040 中途半端なツガイ
学院長に諸々の事情を説明し、私は「しばらく休んで良い」という許可をもらった。
すんなり許可をもらえたのは、私がヨシュア殿下のツガイだからのようだ。
「ヨシュア殿下のツガイであるあなたに何かあれば、陛下に申し訳が立ちません。ですから、この件が解決するまで、自宅待機で様子見するのが良いでしょう」
学院長は、むしろそうしてくれと言わんばかり。
私が学校を欠席する事を告げるとホッとした表情を見せていた。
この件を通し、世間からみたらもはや私は、シャーロット・バーミリオンではなく、「ヨシュア殿下のツガイ」だと認識されてしまっている事を痛感した。
「十六年かけて培ってきた全てが私なのに」
私は一人、心にぽっかり穴が空いたような感覚に陥るのであった。
◇◇◇
学校を堂々と欠席し、コリン様のアトリエでひたすら自画像を描く日々を送ること六日間。
作品締め切りまで、残すところあと僅かとなった私は、最後の追い込みのため朝からコリン様のアトリエを訪れていた。
そして没頭する間に、気付けば日が暮れ始めていた。
夕暮れ時の静かなアトリエの中、私は筆を手に、椅子に座ったままキャンバスを見つめていた。私の隣にはコリン様が座っており、私が描き上げた自画像をジッと見つめていた。
「もう少しここの部分、肩の部分の輪郭を強調してみてはどうだろう?」
「こんな感じですか?」
色乗せの最終段階。緻密な仕上げ作業を行っているため、私は神経を集中させ、静かに筆を動かす。
「そうだね。もう少し」
私に説明しながらコリン様の大きな手が私の手首に触れた。それから私が筆を持つ手を包み込む。
「コホン!!」
後方からわざとらしい咳払いが聞こえた。
私はため息をつきそうになるのを何とか堪える。
「コリン様、ええと」
「あぁ、ごめん」
コリン様の手が私の手から離れていく。
それを少し寂しいと思う自分がいる。
「つい、君に教えてあげたくて。何も考えず触れてしまった。ごめんね」
「ですよね。コリン様は全然悪くないです。こちらこそ申し訳ありません」
私はコリン様にさりげなくいちゃもんをつけた張本人の顔を拝もうと、くるりと背後を振り返る。
するとそこには、我関せずといった感じ。長い足を組み、涼しい顔で手にした本に視線を落とすヨシュア殿下の姿があった。
私の視線に明らかに気付いているくせに、完全に無視を決め込んでいるところが頂けない。
「もうっ、別に本人が来なくてもいいのに」
私はさりげなく抗議し、再び前を向いて絵に集中する。
「ここも瞳孔をもう少し黒く塗り、周りを明るめに仕上げると、より深みのある瞳になるはずだ。だからここの線を――」
コリン様が私の肩越しに手を伸ばしてきたその時だった。
「紳士淑女のルールによると、公的な場における男女の距離には、社交上のルールが存在している。一般的に、男性が女性に接近しすぎるとその女性の評判に傷がつく可能性があるため、一定の距離を保つことが求められている……マクシミリアン。君はこのことを知っているかだろうか?」
「もちろんです」
またもや、背後から嫌味っぽい言葉が飛んできた。しかも今度は、私を監視するヨシュア殿下を警護するマクシミリアン様まで巻き込んで。
しかも満月になるたび私にバックハグをした殿下が「女性の評判に傷がつく可能性があるため、一定の距離を保つ」だなんて、自分のことを棚にあげすぎだと思う。
「もはや、邪魔でしかないんだけど……」
「ふふ、君の事が心配なんだろうな。殿下は意外に嫉妬深いようだね」
私の呟きに、コリン様が楽しげに笑いながら小声で答えてくれた。
コリン様のそういう大人の態度だけが、つい荒ぶりそうになる私の心の安定剤だ。
「まぁ、ツガイみたいですから」
半ば諦めの境地で告げる。
「らしいね。ちょっとからかってみようかな」
「え?」
コリン様は意味ありげに微笑むと、私の肩越しに腕を伸ばす。そして再び私の手を握りしめた。
「コ、コリン様!?」
流石に先程注意されたばかりだしと、私は動揺し声を上げる。
「あのさ、距離感おかしいよね?そもそも彼女は私のツガイだ。無闇矢鱈に触れないでくれる?」
不機嫌全開の雰囲気そのまま、私の元にやってくるヨシュア殿下。そして筆を持った私の手をしっかり握ったコリン様の手を乱暴に払った。
「もう完成でいいんじゃないかな?乾燥時間を考えたら、もう仕上げないとなんだろう?」
眉間にシワを寄せたヨシュア殿下の口から、低い声で告げられる。
「確かにそうですけど、まだ細かい修正は残っていますから」
私はまだ完成していないとアピールする。
「この状態で仕上げるのは勿体ないしね」
コリン様が私に加勢し、負けじと殿下に言い返す。
「ならば早く終わらせるよう、コリン、君はさっさと手助けすべきじゃないかな」
殿下はムッとした顔でコリン様に言い放つ。まるで作業が進まないのはコリン様のせいと言わんばかりだ。
「言われなくともそうするつもりですし、シャーロット嬢も頑張っている。けれど先程からちょくちょく邪魔が入るので難航中なんですよ?」
コリン様はケロッとした顔で言い返す。
二人の睨み合い……といってもコリン様はこの状況を楽しんでいるので、口元に僅かな微笑みが浮かんでいる状況ではあるけれど、ヨシュア殿下はムッとした表情で明らかに気分を害している様子。私はそんな二人を見て、そっと息をつく。
独身の男女が二人きりは社会的に良くないこと。それは重々承知している。それに、殿下が私に執着するのはツガイを奪われたくはないという、本能のせいであって彼のせいではない。
それは理解している。しかし、正直に言わせてもらえば今のヨシュア殿下は、制作の邪魔でしかない。
「もうっ、いい加減にしてください」
私は遂に筆をおき、椅子から立ち上がった。するとお互い顔を向け合っていたヨシュア殿下とコリン様の視線が一気に私へと集まる。
「いい大人が何をやっているんですか?私は殿下のツガイです。だから逃げも隠れも出来ません。それなのにいちいち嫉妬するのやめてもらえます?」
「いい大人……確かに僕は大人だ。ごめん」
私の怒りにヨシュア殿下が怯えた様子で謝罪の言葉を口にした。
「あとコリン様。私に指導して下さるのは本当に感謝でしかないのですけれど、殿下を苛立たせるような事をわざとするのはやめて頂けると助かります」
私は次にコリン様に畏れ多くも意見する。するとコリン様は楽しげな表情を浮かべ、そっと私から距離を取ってくれた。
「全く……大人げないですよお二人共」
言える立ち場ではないと思いつつも、思わず呆れた声を漏らしてしまう。
「大人げないとは聞き捨てならないね。少なくとも私は君たちよりはずっと、分別のある大人だと思うけどな」
「いつものコリン様はそうですけど、今日はちょっと違うと思います」
私はすかざず反論する。
だってわざとけしかけたのはコリン様だし。
「今の時代、ツガイが見つかる事はとても珍しいだろう?だから運命の二人にちょっかいを出したら、一体どんな反応するのか興味があるんだよ。でもやりすぎたようだ。ごめんね」
全く悪気のない笑顔で言われれば、毒気も抜かれてしまう。けれどやはりここは伝えておかねばなるまい。私は一歩前に出て、真っ直ぐにコリン様を見つめると再び口を開く。
「私はヨシュア殿下のツガイです。でもその実感がありません。だから世間で言われるような、魂レベルで求め合うツガイのサンプルには向かないと思います」
私はきっぱりと真実を告げた。
「確かにそうだけど……」
ヨシュア殿下がしょぼんと項垂れた。
「なるほど。君はまだ殿下を魂レベルで求めていないと。これはまた面白いパターンだね」
コリン様はなぜか嬉しそうに私の顔を覗き込む。
「でもだからって、殿下のツガイじゃない。そういう事にはならないんです」
私は無意識で、ツガイの紋章がある首元に触れる。
正直これがあるせいで「酷い目にあっている」と思う。けれどこれがあるからこそ、私は間違いなくヨシュア殿下のツガイだと、自分でも受け入れる気持ちになったのは確かだ。
「人は進化の過程で、ツガイに反応する機能を失いかけている。だからこそ、君のように反応が薄い者も出てきてしまうのかも知れないな」
コリン様の言葉に私はたぶんそうなのだろうと、静かに頷く。
「ツガイと巡り合うこと。それはとても耽美な事だと思いがちだ。現にツガイを描く作品は過去から現在まで、どれも愛に満ちたものばかりだからね。けれど、一方は心から相手を求め、もう一方はその気持が理解できないとなると、それはツガイである事がもはや悲劇なのかも知れない」
コリン様の言葉が胸に刺さる。
確かに、ヨシュア殿下と私は愛し合う運命にあるはずなのに、心から結ばれることができないという悲劇の中にいる。
しかも主に、私のせいで。
「コリン、たとえ一方的だとしても、それでも僕は彼女を見ていると幸せな気分になる。もちろん切なく思うこともあるけれど、それでもやっぱり心が温かくなる方がずっと多いよ。だから僕はツガイがいることは、悲劇だと思わない」
ヨシュア殿下が真剣な面持ちでコリン様を見つめた。その目には切実な願いが込められているように見えた。そんな彼の姿を目にした私は、胸がギュッと苦しくなる。それは、中途半端なツガイである自分の事をひたすら申し訳ないと思ったからだ。
「さ、あと少しで終わるのですよね。頑張って下さい、シャーロット様」
重たい雰囲気を振り払うように、コリン様が明るい声で私を促す。
「そ、そうですよね。よし、頑張る」
私は敢えて笑顔をつくり筆を手に取ると、再びキャンバスに向かい合った。
「あ、それとコリン様……指導をして頂けるのはとても嬉しい限りなのですが、出来ればその位置から……お願いします」
私は一応殿下の気持ちを汲み、コリン様にお願いする。
場所も絵の具も借りている身で申し訳ないと思いつつも、ヨシュア殿下の気持ちを考えると私にはそのくらいしか出来ないから。
私の言葉を受けたコリン様は、少し考え込むような仕草を見せたのち口を開いた。
「大丈夫だよシャーロット。さっきのはただの冗談だから」
コリン様は悪びれた様子もなく私の名を呼び捨てにし、爽やかに微笑むのであった。




