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032 謝罪されても

「すまない!!」


 白いソファーに座るヨシュア殿下は、私に土下座する勢いで頭を下げた。


「今すぐそこで脱いで私に裸を見せろ……と言いたい気分ではありますが、私は母なる海のように、心優しい淑女なので許します」


 私はヨシュア殿下に告げると、ぱくりとジャムサンドを口に入れた。


 現在私は王城のサロンにいる。例の高い天井と巨大な窓を備えたバルコニーがある部屋だ。そこから庭園を眺めつつ、ウィンスロー侯爵家における慈善パーティーで起きた一連の羞恥に対し、ヨシュア殿下から謝罪を受けているところだ。


 あの日私は、マクシミリアン様の登場により窮地を脱した。しかし、ヨシュア殿下が大勢の前で私に抱きついたこと。そして私のポケットから怪しい小瓶が発見されたことは、瞬く間に世間に広まった。


 それもこれも、新聞にイラスト入りであの惨事が事細かに掲載されてしまったせいだ。


 おかげで私は、殿下を誑かそうとした悪女だと、家に石を投げ込まれる勢いで全国民から悪意を向けられる事になった。


 もちろんすぐに王室側のプレスが、媚薬ではないと発表してくれた。しかし、一度立った悪評をまっさらの状態に戻す事は不可能だ。


 つまり私は、社交デビューして半年もしないうちに、すでに傷物であり、ヨシュア殿下に媚薬を盛ろうとした貧乏伯爵家の娘として世間に名を馳せてしまったということになる。


「しかし、まさか君がいるとは思わなくて」


 頭をあげたヨシュア殿下は申し訳なさそうな表情のまま、弁解を口にした。


「事前にお知らせする約束。それをうっかり忘れていた事に関しては、こちらも申し訳ございませんの気持ちはあります。でも、父に前触れもなく連れていかれたので」


 こちらの落ち度を認めつつ、私は「仕方がなかった」としっかりアピールしておく。


 実のところ私とヨシュア殿下は、二回目のツガイ反応後、満月の日に行われる催しに際してお互い鉢合わせをしないよう、事前に予定を報告し合う約束をしていた。


 ただ、今回は父がうっかり私に予定を知らせておく事を忘れていた為、当日の朝になっていきなり連れ出される事を私も知らされたのである。


「不可抗力だったのです」


 私は念をおしておく。


「それを言ったら僕だって」


 ヨシュア殿下がボソリと呟く。


「私に処方されているような、漢方の逆。つまり、ツガイへの反応を抑える薬はないのですか?」


「残念だけど、そのような薬は聞いたことがない」


 ヨシュア殿下は小さく首を振る。


「そもそもツガイを見つける事は、悪い事じゃないし」


 付け足すように、ヨシュア殿下は自らを庇う発言を重ねた。


 確かにこの国では、ツガイと結ばれることは何よりの幸せだというのが常識だ。つまり一連の騒動は、そもそも私が無反応である部分にも責任があると、そう言いたいのだろう。


 気持ちはわかるが、私としてもとてつもなく不味くて苦い漢方を飲んでみたり、恋愛小説を読んでみたり、言われた通りの努力はしているつもりだ。


 よって、一方的に責められる言われはない。


「それで、私のポケットに入っていたとされる、怪しい小瓶。あれの中身は何だったんですか?」


 とりあえず私は、気になっている件に話題をすり替える。


「ただの香水だった」


「つまり私は嵌められたってことですか?」


「その可能性は高いだろうね。あの日、君のドレスのポケットに手を突っ込み、媚薬を発見した令嬢も未だ名乗り出てこないし」


「なるほど……」


 私は一拍置くと、言葉を続けた。


「そもそもあの日ヨシュア殿下は、本当に私に反応してたんですか?」


「え?」


「だってヨシュア殿下は、ミランダ様にもツガイ反応を起こされた事があるんですよね?」


 直接本人に聞いたわけではない。けれど新聞に掲載されていた事は間違いない。その事を思い出した私は、単刀直入に確認の意味を込めてたずねた。


「あぁ……そうだよ」


 ヨシュア殿下はどこか遠い目をすると、肯定した。


「つまり、ウィンスロー侯爵邸で、殿下が反応していたのは、私ではなくてミランダ様に対してだった、という可能性だってあるってことですよね?」


 できれば、もう関わりたくない。そんな思いを込め、私は再度たずねる。


「まぁ、そうとも言えるかもしれないけど……」


「すばり、最初の舞踏会にミランダ様は参加していましたか?」


「……参加していた」


「となると、舞踏会、絵の具の新作発表会、そして今回と、ヨシュア様がツガイ反応する会場には、私だけではなく、ミランダ様もいらっしゃったということですよね?」


 調子づいてきた私は身を乗り出し、ヨシュア殿下に迫る。


「確かに彼女も参加していたようだ。けれど社交界なんて、わりと狭い世界だから、出席者が被ることは珍しい事ではないだろう?」


 ヨシュア殿下は不機嫌そうな声で反論してきた。


「そうですね。けれどここで、いま一度冷静にデータを分析してみたいと思います」


「データって、一体なに?」


 ヨシュア殿下は、胡散臭そうなものを見る視線を私に向けた。私は、ここで尻込みしては試合終了だと、怯まず話を続行する事に決めた。


 私はスゥと息を吸い込み、とっておき。先程思いついたばかりの持論を一気に展開する。


「ヨシュア殿下が私にツガイ反応を起こしたのは、舞踏会、絵の具の新作発表会、そして今回と合わせて三回です。対するミランダ様はその三回プラス、私のいない催しで一回追加の合計四回。つまり統計データ的に見ても、ヨシュア殿下のツガイは、ミランダ様である可能性が高いと言えるでしょう」


 私は腕を組み、「数字は嘘付をつかないし。間違いないわ」とわざとらしく頷いてみせた。


「本気で言ってます?」


 少し離れた場所から声が飛んできた。顔を見るまでもなく、マクシミリアン様の声だ。


「お二人の会話に横入りをしてしまい、申し訳ありません……が」


 マクシミリアン様は長い足でサロンを横断し、私たちが陣取るソファーの横に立つ。


「失礼ですが、ヨシュア殿下は毎回明らかにシャーロット嬢、あなたに反応しているように思われます」


 マクシミリアン様は淡々と告げる。


「で、でも数字は……」


「ウィンスロー侯爵邸でも、ヨシュア殿下はあなたに抱きついておりました。それに後日行われた周囲にいた者たちからの聞き取り調査によると、ミランダ嬢は周囲から「反応していない」と指摘されるまで、冷静にあなたが媚薬を所持していると弾劾されていたらしいじゃないですか」


 痛い所をつかれ、私は狼狽える。


「でもそ、それは……」


「お願いします。そろそろ、真面目に殿下に向き合って下さい。このままでは、殿下はツガイがそこにいるにもかかわらず、ツガイではない女性と結婚する羽目になるのかも知れないのですよ?もしそんな事になれば、殿下は狂ってしまう可能性があります。そして王国は崩壊へと向かうかも知れません」


 マクシミリアン様が、いつになく真剣な表情を浮かべ私に訴えかけてきた。


「マックス、言い過ぎだし、脅しは良くない」


 ヨシュア殿下がマクシミリアン様を嗜める。


「しかし」


「いいんだ。シャーロット嬢がいない時、ミランダ嬢に反応したのは事実だし。浮気性なツガイだなんて、シャーロット嬢だって嫌だろうから」


 ヨシュア殿下はテーブルに乗ったジャムサンドを見つめ、自嘲気味にふふっと微笑んだ。


 やだ、ちょっとこわい。


「それに、君と結ばれなかったら、僕は一生独りぼっちを貫くから全然平気だし」


 ヨシュア殿下が哀愁漂う表情で、わざとらしく窓の外を見つめた。どうやら二人でグルになり、私の良心に訴えかける作戦を展開中らしい。


「そもそも。私が殿下のツガイだという証拠はあるんですか?」


 そっちがその気なら、私も負けないと追求する。


「それについては、僕自身が証明となるだろう」


 ヨシュア殿下が自信ありげに発言した。


「というと?」


 嫌な予感と共に、一応問いかけてみる。


「そもそもツガイという存在は、本人の意思とは関係なく、ある日突然判明する。そして通常であれば、ツガイ同士は出会った瞬間、お互いに惹かれ合う。その原因として、お互いが放出する媚薬のようなフェロモンにより惹き付けられていると言われている」


「ふぇ、フェロモンですか?」


 それは初耳だ。やはり王子ともなると、情報通であるらしい。


「そもそもルドベリア王国の人間がツガイを見つけられるのは、遙かなる祖先に竜族の血が入っている人種だからだと言われている」


「えっ、竜族?ファンタジーとかに出てきそうなやつですか?」


 私は脳裏に三白眼の爬虫類。ヘビやトカゲ、ワニやカメなどを思い浮かべる。そして、流石にそれはないなと、自分のつるりとした腕を見つめる。


「でも、私は人間です」


「うん。ただ、遥か大昔、ルドベリアの民は竜族と呼ばれ、この世界では力や知恵の象徴として、一目置かれた存在だったと言われている」


「それって、身内びいきで歴史をいいように改変してません?」


 私は疑う気満々の視線を、ヨシュア殿下に向けた。


「そんなことはないよ。実際、城に保管されている古い文献にそのような記述が残されているし、城の至る所に竜のモチーフとなるレリーフや彫刻もある。それに」


 ヨシュア殿下がもったいぶったように間を置く。


「それに?」


 私は早くその先を聞かせて欲しいと、ヨシュア殿下を促す。


「ルドベリア王国の王族は代々ツガイを見つけると、その身に特別な変化が現れるんだ」


 やけに自信たっぷりな顔をこちらに向けるヨシュア殿下。そんな彼の様子に私は嫌な予感を感じ、ゴクリと唾をのみこむ。


「今回僕は体のとある場所に、確かにその変化が現れたんだ」


「うっすらとですが」


 マクシミリアン様が付け加える。


「うっすらでも、紋章が現れた事には変わりないだろ。まぁ、君には見せてあげられないけど」


「いやいや、そこは重要なポイントですよね!」


 私はしっかり指摘する。


「というか、もったいぶってないで、証拠を見せて下さい。ヨシュア殿下が私のツガイであるという証拠を!」


 私はもはや興味本位全開で、ソファーから身を乗り出しヨシュア殿下に詰め寄る。


「わかったよ」


 ヨシュア殿下は立ち上がると、おもむろにシャツのボタンに指をかける。


「ちょ、ちょっと待ってください!なんでそんな大サービスしようとしてくれてるんですか?」


「だって、君が証拠を見せろって言ったじゃないか」


「も、もしかしてそれって」


 服の下に隠れる部分なの?と私は思わず赤面する。と同時に「とうとう、裸を見られるってこと!?」と激しく興奮する。


「あ、スケッチしてもいいですか?いいですよね?」


 私は突然訪れたデッサンの機会を逃してなるまいと、慌ててソファーに置いておいたカバンに手を伸ばす。そしてスケッチブックと鉛筆を取り出すと、ヨシュア殿下の体に視線をロックオンした。


「えっと、じゃあ……ど、どうぞ……」


 私はドキドキしながら、ヨシュア殿下の胸元あたりを注視する。


「そんな風にガン見されると、何だか緊張するんだけど」


「私の事はお気になさらず。証拠を確認するだけですから」


「そ、そうか。そうだよね」


 ヨシュア殿下と私はお互いどことなくむず痒い気持ちのまま、見つめ合う。


「何をしてるんですか、あなた達は……」


 その存在を忘れかけていたマクシミリアン様が、これみよがしに肩を落とす。


「そろそろやめないと、本気で怒りますよ。流石に肌を晒すのはアウトです。あなた方は、未婚の男女であり、しかも婚約者でもないんですよ?シャーロット嬢はともかく、ヨシュア殿下はもっとご自分の立場というものを自覚して下さい」


「私はともかく?」


 すかさず指摘する。


「失礼、言葉のアヤでした」


 マクシミリアン様は涼しい顔で謝罪の言葉を口にすると、「いいですね、ヨシュア殿下」と念押しをする。


「わ、わかっている」


 ヨシュア殿下はホッとした様子で、シャツのボタンを外す手を止めてしまった。


「とにかく、僕の体の一部に、ツガイを見つけた印が出現したから。それが証拠だ」


「うっすらとですけどね」


 マクシミリアン様は、再びしっかりと補足したのであった。

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