四章2 羽化
レイルはライラのいる繭へと過去を語り終えると、大きく息を吸い込んだ。
「ただ、あの絶望から救ってくれたあなたを、助けたかったんです。あなたは、これも災禍だと言うかもしれません。しかし、リカルド王は人々を苦しめていた! いや、今も、あなたがた黒アゲハの民を苦しめている。あなたは彼らの王の娘だ。どうか勇気をもってください、ライラ姫。本当に彼らを助けられるとしたら、王族であるあなたしかいない!」
沈黙が落ちた。
恐る恐るという調子で、ライラが中から問いかける。
「私があなたを助けたの?」
「はい」
「こんな私でも、誰かを助けられるの?」
――本当に……?
涙を含んだ声は震えていた。疑いとともに、そうであったらいいのにという希望を読み取り、レイルは力強く肯定する。
「ええ、そうです! ライラ姫、あなたの力が必要なんです。あなたの民には、手をさしのべて導く者がいなくては。優しいあなたなら、きっと大丈夫です」
再び、沈黙が落ちた。
それから、白い繭に縦に亀裂が入る。ほっそりとした白い手が、カーテンを開くように、繭を押し開けた。
はちみつのような金の目に涙を浮かべ、ライラはじっとレイルを見つめる。
久しぶりに見ることがかなった姿に、レイルは心底ほっとした。
「私にも、何かができるんでしょうか。私……私……本当はずっと、誰かを助けられる人になりたかった。誰かを傷つけるのは、嫌」
「なれます、ライラ姫。ですからどうか、私に力を貸してください」
レイルは右手を差し出す。戦友となろうという握手の求めを、ライラは不思議そうに見下ろした。俗世にうといライラには意味が分からなかったらしい。
「握手です、ライラ姫。共に戦おうとか、友好の意味があるのです」
「そうなの? 分かったわ。よろしくお願いします!」
ライラはレイルの右手を、両手でぎゅっと包み込んだ。それだけでレイルの心臓は跳ねる。思わず抱きしめたくなる衝動を必死におさえつけながら、ライラの手を軽く引く。
「ええ、こちらこそ。もうずいぶん長いこと、繭に引きこもってらっしゃっいましたよね。お腹が空いていませんか? 何か食べましょう」
「そうしたいのだけど、でも……」
ライラは手を離し、視線を揺らす。今にも繭に戻りそうなので、レイルは根気強く問いかける。
「何か心配事がおありなら、私が解決してみせます」
「そうではないの。ただ、レイル様にどう思われるか、不安で」
「……何をです?」
ライラはちらりと肩のほうを見て、そわそわと落ち着かない様子だ。
「羽が生えたから、気持ち悪くないかなって。それに……ごめんなさい。せっかくドレスをくれたのに、背中のほうがやぶけてしまって」
そう言いながら、ライラはゆっくりと繭から外へと出てきた。
黒い蝶の羽が朝日に照らしだされる。外へと出てきたライラは、淡い青のドレスを着た妖精が、雪の庭へ舞い降りたかのようだった。
レイルだけでなく、周りにいた人々も息を飲んだ。
「なんて……美しい」
そうつぶやいたのは、ほとんど無意識だった。
ライラの白いかんばせに、朱が差す。不安そうだった顔が、雪解けに咲く花のようにほころんだ。
「ありがとう、レイル様」
「は、はいっ」
自分が何を言ったか遅れて気付き、レイルも顔を真っ赤にする。
「レイル様、もしかして照れているの?」
「う。そ、その、心の声がうっかり口に出てしまい……」
「いつも綺麗だのなんだの、言っていたのに。今更ではないかしら?」
その呆れ顔も、可愛らしい。だらしなくゆるみそうになる顔を、レイルは必死に持ちこたえる。
それから、言わないつもりでいたことを、口にする覚悟を決めた。
「ライラ姫」
「何、どうしたの? 急に怖い顔」
「加害者の息子が言うべきではないと思っていました。しかし、あなたが繭から出てこなくてやきもきしている間、身にしみました。たとえ思いがとげられなくても、言わないでいれば一生後悔するだろう、と」
今度はレイルが、ライラの両手を握った。
「私はライラ姫のことが好きです。おそらくさびしげに歌うあなたの声を聞いた時から、ずっと恋焦がれています」
「好き……?」
ライラは目を真ん丸に見開く。動揺して後ろに逃げそうになるのを、レイルは手をつかんで阻止した。
「迷惑ですか、そうですよね。あなたがたを塔に閉じ込めたのは、私の父親ですし。それが当然だと思います」
「そ、そうじゃなくて。だってレイル様、罪悪感で私に良くしてくれているのでしょう?」
この質問には、レイルも驚いた。
「ライラ姫、それだけなら、あんなに綺麗だの可愛いだの、褒めないかと思いますが」
「どうして?」
「そうですね。例えば、口に出したくもありませんが、あなたを突き落としたシェーラ・ランド、彼女が事件の後に、あなたのことを綺麗だの可愛いだの言ったら、どう思います?」
「そうね。なんだか気持ち悪いし、怖いわ」
「警戒するでしょう? 私もひかえるべきでしたが、あふれんばかりの気持ちは我慢できませんでした。姫様、実際、可愛くてお綺麗ですし。そこにいらっしゃるだけで、褒めたたえなくてはいけないという気持ちになってしまって」
レイルが早口に言い切ると、ライラはぽかんとしていた。
(しまった。気持ち悪かったか……!)
傍にいる男がそんなふうに思っていただの言われたら、普通は引くだろう。
「また何か変なことを言い始めましたわね、レイル様ったら。本当に面白い方」
予想に反し、ライラはぷっと噴き出した。くすくすと笑いながら、レイルを見上げる。
「レイル様、私ね、レイル様が罪の意識だけで親切にしてくださるの、胸が痛かったわ。そこに好意なんてないんだと思っていたの」
「嘘でしょう! あんなに分かりやすく言っていたのに!」
まさかそんな誤解をしていたとは。レイルは頭を抱えた。しかし、重大なことに気付く。
「でも、胸が痛いって……え?」
ライラは照れたように、頬をほころばせる。
「あなたがあんまり尽くしてくれるからかしら。私、ほだされてしまったみたい。私もレイル様のこと、好きみたいだわ」
そしてはにかんだ笑顔は、今までに見た中でもっとも美しく、可愛らしかった。