02:いじめ
アッシュ寮長の死は瞬く間に学院中に広まっていった。
それもそのはず。寮長をしている彼のことを知らない生徒なんていない。
それは、ここでは、王が亡くなったのと同義だった。
休日だったこともあり、生徒たちは荒れに荒れた。
特にガーネット生の混乱は凄まじく、泣き出す者もいれば、放心する者もいた。
アメジスト生に取り乱す者は少なかったが、彼ほどの優秀な魔法使いがなぜ命を落としたのかという論争をする者は多くいた。
自ら命を絶つほど、何かに悩んでいたようには見えない。だからといって、うっかり事故を起こすような人物でもない。
私が見た“何かに縛られた跡”を目撃したという生徒も他にいたため、アッシュ寮長は何者かに殺されたのではないか ── という噂がまことしやかに囁かれた。
そして、それを肯定するかのように先生たちから詳しい説明がされることはなかった。
(事情聴取疲れた…)
第一発見者だったため、私は多くの人から色んな質問をされた。
時には先生に、時には学院が呼んだ警察に、そして時には生徒たちに。
何故、あの泉に行ったのか。周囲に人の気配はなかったのか。見つけた時の状況はどのようなものだったのか。アッシュ寮長とはどんな関係だったのか。
思い出したくない光景を、何度も呼び起こして答え続けた。
おかげで、休日は丸々潰れてしまった。
そんな私の存在は日に日に濃くなり、廊下を歩けばヒソヒソと噂され、好奇の視線で背中を貫かれるようになった。
特にガーネット生から向けられるそれはあからさまだった。
元々ガーネット生は、魔法アイテムで補うこともできるサポート魔法特化のアメジスト生を馬鹿にする傾向があったが、友だちがいなくて内気な私の性格がさらにそれを強めていた。
「犯人は現場に戻るって、よく言うよな」
背後から聞こえてきたその言葉に私は思わず足を止めた。
振り返ると、数人のガーネット生がこちらを睨みつけている。
その眼差しの鋭さに、冷や汗が浮かぶのを感じた。
「何か卑怯な手を使ったんじゃないの?」
「いつもコソコソしてるアメジスト生がやりそうなことだ」
彼らは、私に聞こえるようにわざと大きな声で言う。
「あんな所、アイツ以外行かなさそうだしな」
「アメジスト寮からも近いし」
おそらく、その予想の根拠はそれなんだろう。
確かにあそこで他の生徒を見たことは一度もない。
私だけの隠れ家だと思っていた。
だから、端から見て、私が怪しいのは理解できた。
けれど、もっと冷静に考えてみてほしかった。
(接点のない私に、いったい何の動機があるって言うの? そもそも、男である彼を溺死させるような力はないし、魔法でも敵う相手じゃないのに)
伝えたい言葉は喉に張りつくばかりで、声になってくれなかった。
ぐっと拳を握った時、
「いい加減なことを言うもんじゃないぞ」
低い声が私たちの間で響いた。
声のした方に視線を向けると、一人の男子生徒が歩み寄ってくるのが見えた。
彼の胸元にはガーネットのブローチが輝いている。
「カイル副寮長…!」
一人が彼の名前を呼ぶ。
それに鬱陶しそうに赤い瞳を細め、カイル副寮長は再び口を開いた。
「言って良いことと悪いことがある。憶測でも、そんなことを口にしてはダメだ」
不愉快さを全面に出しながら、彼はそう言い放った。
カイル副寮長にたしなめられ、ガーネット生たちは肩を落とした。
その光景にため息をついたカイル副寮長は、丁寧な所作で私に頭を下げた。
「後輩たちが悪かった。アッシュがいなくなって、気が立っているんだ」
「い、いいえ。大丈夫です…」
首を横に振り、彼の視線から逃れるために深々とフードを被り直した。
狭くなった視界の端で、カイル副寮長が悲しげな表情をしたのがわかった。
「…本当にすまない。また何かあれば相談してくれ。寮長代理として対応する」
私の居心地の悪さを感じ取ったのか、カイル副寮長はそれだけ言うと後輩たちを連れて去っていった。
遠ざかっていく話し声を聞きながら、彼の短い赤い髪が揺れるのを眺めた。
(…あの人がいるなら大丈夫かな)
少なくとも、あんな風に噂されることはもうない。
そんな私の希望はすぐに打ち砕かれることになった。
翌日から私に対するいじめ行為が始まった。
通りすがりに暴言を吐かれ、ぶつかられたり、足を引っ掛けられたり。怪我をすることが日常的になると、今度は私物が壊されたり、消えたりするようになった。
(このままじゃ…ダメだ)
少しの間、席を立っただけでズタズタに引き裂かれてしまったノートを見つめ、私はぐっと拳を作った。
寮長を失った悲しみを誰かにぶつけないと気がすまないのはわかる。
それでも、私も人間であり、心を持っているということを忘れられていることが辛かった。
(このままだと、私が壊されちゃう)
シャツの胸ポケットからメモ帳を取り出し、ペンを握った。
(アッシュ寮長がなんで亡くなったのか、調べないと)
そして、あの日得た情報を一つ一つ書いていった。
(十月二十日土曜日。発見時刻は十三時頃 ── )
空は青く、ぽつりぽつりと雲が浮かんでいた。
泉に行くまでに通った小道に私以外の足跡はなかった。
森はひどく静かで、風もなく、獣が近くにいた様子もない。
(アッシュ寮長は泉のちょうど真ん中にいた)
そこに落下したのか、風で運ばれたのかはわからない。
アッシュ寮長の腕や足がおかしな方向に曲がっていることはなかったし、殴られたような跡も出血もなかった。
ただ、手首には縛られたような跡があった。
(二日前に図書室で本を差し出してくれた時は、そんな跡はなかった)
なら、それ以降にできたものだろう。
ロープによるものか、はたまた植物を操る魔法によるものなのかはわからない。
(浮遊の魔法を使って、泉まで来て、落下した?)
もしそうだとしたら、アッシュ寮長のミスが起こした事故になるし、縛られた跡が説明できない。
正直言って可能性は低いだろう。
(誰かと一緒に泉まで来て、落下させられた?)
もしそうだとしたら、相手はアッシュ寮長と同等か、それ以上の魔法使いに限定される。
(先生…アメジスト寮のツバキ寮長…カイル副寮長、辺りかな)
メモ帳に書き記した情報を眺め、ペンの先を顎に押し当てる。
(もう一度、泉周りを見てみようかな)
見落としている何かがあるかもしれない。
そう立ち上がろうとした時だった。
「何を書いてるの?」
声をかけられた。
目を見開き、慌てて振り返る。
「あ、ごめん。驚かせちゃったね」
声をかけてきた人物は両手をあげると、敵意がないことをアピールした。
そんな彼が身にまとうローブの袖には深紅の刺繍が施されていた。
くるりとクセのついた金髪に、青い瞳。話したことはないが同級生のノエル・モリスだった。
「ノエル、だよね」
「うん。そうだよ。同級生なのにはじめましてだね、エンネ」
名前を呼ぶと、彼は嬉しそうに笑みを深めた。
「何を書いてるの?」
ノエルはもう一度、同じ質問を投げてきた。
その眼差しは真っすぐにメモ帳に注がれている。
フードをかぶり直し、メモ帳を胸元に寄せた。
彼が敵なのか味方なのか、判断がつかなかった。
「…ただの買い物メモだよ」
「アッシュ寮長のことが書いてあったように見えたけど?」
「…!」
心臓がどくんと飛び跳ね、勢いよく顔をあげた。
けれど、ノエルは表情を変えなかった。
「見てたの…?」
「うん。ごめんね」
彼は悪びれもなく謝罪した。
(内容が見えてたから声をかけてきたんだ)
警戒心が強まり、後ずさる。
すると初めてノエルから笑みが消えた。
「あ、そういうつもりはないよ!」
ノエルはまた両手をあげて、ひらひらと揺らした。表情に焦りが滲み始めた。
「メモ帳を奪い取ろうとか考えてないし、見えた内容を誰かに話すつもりもない! ただ、なんでそんなことをしてるのか、気になっただけ。信じて!」
ノエルは眉を下げ、懇願した。
なんだか、私が悪いことをしているような気持ちになり、肩の力を抜く。
それを見て、彼もほっと胸を撫で下ろした。
「…勘違いだったらそう言ってほしいんだけど、アッシュ寮長の事件のことを調べてるの?」
その質問に、素直に答えるかどうか迷った。けれど、隠したところで隠しきれない気がして、私は静かに首を縦に振った。
「じゃあ、俺にも手伝わせてよ!」
明るい声に目を丸くする。
同じ言語を使っているはずなのに、ノエルが何を言っているのかすぐに理解することができなかった。
「え…、なんで?」
思わず眉を寄せて尋ねた。
すると、ノエルは不思議そうに首を傾げた。
「俺も気になるから」
彼の回答は単純明快だった。
たぶん問いただしても、返ってくる内容が変わることはないだろう。
モヤモヤとした違和感が胸の奥で渦巻くのを感じた。
「ガーネット生の多くは、私を敵視してるよ?」
「え、なんで?」
「なんでって、第一発見者だから怪しいって…」
「えぇ? なんで、第一発見者だと怪しいの?」
「…犯人は現場に戻るってよく言うから」
なんでという言葉が飛び交い、だんだんと自分の説明に自信が持てなくなっていく。
そんな私の内側を見透かすように、ノエルは青い瞳で真っすぐに私を貫いた。
「エンネはやったの?」
彼の声以外の音が一瞬だけ聞こえなくなった。
静寂に満ちた教室で、私は首を横に振る。
「してない」
はっきりと伝える。
ノエルは疑う素振りもなく、また笑みを浮かべた。
「そうだよね」
その一言にとても救われたような気がした。
「だって、二人が話してるの、俺は見たことないもん!」
そんな理由を付け足し、ノエルは握手を求めてきた。
「俺、役に立つよ!」
確かに、彼がいないとガーネット寮のことを調べることは不可能に近い。
これは私にとってもメリットのある話だった。
(明るいけど…たぶん、それだけじゃない)
そんな印象を抱きながら、私は彼の手をとった。




