第1章:幼少期編 〜歪な共依存の始まりと、飼い慣らされる狂犬〜
「グランベルの名を継ぐ者が、ただの『魔力タンク』など、我が家の歴史に泥を塗るに等しい」
氷の刃を突きつけられるような冷徹な声が、豪奢な謁見の間に響き渡る。
声の主は、グランベル家現当主であり、私の実の母親であるエレノア・フォン・グランベル。整った、しかし血の通わない陶器のような美貌に、一切の容赦ない実力主義者の色を宿した女性だ。
彼女の視線の先にいるのは、生まれたばかりの赤ん坊――ではなく、5歳になった私、アルティナ・フォン・グランベルである。
「申し訳ありません、お母様」
私はシルクのドレスの裾を完璧な所作で引き、頭を垂れた。その声に子供らしい怯えはない。当然だ。私には赤ん坊の頃から『前世の人格』がある。中身は大人のままだから、母親の冷遇くらいでは心が折れもしない。
私は、自分が規格外の歪な存在であることを自覚していた。
私の中に渦巻く魔力は、一般的な魔法使いの優に100倍はある。それこそ、国一つを更地にできるほどの「魔力タンク」だ。さらに、私には生まれつき他人の魔力の幾何学的な「形(模様)」を視認し、どんな魔法が発動するかを先読みできる、神の如き眼があった。
けれど――それほどの資質を持ちながら、私には「他人に魔力を受け渡す魔法」以外の、どんな初歩的な攻撃魔法も、防御魔法も、生活魔法すらも使えないのだ。
どれだけエンジンが巨大でも、自力で走る車輪を持たない。それが、名門グランベル家において私が「無能」と切り捨てられる理由だった。
「……エレノア! そんなに冷たく言わなくてもいいじゃないか! アルティナ、お父さんの可愛いアルティナ! 気にしなくていいからね。お前はただそこにいて、息をしているだけで世界一偉くて可愛いんだから!」
張り詰めた空気をぶち壊したのは、垂れ目の優しげな美男子――私の父親であり、名門三からの婿養子であるクリストフだった。
彼は私の元へダッシュで駆け寄ると、涙目で私を抱きしめる。凄まじい親バカだ。
「これを見なさい。お前が自衛できるように、お父さんが命がけで最上位の幻獣を召喚しておいたからね。お前の影に潜んで、一生守ってくれるように契約したから!」
父親が指差した先。私の影からぽよんと飛び出してきたのは、天を覆う神獣――ではなく、手のひらサイズの、つぶらな瞳をした真っ白でモフモフの小動物だった。
(……おいおい。元は神聖な最上位幻獣のはずなんだが、なんだこの緊張感のないフォルムは。っていうかお父さん、この家の実権はお母様が握ってるんだから、書類仕事に戻らないとまた怒られるぞ)
幻獣――のちに私が『アッシュ』と名付けるその聖獣は、召喚された瞬間から、私の脳内に直接そんなキレキレの念話を飛ばしてきた。どうやら外見の可愛さに反して、中身はかなりの苦労人(ツッコミ気質)らしい。
それから間もなくして、私の人生の転機が訪れる。
自力で魔法が使えずとも、その「100倍の魔力量」自体が国家的な奇跡であるとして、私は5歳にして国王から直々に『生きた魔法』という異例中の異例の称号を授かった。
名実ともに国宝級の「魔力タンク」となった私に、母親は一つの『部品』をあてがうことにした。それが、分家の三男であり、同世代で最も高い魔力を持つ少年――ニケだった。
「アルティナ。今日からこのニケをお前の護衛、そして婚約者とする。ニケは魔法にしか興味のない偏屈者だが、その才能は天才的だ。お前の魔力を、こいつの『拡声器』として使わせる。グランベルの兵器として、互いに役に立ちなさい」
母親に連れられてやってきたその少年は、無造作に伸びた漆黒の髪の間から、死んだ魚のような三白眼を覗かせていた。年齢は私と同じ5歳。けれど、その身に纏う空気は完全に周囲を拒絶している。彼は魔法以外のあらゆる物事に無関心で無頓着な、いわゆる「魔法狂い」だった。
ニケは私に一瞥をくれると、酷く退屈そうに、投げやりな口調で言った。
「……あんたが、魔法の使えない本家の長女? 俺の時間を奪うなら、それなりの価値を示してよ。俺は魔法の実験以外に、一秒だって使いたくないんだ」
5歳児とは思えない不遜な態度。背後でお父さんが「なんて無礼な奴だ! 婚約破棄だ!」と騒いでいる。影の中のアッシュも『うわぁ、絵に描いたようなヤバいガキが来たな』と引いている。
けれど、私はただ冷静に、ニケのアイスブルーの瞳をじっと見つめ返した。そして、彼の体内で、行き場をなくして燻っている「天才ゆえの、圧倒的な魔力の形」をその眼で凝視した。
(なるほど。彼は確かに天才だわ。ただ、彼の肉体に対して、彼が使おうとする魔法の規模が大きすぎて、慢性的な魔力不足を起こしているのね……)
だったら、私がそれを満たしてあげればどうなるかしら。
「初めまして、ニケ。私の価値は、言葉よりも触れてもらった方が早いと思います」
私は静かに微笑み、彼に近づいて、その小さな手をそっと握りしめた。
そして――私の中に眠る、一般的な魔法使いの100倍の魔力の「蛇口」を、ほんの少しだけ、彼に向けて解放した。
「――ッ!?」
瞬間、ニケの身体がビクリと大きく跳ね上がった。
死んだ魚のようだった彼のルビーレッドの瞳が、カッと見開かれる。
私の身体からニケの細い手へと、遮るもののない純粋で圧倒的な魔力の濁流が流れ込んでいく。ニケにとって、それは生まれて初めて経験する「完全な充足」だった。どれだけ魔法を渇望しても満たされなかった彼の魔力回路が、私の差し出した極上の魔力によって、一瞬で、隅々まで、優しく、そして暴力的なまでの密度で満たされていく。
「あ……、が、あぁ……っ!」
ニケの喉から、脳を直接焼かれたような、恍惚とした、掠れた悲鳴が漏れた。
彼の顔が赤く染まり、瞳の奥に、かつてないほどの狂気的な光が灯る。彼は私を拒絶することなど完全に忘れ、むしろ私の手を、骨が軋むほどの力で握り返してきた。もっと、もっとくれと、その全身が飢えた獣のように歓喜に震えている。
「これ……、何、これ……っ。凄い、魔法が、俺の頭の中に、いくらでも浮かんできて……全部、形に、できる……っ! あんたの魔力、最高だ……! 心地よくて、頭がおかしくなりそうだ……!!」
息を荒くし、私を見上げるニケの目は、すでに「魔法」ではなく、それを与えてくれる「私」だけを捉えていた。一瞬にして、彼は私の魔力の虜――いや、私の奴隷になったのだ。
その様子を間近で視ていた私は、従順で冷静な仮面の下で、ひっそりと妖艶な笑みを深めた。
(ふふ……やっぱり。私の魔力の味を覚えたら、もう他のどんな魔法使いの魔力でも満足できなくなる。私の魔力がなければ、魔法を使うことすら苦痛になるのよ)
ニケ、あなたは魔法の天才。けれど、私の許可がなければ羽ばたくこともできない、私の可愛い小鳥。
「ええ、ニケ。私の魔力は、これから一生、あなただけのものですよ。だから――」
――だから、一生、私なしでは生きられない身体になって、私に飼われなさい。
私が冷徹な支配欲を込めて彼の髪を優しく撫でると、ニケは従順な犬のように、私の手のひらに自らの頬をすり寄せた。互いを見つめ合う5歳児の瞳には、すでに常軌を逸した「ヤンデレ」の光がこれ以上ないほど綺麗に噛み合って輝いていた。
その、あまりにも煮詰まった二人の世界(空間)の足元で。
白いモフモフの幻獣アッシュは、つぶらな目をこれでもかと限界まで見開き、心の中で全力の絶叫を上げていた。
『おい待て。まだ5歳児の初対面だぞ!!! なんで手を繋いだ瞬間にお互いトんでるような恍惚とした顔をしてるんだ!? これ純愛じゃない、お互いへの執着のベクトルが最初から狂気の世界に突入してるやつだわ! お父さん見て! 後ろで「男のくせに娘の手を握りおって!」とか怒ってる場合じゃないから! 君がよかれと思ってあてがった婚約者は、今この瞬間に、娘さんに脳髄まで支配された狂犬になったぞ!頼むから誰か気づいてくれぇぇぇ!!!』
もちろん、幻獣の命がけのツッコミが、すでに二人の世界を構築してしまった幼き支配者と狂犬に届くことは、未来永劫、絶対にないのであった。




