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068 風向きを測る紳士

 閉会式も無事に終了し、私はその足でヨシュア殿下に会いに行くことにした。


 コロッセオの入り口となる通路からは、続々と参加者が出てくる。彼らは一律に制服を身につけ、どこかホッとした表情の者が多い。けれど、中にはまだ悔しさを滲ませている者もいたし、先生方が一人ひとり名前を呼んで健闘をたたえる場面もあった。


 そんな騎士学校の生徒の流れに混ざりながら、ヨシュア殿下を探していると……。


「あっ! シャーリー!」


 私を見つけてくれたのはシリルだった。彼は私を見つけるなり駆け寄ってきて、「何でここにいるの?」と開口一番、不審な顔を向けてきた。


「なによ。そんな言い方しなくたっていいじゃない」


「湯浴びする場所は別にある。つまり、ここで覗いていたってシャーリーが所望するアレは見れない。だから諦めて友達のところへ帰った方がいい。というか帰れ」


 シッシッとシリルに追い払う真似をされる私。

 どうやら彼は、私がここで男性の裸を隙あらば覗こうとしていると思ったらしい。


 のぞけるなら覗きたい。もちろん学術的探究心で。けれど一度その世界を知ってしまうと、二度と戻ってこれなそうな気がするので、私はのぞかない。


 だって、コリン様のようにはなりたくないから。


 覗いてはいけない世界に足を踏み入れ、戻ってこれなくなる。

 その結果、犯罪者となり牢屋に幽閉されるのでは意味がない。


「アレを見ようとしたわけじゃなくて、ヨシュア殿下におめでとうって言おうと思ったの。あ、シリルも凄かったね。おめでとう」


 私はしっかりと、誤解を解く。


「優勝できなくて悪かったな」


「……どういうこと?」


 シリルの言葉の意味が分からず聞き返す。するとシリルは目をそらし、「はじめて負けた」と悔しそうに顔を歪めた。


 十二歳で入学してから今まで、ヨシュア殿下が手加減していたせいで、シリルは彼に負けた事がないのだろう。


 殿下の事を「どうして本気を出さないのか」と不満に思う気持ちを持ちつつ、内心負けるとプライドが傷付けられ、悔しくてたまらないのかも知れない。


「今日の二人は、とてもすばらしい試合だったよ?私は人体の美しさに圧倒されたし、真剣な表情をしている人って尊いなって感じたし。あ、それに隣にいた騎士学校の一年生が、シリルのファンみたいで、終始尊敬の眼差しで、応援してたよ」


 私は落ち込んでいるシリルを励まそうと、一生懸命言葉を探した。


 するとシリルは力なく微笑む。


「なんか、やっぱまだまだなんだって思った。いつも最後は殿下が負けてくれるから、僕も知らぬ間に鍛錬に甘えが出てたみたいだ。今日からまた初心に戻って頑張る」


「そうよ、その調子。私だって今日の試合を見て、同じ事を思ったもん。初心に帰ろうって。時間はまだまだあるんだし、今から頑張れば人生なんて余裕で挽回できると思う」


「余裕か。そんなこと言えるの君くらいだよ」


 シリルは呆れたのか、眉を下げて笑う。


「今日の戦いでは全力を尽くして戦ってくれてありがとう。家族として誇りに思う」


「うー、シャーリーに褒められると、なんだかむず痒いからそこまで。でもま、サンキュ」


 シリルは恥ずかしいのか、頬を指で掻く。


「シャーロット嬢!」


 コロッセオの薄暗い通路から、ヨシュア殿下が慌てた様子で出てきた。そして微妙に距離を取った場所で立ち止まったあと、空中に手を差し出す。


「あれはなにしてるの?」


「風向きを測っているっぽいけど」


「なんで?」


「さぁ?」


 思わずたずねた私に、シリルはキョトンとした表情で告げる。


 殿下の表情は静かで集中的。シリルの推測通り、風向きを正確に把握するために、全神経を集中させているようにも見える。


 その姿は彫刻の像ように美しいけれど、意味がわからない。


 私たちが見守る中、殿下はさらに離れた場所に移動し、くるりとこちらを振り返る。


「やぁ、シャーロット嬢」


「はい、ヨシュア殿下」


 なぜこの距離?と疑問に思いつつ答える。


「こんなところでどうしたの?」


「殿下におめでとうを言いたくて。今日はとても格好良かったです。優勝おめでとうございます」


 距離がおかしい事を気にするのはやめようと決めた私は、笑顔で伝える。


「ありがとう。なんか君の声援が聞こえた気がして、つい本気になっちゃった」


 殿下は目尻を下げ、照れ笑いを見せた。


「聞こえたんですか?あの歓声の中で?」


 確かに私は大声をあげて懸命に応援した気がする。けれど、流石に殿下に届くまでに、かき消されるような。


 私は殿下の地獄耳っぷりに感心する。


「うん。たぶん僕と君はその……ツガイだからかな?」


「あ、なるほど。ツガイって、こういう時は便利ですね」


 私は妙に納得する。


 もしかしたら、ツガイは双子に似ているのかも知れない。


 私とシリルも、互いの気持ちや考えを言葉を使わずに理解し合う時がたまにあるし、些細な事だけれど、同じ食べ物を食べたい日が重なるときが結構ある。


 だからツガイも、双子のように目に見えない絆で繋がっているのかもしれない。


 私は妙に納得する気持ちになった。


「邪魔者は去るよ。じゃあね、シャーリー。殿下、また」


 シリルは私の肩に手を置きながら小声で囁くと、そっと去っていく。


「ええと……」


 すでに一番言いたかった事を、すでに言い終えた私は困る。


「あ、あのさ。今日の後夜祭は、僕と一緒にいてくれるかな?その、交流戦も頑張ったし。あ、もちろんこれから湯浴みもするから。だめかな……」


 殿下が遠慮がちに訊いてくる。


「もちろんご一緒させてください。楽しみにしていますね」


 断る理由もない私は、笑顔で頷く。


「ありがとう。じゃ、僕は汗っぽいからこれで!」


 ヨシュア殿下はくるりと私の前から回れ右をすると、シリルの背中を追いかけて行ってしまった。


 どうやら風向きを調べていたのは、汗臭さを気にしていたからのようだ。


 そういう所は紳士的……なのだろうか?


 パタパタと走り去る殿下の背中を目で追いながら、私は首を傾げる。


「なんだか殿下って、ボールを投げられた犬みたい」


 思わず飛び出した言葉に、そう言えばシリルにそんな事を言われた事があったなと、私は思わず苦笑する。


 かつての私が今の殿下のようであったとしたら、なるほど、確かにわかりやすい。


 完全に相手への好意がバレバレだ。


 でも私はそんな殿下を嫌だとは思わない。

 むしろ好ましいと思っている。


 やはりもう、私は彼に恋をしていると言える状況なのかも知れない。


「ところで、殿下は一体どこで湯浴みするんだろう」


 そんな疑問が口から漏れてしまったが、私はすぐに首を左右に振り、心に浮かんだやましい気持ちをかき消す。


 世の中には、知らなくていいこと……いやむしろ知らない方がいいことだってきっとあるのだから。

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