虹、あるいは浮遊する音楽 §11 |〈孤狼の領域〉|
§11
歌が後奏まで再生され終えると、ゾエはエンマに話しかけようとした。
「あの、エンマさん、あたし――……」
「待ってください。この音声ファイル、まだ続きがあります」
エンマは口許に手を当てて注意深く耳を澄ましていた。
――ゾエ、聞こえてる?
無機質に再生形式の名前だけが立体ロゴになって浮かぶスクリーン上に、ゾエももういちど目をやった。
――綴部芹那です。
かすかに聞こえてきたのは芹那の声だった。
――あなたが〈領域A〉に入れられたとお店の人が話してくれました。
入所中は外部との連絡も取りずらいかもしれないけど、もしかして気づいてくれたらと、約束のデータはここに預けておきます。
“Drop of Daylight”、うまく〈領域A〉のあなたに届くといいのだけれど。
退所後のこと、そちらで相談に乗ってもらえそう?
もしよかったら、次に身を寄せる先が決まるまで、わたしといっしょに暮らさない?
あの、えーと、わたしも今は店をやめてその日暮らしみたいなものだし、そんな頼りにはならないと思う。
ただ法律に詳しい人間が身内にいるので、少しはお役に立てると思うの。
連絡先を伝えておくから、退所したらぜひ一言知らせてちょうだい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
――数分ののち。
ゾエと、片づけたペッパーポットを抱えたエンマは、5号棟の階段を下りていた。
エンマからもらった紙片に書き付けた芹那の連絡先を見ていても、ゾエはまださっきまでのことが夢のような気がしていた。
いまだにどうにもぼんやりしている頭に手をやる。
髪はこのごろ少し伸びてきて、もともとのくせっ毛がまた目立ってきた。
「幸せな気持ちになるような音楽だったわね。
自分のために作ってもらった曲だから、あたしにはなおさらだわ」
「手伝った甲斐がありました。宝物といっしょに、ゾエさんのことを心配してくれる人が見つかって」
「ここを出て、しばらく経って、自分の生活を取り戻したら、もういちどエイダ母さんのことを訪ねるわ。
ゾエでも、空像家の人間でもない、ただの幸波として」
「ゾエさんにとっていちばんの方法が、自分でわかったなら何よりです。
わたしも、〈領域A〉を出たら、ぜったい雀兄さんのところへ帰るつもりです」
横でぺたぺたと足音を鳴らしながら、エンマが機器を抱え直した気配があった。
「たまには出た後のことでも考えなくちゃ、ふわふわしてしかたないですもんね、ここって」
あたりはまだ真っ暗だ。
エイダはもちろん、自分や芹那がいなくても、何事もなかったかのようにどこかで代わりを見つけて、元のように楽しくやっていくのだろうという気がした。
でも、もうここに来てしまったからには、自分が彼女と同じ道を辿ることは決してないと思っていた。
視界を満たす闇を遮るように目を閉じると、また座標軸の格子に区切られた市街と、市街を縫うように走る幾本もの軌道がよみがえってきた。
“蛇”は虹の道を飛んだのだ。
あなたの 微笑みを
見ることが できたなら
何もない日だって
それだけで 輝くの
未来に待ちうける いっぱいの未知
お天気も 雨降りも 越えて
いつまでも並んで 歩いていこうね
どこにもない わたしだけの
陽だまりでいて これからも




