052 王立劇場で6
コリン様にまるで迷子の子どもを預けるかのように、係員に託された私。
その事を不名誉に思いつつも、コリン様に触れられた腕に勝手に愛を感じ、彼が「シャーロット」と私の名を呼び捨てにした箇所の記憶を反復するだけで、今日あった色々を忘れられそうなくらい、幸せな気分になっていた。
そしてさらに私を幸せな気分にするのは、劇場の入り口から各階の観客席、ロビーへと続く優美な曲線を描く大階段の上。約三十メートルの高さの天井に描かれている、音楽の神アポロンのフレスコ画だ。
そもそも大理石が贅沢に使われた、煌びやかな二重の螺旋階段だけでも芸術品だというのに、それに調和したように広がる天井画は、もはや眼福の極み。
そんな中、暇を持て余した私は、入り口近くの椅子に腰を下ろし、自分を保護してくれている係員の男性相手に、フレスコ画についてのうんちくを、つい饒舌になって語っているところだ。
「壁面に石灰と水を混ぜて湿らせた漆喰を塗るんです。その後、顔料を水に溶かして、まだ湿っている漆喰に直接塗り込む。これをすると、顔料が乾くにつれ漆喰に浸透し、絵の具が壁に密着していき、絵として残るわけです。ただし、描き直しや修正が出来ないので、熟練した技術が必要とされているんですよ、フラスコ画というものは」
一気に話し終わり、ふぅとため息をつく。
「シャーロット様は、博識なんですねぇ」
「私は王立美術学院の生徒ですもの。それくらい当たり前ですわ」
私は係員の男性に、自慢げに胸を張る。
「劇場案内係に、是非推薦したいくらいですな」
係員の男性に言われて、私はそれもありかもと思い微笑む。
「残念だけど、彼女は僕のツガイだから……って、君が望めば、劇場案内係の仕事もいいと思うよ」
突然椅子に腰を下ろす私の背後から明るい声がした。
「で、殿下ッ!!」
私と和やかに会話をしていた係員が、椅子から転がり落ちる勢いで立ち上がる。
私も慌てて立ち上がり、自分の髪をサッと撫でつけ整えると、スカートの裾を摘まみ、左足を半歩下げた。そして膝を折ってお辞儀をする。
「やぁ、シャーロット嬢」
声の主に呼ばれ、私は顔をあげた。
「ごきげんよう、ヨシュア殿下。あの、もしかしてそれって」
私はヨシュア殿下の手にしっかりと握られた、白いサテンのイブニングバックに視線を向ける。
「うん、そうだよ。君の大事なものだよね」
ヨシュア殿下が私の前に歩み寄り、バックをこちらに差し出した。
「とられているものはないとは思うけど、一応確認してもらえるかな?」
「はい!」
私は双眼鏡がありますようにと願いながらバックの中身を確認する。
すると中には、皮のケースに入った双眼鏡がしっかり入っていた。同時に、スケッチブックに鉛筆の存在も確認し、何一つ奪われていない事にホッとする。
「ありがとうございます」
私は顔をあげてヨシュア殿下に感謝の気持ちを伝える。
「僕だけじゃ無理だった。殿下とマクシミリアン様がいたから、取り戻せたようなもんだよ」
横からシリルが口を挟む。
「殿下の本気の走りを久々に見ました。その結果、走りではもう勝てないとわかり悔しいです」
マクシミリアン様は言葉とは裏腹に、嬉しそうな表情をみせている。
「敗因は若さだよ、マクシミリアン」
ヨシュア殿下は悪戯っ子のような顔で告げる。
そんな殿下の、大人びた感じでセットされていたはずの髪は、風を受けて乱れていた。
きっと私のために必死に走ってくれたんだと思うと、何だかコリン様に浮かれていた自分が恥ずかしくなる。
とは言え、反省はいつでもできる。
私はしっかり顔をあげ、取り囲むみんなに笑顔を見せる。
「みんな、ありがとうございます。これはバックも双眼鏡も、スケッチブックも鉛筆も、全部私の大事なものだったので、どうやってお礼をしたらいいかわからないくらい嬉しいです」
安堵した途端、何だか嬉しくて涙が出そうになった。慌てて手の甲で目尻を拭う。
「はい、よかったら」
殿下からヌッと差し出されたのはシミひとつない綺麗な白いハンカチ。
その優しさにまたもや涙ぐむ私は、遠慮なく受け取り、ほんわかとしたヨシュア殿下の温もり付きのハンカチで目尻を拭った。
「お礼の件だけど」
ヨシュア殿下が、遠慮がちに口にする。
「君が迷惑でなければ、今度一緒に城下に行かない?」
「城下ですか?」
私は王子殿下ともあろうお方が、そんな気軽に城下をウロウロできるのだろうかと、マクシミリアン様に視線を向ける。
「その点は、お気になさらすに」
もはや阿吽の呼吸といった感じで、マクシミリアン様はいつも通りの返事をくれた。
お気になさらずにと言われてしまえば、断る理由はない。
「是非、喜んでご一緒いたします」
私は笑顔で了承する。
「プランは僕に任せて欲しい。あと、出来れば制服がいいんだけど、駄目かな?」
ヨシュア殿下はなぜか顔を赤らめ、変な注文をつけてきた。
ドレスより脱ぎ着しやすく、動きやすい制服は正直有り難い申し出だ。しかし殿下と城下に行くのに、制服なんてラフなものでいいのだろうか。
しかも私の制服と言えば、美術学院の黒いワンピース。
入学前は、清楚で洗練された印象を与える憧れの黒いワンピースだと信じて疑わなかったそれは、入学後「まるでカラスか魔女のような」と主に騎士学校や女学院の生徒たちに揶揄されている事を知り、ショックを受けた。
それに対し、女学院のグレーの制服は規律正しさと上品さを表現するものとして、主に美術学院の男子生徒、それから騎士学校に通う生徒たちから「品格のある女性像を表現している」と、憧れの的となっている。
その事を思い出した私は、まさかとは思いつつも確認の意味を込めて殿下にたずねる。
「あの、私は美術学院の生徒なので、制服も黒いワンピースですけど、大丈夫ですか?」
「もちろん、制服デートなんだから……あっ」
ヨシュア殿下がしまったという顔をする。
私はといえば、殿下が「制服デート」などと言い出した衝撃に、口をあんぐりとあけて立ち尽くすのみ。
一体いつからそんなお花畑な思考回路を持っていたのかと驚くも、正直私は彼という人間の内面性をあまり知らないという事に気付く。
むしろ私の中で殿下のイメージは、満月の夜に私に発情する変態で、やきもち焼きのツガイという印象。これは今まで彼を軽くあしらってきた事、それから会う日は大抵満月だった事に起因すると思われる。
今まで自分が、どれほど彼に無関心だったかを思い知り、密かに反省した。
「あ、わかった。ミランダ嬢から制服デートが流行ってる話を聞いたんですね?だって僕も制服デートしようって、何人か女学院の子に誘われたし。なるほど、謎は解けた」
シリルは、一人納得したように頷いている。
「シリル、君のそういう冴えた所は嫌いじゃない。でも今は余計なお世話でしかないかな」
ヨシュア殿下がシリルに向かって恨みがましい視線を送る。
「そういえば昔からありました。「今しか出来ないから」と言って、意中の子をデートに誘うんです。私が騎士学校時代は、わりとみんなが使う女性を口説く時の常套句でしたけど、今の時代は女性の方から誘う場合に使われているとは。時代は変わったんですねぇ。感慨深いです」
マクシミリアン様が懐かしそうに目を細める。
そんな彼らの反応に私は驚かされた。私が知らなかった……いや美術学院の女子生徒だけが知らなかっただけで、意中の人を誘う際に、「今しか出来ない制服デート」を常套句とする事が学生の間で流行っているようだ。
「また、仲間はずれ……」
私はクラスメイト達のぶんも、失意にうちひしがれる。
「違うよ!僕が制服で来て欲しいと言ったのは、いつもの君の姿が見たかったからで、別に流行ってるとかじゃないんだ。もちろん友達として」
ヨシュア殿下が慌てて言う。
「まぁまぁ、そんな殿下。照れなくても大丈夫ですって」
マクシミリアン様が生暖かい眼差しで殿下を見る。
「と、とにかく、また日時や場所は相談しよう。シリル経由で連絡するから」
ヨシュア殿下の言葉に、シリルが「了解です」と言いながら頷いた。
何だか良くわからないけれど、殿下が制服がいいというなら、異論はない。
「連絡待ってます。それと、とても楽しみです」
私は笑顔でヨシュア殿下に告げる。すると彼はホッとしたように微笑んだ。
そんなヨシュア殿下の笑顔を見て、私は今まで彼にした数々の仕打ちを心の底から反省し、これからは、今はまだツガイである彼のことを、きちんと知ろうと思ったのであった。




