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奈落から始まる言霊支配〜スキルなしと切り捨てられた俺は、邪神と共に女神を殺す〜  作者: 黒海苔


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六話:声なき者と二冊目の記録

 一歩踏み出した瞬間、嫌な音がした。


 ぐちゅ、と。


「……今の、聞かなかったことにできるか?」

「無理だね」

「だよな!」


 床が、完全に"それ"だった。

 柔らかい。弾力がある。しかも、じわじわ沈む。踏むたびに、ぐちゅ、ぐちゅ、と音がする。


「ここほんとに腹の中だろ……」

「うん。たぶん内壁」

「言い換えなくていい」


 壁を見る。石ではない。赤黒い肉のようなものが、ゆっくりと脈打っている。

 時々、ぴく、と痙攣する。


「帰りたい……」

「さっき正面行かなかったのに?」

「この帰りたいはそういう意味じゃない!」


 俺は足元を見ながら進む。細い。滑る。怖い。だが、進むしかない。


 奥から、また低い音が響いた。ごぉ……ん……ごぉ……ん……


 鼓動。巨大な何かの心臓の音。


「ユウ」

「何だよ」

「今の、だんだん近くなってる」

「聞こえなくていい情報をありがとう」

「優しさだよ」

「いらない優しさだ」


 俺は顔をしかめたまま、前を見る。

 奥にある"門"。石造りのそれだけが、この空間で唯一普通だった。だから逆に目立つ。


「……あそこまで行けばいいんだな」

「たぶんね」

「たぶんかよ」


 その時だった。


 壁が、ゆっくりと裂けた。べちゃ、と音を立てて。


「……は?」


 裂け目の奥から、何かが這い出てくる。人型。いや、違う。人の形を真似た何か。

 全身が肉でできている。顔はない。口だけが胸のあたりにある。その口が、ぐぱ、と開いた。


「……これ、何だ」

「消化中の何かが実体化した感じかな」

「もっと嫌な説明になったぞ!」


 肉の人型が、ゆっくりとこちらへ近づく。歩いているというより、引きずっている。

 足が不完全だ。でも、確実に近づいてくる。


「ユウ、どうする?」

「……どうするって」


 逃げ場はない。通路は一本道。後ろは門で閉じた。横は全部、肉壁。


「やるしかねぇだろ」

「いいねぇ」


 俺は構える。このタイプ、どう倒す?

 骨もない。形も曖昧。心臓を止める、は効くか? そもそも心臓があるのか?


 なら――構造そのものに命令する。曖昧なものは、曖昧なまま壊す。


「――形、崩れろ」


 ぐしゃ、と音がした。肉の人型が、支えを失ったように崩れる。床へ落ちる。ただの肉塊になる。


「おお」


 だが。次の瞬間、その肉塊が震えた。また、形を作ろうとする。


「再生するのかよ!」

「消化途中だからね」

「その表現やめろ!」


 俺は歯を食いしばる。完全に止める必要がある。

 でも"消えろ"は重い。信じ切れない。なら――


「動けない状態になれ」


 肉塊が、びくりと震えて止まった。完全に。微動だにしない。

 反動は、軽い吐き気。


「……っ、気持ち悪……」

「いい調整」

「褒めるな……」


 俺はその場を離れる。踏みたくない。絶対に踏みたくない。


「ユウ」

「何だよ」

「今の命令、賢かった」

「……そうか?」

「うん。"止まれ"よりも、"状態を固定する"方が安定する」

「そんな違いがあるのか」

「言葉って大事でしょ?」

「お前がそれ言うの、なんかムカつく」

「ボク、言葉のプロだよ?」

「邪神だろ」

「邪神兼言葉遊び担当」

「いらない担当だな」


 その時。壁がまた裂けた。今度は二つ。そして三つ。


「……増えたな」

「増えたね」

「楽しそうに言うな」


 肉の人型が、三体。ゆっくりと這い出てくる。囲まれる。


「……くそ。まとめて処理する」

「お、かっこいい」


 俺は息を整える。まとめて命令。だが、重すぎると死ぬ。

 軽く、でも全体に通る言葉。


 形を持たない。曖昧な存在。なら、曖昧さを否定する。


「――まとまるな」


 一瞬。空気が震えた。

 肉の人型たちが、ぐしゃりと崩れる。形を保てなくなり、ただの肉へ戻る。


「……っ!」


 頭に強い痛みが走る。


「ぐ……!」

「おっと、ちょっと無理したね」

「分かってる……!」


 でも、効いた。三体同時に止めた。


 俺はその場から離れた。


 奥へ進む。通路はさらに狭くなる。そして、やがて。


 ぐぅぅぅ……と大きな音が響いた。


「……なんだ?」

「たぶん消化」

「やめろその説明!」


 床が、ゆっくりと傾き始めた。


「おい!?」

「流されるね」

「軽く言うな!」


 ぬめった床が、一気に傾斜になる。俺は滑り落ちた。


「うわっ!」

「ユウ、スライダー」

「遊園地じゃねぇ!」


 勢いよく滑る。止まらない。壁もぬるぬるで掴めない。

 その先に見えたのは――大きな穴。下へ続く、赤黒い落とし穴。


「ちょっと待てぇぇぇ!!」

「命令するなら今だよ?」

「言えよ先に!」


 俺は叫んだ。


「止まれ!」


 体が一瞬だけ止まる。だが、すぐに滑り出す。


「もう一回! 止まれ!」


 今度は少し長く止まる。だが、床が動いている。完全には止められない。


「くそ……!」


 穴まで、あと数メートル。どうする。どう止める。

 床を止める? 重すぎる。自分を止める? 摩擦が足りない。

 なら――


「くっつけ!」


 足の裏が、床に張り付いた。びたん、と。


「うおっ!?」


 勢いで体が前に倒れる。だが、滑らない。止まった。ギリギリで。穴の手前で。


「……っ、はぁ……」

「ナイス」


 ノアが拍手する。


「今の発想いいね」

「……ほんとに際どかったな」

「うん。かなりね」

「笑いごとじゃねぇ……!」


 穴の横に、細い通路があった。かろうじて通れるくらいの幅。


「……こっちか」


 慎重に進む。細い。滑る。怖い。

 やがて。通路の先に、光が見えた。


「……光?」

「珍しいね」

「出口か?」

「さあ?」

「頼むから"さあ"やめてくれ」


 光の方へ進む。そして。通路を抜けた先で、俺は立ち止まった。


「……ここは」


 そこは、小さな空間だった。今までの肉の通路とは違う。石の部屋。

 床も壁も、ちゃんと石。中央には、白い石でできた台座。

 その上に――


 骨だ。人の腕。白く乾いた骨。


 だが、それだけではない。台座の上には、整えられた骨の隣に、もう一冊の手帳が置かれていた。


「……」


「ユウ」

「……ああ」


 さっきの部屋とは違う。ここは、明らかに"残された場所"だった。

 さっきの手帳を書いた人間は、まだ先へ進もうとしていた。

 だが、ここにある骨は――ここで終わった誰かのものだ。


「……読むぞ」


 俺は、二冊目の手帳に手を伸ばした。


 指先が、少しだけ震えていた。

 怖いからだ。魔物じゃない。罠でもない。"人の痕跡"が怖い。


「ユウ」

「分かってる」


 逃げるわけにはいかない。ここまで来て、目を逸らす方が気持ち悪い。


 俺は手帳を開いた。紙は黄ばんでいる。だが、保存状態は悪くない。

 誰かが大事に置いたのかもしれない。


 ノアが、静かに読み始めた。



『これは記録だ。誰かがここに来たときのための。』


 俺は黙って聞く。


『俺は、上を目指していた。奈落に落とされたわけじゃない。自分の意思で、ここに来た。』


「……自分から?」

「珍しいね」


『村が滅んだ。女神が来た日のことを、俺はまだ覚えている。』


「……っ」


 胸の奥が、ざわついた。


『あの日、女神は笑っていた。救いに来たのだと言った。俺たちは喜んだ。泣いた。感謝した。そして、選別が始まった。』


「……選別?」


『力のある者は祝福された。弱い者は見捨てられた。妹が、選ばれなかった。魔力がなかった。だから、不要だと言われた。』


「……っ」


 息が詰まる。ページをめくる手が、重くなる。


『魔力がなかった。だから、不要だと言われた。だから――』


 そこで、インクが大きく滲んでいる。何度も書き直した跡。震えた線。


『殺された。』


「……」


 言葉が、出なかった。ただ、ページを見ていた。


『抵抗した。無駄だった。俺も、選ばれなかった側だったから。何もできなかった。女神は言った。これは世界のためだと。無駄な命を削ることで、世界はより良くなると。』

『笑っていた。』


 その一文だけ、やけに丁寧に書かれていた。何度もなぞったような文字。


『だから俺は、ここに来た。奈落の底に行けば、女神の目が届かないと聞いた。力でも、呪いでも、何でもいい。あの女を殺せるなら、それでいい。』


「……」


 似ている。俺と。目的が。動機が。全部。


『何度も死にかけた。何度も殺した。魔物を。自分の心を。でも、まだ足りない。力が足りない。』

『ここに来て、分かったことがある。奈落は、ただの穴じゃない。ここは――神に捨てられた場所だ。ここには、神が隠したものがある。声なき者。俺は、その一つを見つけた。』


『もしこれを読んでいるなら、気をつけろ。あいつは――』


 そこで、文字は途切れていた。完全に。


「……」


 俺は手帳を閉じた。息が、重い。


「ユウ」

「……何だ」

「どう思った?」


「……」


 言葉が、すぐには出てこなかった。


 妹。


 その一文字が、頭の中で繰り返されていた。

 女神は、妹を殺した。魔力がないから。不要だから。

 それだけの理由で。笑いながら。


「……許せるわけないだろ」


 声が、自然と低くなっていた。


「俺だけじゃない。他にも、こういうやつがいる。それを、あいつは……笑ってやったのかよ」


 ノアは、何も言わない。ただ、嬉しそうに俺を見ている。最悪だ。


「……いい。もう、遠慮しなくていい」


 俺は立ち上がった。


「地上に出る。力をつける。それで――女神を、殺す」


 ノアが、満足そうに笑った。


「いいねぇ」


 俺は手帳をポケットに入れた。これは持っていく。ここで終わらせるものじゃない。繋げるものだ。


「採点するな」

「満点だよ」

「だからいらねぇって言ってんだろ」


 その時。部屋の奥。台座の向こう側。暗がりの中で、何かが動いた。


「……っ」

「ユウ」

「分かってる」


 俺は構える。


 闇の中から、ゆっくりとそれは現れた。音がしない。気配も薄い。だが、確実にそこにいる。


「……なんだ、あれ」


 それは、人型だった。だが、さっきの肉とは違う。

 骨に、乾いた皮が張り付いたような身体。目はない。耳もない。

 そして――口が、ない。顔のあるべき場所は、ただ滑らかな骨で覆われていた。


「……声なき者、か」


 手帳に書いてあった。気をつけろ、と。


「うん。たぶん"それ"」


 俺は息を飲む。逃げるべきか。戦うべきか。判断が遅れる。

 その間に、"声なき者"が一歩、前に出た。音がない。足音も。呼吸も。

 ただ、そこに"動いた"という事実だけがある。


「ユウ」

「……分かってる」


 俺は一歩、下がる。嫌な感じがする。魔物とは違う。もっと分かりにくい"危険"だ。


「とりあえず」


「止まれ」


 言霊を放つ。"声なき者"の動きが止まった。だが。


「……軽いね」


 次の瞬間。"声なき者"が、ぴくりと動いた。


「は? 早い!」

「だから言ったでしょ。格上には効きにくいって」


「……くそ」


 "声なき者"が、また一歩近づく。距離が詰まる。何をしてくるか分からない。それが一番怖い。


「ユウ」

「……なんだ」

「口、ないよね」

「見りゃ分かる」

「じゃあさ」


 ノアが、にやりと笑った。


「"舌"ってどこにあると思う?」


「……は?」


 壁の文章が頭をよぎる。――鍵は声なき者の舌に眠る。


「まさか……」

「うん。たぶん当たり」


 "声なき者"が腕を上げる。指が、異様に長い。爪の代わりに、細い骨が伸びている。


「来るよ」

「分かってる!」


「止まれ!」


 また止まる。だが、やはり一瞬だ。すぐに震え始める。


「くそ……どうする」


 止めるだけじゃ足りない。でも、"殺す"のは違う。こいつには、取るべきものがある。


「ユウ」

「……なんだよ!」

「壊しすぎない方がいいかもね。"舌"を取るのが目的だから」

「だろうな……!」


 口がない。どこにある。どこに。

 ――中か?


「たぶん、胸」


 ノアが指差す。俺は視線を向ける。

 "声なき者"の胸。骨の奥。微かに、何かが動いている。脈打つような、紫の光。


「……あれか」

「っぽいね」


 瞬間。"声なき者"が動いた。腕が振り下ろされる。


「――弾けろ!」


 腕の軌道が逸れる。床に突き刺さる。石が砕ける。


「……っ!」


 一撃でも食らったら終わる。


「ユウ、早く」

「分かってる!」


 俺は一歩踏み込む。怖い。でも、距離を詰めるしかない。


「――動くな!」


 一瞬止まる。その隙に。


「胸、開け!」


 ――バキッ


 嫌な音がした。"声なき者"の胸骨が、強引に開く。内側が露出する。


「……うわ……」


 そこにあったのは。舌だった。

 赤黒い。細長い。心臓の代わりのように、そこにあった。


「趣味悪……」

「神様のセンスだよ」

「最低だな……!」


 俺は手を伸ばす。"声なき者"が動く。止まる。動く。止まる。ギリギリの攻防。


「――取る!」


 指が、舌を掴んだ。ぬるりとした感触。


「っ……!」


 気持ち悪い。でも離さない。


「引き抜け!」


 ぐちゃり、と音がした。舌が、強引に引き抜かれる。

 同時に。"声なき者"の体が崩れた。音もなく。静かに。崩壊した。


「……はぁ……はぁ……」


 俺はその場に座り込む。手の中には、舌。ぬるい。最悪だ。


「おめでとー。第一ギミック突破」

「ゲーム扱いするな……!」


 俺は舌を見下ろす。するとそれが、徐々に変化していった。

 赤黒い肉が、硬質化する。形が整う。やがて、それは小さな鍵のような形になった。


「……鍵」

「ほらね」

「……マジかよ」


 俺はそれを握る。冷たい。でも、確かな"道具"だ。


「つまり」

「うん」

「これが"門"を開ける鍵」

「正解」


 ノアが笑う。


「じゃあ次は"獣の心臓"だね」

「……ほんとにあるのかよ、それ」

「あるよ。だって――」


 ノアが、にやりと笑った。


「もう、すぐそこだから」


 次の瞬間。地面が揺れた。


「っ!?」


 低い音。重い振動。床が、微かに波打つ。


「おい……これ」

「うん」


 ノアが、楽しそうに言った。


「このフロア自体が"それ"かもね」

「……はぁ?」


 その時だった。足元の石が、割れた。ひびが走る。広がる。


「おいおいおい!」

「ユウ」

「なんだ!」

「踏ん張って」

「遅いんだよ!」


 床が崩れた。俺の体が、沈む。


「また落ちるのかよ!?」

「今回は違うよ」

「何が違う!」

「"中"に入るの」

「嬉しくねぇ!!」


 視界が反転する。闇に飲まれる。だが今回は、落下ではなかった。


 ――飲み込まれた。そうとしか言えない感覚。

 ぬるい。重い。生きているような圧迫感。


「……っ」


 地面に叩きつけられる。いや、地面じゃない。柔らかい。弾力がある。


「……なんだよここ」


 周囲を見る。赤い。壁が蠢いている。天井も。床も。全部、生きているように動いている。


「ようこそ」


 ノアが、楽しそうに言った。


「"獣の腹"へ」

「最悪すぎるだろ!!」


 どろり、とした音が響く。奥から、何かが動く気配。

 そして、巨大な"心臓"のようなものが、脈打っていた。


 ――ドクン。――ドクン。


 空間全体が、それに合わせて動く。


「ユウ」

「……なんだ」

「門、あれ」


 ノアが指差す。心臓の奥。肉の壁に、異質な"扉"が埋まっている。

 石の門。そこだけが、この生物的な空間にそぐわない。


「……あそこか」

「うん」

「行くしかないな」

「うん」


 俺は立ち上がる。気持ち悪い。吐きそうだ。でも、進む。


 ――ドクン。――ドクン。


 俺は、心臓の奥にある門へ向かって歩き出した。



 ◇



 床を踏むたびに、ぐちゅ、と音がする。


「……気持ち悪いな、ここ」

「今さら?」

「今さらでも言いたくなるだろ!」


 壁を見る。踏んでいるのは"床"じゃない。柔らかい。ぬるい。少し沈む。


「うわ……」

「ユウ、顔」

「見るな」

「ドン引きしてる」

「してるに決まってるだろ」


 俺は顔をしかめたまま、前を見る。

 奥にある"門"。石造りのそれだけが、この空間で唯一普通だった。


「……あそこまで行けばいいんだな」

「たぶんね」


 その時だった。――ぐにゃり。床が、大きく歪んだ。


「っ!?」


 壁が、裂けた。赤い肉が左右に開く。中から、"それ"が出てきた。


「……なんだ、あれ」


 それは、魔物だった。だが、今までのとは違う。

 四足。だが骨格が歪んでいる。皮膚は半分溶けていて、内側が露出している。

 目が多い。口も多い。そして"腹"に、別の口がある。


「……あれだよな」

「だね。"獣の腹"の主」

「主とかいらねぇ!」


 魔物が唸る。空間全体が震える。さっきの小物とは格が違う。


「ユウ」

「なんだよ」

「普通に戦うと死ぬよ」

「分かってる!」


 どうする。正面からは無理だ。言霊も、通る保証がない。


「……弱点。どこだ」


 ノアが楽しそうに指差す。


「腹の口」

「やっぱりか……!」


 門は獣の腹にあり。つまり――


「中にあるってことかよ……!」

「行くしかないね」

「嫌すぎるだろ!」


 魔物が跳んだ。床が弾ける。巨大な影が迫る。


「――逸れろ!」


 軌道がずれる。ギリギリで回避。


「っ……!」


「止まれ!」


 一瞬だけ止まる。だがすぐに動く。


「くそ……!」


 俺は走る。正面じゃない。横。背後。回り込む。


 魔物の腹。そこにある口。開いている。牙が並んでいる。中は――暗い。だが奥に、何か光っている。


「……あれだ。行くぞ」


 魔物が振り向く。間に合わない。なら――


「――動くな!!」


 止める。ほんの一瞬でいい。その隙に。


「うわああああああああああ!!」


 口の中へ。ぬるい。滑る。臭い。最悪だ。


「ほんとに入った!」

「やるしかねぇだろ!!」


 内側。そこは、狭い。肉の壁。脈打つ空間。

 そして――中心に、"それ"があった。


 核。心臓のようなもの。紫に光っている。鼓動するたびに、空間全体が波打つ。


「……これか」

「当たり」


 俺は核を見る。触れれば届く距離。


 このでかい魔物の、心臓だ。

 "止まれ"なんて命令じゃ通らない。怒りで言うんじゃない。確信で言う。

 お前の心臓は、今ここで止まる。そう"決める"感覚で。


 俺は息を、ゆっくりと吐いた。


「――止まれ」


 静かに、言った。


 核が、止まった。


 一瞬ではなかった。ゆっくりと、本当にゆっくりと、光が消えていく。

 それに合わせて、空間全体の脈動が止まる。壁が。床が。天井が。全部、静止する。


 ――ドクン。――ドクン。――…………。


 沈黙。


「……」


「いいね」


 ノアが、静かに言った。いつもの軽さとは違う声だった。


 次の瞬間。空間が崩れ始めた。ぐちゃり、ぐちゃり、と。


「出るよ、ユウ」

「分かってる!」


 俺は飛び出す。口から外へ。転がる。立つ。振り返る。

 魔物が――崩れていた。音もなく。静かに。


 奥の石の門が、肉壁の崩壊とともに完全に姿を現した。


「……終わったか」

「うん」


 ノアがぱちぱちと拍手する。


「今のよかったよ」

「……ゲームじゃねぇ」


 俺は息を吐く。全身が痛い。だが、生きている。それだけで十分だった。


 門の前に立つ。鍵を差し込む。――カチリ。扉が開く。中から、風が流れてきた。


「……風だ」

「上が近いね」


 俺は一歩踏み出す。振り返らない。進む。それだけだ。


「行くぞ」

「うん」


 俺と邪神は、次の階層へ足を踏み入れた。

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