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045 現れた痣2

 ヨシュア殿下のツガイの座を虎視眈々と狙う、マーシャル商会のミランダ様。ついに彼女の熱い想いが神に届いたのか、彼女の胸部にもヨシュア殿下のツガイを示す紋章のような痣ができたらしい。


 問題はその痣が出来た場所が胸部であるということ。


 なぜなら、男性であるお医者様や陛下。それから殿下自身も流石に、目視で確認することが出来ないからだ。


 その結果、王妃殿下と女性の看護師が確認する事になり、無事に本物であると認定されたそうだ。


 以上の事を猫のひたいほどしかない、狭い自室で知らされた私は思った。


 ミランダ様がツガイであれば、私はもういらないのではないだろうかと。


 だったら喜んでツガイを辞退しますと告げたい。


 けれど、ヨシュア殿下はそうなる事を見越してか、私を手放すつもりはないというニュアンスの言葉を、開口一番こちらに伝えてきていた。


 となると現状、ヨシュア殿下に対してツガイが二人という異常事態が起こっている事になる。けれど、我が国は一夫多妻制ではない。


 つまりこのままだと、ミランダ様か私のどちらかが殿下の愛人になるという事になる。


 そこで私は、膝を突き合わせたヨシュア殿下に「愛人にするつもりか」と迫ってみたわけだ。


「まさか、そんなことするわけないだろう」


 ヨシュア殿下は私を睨む。


「でも、現実問題としてミランダ様にもツガイの痣が出現したなら、殿下はどちらかを妻に選ばなければいけないんですよ?」


「君はどうしてそんなに酷い事が言えるの?」


「現実に迫る問題だからです」


 甘ったれるなという気持ちで告げた。


 ヨシュア殿下は自分の事でいっぱい、いっぱいなのかも知れない。


 けれど殿下の判断一つで、いつも巻き込まれるこっちの身も少しは考えて欲しいと思う。


「……でも、僕の一番は君だよ。ミランダ嬢には悪いけど。彼女の事は好きじゃない。だから選ぶも何もないだけど」


 頑なにミランダ様を拒むヨシュア殿下。しかし、それだと困ると考えた私は焦る。


「そもそもミランダ様の痣は、本当に殿下のツガイを示す模様だったんですか?」


「母上によると、そうだって言ってた。けど、君に感じる切なくて、苦しくて、ずっと側において置きたいし、見ていたい。そういう気持ちは彼女に一切湧かないんだ。だから僕だって、何で彼女に痣が出来たのかよくわからない」


 ヨシュア殿下は、いつも通り私への想いをはっきりと告げ、ミランダ様に対する想いはきっぱりと拒絶している。


 私が殿下にきちんとツガイ反応を起こしていたら、今すぐ私の乱雑なベッドに彼を押し倒したいくらい、嬉しい言葉だろう。


 けれど私は未だ殿下に対し、コリン様に抱くような気持ちが湧かないのも事実。


 だとすると、ある意味ミランダ様に痣が出来たという今の状況は、私にとって殿下に目を覚ましてもらういいチャンスなのではないだろうか。


「では、一旦落ち着いて考えてみましょう」


 私は混乱した様子の殿下を宥めるように、出来るだけ優しい笑顔を作る。


「そもそも私と殿下は、求め合っているのでしょうか?」


「僕は君の事を求めているけど、君のほうは、そうでもない」


 殿下は私から視線を反らし、乱雑な私のベッドに顔を向け正しい情報を口にする。


 出来ればベッドの上は見ないで欲しいと願いつつ、私は話を先に進める。


「つまり、殿下は私をツガイだと思っている。けれど私はツガイだとは思えない。そしてミランダ様は殿下をツガイだと思っている。けれど殿下はツガイだと思えない。つまり今、そういう状況だということですよね?」


「まぁ、そうなるのかな」


 ヨシュア殿下は微妙な表情をしつつも、何となく納得してくれたようだ。


「だとしたら、私が殿下に対する気持ちも、とても複雑だということをわかって頂けないでしょうか」


「うっ」


 ヨシュア殿下は言葉に詰まる。


 私はここが正念場だと、心を鬼にして伝える。


「だから一度、ミランダ様で試してみるのはいかがでしょう」


「……試すって何を?」


「私との諸々を白紙にもどし、ミランダ様と向き合って見るということです」


「馬鹿言うな!」


 ヨシュア殿下は珍しく声を荒らげ、椅子から立ち上がる。私はそんな殿下に驚き、怯みつつ、ここは頑張りどころだと負けずに声をあげる。


「落ち着いてください。殿下は私をツガイとして大事に思って下さっています。それは充分伝わっています。でも同じようにミランダ様が殿下を思う気持ちがツガイから来るものだとしたら、あなたは彼女の真剣な気持ちを理解できるはずですよね?」


 懸命にヨシュア殿下の良心に訴える。


 なぜなら、殿下が押しに弱い事は知っているし、本当に優しい人だという事も理解しているからだ。


 そう、殿下は本当にいい人だ。


 けれど、だからこそ早めに辞退したい旨を匂わせておくべきだと思った。


「それはそうだけど……でも、君はそれで平気なの?」


 我が家のどこにでもありそうな椅子に、優雅に腰を下ろすヨシュア殿下。そんな彼の声が落ち着いたものとなり、私はホッとする。


「一度は殿下のツガイ認定されているわけですし。平気ではないです。でも今のままでは、殿下もミランダ様もどちらも傷つくことになるし、それは私も望んでいません」


 私は彼の美しい青い目を見て、もっともらしく伝える。


 正直なところ私は平気だと思う。なぜなら、ヨシュア殿下のツガイと公に判明されてから、良くも悪くも色々言われているから。これ以上悪評が増えたところで、多少傷付くかも知れないけれど、その後自由になれるのであれば我慢できる。最悪隣国に逃亡し、向こうで絵を描けばいいとすら思っている。


「あ、でも先立つお金が……」


 生活するにはどうしたってお金がいる。しかも絵を描く事で収入を得るためには、もっと有名になり誰かに認めてもらう必要がある。


 有名になるには、時代のニーズにあったテーマで、尚且つ、万人受けするような作風の絵を描く必要があるかも知れない。そうなると、自己表現したいと願う気持ちを犠牲にするしかない。


 だとすると、「自由に題材を選択したい」と思い、ヨシュア殿下のツガイを辞退したいと願う、私の本来の趣旨からだいぶズレてしまうのではないだろうか……。


「よくわからないけれど、お金については心配しないで」


 ヨシュア殿下は私に優しい笑顔を向けてくれた。


「君が望むなら僕はどんな事でもする。もちろん支援は惜しまないつもりだよ。僕は絵を描く君が好きだから」


 その目は真剣で、私をとても大切に想ってくれている事が伝わってくる。だからこそ、私がその想いに答えられない事が苦しい。そして、苦しみから逃げたいと願う私は、やっぱりツガイでなければという考えに行き着いてしまう。


「あのさ、本当に君は僕のことを何とも思わないのかな?」


 ヨシュア殿下は、はちみつ色をしたツヤツヤとした前髪の隙間から覗く、青い瞳には、深い悲しみが心の奥底から溢れ出ているような、そんな切なさを感じる。


 それはまるで雪深い山の頂上に立つような孤独に包まれたもので、周囲には誰もいない寂しい風景が広がっているように、私には思えた。


 そんな気持ちをまともに受けた私は、はっきり拒絶する事が出来なくなってしまう。


「何とも、思わないわけでは……ないです」


「じゃあ、僕の事を好きだと僅かでも想ってくれてる?」


 縋るような目で見つめられて、私は言葉に詰まる。殿下の気持ちに応えられる言葉を返したいのに、わからない。


 だからこそ逃げたい。けれどそれは無理そうで。


「……ごめんなさい」


 自分の気持ちを誤魔化すように微笑んでみせるけれど、殿下の表情は全く晴れないどころか曇っていくばかり。


「どうして? 僕と君はツガイだ。だから想いが通じ合うはずだろう?」


 そんな切なそうな瞳で見つめないで欲しい。


「確かに私は殿下を嫌いじゃないです。でもそれは裸を見たいという探究心から来る欲求よりのもので、恋人同士が感じる感情とはちょっと違う種類なんだと思います」


 私はせめて正直であろうと、今まで隠していた気持ちを告げた。


「……っ!」


 ヨシュア殿下は瞠目している。そして深く傷ついたような表情を見せた。


「やっぱり君は、僕をそんな目でしか見ていなかったの?」


「ごめんなさい」


 私はもう一度、殿下の目を見てはっきりと告げた。すると彼は、私から視線を外し俯く。


「お気持ちは嬉しいです。でも、ミランダ様にもチャンスをあげるべきだと思います」


 私はここぞとばかり、念押しをする。もはや自分が悪魔になった気がする。


「……ねぇ、それはなに?」


 ヨシュア殿下が険しい表情で、私のベッドの上に視線を向けている。その視線の先にあるのは、愛用のスケッチブックの下から、いつの間にかはみ出た、『婚約破棄をしたいと願う伯爵令嬢の事件簿』という大変誤解を生みそうな小説だ。


「ちょっと確認していいかな」


 殿下が問題の小説に腕を伸ばす。


「女性向けですし、殿下が読んでも全然おもしろくないかと」


 私は焦って殿下の指先が触れた小説を横からサッと奪い取る。


 その瞬間、裏返してあったスケッチブックが無惨にひっくり返った。


 そこに現れたのは、今日の午後に私がついうっかり描いてしまったコリン様。


 ラフとはいえ、誰がどう見ても彼だとわかってしまうレベルのコリン様だ。


「一体どういうこと?」


 終わったと、私は青ざめる。


 内心私は何でこうも絵が上手いんだろうと自分を恨む。と同時に、自分の絵の腕を恨んだのは、十六年生きてきて初めての経験で、今この瞬間、素直に自分の腕を「上手い」だなんて認める事が出来るのは、日々描き続けてきたからであり、やはり続ける事は無駄じゃなかったんだなと、現実逃避しかけるのであった。

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