17:劣等感
廊下を歩きながら、ふとあることを思い出し、私は隣を歩くノエルを見上げて口を開いた。
「ノエル。ノエルが集めてくれた情報をまだ聞けてなかったね」
そう切り出すと、ノエルは驚いたように目を丸くした。
どうやら、私と同様に忘れていたらしい。
その光景に思わず笑みを浮かべると、彼は照れくさそうに話し出した。
「俺の方は、そんなに収穫なかったんだ。むしろ、カイル副寮長に感じた違和感を話したら、全然信じてもらえなくって小馬鹿にされた」
眉尻を下げ、ノエルは苦笑いを浮かべた。
茶化してはいるけれど、自分の意見を信じてもらえないのは辛いだろう。
私は彼と同じように眉尻を下げて、「そっか」とだけ返した。
「カイル副寮長はあんまり感情的にならない人なんだね」
「うん。落ち着いていて、取り乱したところを見たことない。だから、皆が信じてくれないのもわかる」
ノエルは話題を切り替えるように、進行方向へと顔を向けた。
廊下の天井に飾られたシャンデリアの光が、日中よりも薄暗くなった廊下をほんのりと照らしている。
強い光ではない。でも、弱々しくもない光はどこか神々しく品がある。
広い廊下に、時たま誰かの声が響いた。教室に残ってお喋りをしている生徒たちのものだろう。笑い声が混ざったそれは明るく軽やかだった。
私はそれらを素通りし、図書室にたどり着いた。
ノエルが率先して両開きの扉を開けてくれたため、彼を追いかけるように中に入った。
硬い大理石の床が足音を響かせ、魔力がこもった淡い風が頬を撫でた。
ここでは魔力がこもった本が何冊も生活していて、まるで鳥のように本棚の間を飛び交っては、日が当たる場所で日なたぼっこをしていたりする。
生徒が望んでいることがわかるのか、探される前に来てくれる本もいる。
自由気まま。そんな本の一冊が、私たちの前でページを羽ばたかせた。
そして、「こっちへ来い」と言いたげにくるりと舞った。
「ついていこう」
ノエルにそう言うと、彼は戸惑った表情を浮かべた。その反応に、あまりここへ出入りしていないことがわかった。
「大丈夫。ここの本は大切にされてるから、意地悪なことはしないよ」
笑みを浮かべて説得すると、ノエルはなんとか受け入れてくれた。
私たちはゆっくりと前へと進む本の後を追いかけた。
図書室の端。窓から差し込む光が届かず、シャンデリアの光もわずかにしか届かないテーブルの隅でセインさんを見つけた。
彼は難しい顔をしながら本を読んでいた。
「セインさん、少し良いですか?」
ノエルが背後から話しかけると、セインさんは大きく肩を震わせた。まるで椅子から転げ落ちそうなほどの反応で、かなり集中していたのが伝わってきた。
何を読んでいたのかが気になり、セインさんの手元にある本を盗み見た。サポート魔法について書かれている本だった。
「な、なんだよ、急に…!」
彼の荒々しい声が響いた。特別大きな声ではなかったけれど、静かな図書室では騒音に分類されてしまったらしい。
途端、周りの空気が冷たく鋭いものになっていった。
私は慌てて、口の前に人差し指をかざして、静かにと伝えた。
「驚かせてしまってすみません。ここでは声量を落としてください。本たちが煩いのを嫌うので」
私がそう伝えると、ここまで案内してくれた本が警戒するように天高く舞い上がった。
そして、そのまま天井をグルグルと旋回し始めた。
もう一度騒がしくしたら攻撃されてしまうだろう。そのことも続けて伝えると、セインさんとノエルも、慌てて利き手で口を覆った。
「サポート魔法の本を読んでたんですね」
雑談から入ろうと、セインさんが読んでいた本を話題にあげてみた。
すると彼はカッと目を見開き、顔を赤くした。そして胸元に隠すように本を抱えた。
「ガーネット生がサポート魔法の勉強なんておかしいって言いたいの?」
棘のある言葉に、私は慌てて首を横に振った。けれどセインさんは苛立ちを抑えきれないように話し続けた。
「…そもそも、ここの組み分けがおかしいんだよ。僕がガーネット生だなんて」
それはセインさんの心からの本音のような気がした。
「サポート魔法の方が得意なんですか?」
私がそう尋ねると、セインさんは苦々しい顔をした。そして、悔しそうに首を横に振った。
「でも、攻撃魔法も得意じゃない。そもそも、戦うことが嫌いなんだよ。運動神経が悪いから」
隣に立つノエルが驚いたように目を丸くした。
ガーネット生は、攻撃魔法を活かして兵士になる道を選ぶ者が多い。そのため、運動能力が高く、活動的な生徒が多いのも特徴の一つだ。
けれど、だからといって全生徒にその特徴が当てはまるとは限らなかった。セインさんはそういう生徒の一人なんだと知った。
「アメジスト生はいいよね。戦場に出ても後ろでサポートするだけで、前線には出ないから負傷することが少なくて、研究職になればそもそも戦場に出なくていいんだから」
嫉妬と羨望が混ざったような眼差しが見上げてきた。
何か言おうと口を開いた。けれど、その前にセインさんが言葉を続けた。
「僕もアメジスト生がよかった。性格的にも馴染めないし、運動神経が悪いことをいつも馬鹿にされて…」
セインさんは本を強く胸に抱くと、とうとう俯いてしまった。
おそらく、本当は誰にも言いたくない弱音だったのだろう。けれど、サポート魔法の本を読んでることを知られてしまい、言い訳するように口が動いてしまったのだろう。
彼の姿からは哀愁が漂った。そんな彼の前に跪き、顔を覗き込んだ。
「もしかして、その馬鹿にしてきた人って…アッシュ寮長ですか?」
「………」
彼は答えなかった。けれど、否定もしなかった。
「カイル副寮長から聞きました。アッシュ寮長は元々かなり大雑把で、思ったことを後先考えずに口にしてしまう、と。そのせいで失言することもあった、と」
反らされた眼差しと、悔しそうに歪んだ口元。語られずとも、セインさんの感情が伝わってくるようだった。
「才能を持って生まれた奴に持たざる者の気持ちなんてわからないんだよ」
小さな声が、そう呟いた。
「入学したての頃に聞いたんだ。どうやったらそんな風に強くなれるのかって。そしたら、アイツ…“君には無理だよ”って言ったんだ」
それは肯定の言葉だった。
セインさんの瞳から一粒の涙が溢れ出し、彼の太ももへと落ちていった。
「魔力も少ない。運動神経も悪い。人には得意不得意があるって。正論なんだけど、ついカッとなって、ケンカになった。僕の未来を否定された気がして」
きっと、長い間溜め込んできた不満と怒りなんだろう。
セインさんは堰が外れたみたいに吐き出し続けた。
私も、ノエルも、止めたりはしなかった。いや、止められなかったという方が正しい。
「まぁ、でも、結局はアッシュの言う通りになった。僕は学年内でも落ちこぼれ。きっと、卒業後は、名を馳せることもなく戦場で呆気なく死んでいくんだ」
泣きながら笑ったセインさんに、言葉の恐ろしさを痛感した。
まるで呪いのようだ。一度刺さったらなかなか抜けない棘のように、呪いを受けた者を縛り付ける。
(私も、幼馴染に“一緒にいてもつまらない”って言われてから人と上手く喋れなくなったんだった)
仲良しだと思っていた幼馴染に影でそう言われていた。それを知った時から、人と何を話したらいいのかわからなくなって、人とコミュニケーションを取るのが怖くなった。
今も、誰かとコミュニケーションを取るたびに、私と話していて楽しいのだろうかとか、何か面白いことを言わないとと色々と考えて、黙り込んでしまうことがある。
形は少し違うけれど、セインさんと私は似た者同士なのかもしれないと悲しくなった。
「…セインさん、私と決闘してくれませんか?」
「え?」
私の言葉に、セインさんは目を丸くした。ノエルも同じように、私を見下ろしていた。
「君、何言ってるの? 攻撃魔法使えるの?」
「使えないです」
「なら、すでに勝敗は決まってる! そもそも、訓練場の使用許可なんて簡単に取れるものじゃない」
「使用許可はツバキ寮長に頼みます。決闘の方法は、制限時間内に私がセインさんの魔法を防ぎ切ったら ── で、どうですか?」
セインさんは眉間にシワを寄せると、怒りを露わにした。血色の悪かった肌が一気に赤く色づいていく。
「馬鹿にしてるの? 流石の僕も、後輩のアメジスト生には負けないよ」
その言葉に、私は手を差し出した。
「なら、受けてください」
私の視線に、セインさんはたじろいだ。
おそらく、色んなことを思案しているのだろう。彼の瞳には迷いがあった。
「卑怯なことはしません。ツバキ寮長に審判をしてもらいます」
その言葉に背中を押されたのか、セインさんは私の手を取り、力強く握り返した。
「後悔しても知らないから」
彼の瞳は闘志に燃えていた。




