046 修羅場に突入
色々とよからぬ誤解を生みそうな『婚約破棄をしたいと願う伯爵令嬢の事件簿』という小説を、ヨシュア殿下の目に晒したくないと焦った私は、彼の伸ばした手より先に、小説をベッドの上から奪い取る事に成功した。
しかしその勢いで、せっかく裏返しておいたスケッチブックがひっくり返り、こっそり描いたコリン様の絵を殿下に見られてしまうという、本末転倒な事態に見舞われてしまう。
そして部屋に流れる、何とも言えぬ気まずい空気。
「……その絵は?」
「な、何でもありません。ただの落書きですから、どうぞお気になさらず!」
私は慌てて絵を隠そうとするが、殿下は素早くスケッチブックを私の手から取り上げる。
「君はまさか、コリン・ウィンドリアが好きなの?」
ヨシュア殿下は、私の描いたコリン様をわざとらしくこちらに向け、探りを入れてきた。
「いえ、違います!」
私は殿下から奪うようにスケッチブックを取り返すと、パタンと閉じ胸に抱える。
「これは誤解です。殿下の思い込みですから」
必死に弁明するけれど、殿下は厳しい表情のまま。
「でも、彼のことが好きだから君が常に持ち歩くそのスケッチブックに描いたんだよね?」
確かにその通りだけれど、認めるわけにはいかない。
「そ、それは私じゃなくて‥‥えっと、そう。友人のジ、ジュリエットが描いたものなので、断じてコリン様のことを思って描いたわけではないんです。信じてください」
私は必死に訴えた。すると殿下は訝しげな表情になる。
「友人?大事なスケッチブックに友人が絵を描く?そんなことってある?」
「えっと、た、たまに。上手い人に絵を描いてもらうと参考になりますので。後で見返して、なるほど、ほうほうと、さ、参考になるんです」
私はもはや嘘をつく人形だ。だって、口にした事の半分が嘘だという状況だから。
「マクシミリアン、経験豊富な君から見て、この件をどう思う?」
ヨシュア殿下は神妙な面持ちで問いかけた。
あろうことか、現在二十三歳。大人の色香が立ち込めるマクシミリアン様まで、この修羅場の巻き添えにするつもりらしい。
なんて鬼畜な!
そう思いヨシュア殿下を睨みつけようとし、やめた。
なぜならこうなったのは、全部私のせいだから。
私はヨシュア殿下を見習い、神妙な面持ちでマクシミリアン様における大人の見解を待つ。
「そうですね……。浮気が見つかった令嬢の反応そのものですね」
「ええ!?」
私は思わず声を上げた。するとマクシミリアン様は、ニヤリと不敵に微笑んだ。
「まず、スケッチブックを殿下に見られてからのシャーロット様には、声の震えや言葉の詰まり、不自然な言い回しなどが見られます。これは動揺し、焦っているという何よりの証拠です」
スラスラと述べるマクシミリアン様。
「確かに、いつもは堂々と言わなくてもいいことまで発言するのに、今日は随分と慌てているね。そもそもスケッチブックはアイデアの宝庫なんだよね?だとしたら他人には見られたくないものである可能性が高い。となると、友人が描いたものだという説明に無理があるようにも思える。それにこの柔かい鉛筆の線とか、瞳の描き方とか、僕の肖像画に似てるし」
殿下とマクシミリアン様の鋭い観察眼に、私はぐうの音も出ない。
「極めつけは殿下の発したコリン様に対する「好き」という単語に過敏な反応を見せたことです。シャーロット様は通常、殿下が発するその言葉に対し、困った様子で無反応気味に流しますから」
マクシミリアン様は私に厳しい視線を向けた。
私はもう立つ瀬がない。
「……そうだよね。確かにそうだ」
ヨシュア殿下が「はぁ」と、大きく溜息をついた。
「ねぇ、シャーロット嬢。そんなに僕の事が嫌いなの?」
ヨシュア殿下に悲しげな表情で見つめられると、私まで胸が痛む。
私はこれ以上の隠し事は無理だと観念した。
「嫌いじゃないです。でもコリン様のことは素敵だなと思ったんです。それこそ、殿下が私にかけて下さる言葉のように、苦しくて、切なくて、でも、一緒にいるとドキドキするし、素敵だなと。たぶんこれって恋ですよね?」
思わずマクシミリアン様にたずねる。
「残念ながら、恋ですね」
マクシミリアン様は苦笑いしながら、私の気持ちを肯定してくれた。
「でも、シャーロット嬢は僕のことを嫌いじゃない……あっそうか。僕の体が目的だって、さっき言ってたもんね」
ヨシュア殿下は一番大事な部分「探究心的な意味で」を省き、まるで私が変態かのように口にし納得している。
「悔しいけど、僕に足りない大人の色気や余裕をコリンは持ってるし。それに見た目も悪くない。何より彼は君が一番大事にしてる絵を描く事に関して優秀で、知識も豊富だ。君がなびく気持ちはわからなくもないよ」
ヨシュア殿下は怒るでもなく、諦めたような表情でコリン様のいい所を口にする。
その姿を見た私は、たまらず口にする。
「殿下の見た目は好きですよ?」
本当は、意外に筋肉質な所も好ましいと感じている。でもそれは、口にするとまた「体目的の変態」だと思われそうなので、心に留めておく事にした。
「外見は、か。そうだね、その点だけは手放しでみんなから良く褒められるよ」
殿下は私のフォローに自嘲的に微笑んだ。
どうやら私は、励ますつもりが完全に間違えたらしい。
「そもそも、シャーロット嬢の好きなタイプってどんな人なの?」
ヨシュア殿下がついでと言った感じで聞いてきたので私は、素直に答える。
「私の好きなタイプは……いつも堂々としていて、優しくて、頼りがいがある人です」
浮かんだ事を口にした。そしてすぐにしまったと後悔する。
「僕と正反対みたいだ」
案の定ヨシュア殿下はわかりやすく肩を落としてしまった。
「で、でも殿下は誰よりも優しい方だと思います」
「ありがとう」
礼を口にしつつもかなり意気消沈した様子で、ついに遠い目になってしまうヨシュア殿下。
こうなってしまうと、どうしていいか分からない。
私は口を紡ぐ事で反省を示そうとしたのだけれど。
「お話の途中失礼します、一ついいでしょうか?」
マクシミリアン様が、顎に手を当てながら誰ともなくたずねる。
「全然いいですよ」
意気消沈しうなだれるヨシュア殿下の代わりに、私が答える。
「今回ミランダ嬢にツガイとなる痣が発見された。けれどそれは王妃殿下と看護師数名が確認したのみです。となるとミランダ嬢の痣が偽物である可能性も残されているのではないでしょうか?」
「え、そうなんですか?」
私は素直に驚く。
「でも母上には自分にも父上と揃いの痣があるのだから、間違えないよ」
「しかし、王妃殿下ですよ?」
どうやらマクシミリアン様は恐れを知らないらしい。
不敬全開な発言をした。
王宮に誓いを立てた騎士なのに。
「……確かに。母上は時折余計な事をする癖がある」
殿下は妙に納得した感じで頷いている。
「もしミランダ嬢の痣が、偽物だったとして。では一体どこで、ヨシュア殿下と揃いの痣の形に関する情報を仕入れたのか。その犯人に心当たりがありますか?」
まるで私が漏らしたかのように、マクシミリアン様が鋭い視線をこちらによこす。
「私は誰にも話してません」
慌てて無実をアピールする。
「でも、君の友人。シュタイン伯爵家のジュリエット嬢は気付いたんだよね?」
「でも彼女は誰にも伝えないと思います。幼馴染だし、そもそも唯一無二の親友なので、流石に裏切るとは思えません」
私はきっぱり断言する。
彼女が私を裏切るようなことがあれば、私は世界の誰もが信じられなくなる。
「君がそこまで言うなら信じる。でもかぶれてきて、最近はずっと首元を露出していたよね。クラスメイト達は痣の事について、何か言ってこなかったの?」
「クラスメイトたちはこの痣を、ヨシュア殿下とのアレコレで自暴自棄になった私が、入れようとして失敗したタトゥーだと思っています」
自分で証言し、とても悲しくなった。
「他には、シャーロット様の周囲でその痣に気付いた人はいないのですか?」
マクシミリアン様に問われ、私の脳裏にコリン様の顔が浮かぶ。
彼は私の痣のことを知っている数少ない人だ。けれど彼は自分で気付いたのであって、私から肯定する言葉は言っていない。
それにコリン様の事を話せば、こっそりアトリエにお邪魔して、二人きりになった事も知られてしまう。
保身の為にも、そしてコリン様のためにも、それだけは絶対阻止したい。
「他には特に気づかれていませんね」
私はあっさり嘘をついた。
「だとすると、一体どこからその情報が漏れたのか……」
どうやらマクシミリアン様は、ミランダ様の痣を偽りの物だと疑っているようだ。
「今君は、僕に何の反応も示していない。けれど、君の痣は僕のツガイである証拠だし、僕は君を魂レベルで求めているのも事実。だとすると、いずれ君だって僕が感じる気持ちを抱く可能性がある。それは理解してるよね?」
ヨシュア殿下に真剣な表情で問われ、私は頷く。
確かにその可能性はないとは言い切れない。なんせ私は今まで未知のものだった「恋」というものを知ってしまったから。
相手は残念ながらコリン様だったけれど、一度開かれた誰かに恋する心の扉は、きっともう二度と閉じることがないだろう。
だってこうしてる今だって、彼を想うと様々な感情が自然と湧き起こるのだから。
「今は無理かも知れない。けれど、僕と君は未来永劫恋人になるんだよ。だってツガイだから。そうだよね?」
殿下は試すような瞳で私を見つめる。
「……今はまだ良くわかりません」
私はそう口にするのがやっとだった。
「なんか辛いな……でもそれも自業自得なんだよね。僕に魅力がないからだし」
ヨシュア殿下は溜息を漏らすと、ガックリ肩を落とした。そして落ち込んでいるのかと思いきや、すぐに顔を上げて私に向き直る。
「シャーロット嬢。君が僕を迷惑だと思う気持ちは良くわかった。でも、僕はツガイである君を手放す事は出来ない。だから申し訳ないとは思うんだけど、今まで通り、友達……体目的の友人でいいから、僕と会って欲しい」
爽やかさ全開でお願いされてしまい、私は「だから体目的じゃないし」と指摘するのも馬鹿らしくなり、素直に頷く。
それに、急にツガイだの恋人なんていうのは無理だけれど、友達なら大歓迎だ。
「まずはお友達からなら、私も願うところです」
「そうだね。僕と君は一度関係をリセットした方が良さそうだ。それと……」
殿下は何か思案した後で、信じられない言葉を口にした。
「ミランダ嬢が本当に僕のツガイなのかどうか。それを確かめるためにも、僕は彼女とも距離を縮める努力はしてみる。もちろん気はすすまないけどさ。君がそう望むなら頑張るよ」
ヨシュア殿下は誰もが見惚れる完璧な笑顔を見せた。そして殿下は続けた。
「もちろん僕は君を蔑ろにするつもりはないから安心して欲しい」
「……わかりました」
私はモヤモヤした気持ちのまま頷いた。
だってこのタイミングであんなに嫌がっていたミランダ様のことを気にかけるだなんて……なんだかまるで私よりも彼女を取る事が決まっているみたいだと思ったから。
もちろんそれをさっきまで望んでいたのは私だ。
なぜなら、彼はツガイだからという理由で当たり前のように、私が彼を受け入れると思っている節があった。それに対し私は、好きでもない相手とツガイだという理由だけで、行動が制限されることを迷惑に思っていたから。
けれど、私にしてきたような事をミランダ様にも試してみる。そんなふうに言われると、どこか嫉妬に似たような気持ちが心に沸き起こる。
どうしてそう思うのか分からず戸惑う私を尻目に、ヨシュア殿下は一仕事終わったという感じで、晴れやかな表情をみせている。
それもまた、なぜか焦る気持ちに拍車をかける。
「殿下も、ちゃんと成長されているようで、良かったです」
マクシミリアン様の殿下を褒める言葉が、妙に私の胸に刺さるのであった。




