後日談:温かな雪
「コクロウ」
自分の字を人前で、そう呼ばれるのも当たり前になってきた。
隣に並ぶ男は、北風にかき乱される自分のこの黒い髪も「綺麗だ」と言ってくれる。
「今度、山のほうに泊まってみないか?」
ファルカスは、そうイージスに誘われた。
何でも、取引先に「別荘の点検を兼ねて使ってくれ」と頼まれたダリアさんが、「二人で行ってきて」と押し付けてきた……とのことだった。
その時のイージスは、少し顎を持ち上げ、首の後ろを搔いていたから、それだけが理由でもないかもしれない。
休日の午後、イージスと二人で馬に跨り、街の中を抜けると、山の方では地面に薄っすらと雪が積もっていた。
歩を進めるたびに聞こえるザクッ、ザクッという馬たちの足音は、すぐに吸い取られていく。
雪の白一色の中に茶色が浮かんでくるまで馬を進めると、木組みでこじんまりとした平屋にたどり着いた。
中に入ると、少し冷えた空気が横たわっている。街の中より10日ほど季節が先を行っているようだ。
水回り、暖炉、テーブル、ベッドなど全てがまとまっている室内。冷えた空気とは反した、温かみのある内装。
まずは、ギルベルトさんに持たされた弁当をテーブルの上にそっと降ろす。おいしそうな匂いが零れ出しそうだ。
マントを脱ぐと、ベッドに腰かけておくよう言われる。
ギシッとベッドを軋ませ、暖炉の前にしゃがみ込む茶色の頭を見ていた。
「お願い、火竜」
イージスが囁くように呟くと、赤い光の帯が、すうっとマキの上を撫でた。
ぽっと付いた火が揺らぐ炎になり、見つめるイージスの眼差しは、どこか優しい。
「ありがとう、スルト」
呟くイージスの右肩の上で点滅した赤い光が、次は左肩の上で点滅する。
まるで、「ね?」「ね?」と言うみたいに。
自分にそれが視えるというのも、まだ、少し不思議な気がする。
その光景に目を奪われていると、イージスから離れた赤い光が、こちらを向いて点滅した。
光の後ろでは、目を細めてこっちを見上げてくる銀髪が見える。
「あ……ありがとう……ス、スルト?」
自分も口に出してみると、赤い光の点滅がとても速くなった。
天井近くで光ったかと思うと、床の近くでも光る。
こちらも光に合わせて首を上下、左右に振る。飛び跳ねているのだろうか。
「コクロウが、またね、だって」
イージスの言葉に、大きく赤く光ってから消えた。
ふうっと息を吐き出す。これで良かっただろうか。
二人きりの時だけ、イージスは竜たちを呼び出す。
「竜たち、人の役に立つのが好きなんだ」
そう教えてくれた。
唇の下に手の甲を当てていると、ふふっと息が吐かれる。
目を向けると、立ち上がってこっちを見てくる銀髪の口の端が、むにむにと動いている。
かあっと顔が熱くなる。
あのにやけ顔にどう仕返ししてやろうか。
思案の末、良いことを思いついた。今度はこっちの番だ。
銀髪を見上げ、自分の腿を叩いて示してやる。
大きく目を開いた銀髪は、持ってきた荷物の中から本を一冊取り出すと、本を片手にベッドの上に飛び乗ってきた。
自分の腿の上に銀髪を預け寝転んでくるので、そのまま銀髪を梳いてやる。
梳いてやる度に、目じりを下げ、口元が緩んでいく。その姿にこちらの目も細くなっていく。
今のところ、腕枕と膝枕だけは、こいつに譲ってやるつもりはない。
自分の膝枕で本を読み出したイージスに目を落とす。
広げる本の表紙には、ジュシリス魔術誌。
普段粗雑なようでいて、こういうちょっとした所で、教養の深さみたいなものが顔を覗かせる。
絶対に言ってやらないが、こいつが食事をしている姿は、見ていて飽きない。あんまり綺麗で見惚れてしまう。
かといって、決して人の食事の仕方をうるさく言ったりしない。根本的に育ちが良いのだろう。
そんなことを考えながら、銀髪を梳き続けると、自分の体の周りが金色の光の帯に包まれていることに気づく。
その金色の帯に、青の光の粒がぶつかってきていた。確か、金色は風竜。青は水竜だ。
しばらく金色の帯にぶつかっていた青色の光の粒が、離れていった。
今度は寝転がっているイージスにぶつかっているように見えるが、ぶつかられている方は、一向に気にする様子がない。
「なあ、さっきからお前に青い光がぶつかっているように見えるが、何でだ?」
思い切って聞いてみた。
「ああ……」
面倒くさそうに、パタンと閉じた本を横に置くと、イージスが体を起こした。
こっちを向いて金色の帯を指さす。
「風竜が今度は、コクロウを独り占めにする気だって。水竜が焼きもちを焼いているんだよ」
イージスの言葉に合わせて、青い光の点滅が速くなっていく。
——焼きもち……竜が……俺に……。何でだ。
眉間に力がこもり、少し首を傾けてしまった。
イージスがこちらへ指を伸ばしてきて、眉間の皺をなぞる。
「前に、オルニス兄さんの話をしたことがあるだろう?」
「ああ」
眉間から力を抜いて、ゆっくりと頷く。イージスのとても大切な人だ。
「オルニス兄さんの家、『ナイアス』の家は、水竜の加護が強い家なんだ」
「確か、お前の母親の実家でもあるんだよな?」
こちらの確認に、イージスが頷きを見せる。
「兄さんが生まれた時、アクアより先にゼピュロスが、兄さんの器いっぱいに風竜の加護を与えてしまって……アクアは、『自分もあげたかったのに』って未だに怒っているんだ」
はああっと、イージスが金と青の光に向かってため息をぶつけると、互いに激しく点滅し始めた。抗議でもしているのだろうか。
「はい。ふたりとも、もう止めて」
イージスが二色の光に向かって掌を見せた。
「コクロウは、どちらのでもないよ。僕のだよ」
イージスが人差し指を立て、光たちに向かって告げると、今度は、二つの光が一緒になってイージスにぶつかっている。
窓から差し込む陽の光のせいだろうか。少し身体が熱を持ち始めてきた。
「明日の昼までは、ダメだよ。え? 仕方ないなあ……でも、朝までは譲れないよ」
何だか、光たちと話し合っているようだ。
金と青の光が大きく光ってから消えると、イージスがまた、ごろりとベッドに転がり、銀髪を自分の膝の上に載せてきた。
額に口づけを落としてやり、唇を少し離す。
こっちの頭の後ろに手を回されて、髪の中に指が潜り込んできた。
剣の修行に明け暮れたであろう指が、少しごつっと当たる。
「なあ。それだけ?」
下から声が聞こえたと同時に頭をぐっと引っ張られ、少し大き目の口に引き寄せられた。
「ん……」
自分の唇が、丸ごとイージスの唇に覆われる。
ぷはっ。
顔を離して息を吐きだすと、下から抜け出したイージスの目が同じ高さになる。
銀髪の下で、唇の端が目いっぱい上に持ち上がっていく。
「竜たちには、朝まで来ないように言っておいたから」
「あ……朝まで?」
「そう。朝まで」
「ちょ……ちょっと待て!」
だって窓の外では、まだ——太陽が黄色い。
そのまま、銀髪が自分の胸に沈み込んでくる。
吸い込まれるあいつの匂いと、胸から広がっていく体温には、抵抗できそうになかった。
* * *
窓から朝陽が差し込み、目を開ける。
音をすべて吸い取ったかのように、外の世界が静まり返っているのに、自分の隣からだけ音が聞こえる。イージスの寝息だけが。
以前は、イージスより先に目が覚めることは無かったが、最近では、自分の方が先に目を覚ますこともある。いや、こいつの方がよく眠っているというべきか。
ダリアさんが教えてくれたことを思い出す。
「あの子は、人前では眠らないから……驚いたのよ」
そうして、付け加えた。「だから、あの時からアンタのことを好きだったのよ、絶対そう!」と。
銀髪の中に指を差し込むと、唇が軽く動く。
そっと上掛けを持ち上げ、覗き込んでみると、あちこちに痕跡が残っているのが見える。体は少し怠いが、嫌な怠さではない。
合間合間に軽く摘まんでいたからか、案外と腹も減っていなかった。
あまりの痕跡の多さに、ふっと息を漏らすと、銀髪の上に緑の光が現れる。
こちらへ向かって伸びてきた緑の帯に包まれていると、じんわり暖かくなってきた。
小さくなった緑の光に、小さく呟く。隣に聞こえないよう。
「ありがとう。緑竜」
光が消えたのを目の端で見ながら、また瞼が閉じていった。
少し大きな話し声が聞こえて目を覚ます。
窓の外が、さっきより明るい。ひょとしてもう昼くらいだろうか。
「やめて、アクア。ちょっとやめろ、ゼピュロス」
イージスの周りでは、青と金色の光が激しく点滅していた。二つの光がイージスにぶつかっていき、時々、赤い光がスーッと通り過ぎる。
「やめなさい、スルト。遊んでないから!」
イージスが、青と金と赤の光に向かって話している。
その後ろでは、鋼色の光の帯が横たわり、緑の光が小さく瞬いていた。
イージスが、律儀にそれぞれに話し方を変えているのが、何だか可笑しい。
向こうから見えないように、上掛けを口元まで引き上げ、息が漏れないよう堪える。
「ほら、うるさくするから、コクロウが起きたじゃないか」
堪えた甲斐がなかったようで、こっちに気づいたイージスが、窘めている。
「なあ、コクロウ。昨日無理なんかさせてないよな? な?」
こっちに必死に同意を求めてくるのが、本当に可笑しい。
上掛けから顔だけを出してやった。
「さあ……どうだかな……」
自分の答えを聞いた途端、また光たちがイージスにぶつかり始めた。
「地竜も何とか言ってくれ! なあ、緑竜!」
イージスがまだ騒いでいる。
騒ぎを横目に、上掛けの隙間から手だけを出す。
緑の光に向かって小さく振ると、イージスの後ろで緑が少し大きくなった。
体は大丈夫なんだが。いつ教えてやろうか。
五色の光の中で、揺れる銀髪が目に入る。
もう少し、このままにしておこうか……そうだな、腹が減ったら考えるか。
窓枠についた白い雪が、きらきらと反射している。
外は雪が積もっているが……あいつがいると、いつだって温かいな。
あとがきのあとがき
大切なお時間を分けて頂き、本当にありがとうございました。
また、どこかでご縁がありましたら、よろしくお願いいたします。




