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日本の民間伝承  作者: 高橋はるか
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福島県 信夫の里 いもくり佐太郎

先月の話でしょうか??

政府が出した方針で二年後に向けて、福島県沖に、汚染水の海洋放出を決めた、と言う物がありましたが、非常に残念な方針と思わざるを得ません。

何より、その会見で、麻生副総理が、


「識者が健康に害はないと言っている。そもそも飲めるらしいんだから、何をそんなに嫌がっているんだか・・・・」


みたいな一場面がありましたが、じゃああなたが常飲してみてくださいよ??

二年間、国会で飲み水として出し続けてもらってもいいですよ??


そう思いました。


自分には関係ない。

自分らには何の影響もない。

でも、じゃあ実際に福島県に住む方々は??県民にとってはどうなのでしょうかね??

仮に。もし万が一害がなかったとしても。

それでも、風評被害はありますよ??

私も、二年前にお仕事の都合で福島県内に移住してきましたが、外からは分からないほど、風評被害って言うのは、在ったみたいです。

実際に、お恥ずかしい話ですが、私の母も、福島への転勤を良く思っていませんでしたし、私が転勤するまで、福島の産品は買わないようにしている、とまで言っていました。


だからこそ。

ここから、できるだけ福島県の伝承を描いていきます。

皆さんが福島県に興味を持ってもらえるように。

私ごときの力が、何かしらの影響を与えられるなんて自惚れるつもりは毛頭ありませんが、それでも。

例え県民全員が、日本政府に異を唱えたとしても、政府方針は変わらないかもしれませんが。

何もせずに、二年後を迎えて、後悔するよりもよほど、何かをして誰かに、誰か一人にでも何か伝えられたらいいな、と。


それだけです。


皆さんの中に、福島県を訪れたことがある方はいるでしょうか??


ここに簡単に、福島県を説明させていただきますと、県全体を、

浜通り、中通り、そして、会津・喜多方方面、と言う風に分類します。

横長の県全体を、縦に三等分するわけですね。

浜通りは、太平洋側の地方のことを指します。例えば、いわき市、そして、震災被害があり、未だに立ち入りが制限されている、浪江、更には、宮城との県境にほど近い相馬市でしょうか??

そして、会津・喜多方方面と言うのは、言わずもがな。

会津地方と、喜多方地方を指しますね。


では、中通りとは??

真ん中の地域のことです。

北は伊達市、福島市、南は、郡山市、関東と東北を分ける関所として有名な白河、そして、ちょうど真ん中に位置する、本宮市、二本松市。


この、【いもくり佐太郎】とは、そんな中通りの、福島市、信夫の里を舞台にしたお話だそうです。

信夫の里を説明する前にもう一つ。

福島県、と言うのは、本当に山が多い県だと思います。

関東の人には、馴染みのないほど、(関東自体が平野部ですからね)起伏が激しくて、私も関東から、福島県にやって来た時は、本当にびっくりしたものです。

特に、中通り、会津、喜多方地方は、四方を山に囲まれていると言っても過言ではないと思います。


今では、会津方面を抜けて、新潟まで、高速道路が通りましたけれども、その高速道路を使って会津方面に向かうじゃないですか?

そうするとですね、本当に冗談抜きで、一キロくらいなだらかな坂道を上り続けるんですよ。冗談ではなく本当に。

そして、ようやく会津に入って来た、と思ったときに、最初は感動しましたね。


四方を山に囲まれた盆地地形。

なだらかな坂道を今度は下る訳ですけれども、まるで身を寄せ合うように、城下町が発展し、真ん中の城下町以外は、少なくとも今では、疎らに商業施設なんかもできていますが、ほとんどが田んぼです。

中央に家々が立ち並び、その中心にお城跡があるんじゃないかと思います。(すみません、行ったことは無いんですよ・・・・。いつかは行きたい、と思っていますが・・・・。)

見渡す限りの田んぼは、秋になると、黄金色の稲穂を実らせ、嫋やかに風に吹かれる、豊かな豊穣の土地です。

穏やかな時間が流れる、その町は、しかし、冬になると、様相を一変し、四方を囲む山脈群にぶつかった分厚い雲が、まるですべてを覆い隠すような、重たい雪を、どんどん、どんどん降り積もらせます。

風も無ければ、音もない。ただ、ただ、静かに降り積もる雪を見ながら、ああ、今年は、一体どれくらい雪が積もるんだろうな・・・・、なんて、この街の人々は思うのかもしれませんね。



話が大分それてしまいましたが、福島市に戻ります。

すると、今、国道四号線、という、片側二車線の、県内でも有数のバイパス道路が南北を貫通していますが、郡山を抜け、本宮を通過し、二本松を抜け、ここまでは、特に起伏の激しさを感じることもなければ、山だな、という気もしません。


ですが・・・・。


伏拝、と書いて、何と読むのか、みなさんご存知ですか?

正解は、『ふしおがみ』と読むんですけど(地名です)、ここから街に降りると、会津地方と、同じようなことが起きます。


見下ろす街々、夜だと、街一軒一軒の明かりなんかが、煌々と煌いていて、綺麗だな、なんて思いますよ?

ただ、会津地方と明らかに違うのは、こちらは、田んぼなんてもの、ほとんどありません。

雄大な山並みに抱かれ、駅を中心に、発展した街並み。

少し離れれば、確かに、ぽつり、ぽつりと、かつての名残を残すかのように、小さな集落が点在しますけれども・・・・。

でも、街の中心は、思いっきり栄えていて、東北第二の都市、郡山市にも負けず劣らずだと私は思うんですよ・・・・。

ただ、今回の話に出てくる、『信夫の里』は、この雄大な山脈に抱かれ、点在する、集落の一つなんだと私はそう勝手に思っております。

と言いますのも、信夫の山、という山々がありまして、そのふもとの里が、当時の信夫の里、だと言われていますが、今もって、南福島と北福島を分断する大きな川が流れ、北福島に入ったすぐのところに、『信夫の山』の看板が出ておりますが、やっぱり、開発が進んでいて、大型商業施設なんかが、軒を連ねていますからね・・・・。

まあ、少し、走れば、東西に、そして南北に、山を連ねた、やっぱり盆地地形、なのではないでしょうか??


夏になると、遠く霞む山並みが、蒼く、蒼く、空の蒼さよりもなお蒼く、沢山の草葉を茂らせています。

秋になると、紅葉を懐に抱き、赤や、黄色に化粧を纏う。

冬には、山脈近くに雪を積もらせ、白く、厳かに、ただ、神秘的にそこに佇むだけ・・・。



そんな街のお話です。(長くなってしまって申し訳ありません・・・・)

最後に一つ。言い忘れておりましたが、『信夫の里』と書いて、『しのぶのさと』と読みます。悪しからず・・・・・。




今年は、なんだか山の機嫌がいい・・・・。

何でだろうな??

そんでも、俺にとっては、いいことだし、そんな難しい話は、村の卜師のばば様か、そんで村長が考えればいいことだ。

それよりも今は・・・・。


「おっとう!!お帰り!!」

「ただいま・・・・」

「今年は、村の皆が、豊作だ、豊作だって、喜んどったぞ!!山はどうだったんだ!?」

またそんな、男の子みたいな言葉遣いをして・・・・。

とは思ったけれども、俺は口下手だから、何も言わない。いや、何も言えない、と言うほうが正しいのかもしれねえ・・・・。

「山は・・・・。生気に満ちとった・・・・」

「じゃあ!!またなんか、いっぱい採って来たんか!?」

「ほれ」

背負子(しょいこ)を渡してやれば、その中には、栗やら、芋やら、山菜がぎょうさん入っておる。

「うわー!?すごい!!すごい!!ははははは!!!!凄いなおっとうは!!村一番の山師だ!!!」

すごい、すごい!!と無邪気に喜ぶ、奈津、の顔を見られたのが、俺にとっては、一番うれしい。それこそ、そんな背負子一杯の山の恵みよりも、なによりも・・・・。

くるくる、くるくると、まるで踊るように、家の中に入って行く彼女に、もしかしたら随分と寂しい思いをさせているかもしれない、と、僅かにずきりと心が痛んだけれども、だからこそ、今は、今だけは、少しでも長く彼女の側にいてやりたい。


元々、田畑を耕す村の皆とは違う。

森に入って、鉈を、罠を、そして時には剣を使って獣を仕留めて、そんで今日みたいに山菜を取ってきたり、もしくは木を切ってきたり。

そんなことをしながら何とか生計を立てているんだが・・・・。

どうにも山にこもると、一日、二日は家に帰らねえことが多い。



母親は死んだ。

元々病弱な女だった。

だから、奈津、俺の娘を生んで、すぐに、「奈津のこと、任せたよ?」という一言を残して死んじまった・・・・。

あん時は、何にも要らねえ、お前さえ生きていれば、ってみっともなく泣いたもんだけれども・・・・。

奈津も今年で、十六。立派な大人の女になっちまった・・・・。

昔、本当に小さかった頃は、何度も、何度も、山さ向かう俺に縋って、行かねえで!!行かねえで!!って泣き喚いて大変だったんだけど、今では、大人しく、俺の帰りを待っとる。

それに、料理なんかも、一人でできるようになって・・・・。子供ってのは、皆、いつの間にか大きくなるもんなんだな・・・・。



「じゃーん!!!今日は、おっとうが採って来てくれた山菜の味噌汁と!!栗と芋を焼いてみた!!あとは、おっとうが、一週間前にとってきた猪肉!!これと、村の皆に配ったで!!その時にもらった米でご飯炊いてみた!!!」

米なんて・・・・。大分、豪勢だと思うたけど、そう言えば、今は、ちょうど、刈入れも終わって、一年で一番大変な時期か・・・・。逆に、一番村がせ俺い時でもある。

「気付かんかったけど・・・・もう、そんな時期か・・・・」

「なんでえ!!おっとう!!気付かんかったの!?山におれば、綺麗じゃったろ!?真っ赤に染まった木がさ!!こう!!ぶわーーーー!!!って!!咲くんじゃろ!?こっから見とっても綺麗じゃもん!!近くで見ればもっと綺麗じゃろ!?」

「ああ。綺麗じゃな・・・・」


けどな、奈津。そいつはちょっと違うぞ??


やっぱりなー・・・・!!


なんて興奮しているから、それ以上無駄なことは言わんかったけど、近くで見れば、綺麗じゃ。綺麗じゃけど、なんだか恐ろしいんじゃ・・・・。

なんて言うんじゃろうな??

見たこともないほど真っ赤に染まった葉が、まるで、血でも流しているみたいで、恐ろしいじゃろ??

「昔の偉い人がな!!!真っ赤に染まるのは、秋の夜長に沈む夕日が、一年で一番紅く、紅く、空も、海も、木も、村も、全部を染めていくからじゃ!!って!!!そう言ったらしいぞ!!!」

「そうなのか??奈津は物知りだな」

「えっへん!!どうじゃ!?びっくりしたか??」

「ああ!!びっくりしたよ。そうか・・・・、そう言うことだったんか!?」

違う。

そんな風流なもんでねえ。

あれは、もっと美しくて、そんでもっと・・・・。説明はできんけれども、なんか、もっと恐ろしいもんだ。

でなければ、土が、稲穂が、真っ赤に染まらんのは説明できんじゃろ??それに、たまに黄色に染まる木は?あれは何でじゃ??

あれは・・・・そうさ・・・・俺に言わせれば、まるで、命尽きるその瞬間、最後の輝きを放つかのように、苦しんで、血を流して、それでも必死に生きようとする、生命に抗うあいつらの、命の尊さじゃと思う・・・・。

言葉で説明するのはむつかしいな・・・・。

何せ近くで見れば、美しい以上に、簡単に、人の命なんて奪っちまう山にいるんだ。

俺が感じていることは、俺と同じ、山師しか分からんじゃろうな・・・・。いや、山で生き、山で暮らす者しかわからんじゃろう・・・・。

余りにも、あまりにも小さな人の前に、雄大な山並みは、ただ、ただ、悠然と佇むだけ。それだけ。

人の営みなんて、知らぬとばかりに。

人の生き死になんて、頓着しないとばかりに。

人の悲しみや喜び、嬉しさや楽しさとは無関係に。

だから恐ろしいんじゃ。


昔、そう言えば随分昔に、奈津がまだ幼かった頃、山に連れて行け、と駄々をこねた時があったっけな??

あん時、随分と怒っちまったけど、そんで山を嫌いにならなければいいな・・・・なんて思ったもんだなあ・・・・。

あれ以来、我儘言うことも無くなって、そんでも、絶対に寂しい思いはさせてたはずじゃあ。

まあ、ええ。もう少ししたら、冬が来る。

雪が深々と降り積もる、静かな、静かな冬が。

分厚い雲が空を覆って、生き物全部を、埋めちまおうって、そんな意地悪でもするんじゃないか?ってくらいの、冬が。

俺ら、山師は冬に備えて秋に、必死で蓄えを作る。

いや、山師だけでねえ。農家だってそうだ。みんな、皆そうに決まってらあ。

生き物だって、皆そうだ。

息を潜めたみてえに、眠っちまうんだ。

穴ぼこ掘って、木の虚見つけて、何とかかんとか、寒い、冷たい、恐ろしく静かな冬を乗り越えようって。


「・・・・おっとう!!おっとう!?」

「なんじゃ?奈津??」


いかん・・・・。ぼうっとしちまった・・・・。


「なんだ??考え事でもしてたのか??」

「そうじゃな・・・・。で??なんか話そうとしてなかったか??」

「おお!!そうじゃ!!今日から村で今年の豊作を祝って、祭りをやるんだども、それさ行っていいが??」

「おお・・・・そんな時期じゃったな・・・・」


懐かしい・・・・。昔は何度か、奈津を祭りさ連れて行ったっけな・・・・。

いつからか、一人で行くようになって手がかからなくなったでほっとしたども、今考えれば、それもそれで寂しいもんじゃ・・・・。


「勿論ええぞ??楽しんで来い」

「やったーーーー!!!!!」

その場でくるくると踊り出した、奈津。

よっぽど嬉しかったんじゃろうけどなあ・・・・。

「ほれ!取りあえず飯だけ食え!!そんでねえと、ひっくり返しっちまうぞ!!」

「そうだな!!急いで食って、そしたら行くから!!」

「あんまり遅くなるんじゃないぞ??」

「分かってる!!」



秋の夜長。

一か月前であれば、まだまだ日が沈むような時間ではねえんだども、もうお日さんが、西の空に顔を隠しちまってるな・・・・。

真っ赤に染まった西の空と、宵闇の黒に隠れた東の空。

その狭間で、青と、赤が入り混じって紫紺に輝いてやがる。

俺は何となく、この時間は勿論、美しいと思うんだけど、好きになれねえ。

何でだろうな??

とんでもなく美しい・・・・。

そんでもそれは、その美しいと思うのは、山と一緒だ。

どこまで行っても、空は人の思い通りにはなってくれねえ。

手を伸ばせば届きそうなほど、輝く月も、星も、それでも決して触れられやしねえんだ。

それに、俺にとって見慣れているのは、木々の梢から覗く晴天の群青と、曇天の鼠色だけ。あとは、あれか??雨の鈍色か??

それが、こんなふうに群青と、黒と、紫紺と、そして、真っ赤に染まるなんて・・・。

まるで、この世のことじゃねえみたいじゃろう??

この世ならざる世界の狭間に紛れ込んだみてえで、怖くて、怖くてな・・・・。


「奈津・・・・」


あの子が遠ざかって行った方に何となく目をやれば、そこには、煌々と宵闇を照らす、松明の明かりが瞬く。

里の、村の人たちは皆、夜が何するものぞ、とばかりに益々歌い、踊り、笑って、遊んで・・・。

それとは隔たるように、山裾に構えた我が家へと、身を翻す。



ぱち、ぱち、と燃える薪を何とはなしに見つめている。

いつの間にか大人になっちまったな・・・・。あいつも・・・・。

草花も芽吹けと、野山に歌う春は、きゃら、きゃらと笑い、いつまでも、いつまでも、飽くことなく踊っていたっけ??

陽光降り注ぐ夏は、真っ黒になりながら、駆けずり回って、日が暮れた頃に戻ってくることもあったな・・・・。あん時は、随分と心配して怒っちまったけど・・・・。

一年で一番の実りをもたらしてくれる秋。

誰もが陽気に笑い、必死に汗水流してその年の成果を、実りを刈り込むんだ。

俺と一緒に山に入ることは叶わなかったけんども、村さ下りて収穫を手伝ったって、そんで皆に喜んでもらったんだって、嬉しそうに何度も、何度も話していたっけ??

一年で最も長い、寒い冬。

体を寄せ合って、静かな、静かな長い夜を過ごしたな・・・・。

深々と積もる雪が、この世界全部の音を吸い取っちまった、って何度も泣いてたあの子を、懐に抱いて、慰めたことは数え切れねえんじゃねえか??

俺と、娘二人だけの、わびしい、ぼろ小屋。

一年を通してほとんど家を空けることの多かった俺が、唯一あの子と二人で過ごせた冬。そんでも、山間を吹き抜けてくる風に、がたがた、がたがた軋むぼろ家。

怖かったろうなあ・・・・。

寂しかったろうなあ・・・・。

辛い思いをさせて来ただろうなあ・・・・。


あともう少しだ。

あともう少し。

今年十六になった奈津。

あと数年の間に、嫁いで行っちまうんだろうから・・・・。

今日この日、一日、一日を、大切に生きていきたいもんだなあ・・・・・。



昼間、野山を駆けまわったからだろうか??

疲れが、急に、どっと押し寄せて来て、気付けば寝ちまってた・・・・。

いけねえな・・・・。儂も随分と年を取っちまったようだな・・・・。日がな一日、それこそ、夏場なんて、日が暮れるまで山を駆けずり回ったってぴんぴんしてたもんだが、今じゃそうはいかねえか・・・・。

一日、日が暮れるまで歩き回れば、足が棒みてえに重くて動かなくなる。

腰が痛くて、痛くて・・・・。正直に言えば屈むことさえ億劫なんじゃけど、そうも言ってられねえから、なんとかかんとかやってはいるんだけどな・・・・。


「奈津は・・・・??まだ、帰ってないのか・・・・??」


そう言えば、遅いな・・・・。

いや、どれくらい時間が経ったんだ??そんなに長い時間寝ていなかったのか??

それとも、思う以上に長い時間、眠っちまってたのか??

作りかけのかんじき(雪の上を歩くための、草鞋みたいなものです)を床に放り投げちまっていた・・・・。いけねえ・・・・、いけねえ・・・・。こいつは、この北国で、無くてはならねえ命綱みてえなもんだからな・・・・。

大事に、一足一足自分の手で造っていくもんだ。

足下をおろそかにするやつは、山で決して長生きできねえ。

俺はそう、親父に教わったからな・・・。


・・・・ん??なんだあ・・・??


ふと、耳をすませば、りんりん、りんりん、という、鈴虫の鳴き声とは別に、若い男女の囁きが聞こえてくる気がするんだ・・・??この近くは、村とは離れているし、わざわざ訪ねて来るもんも少ねえから、多分、奈津だとは思うんだが・・・。

じゃあ、この若い男の声はいったい誰の声だ・・・??

気に奈津たから、ゆっくりと戸口を開けて、覗き見れば・・・・、そこにいたのは・・・・。


「じゃあね・・・!!比呂・・・!!」

「おう・・・!!・・・奈津!!また明日な・・・!!明日も祭りに来るんだよな!!??」

「・・・うん!!勿論!!」


奈津と一緒におったのは、ひょろりとした、頼りない女みたいな男。・・・・男だよな??


「奈津!!」


がらり!!と勢いよく戸を開いて、声をかければ、びくりと体を震わせた二人は、まるで恋人同士のように、体を寄せ合っていやがる!?


「なにしてやがるんだ!?そいつはどこのどいつだ!?」


・・・・正直に言えば、こんな日がもう間もなく来ることは、薄々分かっていた。

それでも・・・・、それでも、まだ先だと、どこかで、頭の片隅で、逃げ回っていた自分自身がいる。

だって、哀しいだろ??

ついこの前まで、おっとう!!おっとう!!って俺の服の裾を必死に、その小さな手で掴んで、行かねえで!!行かねえで!!って泣いてた娘が・・・・。

でも、その時が来たら・・・・。

その時が来たら、温かく見守ってやらなきゃ駄目だって・・・・そう思ってたんだけど・・・。

いくら何でも!!

何でよりによって!?


「おっとう!!この人は・・・!!」


奈津が慌てたように、何かを言おうとしやがったけど、聞きたくない!!

だって、その男を俺から庇うように、前のめりになりやがったんだから、その続きなんて聞かなくても、分かる。・・・・いや、聞きたくなんて無い・・・。


「奈津、いいよ。僕がちゃんと、挨拶しようと思っていたところだから・・・!!」


僕!?僕と来たか!?

なんだこいつは!?

中央の小役人気取りなのか!?


「佐太郎さん。僕は、奈津さんとお付き合いさせてもらってる、比呂彦と言います。彼女を、貰いたい、とそう思って、今日寄らせてもらいました。突然の話で・・・」

「ああ!!突然だ!!突然すぎて礼儀がまるでなっちゃいねえ!!」


話しぶりから、何から何までいけ好かねえ!!

なんだ!?

一体何なんだこいつは!?


「おっとう!!」

「奈津!!お前は黙ってろ!!」


一喝したのに、普段だったら、俺が怒っていれば、静かに大人しくなるのに・・・!!


「比呂は・・・!!」

「黙ってろ!!」

「いいや!!黙らねえ!!比呂は!!」


泣きそうになりながら、怖いだろうに、震えながら、それでも必死に声を振り絞る奈津を止めたのは、他でもねえ・・・。


「奈津。もういいよ」

「比呂!?・・・・でも!!」

「今日は、僕も、失礼だった・・・・。佐太郎さん。改めてまた来ます。その時は、さっきの返答をもらいにきますので・・・・」


さっきの返答だあ!?


「そんなもん!!答えは決まってらあ!!!奈津を!!!お前みたいな!!!弱々っちい軟弱者に嫁がせることができるかあ!!!」

「そんな・・・・!?おっとう・・・!!!比呂は・・・・!!」

「奈津。いいんだ。今日は僕も帰ります・・・・。でも、奈津さんのことは、諦めませんから・・・・!!」


そう言い残して帰っていきやがった小僧を、忌々しい目で睨みつけ続ける。


「おっとう!!なんであんなこと言ったんだ!!??比呂は・・・・!!私のこと大切にしてくれるし・・・・!!!」

「うるさい!!聞きたくない!!!いいから家の中さ入れ!!!」


いやだ、いやだ、と駄々をこねる奈津を無理やり引っ張って家の中さ入ったども、結局その日は、お互いに一言も口をきかずにそのまま眠っちまった。


・・・・ああ、こんなことよくねえなあ。


そんなことは百も承知しているし、自分の我儘だってそんなことは誰よりも理解しているさ。

そんでもなあ・・・・!!そんでも!!自分の娘が!!自分以外の男さ抱きしめられて、嬉しそうにしているのを見たら、どうにも我慢が効かなくなっちまったんだ!!

奈津が幸せならそれでいいんだ、って。

今まではそう思っていたのに、不思議なもんだ。

どうにもこうにも自制が効かなくなっちまって、思わず怒鳴り散らしちまったけれども、明日も来るって言っていたっけ・・・・??


・・・・そうしたら、同じように、俺は怒鳴り返すんだろうか??それとも・・・・。


それよりも明日は奈津に謝んねえといけねえべ。ごめん、って。昨日はごめんなって。もう、親子二人だけなんだ。

言い争いの喧嘩したってなんだって、二人で寄り添って生きていかなきゃいけねえんだから、悪かったら、謝る、そうしなければいけねえんだよなあ・・・・。


そう思っていたけれども。

結局、謝ることはできなかった。

朝起きてから、ほとんど口もきいてくれなん奈津と、そして、まるで喉に何か食いもんでも詰まっちまったんじゃねえか??って思うくらい、言葉が出てこねえから困った。

朝起きた時も、おはよう、って言うつもりが、喉が潰れたみてえになって、ぐう、って変な声が出ただけだったし、向こうも、それに対して、何かを言うでもねえ、こっちを見ることもしなかったから、家を出る前には段々、段々と腹が立ってきた。


「・・・・行ってくる」


その言葉にも、一切何の返事もしてこなかったから、よっぽど怒ってやろうかと思ったけれども、そんでもやっぱり止めた。

何でだろうな??

それを道中必死で考えたども、答えはなかなか見つかんねえもんだな。

山さ登るって言うのに、嫌な気持ちになりたくねえから??

気分悪いまま山の中さ入ったら、とんでもねえへまをして怪我をするかもしんねえから??

よく分からねえ。

よく分からねえんだども・・・・。


・・・・いや、ようく理由は分かっているさ。


いつもと同じ道を。


・・・・ようく、分かっていて、そんでもそれから目を背けていたいんだ。


いつもと同じ時間に。


・・・・そんでねえと、自分が悪いって、そう分かっちまうから。


いつもと同じように。いつもと全く同じ足取りで。


・・・・ああ、その通りだ。俺が悪いんだ。どう考えたって、俺が悪かったんだ。


そのいつもどおりが、自分の頭をどんどん、どんどん冷静にしていくのが、ようく分かった。ようく分かったからこそ、何に腹を立てていて、何に苛立っているのか、そして、何が悪かったんか、はっきりと見えてきた。


・・・・やっぱり帰ったら謝るべ。そんで、二人を祝福してやるのが、親の、唯一残された父親の仕事ってもんでねえべか??


うん。そうだべ。きっちり謝って。そんでしっかりと、許してやる。そうしねえと、誰も幸せになんかなれねえよな。

やっぱり山は良い。

ほんに、小さい時から。それこそ、今の奈津よりもよっぽど小さい時から。この山におっとうと一緒に登り続けてきたから。

鼻水垂らした小僧を、今の腰くらいの背丈しかなかった阿呆な息子を良く飽きもせず、疲れもせずに連れ回したもんだと、今になって感謝しているけれども。

昔から、それこそ何十年と慣れ親しんできたから、冷静にさせてくれる。

何年、何十年って変わらないものがこの世にあるとしたら。

それは、人の営み、そしてただ、ただ、俺たちみたいに変わり続ける人々を守るように、時に突き放すように、あり続ける大いなる山並みだけなんじゃないだろうか??



そう、思っていたのに。

結局それは叶わなかった。

そして、それは、もしかしたら一生叶わない願いになるかもしれない・・・・・。



「おうい、奈津、帰ったぞ」


からり、と。普段は、俺が帰る時間になればいつも、家の前で待っていた奈津が、姿を見せなかったから、まだ怒っているんだろうな、なんて、僅かに憂鬱な気分で家の引き戸を開いても、そこに奈津の姿は全くなかった。


「奈津??どさ行ったんだー??奈津??」


日暮れ間近。祭りはまだ始まっていないし、どこかへ出歩いているんだとしたら、もうそろそろ戻って来てもいい時間のはずだ。

それなのに・・・・。

薄暗い室内のどこを探しても、奈津の姿かたちは見えなかった。

まるで、初めからそこに居なかったかのように。

きちんと整えられた寝床も、口を一切聞いてくれなかったにもかかわらず、それでもきちんと準備してくれた朝餉の残りも、しっかりと片付けられているからこそ、まるでそこには初めから俺以外の人がいないような、そんな錯覚に陥りそうになる。

そんでもそんなはずはねえ・・・・!!

そんなはずは・・・・!!



「佐太郎さん。今いがったかい(今時間もらっていいですか、という意味です)??」



突然後ろからかけられた声に振り返れば、そこには、この村の村長と、他に、屈強な男が数人。

まさかここまで近づかれるまで気付かなかったとは・・・・。そんだけ余裕が無くなっている証拠じゃないだろうか??

それに、そんなことよりも、何よりも、普段は滅多に集落を出ない村長が、突然こんなあばら家を訪ねてきたことに対して、喜びよりも、むしろ、怪訝な思いの方が勝っちまう。

特に、奈津と喧嘩して、奈津の奴の姿が見えない今はむしろ・・・・。


「なんだ??」


できれば、奈津のことじゃなくしてくれよ、頼むから。

そう心の中で、じわじわ、じわじわと昇って来た不安を抑え込むように、いやいや、大丈夫だ、大丈夫に決まってら、何なら奈津の奴は、出不精の俺とは違って、村でもうまくやっているに決まっているからな、なんてそんな厄体もないことをつらつらと考えながら、問い返す。

そんでも、こういう時程、嫌な予感って言うのはよく当たるもんでな。

頼む、頼むぞ、何て、そんなことばかり思っていたからかもしれねえし、そうじゃねえかもしれねえ。

そんでも、


「いえなに、相談と言うか、頼みがありましてな。奈津さんのことですが」

「うちの奈津がなんかしたんかっ!?」


酷く言い辛そうに、飛び出てきた名前に、胸がざわざわ、ざわざわと妙に騒ぐってもんでな。

掴みかからんばかりに、詰め寄ると、そんな俺を制するように、屈強な男衆が、まるで、遮るように前にずい、と出て来たもんだから、村長の姿は、陰に隠れっちまった。

そんでも、その影から僅かに見える、村長の顔は、笑みを浮かべているって言うのに、随分と気の毒そうな顔をしているような気がしてならねえ。

それがまた一層、俺の不安を煽って来るもんだから、居てもたってもいられなくて、


「奈津に何かあったんか!?怪我でもしたんか!?奈津は・・・・!?奈津の姿は・・・・!?」

「佐太郎さん、佐太郎さん、とりあえず落ち着きなさいな。奈津さんは別に何ともねえがらな」

「だったら、一体・・・・!?」

「これはとっても名誉なことじゃ。とても名誉なことなんじゃからな」


そんなふうに言いながらも、その先をなかなか口にしようとしない村長に、僅かにいら立ちが募るけれども、今は、ここで言い争うよりも何よりも奈津の安否を確認しなくちゃならねえ。

だからこそ、


「そんたらことはいいがら!!奈津は一体なしたんだ!!??どこさ居るんだ!?」

「奈津さんは今、おらたちの村の集会場で説明を受けているから。んだがら大丈夫だべ。別に怪我しているわけでもなんでもねえ。ただ、ちょっと・・・・」

「ちょっと何なんだ!?んだがらなんだって聞いでるべ!!早く!!何があったんだ!?」


ここに帰って来たくない、ってごねてるんだろうか??

だったら・・・・。そんなことだったらどれほどよかっただろうか。

だってそうだべ??したら、俺が奈津のところさ行ってただ、ごめん、って一言謝ればいいだけなんだ。

たったそれだけ。

それで済んだだけの話だったし、今までだって、これからだって、そんなこといくらでも積み重ねてきたことだし、経験していくことに違いねえ。

だって言うのに。


「村長・・・・!!もう、話してしまった方が・・・・!!」

「分かっている、分かってはいるさ」


一人の男に促され。

ようやく口を、重い口を開いたが。



「山の神様が、奈津さんを嫁に、と所望していらっしゃる。これはとんでもなく名誉なことだべ。奈津さんは・・・・。奈津さんは、山の神様の元へ、神々がおられる、人では決してたどり着けない天上へ嫁ぐことになるんだべ」

「・・・・なんだよ・・・・それ・・・・どういう・・・・??」



言葉が出てこない。

頭が、心が、考えることを放棄している。

はあ??なんだそれ??

何かの悪い冗談か??

村の皆で、奈津に頼まれて、俺を担ごうとでもしているんだろう??

そうなんだろう??

だって、そうとしか考えられない。

山の神様だって??それが何だって、奈津のことを嫁にと欲するって言うんだ??だって、相手は神様なんだぞ??対して奈津は、まだ、ほんの小さな少女じゃないか??

そもそも・・・・。そもそも、もし、本当に山の神様の元へ嫁ぐとなったら・・・・??一体奈津はどうなるって言うんだ・・・??


「期限は今日を含めて二日後だそうだべ。んだども、明日の早晩には、奈津さんを儂らのとこに預けてくれねえだろうか??」

「何のために・・・・!?」

「何のためにって・・・・。そりゃあ輿入れするのに何の準備もしねえわけにはいかねえだろう??ましてや神様んとこさ嫁入りするんだべ??だったら身を清めて、村の女衆さ頼んで綺麗に身だしなみ整えてもらって、それから供回り引き連れて山さ行くんだべ。女は時間がかかる言うでな」


酷く現実感が無い。

なんの悪い冗談だ??

皆・・・・皆で俺を担ごうとして。

そんなことばかりがぐるぐる、ぐるぐる頭ん中回って、まるでふわふわ、ふわふわ夢の中さ居るみてえだ。


「・・・・奈津は・・・!?奈津の奴は・・・・!!今どこさ居るんだ!?」

「ああ、なに、安心するといい。さっきは随分と取り乱して泣き喚ていたでな。村の女衆で宥めたで泣きつかれて寝ちまった・・・・。今日の夜と明日の日中だけは佐太郎さんと一緒に家族水入らずで過ごさせてやろうって皆話し合った結果納得したもんでな。連れてきたども・・・・おい!!お連れしろ!!」


村長の言葉に応じるように、こんこんと眠りこけた奈津が、間違いなく奈津自身が抱きかかえられて運ばれてきた。


「奈津!!!???」


運び込んできた男に飛びかかるような勢いで駆け寄り、まるで、今すぐにでも奪い返さなければどこかへでも連れて行かれそうな気がして、気が気ではないが、そんなことはなく、丁寧に、丁寧に、粗末な板敷きの床の上に降ろされた。

その体のどこにも、怪我をしたような痕はなく、それでも涙の痕だけは、きっちりと頬から顎にかけて残っていて、あまり水を吸収しない粗末な衣服の胸元にも、まだわずかに湿り気を帯びた熱が残っている。


・・・・・良かった、無事で・・・・。ひとまずは・・・・。


そう思った俺に、


「起きた時はごねるようだったらこれは大変に名誉なことなんだって佐太郎さんからも言い聞かせてくれねえかい??」

「なんで・・・・!?」


何でそんなことをしなければいけない!?いや、そもそも、どうして娘が、奈津が山の神様に娶られなければいけない!?

ぎょろり、と睨み据えたが、しかし、俺の怒気に反応して若干身を引いたのは僅かに数人の男だけで、村長に、窘めるように、


「こらこら。山の中で生き、山に生かされてきた佐太郎さんともあろう方がそんなことを言うもんでねえ。あんたは今まで生まれてこの方山からいろんなものを受け取って来ただろう??その子の命すらも、山が育んでくれたもんだ。違うかい??」

「・・・・・」


そう、だ・・・・。そう言われれば、その通りだ・・・・。

それでも・・・!!娘を失うことと、そのことは全く意味が違う・・・・!!


「他家に嫁にやるのと、神様に嫁にやるのと何が違うんだ??そもそも、神様が人を見初めてもらい受けようとしてくれることなぞとんでもなく名誉なことではないか??神様がどうかは知らんが、どんな生き物だって子を為さなければ廃れ、死にゆくだけ・・・・。山の神様を失っても、山の恵みを失ってもいいのか??」

「それは・・・・」


膨らんだ怒りは、勢いそのままに急速にしぼんでいき。

何が正しくて、何が間違っているのかも分からなくなってきた。

村長の言うことが正しいのか・・・・??それとも、俺自身の気持ちが正しいのか・・・・??

思い悩む俺の肩に、よろしく頼んだぞ、とばかりにぽん、と手が置かれ、


「そういう訳でな。明後日には迎えに来るでな」


それだけ言い残すとぞろぞろ、ぞろぞろと村の方へと向かって去って行ってしまった。

薄暗闇の中。

残された俺はこれが夢なのではないか?と思えてならない。

今のも全部夢で、秋の夜長が見せた質の悪い悪夢なんじゃないのか?と。

それでも、奈津の涙の痕を見れば。

それが嘘や、夢ではないことは明白。


「奈津・・・・」


俺は一体どうすればいいんだ??

俺は一体・・・・・。


「・・・・・ぅん・・・・」

「起きたか!?奈津・・・・!!」


僅かに身じろぎしたかと思ったら、綺麗な、俺とは似ても似つかねえまん丸の瞳がゆっくりと持ち上がって、潤んだ黒の眼に生気の光が僅かに宿る。


「お、おっとう・・・・。私・・・・私・・・・!!」


何かにうなされるように、何かに追われるように、突然にがばっ、っと跳ね起きた奈津は、しかし、

「あっ・・・!?」


よほど疲れていたのか、ぐらり、と倒れそうになったので必死にその脇から手を入れて支える。

その背中はまだまだ華奢な少女のものかと思っていたが、随分とふっくら丸みを帯びて、柔らかく、彼女が知らず知らずのうちに大人の女として成長していたことを、ここで思い知らされてしまった。


「大丈夫だ。安心しろ。大丈夫だから・・・・・。ここには何にも居ねえ。だから、安心しろ。そんで何があったのか?おっとうに話してくれねえか??」

「おっとう・・・・!!わたし・・・!!私嫌じゃ!!!山の神様の嫁さんなんてなりたくねえ!!!」

「奈津・・・・」


そんなこと言うな、って言うべきなんだろうな。

何せ山に生きて、山に死ぬ俺みたいな人間にとって山の神様に娘を見初めてもらえることなんて願ってもねえことなんじゃねえんだろうか??それでも・・・・。


「わたし嫌じゃ!!!わたし・・・・!!私・・・・!!もうおっとうに会うこともできなくなるって・・・・!!村の皆にも会えなくなるって・・・・!!私好きな人がいるんじゃ!!ねえ!!おっとう!!村のおばばも!!村長も!!皆、皆口を揃えて言うんじゃ!!これ以上の幸せはねえぞ、こんな幸せなことはねえぞ、って・・・・。でも!!!」


涙はとうに枯れていて、掠れた声で、絞り出すような声音は、それでも震えていて、今にも泣きだしそうな、そんな弱々しさを持っているのに。

こんなにも必死に。こんなにも縋り付くように、俺に抱きついてきて、離れたくないんだ、離したくないんだって、そう訴えかけてきている様で。

だとしたら、そんな娘にどんな言葉をかければよかったんだろうか??


「私嫌だよううぅぅぅ・・・・・!!!人並みに生きて、人並みの幸せでよかったんだようううぅぅぅ・・・・・!!好きな人と寄り添って、子供産んで、貧しくってもなんだって、人並みに生きることの方がよっぽどいいに決まっているようううぅぅぅ・・・・!!!」

「そうだな・・・・」


どんな言葉をかければいいんだろう??

なんて言えばいいんだろう??

そうだな、なんて口の先では分かったようなことを言いながらも、ああ、駄目な父親だ。それでも・・・・・。それでも、どうすればいいんだろうか、なんて、そんなことばかり考えて、考えて・・・・。それでも結局答えは見つからなくて。


そのまま、すとん、と眠ってしまった奈津をゆっくり、起こさないように抱きかかえながら、寝床へと寝かしつけ、そのまま同じようにすやすや、すやすやと安らかな寝息を立てながら眠る娘の寝顔を、一緒に横になって見つめ続ける。

それでも、眠気は一向にやってこないし。


「綺麗になったなあ・・・・」


何でそんなことにも気付かなかったんだろうな・・・・。こんなにも瑞々しく成長した娘に。山の神様ですらも見初めてしまうほどのその美しさに、誇らしさよりも今はただ、ただ哀しかった。


「お前がさっき言ったように、人並みに生きることすらも許してやれねえのか、俺は・・・・」


俺たちの生活に、豊穣と、恵みをもたらしてくれる山々に抱かれて。

春には一面に花々が咲き乱れ。

夏には溢れんばかりの生命が満ち満ちる。

秋にはお日様の色と同じ、真っ赤に染まった木々を横目に、実りを蓄え。

そして冬には、寒々とした、雪に覆われる、どこかこの世のものとは思えないほど美しくも厳しい世界。

でも、そんな山でも楽しい事ばかりじゃあねえ。実りばかりじゃあねえ。

危険なこともあれば、生と死は表裏一体。いつ死ぬかも分からねえ、まるで薄氷の張った川の上を歩いているみてえなものだ。


・・・・俺の親父は、嵐の晩に、川の増水に呑まれてそのまま帰らない人となっちまった・・・・。


俺がまだ十か、そこいらの時の話だったんじゃねえだろうか??優しくて、力持ちで、何でも知っている凄い父ちゃんだった。自慢の父ちゃんだった。

山のことは何でも教えてもらったし、俺が紛いなりにも母ちゃんを支えるために山師としてその時から生きていけるようになったのは、父ちゃんの教えてくれた知識と、そして仲間の山師の人達のおかげだ。


・・・・・もう四十年近く山の中で生きてきたのか・・・・。


あっという間だったかもしれねえ。そうじゃなかったかもしれねえ。いろんなことがありすぎて、良く分からなくなっちまうところだったけれども。


・・・・俺は・・・・。父ちゃんを凄い人だと、尊敬していた・・・・。けれども、俺はどうだ・・・・??俺は、奈津が誇ることができるような父ちゃんだったのか・・・・??


もしかしたら、もう明後日には、二度と会うことができなくなるかもしれない。

未だに持ってその実感はわかないが・・・・。

そして、未だに持って、どうか夢であってくれ、と。明日の朝に起きたら、奈津はここでこうして寝ていて、こんな夢を見たんだよ、なんて笑い話で、「おっとう、何寝ぼけているんだ??そんなこと夢にも起きるわけ無いだろう!!」って笑い飛ばしてくれないだろうか・・・・・。


・・・・俺はどうすればいいんだ??


残された時間を、ゆっくりと、過ごせばいいのか??

それとも、二人でこの村から逃げるか・・・・??どこに・・・??この山を離れて、他の場所で生きていく自分なんて想像できないのに。

それに・・・・。


「昨日はごめんな。お前の好いたあの男、礼儀正しかったな・・・・・。もう一度父ちゃんに会わせてくれるか・・・・??」


答えはない。

答えなんてものはないことくらい分かっているし、これはただの自己満足でしかないことくらい分かっている。

もうちょっとちゃんと自分の娘と向き合っていればよかったのにな・・・・。

今更になってこんなに後悔することになるとはな・・・・。


「ごめんな、奈津・・・・。本当に・・・・、本当にごめんな・・・・・」




夢を見た




いつの間にか眠っていたのか??

いや、自分では眠っていた気がしなかったが、それでも何だろうか??(おぼろ)月夜(づきよ)に、(もや)がかかったような森の中に立っていて、いつもは見慣れた山のはずなのに、どうしてか、この世のものとは思えないほど、生気と言う物が感じられない。

ぞく、っとするような、それでいて、寒気とか、そんなものの一切を全く感じない。

ぼやけた視界、ぼやけた頭。

まるで・・・・。


・・・・まるで水の中に映した鏡をのぞいているみたいだ。


そんな不思議な世界を歩く、歩く、歩く・・・・・。

どれくらい歩いただろうか??確かなことも、方角も、距離も全く分からないけれども、何故か、こっちに進む、と言うことだけは分かった。


暫く進んでいると、そこに立っていたのは、随分と山に不似合いな青年だった。

僅かにぱらぱら、ぱらぱらと小雨が降りだしたというのに、その青年は白の単衣(ひとえ)を身に纏い、風にたなびくその衣は足元に至るまで泥一つ付いていない。

全くの純白。

長い髪を一本に束ね、後姿からも分かる。その秀麗な耳目をただ、ただ木々の隙間から僅かに望む眼下の山並みへと向けている。

ただ、ただ、静かで。

ただ、ただ、美しく。

そして、この世の者とは到底思えない。


「あと二日、か・・・・・」


ぽつり、と呟いた言葉、その言葉に僅か、あっ!?と声が漏れそうになった瞬間、景色が暗転し、次に靄が晴れた時には、全く別の場所に立っていた。


そこも、山の中なんだと思う。

周りを深い木々の梢が覆っていて、さらさら、さらさらと水が流れる優しい音が聞こえてくるから。

あの水音を聞けば、かなり上流の方だというのは分かるけれども、果たして本当にここは見慣れた山並みなのか、大分自信が無くなってきているが・・・・。

何より、目の前に、こんなに小さくて、丸くて、深い、水底の見えないほど深い、深い池なんてあっただろうか・・・・??


滾々と水を湛えながら水面が風に揺れ。

覗き込んでも己の顔すら映らないというのに、どうして空に浮かぶ朧月は、鏡水の中、煌々と輝いているのだろうか??

不思議でならない。

もっと不思議でならないのは、水面は風に吹かれてはたはた、はたはたと揺れているにもかかわらず、朧月は全く小動(こゆるぎ)ともしていない。


「奈津を・・・・どうか、奈津を頼みます、とそう申したではありませんか」


今まで人の気なんて一切なかったというに。一体どういうことなんだ!?

何より・・・・!!

突然に後ろから声をかけられたことよりも何よりも、忘れるはずがない!!忘れられるはずがない!!その声・・・!!


「お前・・・・知世(ともよ)か・・・・??」

「ええ。そうです。知世です」


病弱で、奈津を生んですぐに死んでしまったはずの彼女が・・・・。この世で最も愛し、死ぬまで一緒に居ようと誓った女が・・・・。生前と全く変わらない姿で立っていたんだ・・・・!!

それを不思議だ、と思うよりも懐かしい、と思うよりも何よりも。


「・・・・だとしても俺に何ができるんだ!?・・・・何ができるんだよ・・・・・。俺に・・・・。駄目な父ちゃんだ・・・・・。お前との約束一つ守ってやれない・・・・。駄目な・・・・・」

「そうですね・・・・」

「でも、だからってどうすればよかったんだ・・・・??俺にはもう何が何だか分からない・・・・。どうしていいのかも分からないんだ・・・・・」

「そうでしょうね・・・・。ですが抗ってみようとは思わないのですか??」

「抗うなんて・・・・。大それたことだ・・・・・。大それたこと・・・・・。それで、もし山の神様の勘気をかってしまったら・・・・??山の営みが、実りが、豊かさが失われてしまったら・・・・??」


それが怖くて、怖くてたまらねえ。

娘を差し出せば、何て口が裂けても言える事じゃねえけれども。

それでも、もし、そんなことが起きっちまったら、もう生きていくことすらもできなくなってしまう。

自分が死ぬことなんて怖くはねえ。

いつ生きるか死ぬかも分からねえんだから。どこかで覚悟だってしてきたつもりだ。

それでも、全く関係ない村の人々を巻きこんじまうし、何より奈津だって・・・・。

神様の嫁になることが果たしてどんなことかは俺には分からねえ。

もしかしたら本当に願ってもない望外な幸せなのかもしれねえし、野垂れ死んでしまうことの方がよほど苦しくて、侘しくて、哀しい事じゃねえかとそう思ってしまう。


「でも、奈津はそれを望んでいませんよ??」

「そんなことは分かっているさ!!そんなことは・・・・分かっているんだよ・・・・でも、だからって・・・・」


一体こんな俺に何ができるって言うんだ??


まるで救いを求めるように見上げた俺の目に、しかし知世は酷く申し訳なさそうに、


「月の神様からの言伝です・・・・。『もし娘を差し出したくないのならば、山の神様の好物である芋と栗をあらん限り集めて捧げるしかない』と」

「あらん限り!?芋と栗をか!?あらん限りとは・・・・!?あらん限りとは一体どれくらいの量なんだ・・・・!?頼む・・・・!!!教えてくれ・・・・!!知世・・・・!!!ともよ・・・・・!!」


手を伸ばして。

触れたい。もう一度。もう少し声を聴きたい。

それなのに。

どんどん、どんどん、靄が深くなっていって、知世の姿も遠く、遠く離れていく・・・・!!

必死に足を動かして追いかけようとしているって言うのに、どうして心に反して体が動いてくれないんだ・・・!?俺は、こんなにも・・・・!!こんなにも・・・・!!


・・・・頼む・・・!!もう少し・・・・!!あと少しでいいから・・・・!!!




「知世!!!!」




見慣れた天井。

粗末な板張りの。冷たい床の上で、雨の染みが僅かに残った天に向かって手のひらを突き出していた。

朝晩は随分と冷え込むというのに、額にはびっしょりと汗が滲み。

喉が渇いて張り付くような不快な感覚に声がかすれる。


「今のは・・・・??夢・・・・なのか・・・??」


夢にしては、嫌に鮮明に思い出すことができる。

だとしても、現実感が無さすぎる・・・・。


「知世・・・・・。お前を信じてもいいのか・・・・??」


小さな明り取りの窓から覗く月明かりは煌々とただ、ただ、眩く輝くばかりで、答えなんてものは全くもって与えてくれないけれども。

それでも・・・・。

それでも、このまま抗うことができないというのならば・・・・・。

例えこれが自己満足だったとしても。


「夜に山に入るなんて自ら死にに行くようなものだ・・・・」


普段の自分だったら絶対にそんなことはしなかっただろう。普段の自分だったら・・・・。

それでも、家の中にあった中で一番大きな背負子を担いで、手早く、そして静かに身支度をしたら、深く、安らかに眠ったままの奈津に、


「じゃあな、行ってくる・・・・。何にもしてやれない、ただ、ただ、無様な父ちゃんを恨んでくれて構わない・・・・。俺は口下手だからな・・・・。本当にすまねえな・・・・」


かなり後ろ髪を引かれる思いがするが、それでもこれでいいんだ。

夢の中で母親に出会った、と聞かされて、あらん限りの芋と栗を取ってくる、なんて聞かされたらどう思うだろうか??

気が触れた、と思うに決まっている。

ましてや、意に添わぬ婚姻を結ばされそうになっているこんな時に。

いつもであれば一番頼りになるはずの父親が、朝起きたら忽然と姿を消しているんだ。

不安に思わないはずはないし、自分だったら捨てられた、と思って泣き出してしまいそうだ。


・・・・思えば小さい時から、我慢ばかりさせてきてしまったな・・・・。


これが最後だというのなら。

これが、現世で会うことができる最後の二日間だというのならば。

最後の最後まで一緒に居てやるべきなんだろうけれども・・・・。


娘の、奈津の孤独を、我慢も不安も、全部全部、昔から見てみないふりをし続けてきてしまったから・・・・。

だから、今更どんなことを話せばいいのか、何を伝えればいいのか、そして、何をしてあげられるのか、そんなことが一切何も分からないんだ・・・・。


だったら、最後の最後まで知世を信じて、自分自身を信じてみよう、と思っただけなんだ・・・・。


吐く息は白く。

踏みしめる大地は、枯れ草に霜が張り付き、しゃり、しゃり、と小気味よい音を伝えてくる。

万が一の時のために背に負った松明は、今日は出番がないことを祈るばかり。

夜空の輝く月は、ただ、ただ煌々と明るく、炎の明かりがなくとも足元を照らしてくれる。

それでも、森の中に一歩足を踏み込んだ瞬間に、囀る鳥の音も、ぱきっ、と何かが枯れ枝を踏み折る音も、小さな虫の羽音まで全部全部、静寂の中を伝わってくる。


・・・・日が照っている時とは全く違う。


夜になると活発に動き出すものたちがいる。

それは虫だけではなく。

それは獣だけではなく。

そして、それは決して鳥だけではない。

唯一すやすや、すやすやと眠るものがあるとすれば草花だけ。

体に霜を凍り付かせ、枝を垂らして、そよそよ、そよそよと風に揺れる葉も、深く首を垂れるように蕾を萎ませて静かに眠る花々も、全部、まるで生きることを止めてしまったかのように・・・・。


けれども、俺は知っている。

夜に動きだすものどもは、総じて弱気を食らって生きていく。いや、生きとし生けるものは、どいつもこいつもきっとそうに違いないが、それでも、日の光の中、活発に動くものは人に対して無害なものも多い。

勿論なににでも例外はあるだろうが。

それでも夜の闇の中に動き出すものどもは、闇を恐れない。人を恐れない。恐れるものはただ、自らよりも強いもの、そして炎の朱だけ。

だからこそ、この松明に火をつけた瞬間と言うのはきっと、危地に陥った時に相違ないはず。

そして、危地に陥った時以外で火を灯そうものならば、カラカラに乾燥した木々が、枯葉が、草花が何かの弾みで一瞬のうちに燃え広がれば、それはもはや災禍でしかなくなってしまう。

だからこそ、山師にとって火と言う物は、最も強力な武器でありながら、その実己を焼く諸刃の剣でしかありえない、とそう教わってきた。


「栗の木・・・・、栗の木・・・か・・・・」


いくら恵みの森とは言っても、それは決して人にだけそうであり続けるわけではない。

それは、全ての生き物に平等に。

どんなに弱い生き物であっても対等に。

だからこそ、


「あった・・・!!が・・・・。そりゃあそうだろうな・・・・」


すでに熟して半分ほど実が落ちてしまっている。

落ちた実の中には、虫や鳥、そして獣に食べられてしまったものもあって、手に取って薄暗闇の中に月明かりのもとにかざして確かめてみても、そのほとんどがすでに食べられそうもないものばかり。

いくら人が食べるものではないとはいえ、神様に奉じるものなんだから、それなりの見栄えがするものの方がいいのだろうか??

それとも、質よりも数が重視。例え虫食いの穴だらけだったとしても、そんなことは気にしないのだろうか??

それとも・・・・??


「ま、いくら考えたところで答えが分かるはずもないか・・・・」


だとしたら、人の尺度で集めるということでいいのではないだろうか??

例えば、熟して地面に落ちた栗の中で、虫食いのない比較的見栄えのいい実だけを収穫していく。

木の上に成った実は、縄を掛けて揺らして見て、落ちてくるものだけ収穫していく。

それで十分な量がとれるはず。

山に慣れた山師が、一日を栗の収穫だけに費やせば、それこそ背負子を一つ、二つ、三つほどは一杯にできるくらいの量は取れるんじゃないだろうか??


・・・・果たしてそれで本当に満足な量なのかどうかは知らないが・・・・。


「仕方ない・・・・!!何往復だろうが、体力の限り、時間の許す限り、してやるつもりさ・・・!!」


生憎と、何十年もこの山に登り続けてきたから、慣れっこだ。

そして、栗の木なんて、至る所に自生していて、見つける気になればすぐに見つけることができる。

ただ、問題があるとすれば・・・・。


「芋、芋か・・・・・」


こればっかりは、いくら山師と言えども簡単には見つけられない。

何より、山の中に自生している芋なんて、たかが知れているし、在ったとしても、鼻のいい猪や、犬、熊と言った獣に掘り起こされて食われっちまっていてもおかしくはない。

三日間必死に探し回ったとしても、今背負っている背負子を半分でも満たせればいい方だ。

そして、仮にそれだけの量を集められたとしても、神様がその程度の量で満足するとは思えない・・・・。

だったら、どうするか・・・・。


だったら、栗をあらん限り、それこそ、山の中の食べられそうな栗を根こそぎ収穫してしまうくらいの量を取りつくさねばなるまい。


だからこそ、まだまだ先は長い・・・・!!

夜も明ける前から。

突きが煌々と照る夜の山道を突き進みながら。

絶対に諦めてなるものか、と自分を、そして知世を信じてただ、突き進む。




「はあ・・・・、はあ・・・・、はあ・・・・・」


山を軽んじていたつもりは毛頭ない。そんなことをすれば、長生きなんて決してできなかっただろう。

だからこそ。

だからこそ、ここまで無理をしたことも普段はなかった。


「俺だってこんな無茶な真似したくはなかった・・・・さ!!」


日も昇らぬうちから夜通し登り続け、朝日が山並みに顔をのぞかせた時にはようやく背負子の半分が栗で一杯になったくらいか??

いつもであれば、これだけ収穫があればすでに下山していてもおかしくはない。

それでも未だ、目標には程遠いからこそ、まだまだ、と上を目指して登り続けなければならない。


「そもそも・・・・!!こんなに、重くなってくるとは・・・・な!!」


重い!!

とにかく重い!!

こんなに重くのしかかってくるとは流石に想定していなかった!!

自分の見込みの甘さに悪態をつきながら、それでも懸命に登り続ける。


「栗っていうのは、こんなにも拾い集めることが無かったから分からなかったが・・・・!!一粒一粒が重いのだ、な!!!」


そうなのだ。こんなに小さな一粒に、一体どれくらいの実が詰まっているというのだろうか!?集めればまるで小石でも詰め込んでいるんじゃないか!?と疑うほどの重さ。

何より、普段はそろそろ下山を考える量だが、今は背負子一杯に。だからこそ重い荷を背負って昇り続けなければならない。

それもまた、足腰にかかる負担が増していく原因だ。


そして何より・・・・。


「暑いな、しかし・・・!!まだ日が昇って間もないというのに・・・・!!嫌になりそうな暑さだ・・・・!!」


山は朝晩と冷え込む。

それは、登れば昇るほど。だからこそ、夜に家を出た時には随分と厚着をして、それでも寒さに苦心したものだから問題はないと思っていたが・・・・。

動けば動くほど。日が顔をのぞかせれば、覗かせるほどに。

額を何条もの汗が滑り落ち。体から、手足から、果ては頭のてっぺんから白い靄のように煙を噴き上げていく。

これでは、ここに何者かが居ますよ、と声を張り上げながら歩いているようなものだ。

これを目印に獣か何かが襲い掛かって来ないかと冷や冷やしている。


「まあ・・・・!!なんにせよ・・・・!!何にも襲われずに、何にも出会わずに一夜を越せたことは・・・!!幸運だった、な!!」


それでも果ては見えてこない。

どれだけ上っても、頂は見えず。

どれだけ拾い集めてもなお、尽きることを知らないかのように栗の木が姿を現し続ける。

もう、一体何本の栗の木を揺らし続けてきたのだろうか??

すでに手の平には、血が滲み。

一体、どれだけの栗の木の下を探索してきたのだろうか??

腰は石のように重く、固まったまま悲鳴を上げている。


「いい獲物だろう・・・・な・・・・!!」


ろくに逃げることもできず。

さりとて荷を捨てることなんて決してできるわけがない。

この荷を手放せば、獣に追われても逃げ切ることができるかもしれない。

それでも、この必死に集めた荷が、もしかしたら、自分の命なんかよりもよほど大切な、娘と引き換えにできるかもしれないのだから。

だからこそ捨てるわけにもいかず。

背に負った大量の木の実を狙って、もしくは疲れ切った人を狙って、何かが襲い掛かって来たとしても、果たしてどうすればいいというのだろうか・・・・。



「ふう・・・・、ふう・・・・、ふう・・・・・!!!ふうぅ・・・・!!!」


ゆっくりと吐き出す息は、未だ白く。

見上げる空は、雲一つない晴天。

目を転じれば、あちこちに黄と赤の紅葉が咲き乱れ。

秋枯れの枝葉と、しかし、それでも最後の力を振り絞って咲き誇れとばかりに力強く、それでもどこか慎ましく、健気にそそり立つ草葉が。

紫紺の薄夕暗をそのまま落としこんだような花々が。


胸いっぱいに吸い込む風は、冷たく。

ゆっくりと冬の到来を告げるその風に、今は、今だけは熱く火照った体に心地よく。

土の匂い、どこかほんのりと甘いような、春や夏とはまた違う、穏やかな優しい匂いを連れてきてくれる。


夏の時分には、あんなにも騒々しく鳴き叫んでいたセミたちの大合唱も、終わったかと思えば、どこか寂しく。

命を叫べとばかりに囀る鳥たちの歌声も、もう聞くことはできない。

代わりに聞こえてくるのは、冬を越すために南へ、南へと向かう渡り鳥の甲高い声と、反するように冬をめがけて飛んでくる雪色の白鳥たちの大きな力強い羽音ばかり。


命は、季節は、こんなにも巡るというのに。

いつまで経ってもお前はちいぽけな存在なんだ、と教えられている様で、惨めな気持ちになるが、それよりも、この巡る大地の中へ溶け込むように死ぬことができたら、それはどんなに心地いいんだろうか、と。

死への憧れが、知世を失ってからむくむく、むくむくと膨れ上がってきた死への渇望が、喉を張り裂いてこみあげてきそうだ・・・・。


「もう全て投げ出してしまえたらどんなに楽なんだろうな・・・・。いや、全て、全て、諦めることができるんだとしたら、それはどんなに幸せなことなんだろうか・・・・・」


そんなことを、思ってしまったからなのだろうか??

死んでしまった知世に憧れ、それでもまだ、自分と一緒に生きて、歩いてくれている奈津をほんの一瞬、一瞬だけ諦めてしまえれば、とどこかで考えたから罰が当たったのか??

いや、それともそれは必然だったのだろうか??



もう何本目になるか分からない栗の木の下で。

栗を拾っていた時のことだ。


「おっと・・・・!?」


しゃがんだ拍子に僅かに立ち眩みを覚えた。

時間にしてしまえばほんの一瞬のこと。

息を吸って、吐き出して。そのまま、もう大丈夫だ、と立ち上がろうとしたその時。

体にわずかに感じる浮遊感・・・・!!

いや・・・・!!

体が、斜めに倒れ込む・・・・!!



それが、ただの平地だったら何の問題もなかったに違いない。



それでも、今自分が立っている場所を、立っていた場所を見て、これから体が倒れ行く大地を見て、血の気が引いた・・・・。

今まさに。

崖下へと身を投げ出している自分と。

必死に足をばたつかせればばたつかせるほど、脆くなった砂の地面が削れて、ついには足裏の感触が全く消失してしまった、その大地と。

それでもなお、必死に生きようと、みっともなく生に執着しようと、捕まるところを探してばたつく両腕と。


全部を嘲笑うかのように下へ、下へと落ちていく・・・・!!!


「こんなところで・・・・!!!」


・・・・死んでたまるか・・・・!!!


もがくように空へと伸ばした左腕が、僅かに突き出した木の根を掴んで、その体を未だに宙へと繋ぎ止めてくれた・・・・!!!


「くっ・・・・!!!こ、のおおおおおぉぉぉぉぉ・・・・・!!!!!」


左腕で全身を支えながら、もう一本の腕も何とかその木の根に引っ掛けることができた!!!

足は・・・!!


「落ち着け・・・・!!!大丈夫・・・・!!!大丈夫だから・・・・!!!」


今までにこんなことが一切なかったわけではない!!

今までだってこんな窮地はあったし、その度に乗り越えてくることができただろう!!!

だったら今回だって・・・・!!

落ち着いて対処すればいいだけだ!!!

両腕で掴むことができたからあとは両足で崖のどこか踏めるところを踏みしめて・・・・!!!そんで・・・・!!!そんで一歩、二歩って上っていければ・・・・!!!



それでもやっぱり、これは罰なのだろうか??

奈津を、不安におびえる奈津をただ一人、家に置いて、残してきたから。

きちんと話をすることもせず。

今にして思えば、どんな話をすればいいのかも分からなかったから、逃げていたのかもしれない。

小さい時から。

生きていくためには必要なことなんだって、心のどこかで言い訳を探して。

正面から、向き合うことから逃げてきたのかもしれない。

そんな俺なんかには勿体ないくらい綺麗に、気立てよく育った娘。

そんな大切な、かけがえのない娘を、最後の最後までないがしろにしてしまった不甲斐ない父親に対する罰なのかもしれない。



普段だったら越えられる危地。

普段だったら上ることができる崖。

いつもだったら。

いつもと同じだったら。


・・・・でも今は違う。


背負子一杯に、栗を背負って。

その背負子を捨てることは、できるわけがない。

時間も、何もかもが圧倒的に足りない中。

これだけが、たったこれだけが唯一の光明なんだ。

それを手放して、放り投げて、もう一度一から、何てそんなことできるわけがない!!

命と引き換えの、大事な、大事なものなんだ!!


・・・・どうすれば・・・・!?捨てるか・・・・!?これを・・・!?諦めるのか・・・・!?


「ああ・・・・。でももう駄目だ・・・・」


悩む時間が長すぎた・・・・。

諦めるのが遅すぎた・・・・。

とうに腕は限界が近く。普段以上に酷使した足は、震えを抑えるだけで精いっぱい。

そんな中で、この背負子を捨てたとしても上ることはできないだろう・・・・。


だったら・・・・あとは・・・・・。


背負子を崖の上目がけて投げる??

投げて、それが届いたとして、それはいったい誰がどうするのだ??

誰にも言わずに出てきたんだ。

俺が必死に拾い集めた栗は、崖の上でただ、ただ無駄になるだけに決まっているさ。

それだけじゃない・・・・。

もし背負子を投げたとして、その時が俺の最後の瞬間になるに決まっている・・・・。

投げればあとはもう崖下に向かって一直線に落ちていくだけ。


「・・・・もう・・・・駄目か・・・・。すまんな、知世・・・・。けれども、愛しているお前にまた会うことができるのなら、それは、それでいいことかもしれない・・・・」


ああ、駄目だ・・・・。もう、力が抜けていく・・・・。


「すまんな、奈津・・・・。お前が嫁に行くところを、神様でも何だったとしても、見送ってやることができなくて・・・・。最後の最後まで、お前を幸せにしてやることができない父親で、本当にごめんな・・・・・」


誰に聞こえるともなく。誰に聞かせるともなく。

呟いたのは、どうしてだろうか??

それでも、口に出した瞬間に、涙が、ぽろぽろ、ぽろぽろ零れ落ちて来て、ついにはとめどなく溢れだしてきた。

今にして思えば、ああできたのではないか、こうできたのではないか、とそんな気持ちばかりが巡って来て。

心残りばかりが浮かんでは消えていく。

それはつまり、自分の生きてきた道が間違いだらけだったことの証明ではないだろうか??

せめて・・・・。

せめて、奈津だけは・・・・。奈津だけは、どうか幸せに生きてくれ・・・・・。




その祈りが届くことはなかった・・・・・。



何故なら・・・・・。


汗で滑り落ちそうになっていた腕を、間一髪何かが、いや、誰かが掴み取ってくれたから!!!

現世に繋ぎ止めるように!!

まだ死ぬな!!とでも言うかのように!!!


「佐太郎さん!!!まだ諦めちゃいけねえ・・・!!!それだと奈津が・・・・!!!奈津が哀しむから・・・・・!!!」

「お前・・・・!?」


それは到底、山に慣れ親しんだ者の手ではない。

ごつごつとした力作業に慣れた男の手でもない。

あの時は、馬鹿にして、一顧だにしなかった、白く細長い、女みたいなひょろひょろとした腕。タコもなければ、肉刺(まめ)もない、そんな手に、今は支えられて生かされている。


「比呂彦・・・・!?」


どうしてここが分かった!?とか。なぜお前がここにいる!?とか。浮かんでは消えていく疑問を、全て洗い流すように、


「佐太郎さん!!!早く・・・・!!早く登って来てくれ・・・・!!!僕は力がねえから・・・・!!!支え続けるのも限界があるんだ・・・・!!!」

「・・・・分かった・・・・!!!今から登るから・・・・!!全力で引っ張ってくれ!!!」


思いのほか強い力に引き上げられて、何とか、崖の上まで這い上がることができた。

一事はどうなることかと思ったが、危地を脱することができたが・・・・。

それもこれも、今目の前で死にそうなほど息を荒げているこの男のおかげか、と思うと、複雑な気持ちに奈津てくる・・・・。


「・・・・そうだ!!お前、なんでこんなところに居るんだ!?それに・・・・!!」


その背中にあったのは、俺が背負っているのと同じような大きさの背負子。

それでも決して体つきの良くないこの男が背負えば、まるで籠にでも背負われている様で今にも倒れそうだから心配になる。


「その恰好は一体なんだって言うんだ・・・・・!?」


まさか山にわざわざ山狩りをしに来たとは思えない。

だというのに、そんな恰好をしているのは何か謂れがあるのだろうか??ましてや、あれほど折よく現れることができるなんて・・・・。


「夢を・・・・見たんです・・・・」


しかし、そんな彼の口から飛び出したその一言に、心臓が飛び出るんじゃないかって思うほど、驚いたのなんの・・・・。


「夢・・・・??どんな・・・・??」


何かを考え込むように、一拍の間をおいて、顎に手を当てながら、随分と気取った体勢で、ちらり、とこちらに窺うような視線を向けてくる。

常であれば、いら立ちを募らせたかもしれない、そんな所作に、それでも今は、今だけは一向気にならないから不思議だ。


「こんな珍妙なことを言っても信じてもらえないかもしれないんですけれども・・・・・最初に見たのは、この山なのかどうかは知りません・・・・。それでも間違いなく、山道でした・・・・。少し開けたところで、この世の者とは思えないほど美しい青年が・・・・いや、若々しく見えただけで、月夜に輝く白髪だったから、もしかしたら、老人なのかも・・・・。背筋がピンと伸びていて、上背があったから男に見えたけれども、女の人だったかも・・・・・。それでも、その、人とは思えない何かが、眼下の集落を見下ろしていました・・・・・」


・・・・同じだ。全く。こんなことがあるのだろうか??


「次に見たのは・・・・。美しい女性でした・・・・。背はそんなに大きくはないかもしれません・・・・。ですけれども・・・・。なんて言えばいいんですかね・・・・。奈津に、あ、いえ、奈津さんにどこか面影が似ている・・・・そんな美しい女性が、言うんです」

「・・・・何を??」

「『奈津を、助けてあげてくれ・・・・』って。どうやって??って聞いたかもしれません・・・・そしたら・・・・」

「そしたら・・・・??」


『芋と栗をあらん限り集めて代わりに捧げなさい』


・・・・どこまでも同じだ。これは何かの偶然なのか??それとも、もしくは必然なのか・・・??

そして・・・・。もし万が一、必然なのだとしたら・・・・。


・・・・どうして知世はこの男を選んだんだ・・・・??


いや、そんなこと、改めて考えるまでもないことだけれども。それでも、心のどこかで、まだ、認められない気持ちが勝って、それがためにどこかで否定し続けてしまう。


「それで、居てもたってもいられなくなって山を登ってきたら、道中の栗の木がほとんど実を無くしていて、どうしよう、どうしようと思って、それでもひたすらに進んできたんです・・・・」

「そしたら、俺を見つけた、そう言うことか??」

「ええ。そうですね・・・・崖から落っこちそうな人を見つけた時は流石に肝を冷やしましたよ・・・・」

「すまんな」

「あ、いえ、そう言う訳ではなくてですね・・・・!!」

「まあ、何にせよ、助かった。そんで、もしよかったら手伝ってくれねえか??俺一人だと、なかなか栗も拾い集めれねえと思っていたところだったんだよ」

「佐太郎さんも・・・・??あ、も、勿論です!!」



何とか協力者を手に入れた。

望んではなかった男だったかもしれない。

むしろ、こんな、山に慣れていない、体力もろくに無い、こちらが気にかけてやらなければいけないような軟弱な男よりもよほど、年取った山師の方が頼りになるに決まっている。

奈津が、どうしてこんな男を好きになったのか分からない。

見れば見るほど。

一緒に居れば、いるほど。

すぐにぬかるみに足を取られてすっ転ぶし。

地面にばかり気を取られて、木の枝に引っかかれて腕や首や、頬を瞬く間に血で真っ赤に染めるし。

何度、坂道で足を踏み外して転んだだろうか??

滑り落ちていっただろうか??

もしかして、この男を好きになったのは、俺に対しての当てつけなのか?と。そんなことを思うこともあるくらい。


・・・・まあ、それでも根気よく頑張ってはいるがな・・・・。


余計な手間が増えたかもしれない。

余計な心配事、面倒ごとが増えたかもしれない。

それでも・・・・。


「今日一日ご苦労さん・・・・何とか日が沈む前に、お前さんと、俺の背負子を一杯にすることができたな・・・・。そろそろ下山するか」

「はあ、はあ、はあ、はあ・・・・・!!」


言葉もないとはこのことではないだろうか??

疲労困憊。昔、本当に幼い時分。もう記憶も定かではない、そんなときのことを思い出す。

自分も、こんな風に死にそうなくらいに疲れ切った時があったかもしれない。いや、無かったかもな・・・・。

それでもよく付いてきたものだ。

いつか、すぐにとは言わないが、それでも一日は持たずに根を上げるとは思っていたから。

ましてや、背負子を一杯にして、更にはそれを背負ったままこうしてついてきたんだから、まあ、中々骨がある奴なのかもしれないな・・・・。

それでも・・・・。


・・・・・それでも、まだまだ、背負子二つ分の、栗、しか集まっていないんだよな。


芋はほとんど見つからなかった。

勿論、全くではない。

いくつかは見つけることができたが、それこそ、このままの量だとすれば、間に合う訳がない。


・・・・どうするか・・・・??


期日はあと一日・・・・。

明日の夜までに、どうにかめどを立てることができるのだろうか・・・・??


足取りも、そして気も重く、山を下った時。



村の衆が、若い男衆が、いや、男だけではない。女も、老いたるも、皆。特に若い男衆が集まっていたから、目についたが、ほとんど老若男女を問わず。

山の鳥羽口に、集まっていた。

皆が皆。

深刻そうな顔をして。いや、思いつめたような、心配そうな顔をして。


「どう・・・・??」


したんだ??

しかし、その迫力に思うように言葉が出てこない。これだけの人を見て、これだけ多くの人達が集まって来たのを見て、ああ、俺は今まで人とかかわりになるのを極力避けてき続けたんだな、なんて思い知らされる。

それがために、ここ一番、声が、出てこない。

これが緊張なのか??

喉の奥がきゅっとなって、しゃがれたような、掠れたようなうめき声だけしか出ないし、額から、暑くもないのにぽたぽた、ぽたぽたと汗が零れ落ちてきた。


「比呂彦!!大丈夫だが!!??」


ずい、と。前に出て真っ先に声を発したのは、年のころは、奈津や、比呂彦と同じになるだろうか??

よく日に焼けた、体つきの締まった青年。


「ああ、大丈夫、大丈夫だ・・・・・。だから、そんなに心配しなくても・・・・」

「心配するべ!!!!」


疲れからだろう、ふらふらの比呂彦が気丈にも、大丈夫、と手を挙げて宥めようとしたが、血相を変えた村の衆に、崩れそうな体を支えられる。


「心配するべ!!!」

「んだ!!んだ!!!朝起きたら、いなくなってたって・・・・!!!父ちゃん、母ちゃんに聞けば一体何があったんだって、みんな不安になるに決まってるべ!!!」

「皆・・・・・」

「そもそも、なしたんだ!?体が弱くて碌に動けねえお前が!!!??なんだってそんたら大っきい背負子なんか担いで山に籠ってたんだ!!??」

「これは・・・・、そのぅ・・・・」

「何か困ったことがあれば、いつでも言うんだよ!!??私たちは、いつも、いつもお前さんに助けられているんだから・・・・!!!」

「そうだ、そうだ!!!お前は、体を動かすことはできねえかもしれねえ!!そんでも、天の気を読んだりとか!!土の状態を見てくれたりとか!!!皆を指揮して水路を作ってくれたりとか!!!頭を使って、俺たちにはできねえようなことをやってくれるだろうが!!!」


・・・・こいつは、そんなことをしていたのか・・・・。


思わず目を瞠ってしまったのは、きっと俺の頭が悪いからだろう。

体が頑丈で、良く動けることばかりが、正しい事で、それには価値があっても、そんな力を、頑丈な体を持たないこいつには、価値が無いんだ、とどこかで思っていたから。


「んだ、んだ!!お前が居なかったら、今年だって、ここまで豊作になることはねえがったど!!!今年だけでねえ!!昨年だって!!!一昨年だって・・・・!!!」

「俺は・・・・、そんな・・・、皆の役になんて・・・・」

「お前は引っ込み思案で、自分のことを卑下しているかもしれねえども、皆、皆、お前には感謝しているんだ!!!だから、何か困ったことがあったんなら、いつでも相談してくれな!!??お前がいつも、俺たちに言っていることだべ!!??」

「奈津さんのことにしたってそうよ!!村長だって、おばばだって、そんな無理体な話があるものかい!!!私たち、あんたが帰ってきたらあの二人に直談判しに行こうって、皆で話していたところなんだよ!!!」

「あんたは思いつめやすいから!!!奈津さんが側にいてやらないと、すぐにこうやって突飛な行動をとって皆に心配させるからねえ・・・・」

「皆・・・・、皆・・・・」


ついには泣き出してしまった比呂彦を。

皆で囲んで、宥めて。

笑いあう彼ら、彼女らの中に、誰も彼も悲壮感はない。

奈津のことにしたってそうだ。

ここまで皆によく思われていて。

ここまで何とかしようとみんなが思ってくれた。

ただ、それだけで満足だった。

ただ、満足。

でも、いや、だからこそ。

村にあってはならない二人を奪ってはならない。

いや、奪わせてなるものか。

俺のためではない。

誰かのために。

初めての感情だったかもしれない。

知世が死んでから、奈津以外に感じた初めての感情。

だったら、この命が尽きても、例え山で力尽きて倒れても。

あと一日の内に、必ず。


・・・・必ず、芋と栗をあらん限り。


しかし、そんな決死の決意は、ついには叶わなかった。

いや、覚悟を決めるまでもなく。


「しかし何だって急にお前、山に向かったんだ??それも、奈津さんのお父さんと一緒に、その背負子一杯の栗はどうしたんだで??」

「夢の中で・・・・・、夢の中で見たんだ・・・・・」

「何を??」

「山の神様は、芋と栗が大好きだから、ありったけの芋と栗を捧げれば、奈津のことは諦めてくれるかもしれない、って・・・・・」

「そんな、お前・・・・」

「だから俺・・・・」


「「「「「なんでそんな大切なことすぐに言わねえんだ!!!!!!」」」」」」


「え・・・・??」


目を白黒させて驚く俺と比呂彦に。

ゆっくりと手を差し伸べるように。

安心するといい、とでも言うかのように。


「芋なら、畑さ植わっているから好きなだけ持っていけ」

「そうよ、そうよ!!うちの畑の奴だって持って行っていいんだからね??」


「でも・・・・!?それは皆の冬を越すための食料で・・・・!!」


「そんなことは気にしなくてもいいんだ。さっきも言っただろう??今年は豊作だったって。稲が一杯取れたんだ。芋なんかねえくたって、冬を越すことくらいできる。だから遠慮なんかするでねえ」

「んだ、んだ!!!芋だって別に、すぐ生えてくるんだから、持っていかれたところでまた植えればいい」

「そんたらことよりも、それで、そんなことで奈津さんを救えるんだよな??だったらよほど、俺たちの口に入るよりも、使ってもらった方がいいに決まってら!!!」

「ええ!!!そうよ、そうよ!!うちの馬鹿な息子がね、奈津さんを見てると元気が湧いてくるんだ、って・・・・。人の嫁になるのよ??って言っても、そんでもいい!!なんて、馬鹿ばっかり・・・・」

「あ!!それ家の息子もそうだで!?」

「うちなんて、いい年した父ちゃんが言うんだから、よほどうちの人の方が救えねえべ??」

「うちはおじいちゃんが・・・・!!」

「うちなんて、息子から、おじいちゃんに至るまで全員・・・・・」


「「「「「「本当に男って、馬鹿ばっかりよねえー・・・・!!!」」」」」」



最後の最後で、何だか酷く肩身の狭い思いをする羽目になったが。


それでも、結局村のほとんど皆が、背負子を何籠一杯にできるんだろうか??ってくらいの量の芋を分けてくれた。

それは、それはもう。大量で。

それを見た、村長とおばばが、何を無駄なことを、みたいな目をしていたけれども、俺は本当に嬉しかったし、何より、知世を信じているから。



そしてついに、その日が来て、奈津と、比呂彦と、俺が、三人。

借りた荷馬車に乗っかって、とことこ、とことことゆっくり、ゆっくり山道を進んで行く。

奈津は、途中で泣き出して。

そんな奈津を心配そうに俺が、比呂彦が、荷馬車を引く二頭の馬までもが、心配そうにのぞき込む。

大丈夫、大丈夫、って何回も、何回も言い聞かせても。

そんでも泣き止んではくれなくて。

結局山頂に着くまでに、わんわん、わんわん泣いて、泣いて、目を真っ赤に腫らした奈津を、そして、それを宥める比呂彦を荷馬車に残して。


たった一人、ぽつねんと佇む、その、人ではない何かの前へと俺一人が進んで行く。


・・・・ああ、やっぱりあいつが、いや、あの方が山の神様だったんだなって。


薄々とそうなのではないか?そうなのではないか?と思っていただけに、驚きは大きくはなかった。


『そなたは驚かないのだな??』


綺麗な、月明かりに輝く銀光の髪をさらさら、さらさらと風にたなびかせ。

眼下に望む山並みを横向きに見つめながら。

その端正な面立ちを、憂いに顰め。

村の誰よりも高い鼻筋。

大きく開いた瞳は、見つめるほどに引き込まれそうなほどに美しく。

それでいて、出会ってから随分と長い間、瞬きと言う物を一瞬たりともしはしない。

口元は小さく、唇は厚くも薄くもなく。

この世のどんな美しいと賞される女性よりも美しく。

この世のどんな凛々しいと誉めそやされる男性よりも、なお凛々しく。


それでいて、口を開くことなく、言葉が伝わってくるのだから不思議だ。


「夢の中でお前に、いえ、あなたに逢ったから・・・・」


ふっ、とわずかに笑みを浮かべたような気が・・・・??いや、気のせいか・・・・??


『道理で、見つめられたような気がしたのだが・・・・・』


まるで、水の底から響いてくる声のように。

(もや)がかかったような。(かすみ)がかったような、とでも言えばいいのだろうか??


『月の神様が??』


この声ならざる声は耳で聞こえているのではない。

そう気づいたときも、それでも、どうしてか、恐怖って言う物は全くわかなくて、ただ、ただ、穏やかな気持ちで、話すことができた。


「ああ、月の神様が教えてくれたって、知世が」

『ふむ・・・・。月の神は、美しい女性に優しいからな・・・・』

「あなたが好む芋と栗をたらふく持っていけって」

『どうやらそのようだな・・・・』


ここで初めて、彼が、いや、神様が、正面を見据え、俺を、次いで荷馬車にまだ乗って隠れたままの奈津と比呂彦を、捉える。


『・・・・・好いた者同士、か・・・・』

「ああ!!だから、どうか頼む!!!芋と栗で足りねえなら、こんな俺の命でよければいくらでも貰って行って構わねえ!!!」


俺があの二人にしてやれることなんてこれくらいだから。


「そんでも足りねえなら、死ぬまであんたに尽くすから!!!どうか・・・・!!」


俺は、今の今まで奈津を守ってやれているつもりでいた。

そんでも、それは間違いだったって。見当違いだったって。思い知らされたんだ。

比呂彦を見て、そして奈津を見て。何より村の皆を見て・・・・。


『いや、それには及ばないさ・・・・』

「えっ・・・!?」

『芋と栗を置いて去れ』

「それは・・・・!?」

『二度は言わん。馬に乗って三人でもと来た道を帰るがよい』

「ありがとうございます!!!!!」


良かった。

本当に。良かった。


・・・・・ありがとう、知世。ありがとう、比呂彦。ありがとう、村の皆。


誰かの協力が無かったら、願いは果たせなかったに違いない。

誰か一人でも、欠けたら、きっと奈津は山の神様に娶られて、二度と姿を見ること叶わなかったはずなんだ。


「佐太郎さん・・・・??どうだったんですか・・・・??」


だからこそ。不安そうにのぞき込んでくる比呂彦に、満面の笑みで。


「大丈夫だ。山の神様は奈津のことを諦めてくれるとよ!!!馬に乗って早くみんなのところへ帰ってやるべ!!!」



麓へついたときも、真っ暗な夜だったって言うのに、皆、皆、篝火なんか焚いて、まるで祭りか何かなのか??ってびっくりするほど、待ち続けてくれていた。

奈津の無事を、俺たち三人の無事を見て、上へ、下への大騒ぎ。

飲めや、食えや。

慣れない酒を飲み歩き。

綺麗な声で誰かが歌えば。

大きいばかりで汚い声の誰かが追従して皆に叱られる。

それでも、皆、口々に、良かった、よかったと涙を流して笑いあう。


知世が生きていたころは、もしくは奈津が小さかった頃は、何度か祭りってものに顔を出したものだったけれども。

彼女が死んでからはめっきりと村の衆と付き合うことも無くなって、いつか、いつの日か、楽しい、と。心底から楽しいと思える日が無くなっていたかもしれない。

こんなに笑った日はいつぶりだろうか??

こんなに泣いた日はいつぶりだろうか??

皆と肩を寄せ合って。

皆に肩を叩かれて。

お前も飲めよと酒を飲まされ。

ああ、それでも、朝日が顔をのぞかせるまで、皆で騒ぐ。



「あの・・・・!!佐太郎さん・・・・!!」


比呂彦の奴め。

そんなに思いつめた顔をしなくてもいいって言うのに。

何なら、山の神様の前に向かった時よりも強張った顔をしていないか??


「ご挨拶が遅れてしまって・・・・!!奈津さんのこと・・・・・」

「いいよ」

「・・・・・・へっ??」

「だから、いいって。奈津をお前にくれてやる」

「えっ・・・・??あの・・・・??その・・・・??」

「ははっ、なんて顔しているんだよ。お前が奈津を助けたようなものだろうが・・・・。お前の日ごろの、人の役に立ちたいっていう思いが、皆を動かしてくれたんだろう??奈津を立派に守ったのは俺じゃない。お前だ。胸を張ってもいいぞ」

「・・・・っ!?ありがとうございます!!!」


・・・・それに知世も、お前ならいいってさ。


あの夜、夢に彼女が現れたのは俺と、そしてこいつのたった二人。

村の衆の誰のところにも、知世は現れなかったし、奈津の夢に顔を出すこともしなかった。

どうしてなのか??

それはあの時は分からなかったけれども、今なら少しわかる気がするんだ。


・・・・お前も、この男のこと気に入っていたんだろう??何より、奈津に顔向けできないって、どこかで遠慮したんだろうな・・・・。


「ただし!!奈津の奴を泣かせたら、そん時は承知しねえからな!!!」

「はい!!それは勿論です!!!精一杯幸せにします!!!」

「おっとう!!比呂も!!ありがとう!!!!」


・・・・ああ、奈津のはじけるような笑顔を見ていたら、段々、人に渡すのが嫌になってきたような・・・・。


「おい!!比呂彦!!もし、奈津さんを泣かせたら、俺も許さねえからな!!」

「お前は何の関係も無いだろうが!!」

「なーにを言ってんだい!!あんた!!奈津さんは村のかけがえのない宝みたいなものなんだよ!?奈津ちゃんが泣いたら、皆でお仕置きするに決まっているだろう!!奈津ちゃん??うちの比呂が何か粗相をしたらいつでも言っていいんだからね??皆助けてあげるからね??」

「そう、そう!!」


「ぼ、僕に味方はいねえのかよおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!?????」


比呂彦の叫びが響く中。

ああ、いい夜だなあ、なんて。柄にもなく思って笑う。

良い夜。いい夜だ。月明かりは煌々と。地平の果てに沈むまで、俺たちを見守り続けてくれて。

こんな村に、こんな山間の小さな村でも。

本当にここに生まれて、生きてこられてよかった・・・・・。



このお話にある『いもくり佐太郎』ですが、福島市の和菓子屋さんで、和菓子として発売されています。

和風のスイートポテトのようなもの、とでも言えばいいのでしょうか??

甘さはしつこくなく、食感はスイートポテト程固くなく、口に入れた瞬間にほろほろと解けるような、そんなお菓子です。

私も食べてみたのですが、非常に美味しいお菓子で、気になった方は是非食べてみてください!!!

そして、皆さんには大変に申し訳ありませんでした・・・・。

中々に更新できなく、歯がゆい思いと共に、なんだ、もう終わりか、と言うような残念な気持ちをさせてしまったかもしれません。

そのこと、お詫びいたします。

そして、益々精進し、更に伝承を盛り上げていければと切に願っておりますので、どうか、今一度、応援のほどよろしくお願いいたします。



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