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041 ツガイ制度への不満

 ヨシュア殿下に監視されつつ、コリン様のアドバイスと部屋と絵の具チューブを借り、私は無事にコンクールに出品する自画像を完成させる事に成功した。


 完成したのは、キャンバスの中央に正面を見て立つ私の全身が描かれたもの。美術学院の黒いワンピースを着た私の左手にはパレットが握られ、筆を持つ右手はだらりと垂れている。


 私の顔は、一度緻密に描いてからわざとへらで削った状態で、使用した色も普段はあまり選ばない、深みのある色ばかり。


 その結果、全体的に落ち着いた、というよりはどこか仄暗さを感じる仕上がりとなった。


 いつも描く軽やかな絵とは正反対。不透明で暗い絵の具だけを使い、荒々しく感情をぶつけた作品に仕上がったのは、死を題材にするコリン様の影響を受けたから。


 それと圧倒的に時間がなく、背景などを描く事が出来なかったからでもあるけれど。


 もしこの絵に背景を書き込む時間があれば、もう少し明るい作風になったかも知れない。


 けれど私は仄暗いこの作品が嫌いじゃない。陰鬱に見える絵かもしれないけれど、今の内なる自分は、悩める自分が占めている割合が大きい。


 そしてそれを打開したいと願っている。


 自分の本音に気づけたからだ。


 だから、暗めの配色になってしまった自画像に、別に自虐的な意味を込めたつもりはないし、むしろ描ききった私と感じている。


 顔を消したのも、前に進みたいからだ。


 いつまでもくよくよ悩まず、過去の自分は消すという意味合いで削った。


 色々あったけれど、何とか持てる力を出し切りコンクールに作品を無事提出できた。


 提出した日は、達成感と共に一気に疲労が体に押し寄せた。そのせいで私は、死んだようにベッドに横になり、次の日学院に遅刻する羽目になったくらいだった。




 ◇◇◇




 現在コリン様のアトリエに向かっているところだ。


 なぜなら、私のラフスケッチをあと数枚描きたいとコリン様に頼まれたからだ。


 そもそも、絵画のモデルとされる人物は、常に画家の側にいる必要はない。実際多くの場合、モデルに一時的にポーズをとらせたり、気に入ったポーズの写真を撮影し、そのあと画家がそれらの資料を元にして絵を描くことが一般的だ。


 だからすでに私はコリン様に写真を提供したし、何通りかポーズもとらされた。

 けれど顔の表情をもう少し確認したいとの事で、今日はお呼ばれした。


 そして、今日の件をヨシュア殿下に伝えたところ。


『もう行く必要ないんじゃないかな?君の作品は完成したんだし』


 明らかに難色を示していた。しかし、元々モデルになる事が条件で私は、貴重なチューブ入り絵の具をわけてもらったという経緯がある。よって、中途半端な状態で投げ出すわけにもいかない。


『でも、あと一回だけってお話でした。色々お世話になったので、きちんと最後までモデルとしての責務は果たしたいんです』


 私はヨシュア殿下に嘘泣きで訴え、何とか今日だけコリン様のアトリエに行くことを許してもらえた。


 そもそも、私にとってコリン・ウィンドリアという画家の存在は、重要な刺激源や学びの場を提供してくれる師という存在だ。それは自身の絵画活動の向上や成長を図るものであり、正直ヨシュア殿下より今の自分にとって、大事な存在だと思っている。


 だからいちいち彼の元を訪問する事をヨシュア殿下に報告し、難色を示される事をつい煩わしく思ってしまう。


 自分にツガイが見つかる前は、心のどこかで運命の人と結ばれるなんてロマンチックな事だと思っていた。けれど今の状況になって感じるのは、ツガイという制度に対し、正直面倒でありがた迷惑だと思う気持ちだ。


 それもこれも、私が殿下に対し心が反応しないのが悪いという事は理解している。


 私だって出来れば殿下のように早く心がツガイ相手に一途になれればいいのにと日々願っている。それでも今の私に出来ることは、漢方という苦い薬を毎日飲む事くらいしかない。


 そこまでしても自分の気持ちに何の変化もないのだから、ツガイの制度を面倒だと感じてしまうのは、仕方がないというもの。


 因みに本日、コリン様のアトリエに行く私の同伴者はジュリエット。

 ヨシュア殿下は本日満月の為、私とは会えないからだ。


 しかし、授業を終えてコリン様のアトリエに向かおうとしていた私たちを担任のダミアン・パーカー教授が呼び止めた。


「コンクール事務局から連絡があってね。君の提出した作品に一部、独特な絵の具の剥がれがあるようだ。絵の具の不具合なのか、郵送の際の不具合なのか。出来れば今から確認して欲しいと連絡があったんだ」


 ダミアン教授は焦った様子でジュリエットに告げる。


「私の作品に剥がれですか?どの程度なんでしょう?修正する事は可能なんですか?」


 青ざめた様子でジュリエットが矢継ぎ早に質問し、教授に詰め寄った。そんなジュリエットの隣に立つ私は、彼女の気持ちが痛いほどよく理解できたので一緒に青ざめる。


「詳しい事はわからない。けれど向こうは今日中に確認してくれれば、修正したものを受け付けると言っている」


「今日中にですか?」


 ジュリエットは私をチラリと見て、困惑した表情になる。これから一緒に向かうはずの予定を思い出してくれているのだろう。


 もちろん私の用事より、作品の方が大事に決まっている。


 私はジュリエットに「こっちは大丈夫」と大きく頷く。


「急で悪いが、そもそも郵送中の破損でなかった場合、既に市販された絵の具チューブに不具合がある可能性も考えられる。そうなると回収だ、賠償だと色々手間も時間も代金もかかるだろうしな。先方としては、君の作品に起きた剥がれについて原因の特定を早急にしたいのだろう」


 教授の言葉を聞き、なるほどなと思う。


 もし著名な画家が依頼品に対し、すでにその絵の具チューブの色を作品に使用していた場合、ボロボロと剥がれてくるような事があれば大問題だ。


 何故なら、同じものを描く場合でも、環境や気分の変化、技術の向上などによって、作品は異なるものになる可能性があるから。


 端的に言えば、完全に同じものを作成するのは難しいということ。


 だからこそ、絵画は芸術作品と言われるのであって、たとえ同じモチーフを同じ画家が描いても、一枚一枚、独自の価値と特徴を持つことになるというわけだ。


 それに絵の具チューブは、マーシャル商会が力を入れている商品だ。


 使い捨てで、しかも持ち運びに便利な絵の具として革命的な商品。値段さえ抑える事が出来たら、この先爆発的に売れると私ですら想像がつく。


 現に、発売記念パーティーは豪華なものであったし、今回コンクールも開催している。つまりマーシャル商会は絵の具チューブの販促に相当お金をかけていると言える。


 それが意味することは、将来的に儲かる事がすでに目に見えている商品だということ。


 そんな期待する自社商品の不具合疑惑とあれば、すぐに確認したいと思う気持ちはわからなくもない。


 だから、「今すぐ来て欲しい」なんて、そんな無茶振りをするのだろう。


「私の作品だけ、不具合が起きたのですか?」


「残念ながら、今のところそうらしい」


 教授が、申し訳なさそうにジュリエットに告げた。


「色は何色とか、聞いてますか?」


 私は気になった点をたずねた。


「いや、特には言ってなかった。そうだな、そこは聞けばよかったな。どこが剥がれたのかも聞くのを忘れた。どうやら私は頭が回ってなかったようだ」


 ポリポリと頭を搔く教授。


 私はその姿を眺めながら、「だとすると郵送の際に起きた事故」の可能性が高いだろうと内心思う。


 その場合、保険に加入していれば後で運送代が戻ってくる可能性もある。しかし、それでも仕方がなかったとは思えない。剥がれ落ちた部分を修正したとしても、元通りの絵にはならないからだ。


「今から向えば、修正してもいいんですよね?」


 ジュリエットが再度確認する。


「あぁ、そうらしい」


 教授が頷く。


「ジュリア、私は大丈夫。だから行ってきて」


「でも……」


 ジュリエットが心配そうに私を見る。


「大丈夫、別の日にしてもいいし。だからこっちは気にしないで。ほら早く」


 私が笑顔で告げると、ジュリエットは心配そうな顔をしながらも頷き返す。


 今は緊急事態だ。

 もし修正できるなら、審査が始まる前に何とかしておく方がいいに決まっている。


 ジュリエットがこのコンクールで入賞したいと、今回の自画像の作品に特に力を入れていた事を知る身としては、最大限今できることに全力を尽くして欲しいと思う。


「わかったわ。ありがとう」


 覚悟を決めたような表情をしたジュリエットは、私に力なく微笑む。


「頑張って」


「うん、シャーリーも」


「了解」


 お互い無事を祈るように、肩の高さで手の平をパシンと合わせる。

 それから、ジュリエットは教授と共に足早に去っていった。


「さてと、どうしよう……」


 通常であれば、相棒であるジュリエットを失った今、コリン様の家に行く選択は断たれた。


「でもな、私は縛られたくないし、自由に生きたい」


 なんとなくツガイ制度に対する日々の不満がたまっていた私は、たとえ一人だったとしてもコリン様の元に向かう事を選択する方向に、すでに気持ちが動いていたのであった。

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