シェリのわがまま
3日目の夜。
バルフェアは正面玄関から、我が家への帰還を果たす。
屋敷に入り最初に感じ取ったのは、自分でもシェリィでも無い何者かの匂い。
次に漂ってきたのは、僅かながらの甘ったるい腐敗臭。
「何だあいつ、もう誰かに喰われてしまったのか。」
此処に人間が居ると何処かから嗅ぎつけてきた何者かが屋敷に侵入、シェリィを殺し食らったものの口に合わず残りを破棄、それが腐り現在に至る。
それがバルフェアの推測だった。
バルフェアの背後で、ドアが閉まる。
「シェリィ。」
バルフェアはその名を呼ぶ。
死体に名前は無いので、もしシェリィが死んでいたとすれば扉は開かない。
しかし、バルフェアの背後の扉は独りでに開いた。
シェリィが生きている証拠だった。
「…全く酷い匂いだな。」
バルフェアは振り返る。
扉の向こうは、食堂だった。
「シェリィ。そこに居るのか。」
バルフェアは部屋の中に数歩入ると、食堂内の様子を見回す。
「…お帰りなさい…ご主人様…」
バルフェアの足元から、弱り切ったシェリィの声が放たれる。
バルフェアが足元に視線を落とすと、そこには衰弱しきったシェリィが寝転がっていた。
シェリィは、盗賊団を撃退してからずっと此処に居た。
大怪我を負った太ももにはハエが集り、髪も肌もくすみ、顔色も悪かった。
「屋敷は全て片付けたみたいだな。感謝する。しかし…」
バルフェアは、シェリィの右足に、否、右足の下のカーペットに注目する。
血や膿により、完璧に汚れきってしまっていた。
「ごめんなさい…ご主人様…右足が動かなくて…感覚も全く無くて…それで、だんだん気分も悪くなってきて…」
「それだけの傷を負って、ろくな処置も受けなかったのだから当然だろう。」
バルフェアはしゃがみこみ、シェリィの傷の状態を観察する。
要所要所が焼き潰され止血はされているものの、それらしい処置も消毒の痕跡も無い。
「諦めろ。もうこの足は死んでいる。今は血流を伝って、この死んだ足から雑菌が際限無くお前に流れ込んでいる状態だ。このままじゃ、お前はこの足と心中する事になる。」
「…ふぇ…?」
「俺の本職は医者だ。魔族の医者が、よりにもよって人間の身体を誤診する様な事はまず無いと保障しよう。」
バルフェアはシェリィの傷口に指を突っ込み、中の状態を確認する。
相当免疫力が下がっているらしく、もう骨のすぐそばまでいたんでいた。
「なあシェリィ。これは提案なんだが、もうこんな粗雑な身体は捨ててしまえばどうだろうか。」
「…それは…どう言う…」
「そのままの意味だ。お前の意識を、もっと丈夫な体に移し替えるんだ。例えばゴーレムなんてどうだ?理論上は不老不死、人間のひ弱な身体よりも、そっちの方がよっぽど俺の召使いに相応しいだろう。」
「……」
シェリィは一瞬、無機物の身体になった自分を想像する。
痛みも苦しみも感じない、人にしてみれば夢の身体。
「…命令だったら…そうします…でも、気持ちとしては、嫌です…」
「何故だ。」
「出来れば、シェリはこのままで居たいです…」
シェリィは震える手で、自分の胸に手を当てる。
「シェリの心は、ご主人様の物です…シェリの時間も、全部ご主人様の物です…」
シェリィは、胸に当てた手を握りしめる。
「でもシェリの体だけは、この体だけは、ママとパパからシェリが貰った物です!この体だけは、シェリの物なんです…!…そう…シェリは思っています。でも命令とあらば、手放します…」
「見かけによらず、随分と面倒な奴だな。お前。」
バルフェアは、シェリィを抱え上げ立ち上がる。
「全身消毒。患部切断。薬液投薬。何があったか聞くのはその後だ。これで良いか。」
「は…はい!」
シェリィの答えを聞き、バルフェアはシェリィを抱え上げ立ち上がる。
バルフェアは腐臭とカーペットの惨状に顔をしかめる。
別にシェリィが悪い訳では無かったが、バルフェアはシェリィに少々のお仕置きをする事にした。
「人間用の麻酔は切らしているが、文句は言うなよ。」
「…はい…」