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日本の民間伝承  作者: 高橋はるか
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富士山 不死の山 富士山

富士山は、静岡県とも山梨県とも言えませんよね・・・・・。両方の県に跨ってますから!

【富士山の伝承 不死の山 富士山】


このお話を書く前に皆さんにお話ししたい注意点が二つあります。


①帝を主人公として、どこか人間臭く、そして、どこまでも思い悩む一人の男性として書いていくつもりですが、決して過激な天皇排斥の思想を持っているわけではありません。

天皇、帝、といった存在を神格化し、ないしは尊重している方は、もしかしたら不快に思われる記述もあるかもしれませんので、読まないことをお勧めします。


②このお話は、とりわけ古典文学『竹取物語』と関係の深い話となっております。私自身、竹取物語を専門的に研究している学者という訳ではなく、高校の古典文学として竹取物語を呼んだことしかない一般人です。専門家の方にしてみれば、物語上の記述で心的描写、風景、歴史的描写に関し納得いかない点、違和を覚える点、様々あると思いますが、私は、脚色して、随分と創作に傾倒して描いていくつもりではありますので、そう言う作品だと思って、読んでいただければ幸いです。

 


さて、長い前置きはこのあたりにして。



皆さん。富士山って、どうして富士山、っていうかご存知ですか?昔は不死の山と書いて、不死山、と呼んでいたようですが、それが後に、富士山と呼ばれるようになった、と一説には言われています。


それにはやはり諸説あるようなのですが、一つには先ほどもちらりとお話した『竹取物語』もしくは『竹取の翁』という古典文学が、元になっている、という説があります。


『竹取物語』は、もっと分かりやすく言ってしまうと、かぐや姫の童話のもとになったお話です。


―――竹から生まれたかぐや姫は、とても美しい女性へと成長し、帝の寵愛を受けながら、それでも決して男性と婚姻をすることなく生きていきます。

求婚してきた三人の、都でも有名な男性を、決して叶うことのない無理難題で跳ねのけた話は有名です。

そして、最後には、育ての親であるおじいさんと、おばあさんに別れを告げ、己が故郷である月へと帰ってしまいました―――。


まあ、簡単に要約するとこのようなお話なのですが、実は、この竹取物語、作者も成立年代も不詳の、かなり、謎に満ちた作品だと、古典の先生に聞いた記憶がございます。


さて、私が、この富士山のお話を聞いたのは、誰だったか、記憶が曖昧なのですが、恐らく、当時の古典の先生か、もしくは、私が二度目か三度目に初めて一人で静岡に行ったときの行きの新幹線の中で隣に座った老夫婦の方に聞いたような記憶もございます・・・・。


もしかしたら、その方々全員に聞いたのかもしれませんし、どなたか一人に聞いたのかもしれません・・・・・。


話は、かぐや姫が、月へと帰った後の話になります。




「かぐや殿は無事に月へと帰ることができただろうか?」

誰とはなく、ぽつりと、夜空に浮かぶ少し欠けた月を見ていると、そんな一人ごとをふと呟いてしまう。

「ええ!!それはきっと!!ご無事に帰られましたでしょう!!」

それでも、そんな呟きに対して必ず答えが返ってくる。

儂は、生まれてこの方、周りに人がいなかったことが無い。だから今まで何かを感じたことなどなかった。

それが、今だけは・・・・。今ばかりは・・・・。少し、面倒で、そして少し、安堵する・・・。


―――それならば・・・・。かぐや殿が無事に帰れたのなら、それはいいことなのだろう・・・・。


何度、そう思い込もうとしただろうか?


それでもその度に胸がずきずきと膿んだように痛むのは、どうしてだろうか?

いや、そもそも、痛い、という感情、感覚自体、遠い昔に感じて以降、覚えたことのない感覚で、これが何なのかさえも最初は分からなかった。

この感覚を初めて感じた時に、いったいこれはどうしたのか?と女官に聞いて、ようやくそれが、痛い、という名がついていることを知ったのだ。

であるとすれば、そんな儂に、痛い、という感情との付き合い方など知るはずもない・・・。


「そうか・・・・。月とは・・・・一体どんなところなのだろうな・・・・?」

再び口から漏れ出た呟きに答える声は、先ほどとは打って変わって、どこかしみじみとしていて・・・・。

「きっと美しいところなのでしょう・・・」

「ええ・・・・。そこに帰られた、かぐや殿があれほどお美しかったのです・・・見上げる月の美しさを考えれば、ただ、ただ、ため息をつくしかできぬほど、美しいところなのでしょう・・・・」

彼女らも、本当に答えるすべを持たぬことなど、儂自身が一番よく分かっている。

「そうか・・・・。そうであろうな・・・・」

だからこそ儂もそれ以上何も語らず。何も聞かず。


それでもあの日から、ようよう考えてしまう。

もし・・・・・。と。

もし、皇子や大納言、中納言ではなく、儂が求婚していたら・・・・。と。

一体彼女は何と言っていただろうか・・・・・?

そのもし、が儂を苛む。

今の今まで、生まれてこの方、女子に困ったことは無い。むしろ、女子の方から、儂の寵愛を求めてくるため、少々辟易としていたところだ・・・・。

それでも、彼女らの目の奥底には、儂ではなく、帝という存在が見え隠れしている。

儂を本当に見ている女性は一体どれくらいいるのだろうか?

儂を、儂自身を好いてくれる女性は一体どれくらいいるのだろうか?

彼女らは、儂という存在を通して、儂の背後に存在する、帝、というこの国一番の権威を、権勢を覗き見ているのだ。

だからこそ、儂は、幼き頃から夢想することがある。

もし・・・・・。

もし、儂が帝ではなく、農夫の血を引く、ただの泥にまみれた名もない男だったら?と。


だからこそ、かぐや殿も、儂と同じだったかもしれない・・・・。

もしかしたら、彼女もたぐいまれな容姿に惹かれ求婚してくる愚かな男どもが、その目の奥に、決して彼女自身を、彼女の本来の姿を見ていないことに気付いていたのかもしれない・・・・。

どこか、浮世離れしていたように見えたのは・・・・・。

この世の住民ではなく、月の民だったからこそ・・・・。

そして、その生きざまがどこか儂と似ていたのは、彼女が、現世(うつしよ)の中で、儂と同じく孤独な身であったからか・・・?

そう思うのは、儂の傲慢なのだろうか・・・・?


いかん・・・。かぐや殿が、現世から居なくなられて以降、もし、という考えに支配され、儂が、儂ではなくなっていく気がする・・・・。

そもそも、決してかぐや殿が婚姻を結ぶ気などなかっただろう・・・・。

それは、あれだけの無理難題を吹きかけられた哀れな求婚者たちを見ていれば、分かることだ。

一体どこにあると言うのだ?

蓬莱の玉の枝、だと?

そもそも、蓬莱という国には、金や銀でできた木があって、そこに宝珠を実らせる?儂ですら聞いたこともないし、隋や、唐から来られた博識な学者の方々すら、そんな物見たことも聞いたこともないと言う・・・・。

火鼠の皮衣、だと?

一体どこに、火に巻かれて、生きていられる生き物がいると言うのだ?

ましてや、鼠の身でありながら、火に焼かれて、平静でいられるなど、一体どんな生き物だと言うのだ?

極めつけは、竜の首の玉、だと?

竜とは、儂も聞いたことがある。蛇のように細長い、しかし、蛇とは一線を画す大柄な身の丈をくねらせながら空を自在に飛び回り、天候を操るとされている伝説の生き物だ。

どうやってそんな生き物の首の玉を取ると言うのだ?

そもそも玉とは何なのだ?

およそ国中の兵たちを投入しても、叶える想像がつかない・・・・。


それでも、とどこかで期待してしまう。

もし・・・・・。


―――もし、儂が、求婚していたら、一体どうなっていたのだろうか―――?


その夜はなかなか寝付けなかった。

秋も終わりだと言うのに、どうしてか、蒸し暑く、寝苦しかった。


―――かぐや殿が月へと旅立ってから、眠れない日が続いているな・・・・。

ぼんやりとする頭で、それでも何とか眠ろうと、すればするほど寝付けなくなるのはどうしてだろうか?

ふと、瞼の裏に、障子の間から差し込む月明かりが映る。

それは、夢か(うつつ)かもわからぬ微睡の中。

ふと、瞼の裏に映ったのは、決して忘れもしない、人生で初めて好きになった彼女の姿。


―――かぐや殿・・・・?なのか・・・・?


―――はい。そうです―――。


―――一体・・・・どうして・・・・?


―――あなた様が苦しんでおられましたので―――


そう言って、じいっ、とのぞき込んでくる彼女の瞳は、どこか虚ろで、遠くを映しこんでいる。

それでも、いい、と思った。それでも、彼女と話すことができるのなら・・・・。彼女を一目見ることができるのなら・・・・。それでもいいと思った。


―――儂が苦しんでいる・・・・か・・・・。そうなのだろうな・・・・。儂は・・・苦しい・・・・。一体どうしたらよいのだ・・・?


―――あなたは私に拘泥することなく、思いのままに生きられるとよいでしょう―――。


そんなことできないことなど、承知しているだろうに、随分意地の悪い話だ。


―――そうは言うが、それでも儂は・・・・。


―――私は月の民。決してあなた方と交わることのない者なのです―――。


―――そうか・・・・。そうなのかもしれぬな・・・・。だが、それでも、諦めきれん者がいる・・・・。ならばと簡単に投げ捨てられるものは・・・・・。愛や、恋とは言わんのではないのか・・・・?


愛や、恋というものを、知らずに今まで育ってきた儂が、一体何を説こうと言うのか?片腹痛いとはこのことだが、それでも、そう願わずにはいられない。なぜなら、違うことなくそれが本心なのだから・・・・。


―――そうですか・・・・。私も、そちらにいるころは、随分とあなた様にお世話になりました・・・・。確かに、それではさようなら、では恩知らずかもしれませんね―――。


どこか浮世離れした、表情というものが無い顔に、一瞬だけ、ちらりと、哀しみの色が混じった気がした。


―――かぐや殿よ・・・・?一体それはどういう・・・・?


その本意を聞こうとしたが、すぐに、遮る様に言葉を重ねられてしまう。


―――再び月が姿を消し、もう一度、その身を完全にした時、現世で最も私たちのもとに近い場所に、いらしてください。そうすれば・・・・―――。


―――そうすれば・・・?そうすれば、何だと言うのだ・・・!?のう!?答えてはくれんのか・・・・!?


しかし、彼女の面影は急に不鮮明になって、ついには闇の中に溶けるように、いや、掠れる様に、消えて無くなって行ってしまう。


はっ!と微睡の中から目覚めた時、あれは夢だったのか?かぐや殿恋しさで儂が作り出した幻だったのか?と一瞬考え込んでしまったが、それでも、すぐに答えは出る。


「誰ぞ!!誰ぞおらぬか!?」

今だ外は薄暗く、僅かに欠けた月が優しく照らしている。

急に儂が大声で呼ばわったからだろう、ばたばたと慌てて複数の者たちが駆けつけてくる足音が聞こえてきた。

「上様!!?どうなさいましたか!?」

「いかがなさいましたか!!??」

駆けつけてきた全員が、私の壮健な様子を一目見て、ほっと安堵したようだったが、すぐに不思議そうな顔をする。

「一体このような夜分にいかがなさいましたか?」

儂は、とにかく慌てていたので、前置きなど一切捨て置き、ただ、心のままに、問う。

「その方らに聞きたいことがある」

「は!何なりと!!」

皆が一瞬身を固めたが、一体何を聞かれると思ったのだろうか?

「この世で、最も月に近い場所はどこぞ?」

儂の質問の意図が分からなかったのだろう、ぱちくりと目を見合わせた人々は、しかし、すぐには答えられぬようで、皆一様に押し黙る。

「誰ぞ答えを持つ者はおらぬか?」

―――時間が無いのだ・・・・!!時間が・・・・!!

内心、いら立ちを募らせる中、一人の男が、恐る恐ると手を上げたので、話を促す。

随分と剣呑な表情をしていたのかもしれない。彼は、ひどくびくびくと、躊躇いがちに答えるので、それがまた、儂を苛立たせる。

「恐れながら・・・申し上げます!!この都より、東に向かった先に、駿河の国よりも東。そこに、天高くその身を横たえる大いなる山が存在すると言われております・・・・。その山は、なんでも、晴天の日には、この都より遠望することができる、とも・・・・。そちらの山頂でしたら、もしや、この世で最も高く、月に近い場所やもしれません・・・」


「そうか・・・・ならばそこなる山に向かおう」


「は!・・・・・え・・・・!?」

「上様・・・・!?・・・・今・・・・なんと・・・・!?」


聞こえなかったのだろうか?刻限は迫ってきているのだ。悠長にしている余裕はないと思うたからこそ、こうして急いていると言うのに・・・・。


「早う支度をせよ!!これは勅命ぞ!!そこなる山を目指して、今より向かう!!」


「ええええええええ!!??」

「上様・・・・!?まさか・・・・あなた様も行かれるのですか・・・・?」


何をいまさら分かりきったことを、と思うたが、この者共は儂とかぐや殿の会話を知らぬと思えば、少しは怒りも収まった。

「その通りじゃが?」



しかし、これに慌てふためいたのは、従者たち全員で、何とか言葉を尽くして考え直してもらおうとしたが、それでも帝は、一向に引かない。

結局、帝を筆頭に、軍をまとめ上げ、数多の兵士を引き連れ、富士山に向かう運びとなってしまう。


今でいうところの東海道を、ひたすらに旅して、帝が、早う、早う、と急かすので、ろくな準備もできぬまま、それでも何とか一向は旅を進め、およそ二週間ほどで何とか富士のふもとにたどり着くことができた。


だが、そこに広がっていたのは魔の森、樹海。一度入ってしまえば抜け出すことは容易ではない、と言われる森で、当時は方位を示すコンパスすらない・・・。そのため、現地の案内人を雇おうと言う話になった。



「嫌じゃ」

目の前に立つ壮健な老人は、恐らくこの森で暮らし、山で生き、そうしてここで死んでいくのだろう。

私には決して分からない、理解できない心境だ。決して推し量ることなどできないだろう。

だからこそ、この爺は、帝の命を携えてきた私の話も、簡単に断ってしまうのだ。

「いいか!!良く聞け爺!!これはお願いではないのだ!!依頼でもなんでもない!!もちろん金は払うが・・・、いいか?これは命令、なのだ!!」

脅しつけるように凄みを利かせてやったと言うのに、爺は全く堪えていないようだ。いや、むしろ、呆れたようにため息をつく。

「はあ・・・・。なんと愚かなこと・・・・。儂はこの森で生き、この山で死んでいく。何度生死の営みを見てきたことか・・・・。死を垣間見、そして生を諦めたことなんぞ数え切れんほどあるわい!!そんな儂にそなたらの下らん脅しなど決して効かぬよ!!お主の方こそ、いいか良く聞け小僧!!その、帝だか、筏だかよく分からん者に伝えろ!!儂は絶対に案内などせぬ!!とな!!」

「貴様!?」

その物言いに思わず激昂して剣の柄に手をかけた私の部下を、手で制し、思いとどまらせる。

「止めろ」

「ですが隊長!?この爺は今、上様を貶したのですよ!?」

確かにそのことはひどく腹に据えかねている。いかな温厚と有名な私でも、一瞬頭に血が上ったのも事実だ。しかし、それ以上に・・・・。

「この爺が居なければ、この森を、そして山を登ることなどできないだろう?」

「そうですが・・・・」

それでも何か言いたげな部下を必死で宥めていると、爺は、もう話は済んだとばかりにその場を去ろうとしたので、もう一人の部下に目配せして、何とか道を塞ぐ。

すぐに剣呑な雰囲気に変わった爺の矛先をそらすように、私は言葉を選びながら告げる。

「爺。どうして案内ができないのだ?それを生業にしているのではないのか?金か?それとも人数か?何か不都合があるなら言ってくれないか?」

所詮下賎な人間だ。どうせ金に不満があるために突っぱねて金額を吊り上げようと言うのだろう。不敬な輩だ。

まあ、普通であれば、殴りつけて、痛めつけて言うことを聞かせるのだが、此度ばかりは帝の命だ。であれば、少し金をはずんでやれば言うことを聞くだろう、という思惑があった。

仮に金で無かったとしても、こういう頑固な性格の爺の場合、もっと人数を絞れ、とか言われるのが相場だ。

だったらいくらでも対応して見せる自信がある。

だからこその提案だったにもかかわらず、爺は、一つ鼻を鳴らすと、つまらなそうにつぶやく。

「ふん!そんなことも分からぬとは・・・・・。呆れるばかりだな・・・・」

いちいち言わせておけば小癪な爺だ・・・・!!その口は皮肉しか言えないのであれば潰してやろうか?と思ったが、機先を制するように爺が言葉を続ける。

「いいか?小僧。良く聞け!一つにな、儂は望まれて案内することはあるが、この森に住み、この山と生きるただの爺だ!仕事なぞしなくとも生きて行けるし、金など、ここでもらったとしてどうしろというのだ!?持っているだけ無駄じゃ!!」

「だったらなおのこといったい何が不満だと言うのだ糞爺!?ええ!?いい加減下手に出ていれば調子づきおって!!」

流石の私も頭に来た。しかし、腰に佩いた剣を抜き放とうとした瞬間、爺の顔が鼻先三寸の距離までぐっ、と迫ってきて、途端に、内緒話でもするかのようなひそひそとした話し方に一転、変わってしまう。

「・・・・いいか?あまり騒ぐな?山の勘気に触れるぞ?」

突然のことに、思わず、怒りも忘れ聞き入ってしまう。

「山の勘気・・・・だと・・・・?」

「ああ。山の勘気だ。本当に貴公らには聞こえぬのか?この母なる大地の鳴動する音を。かたかた、かたかた、と小刻みに震えておるわ」

じいっ、とその深い感情の読めぬ瞳に射貫かれ、嘘か真かもわからず、爺の促すまま数瞬耳を傾けるが、私には、全くわからなかった。

呆然とする私に、爺は、それでも、何か大事な内緒話か何かを伝えようとでもするかのように、ひそひそ、呟く。

「本当に聞こえぬのか?ほれ?山のへそが、ふつふつ、ふつふつと煮えたぎる音が聞こえぬのか?森が騒めき、生き物たちが、慌て逃げ惑う音が。本当に、聞こえぬのか?」

・・・・聞こえない。

どれだけ耳を澄ませようとも、どれだけ神経を研ぎ澄ませようとも、平素と変わらない様にしか私には思わない。

だからこそ、部下に目配せし、心当たりがあるか?とひそかに問うてみれば、彼らも困惑している様で、ふるふると首を横に振る。

「爺・・・・」

「本当に聞こえぬのか!?この音が!?儂も初めは貴公らのような大人数が突然この地にやってきたからだと思うた・・・・。そう思うたし、そうではないのではないか?と思うた時から、それでもわずかな可能性にかけて、そう思い込もうとした・・・・・。だが、駄目じゃ・・・・・。恐らく、山の勘気に触れ、この地に災いが訪れるじゃろう・・・・」

その深いしわが刻まれた顔は、深い恐怖が浮かんでいる。

一体どれだけの時間をここで過ごして来たのだろう?一瞬だけ、過ぎ去った爺の過去に思いをはせ、その皺の一本一本を、まるで巨木の年輪の様に感じ、言い知れぬ恐怖を覚えたが、それでも・・・・・。

「それでもな爺。私たちはどうしてもなさねばならぬことがあるのだ」

「・・・・・それは命を捨ててでもしなければならぬことなのか?」

「・・・・・命がけになるのか?」

「・・・・・分からぬさ・・・・。こんなこと初めてだから、儂には分からぬ・・・・。ただし、最悪の場合を考えれば、命を落として済むのならいいのだがな・・・・」

「そうか・・・・・」

「止めるのならば今が最後じゃし、儂もできればこの森から逃げ出してしまいたいのじゃ・・・。まあ、逃げたところで行く当てもなければ、住む当てもないのじゃがな・・・・」

一瞬爺が見せた深い悲しみの色は何だろうか?

よくよく考えてみれば、この爺はどうしてここに住み、どうしてここで生きているのか、全くわからない。分からないからこそ、見下していたが、もしかしたら、私なんかよりもよほど・・・・・。


「だが、お前の恐れているようにはならないだろう」

それでも、はっきりと言えることがある。

「・・・・・どうしてじゃ?」

「帝がいらっしゃるからだ」

「・・・・わしはその方がいったい誰かは知らぬから、そうか、と納得できるものではないんじゃ」

「そうか・・・・。それはとても残念だな。帝は、天地神明の世から神の血を引くおかただ!努々忘れるな!この世の全てを司り、そして、この世に顕現した現人神なのだ!!いいか!?いったいどんな恐怖がこの地を襲おうが!!いったいどんな災いがこの地に振りかかろうが!!帝のおわします所だけは、決して災厄に襲われないのだ!!」

「・・・・それが本当だとしても、儂にとっては・・・・・」

それでもなかなか納得しようとしない爺にいら立ちが募り、声を荒げて説得しようとしたその時、不意に後ろからかけられた、どこか眠たげで、どこか浮世離れした、掠れるような、それでいて明朗な声に、びくりと体が震える。

「おい。隊長よ。無理強いする物ではない。そこにおわすお方が嫌じゃと言うのなら、儂らだけで山に登るしかあるまい?早う準備せよ」

振り向けば、そこには帝の乗る輿があった。

御簾越しではあるが、それでも、私にお声をかけてくださっているのは、まぎれもなく帝ご本人。

慌てて膝をつき、首を深く、深く垂れる。

「は!ご命令とあれば、いかな山奥であろうとお供する所存であります!!しかし、万が一のことがありますので・・・・」

「そうよな・・・・。そこなお方よ」

しばし考え込むことがあったのか、帝は、爺に向かって密やかに、ゆっくりと言葉をかける。

「なんじゃ?」

「恐らくそなたほどこの山に精通した者はおらんのじゃろう?」

「そうだろうな」

一体この爺は、帝のお言葉を直接いただくことの価値を理解しているのだろうか?いや、してはいないだろう・・・・。だとすれば、こんな無礼な話し方などできるはずもない。

それでも、一向に意に介した様子のない帝の器量の大きさに改めて頭の下がる思いがする。

「儂からもお願いしたい。どうか、この山を案内してはくれないだろうか?」

「・・・・・」

それでも何か思うことがあったのだろう。しばし考え込む様子の爺は、しかし、重たい口を開く。

「無理じゃ」

「貴様・・・!?」

思わず、本当に思わず、帝の御前だと言うのに、立ち上がりかけた私に、どこか冷静な、ともすれば、夢か幻のかなたから聞こえているのではないか?と思うほど涼やかな声に呼び止められた。

「これ隊長よ。そこな方がそう言われるのであれば、儂らだけで向かうしかあるまい?」

その言葉に、その声に、目の前がすうっ、と晴れ渡る気がした。

―――そうだ。私はいったい何を弱気になっていたのだろう?上様がいらっしゃるのだ!!天地神明、この世に、そしてこの地に根付く万の神々がきっと導いてくださるだろう!!そう思えば、この見上げるほどに高い山の威容も何ほどのことと思えてくる。

「は!!そう仰いますのなら、その通りに!!」

私が深々と頭を下げる後ろで、しかし、爺は、どこか不満げな顔だ。

「止めよとは言わぬし、止めることもできぬだろう・・・・。なればこそ、最後に一つ忠告させてくれ」

一体この爺は、何を血迷ったのだ?帝に直接お声をかけるなど、不敬以外の何物でもない!!ましてや、先ほど、帝の頼みを直接断ったばかりなのだ!!

そう、思っていたのに―――。

「なんだ?申してみよ」

どうしてあなた様は、そのように下賎な者の言葉にも耳を貸すのでしょうか・・・・?

「不吉な予感がする・・・・。できれば今、山に入るのはやめた方がよい・・・・」

「そうか・・・・・。じゃが、もう時間が無いのだ」

その切羽詰まったような帝の言葉に、初めて聞く、感情の色が垣間見えた。

それはいったい何の感情なのか?焦り、なのか、不安なのか・・・・。はたまた別の何かなのか・・・・・?

「どうしてそんなに急くのじゃ?何かよほどの事情でもあるのか?」

「やむにやまれぬ事情があるのじゃ・・・・」

「その事情を聴いてもよいか?」

「・・・・・・」

一体なんだろう?普段であれば、言葉を濁す、ということはあっても、詰まる、ということは珍しい気がする。いったい此度のご巡幸の目的は何なのだろう?気になると言えば気になるが、何故だか聞いてはいけない気がした。

「満月の夜までに・・・・・。この世で最も天高く、空に至る場所に向かいたい・・・・」

それは、答えではない。そんなことは、この場にいる誰もが気付いたことだ。しかし、そのことを知っていても、分かっていても、帝がそれしか答えないのならば、何か格別の理由があるのだろう・・・・。下賎な我々が聞いていいことでは・・・・・。


「それではよく分からんだろう?しかと目的を話して見よ」

「爺いいいいい!!」

思わずかっとなって胸倉をつかんで締め上げたら、突然の出来事に、さしもの爺も目を白黒させ、すぐに苦しそうに呻きだした。


「止めよ。離して差し上げろ」

帝がそうおっしゃるので・・・・・。そう仰るので!!渋々離したが、それでも再三人を虚仮にするようなこの爺をとっちめたくて睨み付けてみたが、一向応える様子はない。


「よい。隊長殿、早う準備して早晩にも支度を整えよ」

「は!!」


もう何も頼む気はない。

これ以上何を話しても無駄なことは、分かっている。だからこそ、帝も何も言わなかったのだし、私も、一人、じいっ、とそれでも私たちを見つめる爺をその場に残して、天幕まで戻った。


しかし、その晩、明日に備え、早めの睡眠をとろうとしていたところに、件の爺が訪ねてきた。一体何の用事なのだろう?

「なんだ?明日は早いのだから、用がないのなら帰れ」

すると、爺は一切許可なく私の天幕の中に上がり込んできた。

「おい!!?」

さしもの私も一瞬何が起こったのか分からず、動きが遅れてしまい、爺の横暴を許してしまう。

爺は、しかし私の制止を振り切り、中に入ると、すぐに背負い袋を手に取った。

「おい!!」

爺の腕を取り、引っ張り出そうとするが、思いのほか爺は力が強く、たたらを踏んでしまう。

「なんじゃこれは?」

一切私の言葉を聞く耳もたず、爺は旅の荷物をひっくり返し、鋭い視線で問うてくる。

「なんだとは何だ?」

一瞬何を言われたのか分からなかった。目を白黒させて、呆けてしまう。そんな私に怒声が飛んでくる。

「これでは死にに行くような物じゃ!!貴様ら山を舐めておるのか!?まず言っておくが、この山はもうすでに冬のつごもり!!山頂近くは雪に覆われておる!!毛皮か何か持って行かねば死んでしまうぞ!!」

「そう・・・・なのか・・・・?」

それは知らなかった。確かに山頂付近はうっすらと白くなっていたが、それがまさか雪だったとは・・・・。都に暮らす我々にとって雪とはあまり馴染みのない物だ。分かれと言うほうが難しいかもしれない。

それでも・・・・。

「どうして急に・・・・・?」

「どうして?だと?・・・・・まあ、目の前で人が大勢死に行くのが、寝覚めが悪かっただけだ・・・・。どうせ儂の命などもう短いのだからな・・・・」

そう自嘲気味に笑う爺の顔は、どこか寂し気で、そうしてどこか満足げだ。

「一体・・・・・?」

何がお前を心変わりさせたのか・・・・?そう問おうと思ったが、決して答えは得られないことは何となく分かった。

そしてもう一つ・・・・・。

「水が足りなすぎる!!あの山は、ほとんど水が手に入らぬ死の山ぞ!?もっと水を持て!!でなければ死ぬぞ!!」

はっきりと分かったことがある・・・・・・。

「あと、天候が急変しやすい・・・・。清潔な布はいくらあっても足りぬぞ!?応急手当にも使えるのだから持てるだけ持て!!」

今まで、私は、帝を守護する兵士として、数多の人を殺して来た。そんな私だからこそ、どうしようもなくわかってしまったことがある・・・・・。

ああ・・・・この爺は・・・・・もう生きることを諦めているんだな・・・・・。

そう、思った。

「・・・・いいのか?」

だからこそ、余計なことだと分かって、それでも言葉が口をついて出てしまう。

「何がじゃ?」

こちらを見ようともしない彼は、いったい今、何を思っているのだろうか?

「爺にも、残して来た家族がいるのではないのか・・・・・?」

「・・・・・・」

それでも聞かずにはいられない。問わずにはいられない。どうしても・・・・・。

「・・・・もう死んだ。官吏に・・・・殺されたんじゃ・・・・・」

ああ・・・・。だからか・・・・・。ようやく納得できた。そして、それでも横暴に協力を求めてしまった自分をひどく罵った。なんて馬鹿なことをしたんだ、と。

それでも、こうして協力をしてくれたこの爺に、最大限の感謝と、そして、言葉にできない思いを込めて・・・・。

「ありがとう・・・・」


全ての人々の思いを乗せて、ようやく旅は目的地、この世で最も月に近い山の山頂を目指し出発する。


―――ああ・・・・。ようやくこの時が来た・・・・・。

言葉では言い尽くせぬ。この胸の高鳴りは、一体何なのじゃろうか・・・?

日に日に大きくなってゆく月が、そして、日を追うごとに満ちていくその形が、儂を招いている様で、まだか?まだか?と気持ちばかりが急いてしまう・・・・。

「しかし・・・。本当に不気味な山じゃ・・・・」

眼下に広がる森は、深く、どこまでも深く、まるでこの山と、そして、下界を隔てる境界のようじゃ。

じっとりと肌にまとわりつくような不快な空気。そして、あそこまで生き物の影のない静まり返った森は、未だかつて見たことが無い。

地面は固く、水の気配は一切なく・・・・・。

本当に、この山を登ると、もしかしたら別の世界にたどり着いてしまうのではなかろうか?人なる身として、魑魅の物に対する不安はあれど、月に焦がれる心は、見果てぬ地への渇望が確かにしっかりとある。


寒く・・・・。寒くなってきた・・・・。

登れば登るほどに・・・・・。

それでも我が身は寒さを感じない。これは一体どうしたことか?

身の内からくる震えは、寒さのためなのか?それとも、興奮によるものなのか知らず。

吐き出される吐息は、白く、目と鼻の先でたちまちに凍り付く。



苦しく・・・・。苦しくなってきた・・・・。

それでも、どんどん、頭が冴えわたってくる気がする。これはいったい何が起こっているのか?

遠く、遠く、普段では決して見ることのできない遠望。氷の礫の煌きまで鮮明に、鮮やかに、目に飛び込んでくる。

息を吸うたびに、一歩、また一歩と、何かに近づく足音が聞こえる。



静かに・・・・。静かになってきた・・・・・。

間近に聞こえていた兵たちの弾むような息遣いは、まるで、遠く、遠く、かなたの空から聞こえてくるようだ。儂の耳がおかしくなったのか・・・・?

いや、そうではあるまい。ではどうしてか?やはり、ここは、この世から、いや、現世から切り離された所にあるのか・・・・?



空に散りばめられた星々は日に日にその輝きを増し。

それでも、月は、その輝きを変えることは無い。


不毛の大地は、全てを飲み込み、白の世界に染め上げていく。

ざく、ざく、と、兵たちが踏み出す足跡だけが、点々と道を作り・・・・。


ああ・・・・。綺麗だ・・・・。そう思ったのは、どうしてだろうか?

これほど単調な景色は他にはないだろう・・・・。秋の紅葉にも劣り、夏の艶やかに咲き乱れる花々にも劣り、ただ、真っ白に染まった景色を、これほど美しいと思うのはどうしてだろうか?


そして、これほど怖いと思うのは・・・?


美しさ、とは、もしかしたら、この世ならざるものではないだろうか?

だからこそ、人はそこに美しさを見出し、そして、同時に恐怖するのやもしれぬ・・・・。


それならば、儂はかぐや殿にも恐怖していたのやもしれぬ・・・・。

この世ならざる美しさに魅了され、そして、恐怖する・・・・。


「上様・・・・。もう間もなく山頂に到着いたします」


儂の輿に侍る兵の一人が、しずしずと、傅きながら報告をする。


「そうか・・・・・」


待ちわびた瞬間だ。しかし、喜びよりも何よりも、恐怖が募っているのは、やはり不安だからだろうか?


―――もし何もなかったのならどうしよう?

―――あの夢は、ほんにかぐや殿が降り立ったのではなく、儂がかぐや殿恋しさに見た、秋の夜の儚い幻ではなかったか・・・・?

数え上げればきりがないほどに、この身を苛む数多の畏れ。

しかし、ここまで来てしまえば、もう後戻りはできない・・・・。


「月は・・・・?今宵の月は・・・・?」

まるで祈る様に、見上げる月は、煌々と夜空を照らし、進む道を指し示すかのように真っ白の世界に一筋の道を作る。


―――ああ・・・。良かった・・・・。間に合った・・・・・。


その姿は、一切欠けるところが無く。満月が、地上よりも鮮やかに、そして目の前に迫るほど大きくその姿を顕現させている。


「一体・・・・何があると言うのじゃ・・・・・?かぐや殿・・・・・?」

まるであの日の夢の名残を探すように、必死にあたりを眺めても、一向何かが起きる気配はない・・・・。


「上様・・・・?」

「ここになにが・・・・?」

「一体何が起きるのでしょうか・・・・?」


聞こえるのは、家臣たちの困惑した声ばかり。


「どこに・・・・?どこに・・・・?」


彷徨い求めて、制止の声も振り切り輿を下りてもそこにあるのは、無慈悲な寒々とした雪の世界。

ばさばさ、ばさばさと雪をかき分け、進めど、進めど、振り積もった白が全てを塗りつぶし、かき消していく。


―――ああ・・・・。やはりあれは・・・・夢だったのか・・・・?


「答えてはくれぬのか・・・・?のう・・・・?」


見上げる月は、しかし、変わらぬ輝きを地上に投げかけるばかり。


「かぐや殿・・・・・」


ぽつりと漏れた呟きは、ほんの目の前で、凍り付き、天には届かない・・・・。

はらり、と瞳から零れ落ちた一条の涙は、ぽたり、と足元に染みを残し、それでも一瞬で掻き消えてしまう。


そんな時だった。


ぽつり、と声が聞こえた。それは待ち望んだ女性の声ではなく、しわがれた男性のつぶやき。


「あのような所に祠などあったか・・・・?」


くるりと振り返れば、そこには、当惑したように目を瞬かせている案内の翁の姿が。


その視線の先にあったのは、小さな、小さな、言われるまで気付かなかったが確かに祠がある。

真っ白い祠は、一体何でできているのだろうか?

月の光を浴びて青白く輝くその祠は、一体何を祭っているのだろうか?

分からない・・・・。分からないが、吸い寄せられるように皆の視線が集まった。


気付けば体は自然と前に、祠に向かって足が進む。


「上様!?」

「おやめください!!お止まりください!!」


―――あと少し・・・・。

転ぶように、おぼつかない足元を深い雪にとられ、何とか祠にたどり着き、扉を開けると、その中からわずかに光が漏れだして来た。


「何が・・・・?」

僅かに開いた瞳に映ったのは、小さな古びた壺と、そして一枚の折りたたまれた和紙。


「なんじゃ・・・・?これは・・・・?」

ゆっくりと中から出し、手に取ってみると、壺は丁度片手のひらに収まるほどの大きさしかない。

ゆっくりと木蓋を開けると、中には、丸薬が入っていた。

鼻に近づけ匂いを嗅いでみたが、一切匂いはせず、何の薬なのか分からない。

だからこそ、さしもの儂もすぐに口に放り込むようなことはせず、ひとまず折りたたまれた和紙を開く。

そこには、綺麗な、それでいてどこか線の細い文字で、つらつらと手紙が認められていた。


『―――親愛なる帝へ』


その言葉から始まる手紙の文字には、見覚えがある。

何度かしか、やり取りしたことが無かった。それでも、何度読み返したことだろうか?いなくなってしまってからは、それこそ毎晩彼女のことを想っては、繰り返し読み返した。

だからこそ、一目で誰の手紙か分かってしまった。

そして、まるで、今しがた懐から取り出したかのように、厳冬の山頂でほの温かいその一枚の紙切れに、どれほどの思いを託し儂は読むのだろうか?


『月へと帰った私を恨んでいるでしょうか?憎んでいるでしょうか?

 きっとあなた様は、無情な私を想っては、罵り、誹り、葛藤しているのでしょう。

 私はそれでもあなたの心を知ることはできません・・・・。

どんなにあなたの心が痛んでいるのか?どんなにあなたの心が涙を流しているのか?

 私は知りません・・・・。

 なぜなら私は月の民。決して地上の民草と交わることのない、異世(ことよ)に生きる身だからです。

 私の心は愛を知らず・・・・。私の心は恋を知らず・・・・。私の身は交わるを知らない・・・・。

 ただ、その身は現世にあれど、心はいつも異世にありました。

 

そんな私を大層可愛がり、そして随分と心を砕いてくださったあなた様に、なにもお返しすることができず故郷へと帰ってしまった私を、どうか恨んでください。憎んでください。そうしてあなた様のお心が晴れるのならば、いくらでも私はその誹りを受け入れましょう。

もう二度と、お会いすることはできないけれども・・・・・。

 それでも現世であなた様にいただいた御恩は忘れません・・・・。

 

 もし、望むのならば、あなた様の治世が永遠に続きますように、祈りをお贈り致します。

 

 この手紙と共に贈らせてもらいました丸薬は、一粒飲むだけで永久の時を生きることができる不老不死の丸薬です。

 

 心優しいあなた様が、千代に、そして八千代に、どうか健やかにおられますように・・・。

                                  かぐやより』


「かぐや殿・・・・・」

もう二度と会うことができない・・・・。

その言葉に、その一文に、顔から血の気が引き、目の前が真っ暗になった。

その後の不老不死なぞ、どうでもよい。ただ、ただ、この身を裂かれる様に、別れの言葉に心が凍てつく。

―――どうして恨むことができようか・・・・?どうして憎むことができようか・・・・?


そのまま、崩れるように地面に膝をつき、ほろほろと流れる涙をそのままに、悲しみに身を任せていると、足元から急に、ぐらぐら、ぐらぐらと揺れ出した気がした。

―――なんだ・・・?

と思わないでもない、それでも今は、何も考えることができず、何が起こっているのかなど考える気力もわかぬ・・・・・。


「なんだ!?何が起こっている!?」

「上様を!!上様をお連れしろ!!」

「逃げろ!!逃げるんじゃ!!山が怒っておる!!山が!!山が怒っておるぞ!!!」

「ひいいいい!!??助けてくれえええ!!」

「早く逃げろ!!!早く!!逃げるんだ!!!!」


それでも揺れは次第に大きく、そして激しくなっていく。

一体何が起こるのだ?

もはや、立っていることすらできず、ほとんどの者が、地面に膝をつき、必死に揺れをやり過ごそうとするその時、それは始まった。


どおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!!!!!!!!!!!!!


突如、耳を、そして体を吹き飛ばすのではないか?というほどの衝撃が、大地を襲い、きーん、と耳鳴りがやまぬ中、見上げる空に、真っ赤な火柱が吹き上がる。


「何が・・・・?起こっているのだ・・・・?」


誰が言ったのだろうか?その怯えの声は、再び爆発するように吹きあがる火柱の音に掻き消され、誰の耳にも届かない。


目の前で、山が爆発している。怒りの拳を振り上げている!!

誰もが怯え、腰を抜かし、未だかつて見たこともない光景に、恐怖している。


もうもうと煙が吹き上がり、まるで真夏かと思うほど上がった気温。

厳冬の真っ白な雪景色を塗り上げていく、どろどろと火口付近から流れ出る真っ赤に赤熱した溶岩。

黒々とした煙とともに噴出される灰は、高く、高く振り積もる。


「逃げろ!!早く逃げろ!!」


どおおおおおん!!!どおおおおおん!!!どおおおおおん!!!!

見上げる空から降り注いでくる、大人数人がかりですら持ち上がらないのではないか?と思われるほど大きな岩が、逃げ惑う人々の頭上に降り注ぎ、あまりにもあっけなく、そして、あまりにも無情にその命を奪っていく。


それは、どこか夢の中のような光景だった。そして、どこかこの世の物ではないように思えた。

―――もし、罪人が死んだあと、地獄に落ちると言うのなら、地獄とはもしかしたらこのような所なのかもしれない・・・・。


呆然と、それでもどこか他人事の様に、考える儂は、もう生きてはいないのだろうか?もう生きることを諦めてしまったのだろうか?


―――ああ、そう言えば、以前、失恋した、と言っておった納言が、死にたい、と申しておったな・・・・。よもやこのような気持ちだったのだろうか?

あの時は、何を馬鹿な、と笑い飛ばしてしもうたが、今ならばその気持ちがわかる・・・・。

何もかもがどうでもよくなるこの気持ちは、もしかしたら生きながらに死んでいるのかもしれぬな・・・・。


「上様!?ご無事ですか!?」


このような状況の中でも、気丈にも儂を案じて近づいて来た者がおる。その者は額からだらだらと血を流しており、恐らく飛んできた石の礫に当たったのだろう。

皆が、己が身を案じ逃げ惑う中、ほんに優れた心構えの者だ。普段であれば、そう感心するところだが、それでも今ばかりは、鬱陶しかった。


「その、手に持つ壺はいったい何なのですか!?」

そう問われて、そう言えば、とようやく気付いた。

―――これは不老不死の丸薬・・・・・。これを飲めば、この地獄のような場所でも生き永らえることができるやもしれぬ・・・・。

わずかに残った生き物としての、本能が、それを飲むことを求める。

しかし、それでも儂の心には、深い、深い、躊躇いが残る。


―――これを飲んで生き永らえたとして・・・・。かぐや殿のいない世に、いったいどれほどの価値があると言うのじゃろうか・・・・?


考えれば、考えるほどに、むしろ永遠の時間を、愛しい人と会えずに過ごす方が地獄のような気がして来てならない。


「上様!?」


だから・・・儂は駆け出した!!

一目散に、真っ赤に口を開いた、地獄のとば口まで、ただ、ただ、無心で駆けた。


流れる溶岩は、熱く、熱く、ひたすらに大地を焼く。・・・それでも不思議と、儂の行く道を妨げることは無い。


振り積もる灰は、目の前を真っ黒に染め上げ、一寸先すらも覆い隠してしまう。・・・それでもなぜか、どこに向かえばよいのか、分かった。


振り落ちる岩石は、地面に突き刺さり、容易く全てを押し潰さんとする。・・・・それでも、どうしてか、儂の上には影が差さぬ。


ぐらぐらと揺れる大地は、前後に、左右に割れ、その上に立つ者を引きずり込まんとする。・・・それでも決して、儂の足元が崩れることは無い。


「はあ・・・・。はあ・・・・。はあ・・・・」

ようやくたどり着いたそこは、ぐつぐつと煮えたぎる地獄の窯。

見下ろすそこに、生命の欠片もなく、あるのは、ただ、怒りのような、憤怒のような、煮えたぎる焔。


「このような物!!いらぬ!!!儂にはいらぬ!!」

思い切り、手に持っていた壺と、手紙を火口に投げ込んだ!!

「儂には不老不死など!!決していらぬのじゃ!!!どんな丸薬よりも!!!どんな黄金よりも!!!そなたが欲しいのじゃ!!!かぐや殿!!!聞こえているのなら!!!もう一度返事をくれぬか!!!???儂は!!!!そなたを愛しておる!!!誰よりも!!!この世の何よりも!!!!そなたのことが好きで好きでたまらぬ!!!!」

ようやく言えた気がする・・・・。

そして初めて言葉にした気がする。

誰かを好きになることがこんなにも辛いことだとは知らなんだ・・・・。苦しいことだとは知らなんだ・・・・・。

初めて好きになった女子は、しかし、決して儂の手には届かぬ・・・・。

ぽろぽろ、ぽろぽろと、悔しくて、悔しくて涙が零れ落ちてきた。

「うう・・・・・」

地面に手を突き、心のままに泣き、こみあげる思いそのままに、もう、決して、間に合わぬと分かっているけれども、それでも言わずにはいられない。


「そなたのことが・・・・・好きじゃった・・・・・。誰よりも・・・・・愛しておった・・・・。もし、儂が、この想いを伝えておったら・・・・・そなたは月へと帰ったのじゃろうか・・・?」


どおおおおおおおおおおおおおおおおん!!!!!!!!!!!!!!


目の前で、ほんのすぐ目と鼻の先で、再び轟音を立て赤熱した焔が吹き上がる。

しかし、決してこの身は焼けず、この身に災厄が降りかかることは無い・・・・。


「答えてくれ!!!もう一度!!!!答えを教えてくれ!!!!!もしそれが叶わぬのなら!!!!山よ!!!!山の怒りよ!!!!儂を乗せて天高くまで吹き上がれ!!!!!儂を月へと連れて行ってくれえええええええええええええ!!!!!」


そのまま火口へと身を投げよとしたその時、後ろからがっしりと体を掴まれ、抱き留められてしまう。


「上様!!!危ないです!!!どうか!!どうか!!!!どうかこの場から早くお逃げください!!!!!!」


「うう・・・・・。・・・くそ・・・・・・!うう・・・・・」


ただ悲しみの慟哭が木霊する山頂で、二つの影が月の明かりと、そして、煌々と燃え盛る焔に照らされる。

それは、山がその怒りを鎮めるまで続き、ようやく静まったころには、世界が一変していた。

ほとんどの者が死に、生き残った者も、少なくない傷を負う中、不思議なことに帝だけは無傷で生き残り、皆の尊敬と、そして憧れを一身に集めた。


それでも決して帝のお顔が晴れることは無く・・・・。そのお心が晴れることもない・・・・。


その理由を知るのは唯一帝ただ一人と、そして、彼を見守り続けた天に輝く月のみ・・・・。




こうして、不老不死の丸薬を焼いた山は、不死山、と呼ばれ、決して死ぬことなく、今でも活火山として生き続けている、と言われている・・・・。





*どうでしたでしょうか?随分と脚色いたしまして、帝、いわば天皇ですね、彼を中心に描いてみました。

 物語では、自分で行ったのではなく、兵を送ってその不老不死の薬を富士山まで焼きに行かせた、とされております。

 ただ、その話を聞いて私が思いましたのは、え?だったら、簡単に不老不死の薬盗めるんじゃない?でした。

 人にそんな貴重な薬持たせて、廃棄させるなんて、よほど信用してないとできないことですよね?私だったら、帝が要らないなら、ちょっと拝借して、なんて思ってしまいそうですし、そしたら、不老不死の軍団ができそうですよね?

 なので、帝が直接富士山で見つけて、そのまま感情に任せ焼く、ということにしてみました。

 本当に『竹取物語』を研究されている学者さんには、非難轟々だと思いますが、悪しからず・・・・・。


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