054 制服デート2
殿下と私は、ウエストミントン教会を贅沢にも貸し切り、清らかな気持ちに包まれた制服デートをしている。
お昼は天気が良かったので、中庭の端にレジャーシートとなる布を敷き、ヨシュア殿下が持ってきてくれたサンドイッチと紅茶を二人で並んで楽しむ事にした。
穏やかな日差しが差し込む中庭には、ローズガーデンやラベンダーの香りが漂い、鮮やかな花々が色とりどりに咲き誇っていた。
殿下が手に持っている小さなかごには、クラシカルな装飾の入った布ナプキンが敷かれ、その上には美しそうなサンドイッチが並んでいる。
「僕のオススメなんだ。はいどうぞ」
殿下から差し出されたサンドイッチを、有り難く頂戴する。
離れた場所から殿下と私を見守る、マクシミリアン様は一緒に食べないのだろうか。
疑問に思った私が視線を送ると、いつものように「お気になさらずに」と、声を出さずに告げられた。
「マクシミリアン様はお腹が空かないんですか?」
「これからあそこで食べるんじゃないのかな」
「一緒に食べないんですか?」
「今日は君がいるからね。さすがに気を使ってくれているんだと思う。でも、僕が君を襲うような事があったら、サンドイッチを放り出してでも駆けつけてくれるから安心して。じゃ、食べようか」
ニッコリと笑う殿下の無邪気な笑顔に何も言うまいと、私は頂いたサンドイッチに上品に見えるように慎重にかぶりつく。
パンの間には、ローストビーフと新鮮なレタス、それからトマトのスライスが挟まれ、上質なチェダーチーズが絶妙なバランスで溶け込んでいる。
正直硬いパンばかり食べているので、ふんわりと焼かれたパンが口の中で溶けてゆくのを感じ、「そう、パンってこういうものだよ……」とうっかり、泣きそうになった。
やはり我が家のパンが硬いのは、もはや翌日だからという理由だけではない気がしてくる。
小麦をケチったのがいけないのだろうか。それともバターの分量だろうか。
私はふんわり柔らかいパンをかじりながら、密かに考察する。
「どう、口に合ったかな?」
「美味しいです。 素材も新鮮だし、何よりパンがふんわりしてて、とっても美味しいです」
「気に入ってもらえて良かった」
殿下も美味しそうにサンドイッチを食べている。その仕草はとても優雅で気品に溢れている。
コリン様も素敵だが、やっぱり殿下もなかなかだ。ツガイだからと結婚しなければならないのは嫌だと思っていた。けれど、背伸びしないで済む殿下となら平穏には過ごせるかもと、つい思ってしまうような雰囲気が流れている。
特に柔らかくてふわふわなパンを毎日食べられるのであれば、なおさらだ。
「殿下の趣味は何ですか?」
サンドイッチに舌鼓を打ちつつ、私は前から気になっていた事を尋ねてみた。
「僕?趣味か……そうだな、剣の練習かな?」
「えっ、剣ですか!?」
思わず声を大きくした私に殿下は、すぐに目を細めて嬉しそうに笑った。
「君も同じなんだね」
「え?」
「僕の見た目とか雰囲気で、大抵みんな驚くんだ。「殿下が剣ですか?」って。でも僕は剣術が好きだし、それなりに扱える自信もある。だから今日も護衛は一人なわけだし」
「確かに殿下が剣を扱ってらっしゃる所は、なんだか想像出来ないです」
私は素直な感想を漏らす。
「うわぁ、言うね。でもさ、僕自身に何かあったら、護衛のみんなは自分を責めるだろ?だから、僕は自らを鍛えるのは重要だと思ってるんだ。あ、だから脱いだらわりと君好みの筋肉を持ってるかも」
殿下はわざとらしく「ほら硬いし」と腹筋を私にアピールしてきた。
そんな彼に、思わず笑いながら私は告げる。
「それは是非とも拝見したいです」
「あれ、シャツのボタンを外せって言わないんだ」
殿下は悪戯っ子のような笑みを浮かべて、私の瞳を覗き込む。
「ボタンを外すともっと見たくなってしまうので、今は我慢します」
「うわ……それはズルいね」
殿下は驚いたように目を丸くした後、手の甲を口元にあてて横を向いてしまった。どうやら照れているらしい。耳まで赤くなっている。
私は黙ってその様子を眺めていたが、少しして殿下が顔をこちらに向けると、視線があった瞬間見つめ合う形になってしまい、慌てて逸らす。
「それに、私だって少しは成長しましたから。むやみやたらに見たいと思う気持ちは控えめになったんです」
言い換えれは、控えめになっただけ、とも言えるのだけれど。
今までは、「いずれ殿下の裸はいつでも見放題だし」という気持ちが、知的好奇心、探究心に対するストッパーになっていた気がする。
けれど、もし殿下がミランダ様を選んだ場合、私の男性の裸を見たいという願望は、またもや再熱する恐れがないとは、言えない。
殿下というツガイを失った私は、いつかツガイ狂いになり、満月の夜に男性の裸を暴く犯罪者になったらどうしよう。
末代まで恥さらしになりそうなので、流石にそれは嫌だ。
「じゃあ、僕と同じだ。僕も君に何が何でも触れたいと思う気持ちを、少しは抑えられるようになったから」
ヨシュア殿下は得意げな表情で私に告げる。
「確かに、それは凄い成長ですね」
「だよね?」
私たちは顔を見合わせてクスクスと笑った。
中庭の花々の彩りと、サンドイッチの美味しさが重なり合い、幸せなひとときが静かに流れる。
「たまにはこうしてのんびりするのもいいですね」
私は紅茶カップを両手で包み、一口飲むと、花々を眺めて目を細める。
「うん、たまにはね」
殿下はサンドイッチを食べ終えると、「ごちそうさまでした」と言ってナプキンを畳んでポケットにしまい込んだ。
私も残りのサンドウィッチを口に押し込み、紅茶で流し込む。
「さ、これからどうしようか?って、忘れてた」
殿下はバックから小さな手提げを取り出した。どうやら画材一式らしい。彼は絵筆を私に差し出した。
「これ、君の分。今日は折角だから君が絵を描く所を見たいなと思って」
「殿下は描かないんですか?」
「うん。君を眺めてる方が有意義だから」
真面目な顔で言われると、色々喉まで出かかった言葉がどうでも良くなる。
「わかりました。では、折角なので、美しい花々を描いてみようと思います」
「それはいいね。あ、そうだ。これ、君にあげようと思って」
そう言って殿下が取り出したのは、マーシャル商会が発売し、私が何者かに駄目にされた絵の具チューブのセットだった。
「ミランダ嬢がくれたんだけど、悪いけど僕が持ってても宝の持ち腐れだし、こういうのは使ってこそって言うし。君がよければもらってくれないかな」
ヨシュア殿下は新品の絵の具チューブセットを私に差し出す。どうやら横流しをしてくれるつもりのようだ。
私としては駄目にされた上に、現在品薄で手に入らないし、そもそも高価な絵の具チューブを断る理由はない。
ただ、殿下にあげたものを私がもらったとミランダ様が知った場合、また嫌がらせを受けそうではある。
そこで私は得意の悪知恵を働かせた。
「丁度欲しかったものなので、これは有り難く頂戴します。でもミランダ様には私に譲った事は内緒で。絶対に。神に誓って内緒で」
念入りに殿下にキツく言っておく。
「……了解。絶対言わないと神に誓って約束する」
無事彼の言質を取った私は、絵の具チューブセットを有り難く頂戴した。
「あ、それとその絵の具チューブ、白だけ僕が使っちゃってないんだ。ごめんね」
付け足すように言われ、私は首を振る。
「全然大丈夫です。普段使いにするには、絵の具チューブなんて高価なものは贅沢だし、豚の膀胱の方を使いますから」
私が微笑むと、ヨシュア殿下はギョッとした表情になった。
「それは君と僕の出会いを呼び起こすアイテムだけど、響きがわりと衝撃的すぎて」
「やっぱり、そういうもんなんですね」
私は何とも思わない。けれど、普通の人からしたら、それはやはりおかしい感覚なのかも知れない。
「慣れって怖い」
私は小さく呟くと、こちらを見つめるヨシュア殿下の隣で、絵を描き始めたのだった。
◇◇◇
絵を描く事に集中していた私は、一段落した所でふと気配を消しているヨシュア殿下の存在に気付き、隣を見つめる。
「うわぁ……」
ヨシュア殿下は無防備にも、レジャーシートの上で膝を抱え、小さくなって寝ていた。
穏やかな寝息を立てて眠っている彼は、はちみつ色に輝く髪がふわふわと風に揺れている。長いまつげに、きめ細かい肌は羨ましい限りだ。目鼻立ちが恐ろしく整っているので、眠っているとまるでお人形のようだと思う。けれど、胸が規則正しく上下している事から生きているとわかる。
「ふふ、ヨシュア殿下は可愛いな」
私は思わず声に出してしまう。そして自然に彼の髪に手を伸ばしかけ、途中で止めた。私の鉛筆の芯で黒く汚れた指は宙を掴んだまま固まっている。
「私ったら一体なにを……」
美しいものに触れたいと思った瞬間、心に湧き上がったのは今まで感じた事のない感情だった。それは、この美しい殿下を私のものにしたいという想い。
「まさか、ツガイの反応?」
私は動揺しつつも、殿下から目が離せずにいる。殿下の薔薇色の唇から目が離せない。触れたいという衝動が身体中に広がり、何かが私を突き動かす。
この感情に身を任せてはいけないと心ではわかっているはずなのに、止まらないのだ。
「ごめんなさい」
私は思わず謝罪の言葉を口にし、彼の柔らかそうな髪に手を伸ばしてしまう。そしてそっと触れてみて思った事は……見たまんま、柔らかいという事だった。だけど絹のように手触りが良い。
「なんだろう、落ち着く」
感情の赴くまま、彼の髪の毛の柔らかさを堪能していると、「んん……」とヨシュア殿下が小さく声を出したので、慌てて手を引っ込めた。
「あれ、僕寝てた?」
殿下は頭を何度か振った後、幾分ぼんやりとした目が私に焦点が合うと、ホッとしたように優しく微笑む。
「よかった。まだ君がそこにいてくれて」
何気なく放たれた殿下の本音。それを耳にした私の心に、切ない気持ちが沸き起こる。
なぜなら、そんな事を心配するくらい、私の事を殿下が信用していないということだから。
勿論これは全部、私がとった今までの行いの結果だ。
でもほとんどの人は、この状況で殿下を置いて帰るなんて事はしないだろう。そんな常識的な事さえ疑いたくなるほど、私は殿下に信用されておらず、彼を不安にさせている。
その事実にショックを受けた。
私は落ち込みそうになる心を、これから挽回すればいいと、何とか上向きにし笑顔をつくる。
「流石に、殿下に黙って帰りません」
私は彼を安心させるように優しく声をかける。
「そっか。安心した。あのさ、ここなら人目もないし……その……」
「その?」
何か言いたげな殿下だったが、口をつぐんでしまう。
何だろう?と思っていたら、突然殿下が私の手を強く握った。
直に触れる殿下の手は、意外に大きくて節がゴツゴツとしている。それに手の平には剣ダコがあるのか固かった。
ヨシュア殿下は可愛らしいけれど、やっぱり男の人なんだな。
そんな風に実感した私の頬は、途端に熱っぽくなる。
「誰も見てないから……その、こうして手を繋いでいても良いかな?」
照れた表情でそう言うヨシュア殿下に、私は思わず吹き出してしまう。
「何だよ?笑うなんてひどいな」
「すみません。でも散々バックハグしてきたくせに、手を繋ぐのが、何でそんなに恥ずかしいのかなと思って。順序が違うなぁと思ったらおかしくて」
「それは……今は満月じゃないし、昼間で明るいし。それと教会という場所柄、罪の意識もあるわけで」
口ごもりつつ、言い訳を口にする殿下は、珍しく悔しそうな顔をしたので私はまた笑ってしまう。
「いいですよ、私は。殿下のお望みのままに」
私はそう言って握られた手をしっかりと握り返す。するとヨシュア殿下は、優しく微笑み「ありがとう」と言ってくれたのであった。




