になる。
わたしは櫓の下。
木陰に座って、目を閉じていた。
しばらくして。
頭の上から、子供の声が聞こえてきた。
「お父さん! あそこに野良サーベルタイガーがいるよ! 知らせなきゃ!」
少し慌てた声。
けれど、父親はすぐには動かなかった。
しばらく黙って眺めている。
「あれは、狩りの途中だな。ほら、先に子連れのビッグボアがいるだろう」
「ホントだ。なら大丈夫?」
「狩りが成功すればな」
「そっか」
それきり。
上はまた静かになった。
わたしも座ったまま、もう一度目を閉じる。
風が吹く。
葉が揺れる。
遠くで鳥が鳴いている。
そんな時間が、しばらく続いた。
いく時がたって。
今度は老人がやって来た。
「交代の時間じゃ」
櫓の上へ向かって声を掛ける。
それから、わたしを見る。
「御形の嬢ちゃんもご苦労だな」
わたしは目を開けた。
「じいちゃんこそご苦労様だよ。そろそろ引退したらどうだい?」
「なにを。まだまだ若いもんには負けん」
ガハハ、と豪快に笑いながら。
老人は櫓へ登っていく。
元気なもんだ。
「おい、御形!」
登ってすぐ。
老人の声が飛んできた。
「西方にヘルハウンドの群れがいるぞ」
「ん!」
腰の長剣へ手を掛ける。
西方。
――そっちには。
「籐吾がいる」
一瞬、上が静かになった。
「なら、大丈夫だな」
「ああ。そうだ」
わたしは腰の長剣から手を離した。
第二節 正門
午後。
わたしは西へ向かう。
村の正門。
そこに立っている男へ声を掛ける。
「籐吾! 交代だ」
「おう!」
午後からのひと時。
今度は、わたしが正門に就く。
「朝方はどうだ?」
「野良ヘルハウンドがうろついてただけだよ」
「そうか」
なら、櫓から見えたあれだな。
「ほら、昼飯」
包みを渡す。
中身は、でっかいおむすびが二つ。
「おう、ありがとうな」
「わたしの愛情たっぷり。味わえよ」
「なにわけわからんこと言ってんだ」
「あはは」
笑い合って別れる。
正門には、左右に二人ずつ。
ランスを持った衛兵が四人。
「お疲れ様!」
「ご苦労様です!」
挨拶を交わす。
「どうだい?」
「はい。平和ですね」
「いいことだな」
「そーですね」
門の向こう。
いつもの道。
いつもの景色。
穏やかな昼下がり。
――カンカンカンカン!
半鐘。
櫓の方角から。
短く、早く、四回。
その瞬間。
正門に緊張が走った。
「東に危険!」
正門を半分閉じる。
衛兵の一人が門の上へ駆け上がった。
「東! ビッグボア!」
少し間があって。
「怪我してる?」
怪我をしている。
だから、こっちへ来た。
「わたしが出る!」
「はい!」
衛兵が下がる。
二人は門の内側へ。
わたしは門の外へ出た。
向こうから来る。
大きな身体。
荒い息。
血に濡れた毛。
傷ついている。
だからこそ、危ない。
腰の長剣へ手を掛ける。
鞘のバネを弾く。
ジャコッ!!
長剣が半身以上、鞘から飛び出す。
柄を握る。
待つ。
ビッグボアが来る。
待つ。
地面を蹴る音。
荒い息。
待つ。
まだ。
待つ。
間合いを――。
今。
すっ、と右前へ。
同時に踏み込む。
間合いを詰める。
その動きのまま、剣を抜き去る。
一閃。
巨体の横を抜ける。
切り返す。
横から。
前脚の後ろへ。
深く、突き立てる。
すぐに剣を抜く。
振り返る。
ビッグボアも向きを変える。
対峙。
来るなら、もう一度。
けれど。
一歩。
ビッグボアの身体が揺れた。
もう一歩。
脚が震える。
やがて、巨体を支えていた脚が崩れた。
「今!」
衛兵が走る。
ランスを構え、倒れたビッグボアへ一撃。
とどめを刺す。
静かになった。
「ふう!」
門の内側から。
門の上から。
「お疲れ様でした!」
声が飛んでくる。
わたしは倒れたビッグボアを見る。
大きい。
うん。
これは。
「よし! 今日は村のみんなで肉だな!」
第三節 帰り道
昼からの遅い時間。
日も少し傾き始めた頃。
次のハンターがやって来た。
スレッジハンマーを肩に担いだ、厳ついおっさん。
「おう、御形。交代だ! 今日は晩飯、ご馳走になるな!」
「ああ。たまたまだ。向こうも怪我してた」
「まあ、何よりだ」
それだけ。
わたしは手を振って、正門を離れる。
今日の仕事は終わり。
家へ帰ろう。
歩き始めてしばらく。
西の櫓の方から、一人歩いてくる。
籐吾だ。
相変わらずデカいやつ。
ただでさえデカいのに。
その背中には、さらにデカい大剣を背負っている。
遠目でもすぐ分かる。
「お疲れ!」
「おう!」
そのまま合流。
そして。
「飯は?」
開口一番、それか。
「わたしはお前の飯守りか?」
「いつもありがとうございます」
ニカッ、と笑う。
まったく。
「はいはい」
わたしも笑う。
そのまま二人で肩を並べる。
夕暮れの村を歩いていく。
家へ。
わたしよりも少しだけ背が高い籐吾を連れて。
第四節 我が家
「ただいまー!」
家へ入る。
「おかえり」
ばあちゃんが迎えてくれる。
いつもの声。
いつもの家。
「師匠は?」
「じいさんなら、外で薪割ってるよ」
わたしと籐吾は、そのまま裏へ回る。
カーン。
カーン。
薪を割る音。
「ただいま戻りました!」
籐吾が声を掛ける。
「おう、おつかれ! 大変だったな」
じいちゃんが手を止めた。
「正門まで入り込んで来たのは、久しぶりだったな」
「ああ。出る前に、防護林の外でビッグボアの親子がサーベルタイガーに狙われてたからな」
「ああ、やっぱりあれか」
朝。
櫓の上から親子を見つけた子供の声を思い出す。
「そうか。子ボアには気の毒だが、おかげでサーベルタイガーとは出会わずに済んだな」
「サーベルタイガーなら俺が出たのに」
籐吾が言う。
師匠が籐吾を見る。
そして。
「何事もないのが最善だ」
それだけ。
籐吾は黙った。
わたしは、ちょっと笑う。
「さあ、飯にしよう! じいちゃんも家に入ろう!」
「はいはい」
やがて。
みんな揃っての晩御飯。
じいちゃん。
ばあちゃん。
籐吾。
わたし。
今日あったことを話しながら。
食べる。
笑う。
明日の話をする。
いつもの晩御飯。
今日も、みんな帰ってきた。
うん。
何事もなく。
普通が一番だ。
第五節 採集
朝。
今日は、わたし達は非番だ。
朝飯を食べ終わった頃。
ばあちゃんが言った。
「お前達がいるなら、採集に連れてってくれんか?」
「あ、いいよ。籐吾もいいよね?」
「ん? 大丈夫ですよ」
決まり。
今日は、防護林まで出て薬草の採集だ。
わたしの祖母。
昔は、凄腕の採集家だったらしい。
本人は、
「じいさんがいつも横におったからね」
なんて笑っている。
そのじいちゃんも、わたし達と同じハンター。
凄腕だったらしい。
そして、わたしと籐吾の師匠。
じいちゃんは、よく言う。
「必ず帰ってくる。それが凄腕の極意だ」
何頭倒したとか。
どんな大物を仕留めたとか。
そんなことは、あまり話さない。
ただ。
じいちゃんも。
ばあちゃんも。
今も元気だ。
確かに。
凄腕だね。
「お疲れ様!」
「お気をつけて!」
正門で衛兵達と挨拶を交わし、村の外へ出る。
正面には、村をぐるりと囲む防護林。
村を守るために植えられた、円形の人工林だ。
前を、わたし。
真ん中に、ばあちゃん。
後ろを、籐吾。
わたしの腰には長剣。
ばあちゃんの腰には短剣。
籐吾の背中には大剣。
やがて林へ着いた。
わたしは左右へ目を走らせる。
ばあちゃんも周囲を見る。
「あっち」
左を指した。
風は、右からそよいでいる。
林の外側へは出ない。
村側。
円形に広がる人工林の内側を歩いていく。
ばあちゃんは林の中の植物を探しながら、ゆっくり歩く。
「あった」
時折、林の中へさっと入る。
薬草を摘む。
そして、すぐ戻ってくる。
「籐吾!」
「はい」
「あの上にある蔓を取っておくれ」
籐吾が大きな身体を伸ばす。
「これかい?」
「違う。その奥」
「これ?」
「そう、それ。引っ張って」
籐吾が蔓を掴む。
ぐいっ。
長い蔓が引き出されてくる。
端をばあちゃんへ渡す。
さらに引っ張ると、葉の向こうから紫色の実が現れた。
「ああ、それそれ」
ばあちゃんが嬉しそうに採っていく。
なんとも平和だ。
ひとときほど。
籠も、そこそこいっぱいになった。
「そろそろ帰るかね」
「そうだね」
帰ろう。
そう思って。
林の切れ目へ出たところで。
――目が合った。
向こうも、こっちを見ている。
ビッグボア。
「しくった! 目を合わせた。ごめん!」
「下がれ。俺が前に出る」
籐吾。
すぐに、わたしはばあちゃんを背中へ庇いながら下がる。
昨日からまた、ついてない。
籐吾が一歩、前へ出る。
背中の大剣へ手を掛けた。
ブルッ。
ビッグボアが大きく息を吐く。
籐吾が柄を握り締める。
鞘のスプリングを弾いた。
ガコンッ!
大剣を覆っていた鞘が、一気に半分以上縮む。
籐吾はゆっくりと大剣を構える。
ビッグボアと籐吾。
対峙。
わたしとばあちゃんは、もう動線の外。
ガッ!
ビッグボアが地面を蹴った。
巨体が走り出す。
籐吾は動かない。
待つ。
そして。
大剣を横へ。
踏み込む。
――バコッ!!
斬らなかった。
大剣の腹で、ビッグボアの鼻面を思いっきりぶっ叩いた。
巨体がよろめく。
足がもつれる。
ビッグボアは身体の向きを変え、そのまま林の中へ。
ガサガサガサッ――。
木々を揺らしながら遠ざかり、やがて見えなくなった。
籐吾は、しばらく林を見ている。
追わない。
「行ったかね」
「ああ」
「行きました」
「そうかい。じゃあ、帰るかね」
今日の目的は、ビッグボアを狩ることじゃない。
薬草を採って。
三人で家へ帰ることだ。
第六節 修道院
村へ帰ってきた。
そのまま我が家へ――。
と思ったけれど。
ばあちゃんは家の前を通り過ぎる。
「あれ、帰らないの?」
「先に寄ってくよ」
三人で、そのまま村の中央へ。
そこには、二つの大きな建物が並んでいる。
ひとつは、白く尖った青い屋根。
白い塗り壁。
遠くからでもよく目立つ建物。
修道院。
そして、その隣。
古風な瓦が載った緩やかなとんがり大屋根。
黒く焼き目をつけた木壁。
寺。
その一角には、寺子屋もある。
ばあちゃんは、まず修道院へ向かった。
「こんにちはー」
「はーい」
中から出てきたのは、穏やかな顔をした、少し年を召した女性。
シスターだ。
「こんにちは。少しだけ草を摘んできたで、良かったら使わんかの?」
ばあちゃんが籠を差し出す。
中には今日採ってきた薬草。
木の実。
その他、いろいろ。
籠いっぱい。
「いつもありがとうございます」
「なんの。年寄りの散歩のついでじゃから。のう、お二人とも」
「はい。一緒にただ歩いてきたついでですね」
籐吾も頷く。
シスターは感謝するように、わたしの手を取った。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
周りでは、小さな子供達がきゃいきゃいと遊んでいる。
走ったり。
追いかけたり。
転んだり。
また起き上がったり。
賑やかなものだ。
「じゃあ、隣にでも寄るかの」
三人で修道院を出る。
ほんの少し歩いて、今度は隣の寺へ。
ガラガラ。
ばあちゃんが遠慮なく引き戸を開けた。
「おるかの?」
「おー。まだ生きとったか」
「相変わらずの口だな、和尚」
「あははは!」
二人して笑う。
なんて平和な空間だ。
ばあちゃんが持っていた袋を、どん、と置く。
「ほれ。今日の土産じゃ」
中身は、さっき採ってきた蔓と実。
「大事に使え」
「おー。いつもすまんな」
「気にするな。何十年の付き合いじゃ。死んだら、わしがちゃんと供養してやるからな」
「縁起でもねえ」
「あははは!」
また笑ってる。
その声に、中にいた少年少女達が、何事? という顔でこちらを見る。
わたしは手を振った。
「あ、御形のおねーさん!」
途端に、わらわらと出てくる。
「おねーさん!」
「今日なにしてたの?」
「その剣、本物?」
「本物だよ。触っちゃ駄目だからね」
「はーい!」
一方、少年達は籐吾の背中へ。
「でけー!」
大剣をつつく。
「おいおい」
籐吾が笑う。
今度は少年達が、ぐーっと上を見る。
大剣。
その先。
籐吾の顔まで。
「……でけー!」
「あはは」
籐吾もニコニコしている。
「籐吾にーちゃん、これ重い?」
「重いぞ」
「持てる?」
「まだ無理だな」
「えー!」
「大きくなったらな」
子供達に囲まれて、籐吾は笑っている。
いつものこと。
修道院。
寺。
寺子屋。
ここには、たくさんの子供達がいる。
ここへ来た理由は、それぞれだ。
決して幸せな理由ばかりじゃない。
この一画は、不幸ではあった。
けれど。
決して悲壮ではない。
笑う子供がいる。
叱る大人がいる。
飯を作る人がいる。
勉強を教える人がいる。
薬草を持ってくるばあちゃんがいる。
顔を見に来る村の人達がいる。
みんなで子供達を育てている。
暖かい。
ひとつの大きな一家。
そして。
子供達に囲まれて笑っている、大きな男を見る。
――ここは。
籐吾の故郷だ。
第七節 日々
毎朝。
朝、明るくなる前に起きる。
毎朝。
木刀を振るう。
わたしは長剣。
籐吾は大剣。
それぞれ、自分の得物に合わせた木刀。
振る。
振る。
また振る。
わたしは筋が細い。
籐吾ほど力はない。
だから、毎朝振る。
籐吾は筋が太い。
力なら、わたしよりずっと強い。
でも、そのぶん遅い。
だから、毎朝振る。
それぞれ違う。
だから、それぞれ自分に足りないものを補う。
その横で。
じいちゃんも木刀を振っている。
わたし達の様子を見ながら。
ぶん。
ぶん。
歳に負けないように。
わたしは籐吾へ小声で言う。
「単なる負けず嫌いだね、あれ」
「だよな」
「こら! しっかり振らんか!」
「はーい!」
「はい!」
聞こえてた。
衛兵達も毎日。
訓練する。
巡回する。
門番に立つ。
交代したら、また訓練する。
農家の人だって毎日、鍬を振る。
畑を耕す。
種を蒔く。
水を見る。
空を見る。
土を見る。
職人達は毎日、手を動かす。
作る。
直す。
また作る。
子供達も。
遊ぶ。
走る。
転ぶ。
泣く。
笑う。
そして、学ぶ。
文字を。
数を。
草木を。
動物を。
この世界で生きていくためのことを。
みんな。
毎日。
何かしら努力する。
どうしてかって?
だって。
人間って弱いから。
……いや。
弱くはない。
ただ。
周りが強いんだ。
ビッグボア。
サーベルタイガー。
ヘルハウンド。
ジャイアントスタッグ。
そんな大物だけじゃない。
モグラだって、ひと抱えもある。
ウズラなんて、人が乗れるくらいデカい。
別に。
こいつらがおかしいわけじゃない。
外界では、それが普通。
動物達が何者にも邪魔されず。
それぞれの場所で。
それぞれのやり方で。
ずっと生きてきた。
大きく。
強くなった。
ただ、それだけ。
だから、人間も生きる。
剣を振る。
鍬を振る。
物を作る。
知恵を覚える。
子供へ教える。
誰かが見張る。
誰かが守る。
誰かが育てる。
誰かが採る。
誰かが作る。
誰かが飯を炊く。
一人で駄目なら。
みんなでやる。
それだけだ。
今日も朝が来る。
木刀を振る。
働く。
飯を食う。
笑う。
そして。
明日もまた、生きる。
きっと。
それでいい。
だって。
これこそ。
この素晴らしき世界なのだから。




