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新説 鄧艾士載伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第三章 泥塗れの龍と手負いの麒麟は

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第十話 二五八年 八陣図

「これはこれは、鄧艾将軍。今回は姿を現して大丈夫なのですか? 無理せず前回の様に逃げ隠れしていても良かったのですよ?」


 蜀軍の侵攻を食い止める為に布陣していた鄧艾に向かって、やって来た蜀軍から姜維が姿を現してそう言ってくる。


「そうしたいのは山々ですが、懲りずに攻め込んでくる戦好きがいるもので、困ったものです。こう言う場合、蜀ではどの様に対処しているものやら」


「そんなモノは簡単ですよ。漢の正統な後継である蜀漢を乱す不届き者などいないですし、何より蜀の者達は逃げ隠れする必要も無く不届き者を撃退する事ができますから。魏では違うのですか?」


 鄧艾が挑発したところで、姜維は軽く躱すどころか容赦なく挑発を返してくる。


 姜維は蜀でもかなりの戦好きと思われている様だが、実際には戦が好きと言うよりその実力に絶対の自信を持っている事と亡き諸葛亮への信仰にも近い忠誠心によるところだろう。


「とは言え、逃げる事に長けた鄧艾将軍に真っ向勝負は酷でしょうから、こちらから陣立を披露しましょう。破る自信があるなら挑んでよし、その自信が無ければお得意の逃げに徹するもよしですよ」


 正直に言えば、鄧艾自身はこのまま姜維と挑発合戦をしていたとしても何ら問題は無いと感じているのだが、残念ながら雍州方面軍の主力となる若い衆には耐えられないらしく暴発寸前である。


 どうやら姜維はこちらの弱点に気付いているらしい。さすがにいつまでもは隠していられないか。


 雍州方面軍には血の気の多い若年兵が多く、今となっては主力と言ってもいいほどの割合になっている。


 それだけに姜維の挑発を無視し続けていれば、怒りが暴発して勝手な行動に出るのは目に見えていた。


「陣立と言いましたが、姜維の師である諸葛亮は陣立においても天才的だったとか。将軍、勝算はあるのですか?」


 年齢で言うのならまだ中堅と呼ぶには早い杜預が、鄧艾に尋ねる。


 長らく鄧艾の副将として実戦経験を積んできた杜預なので簡単に挑発に乗る事は無いが、冷静を装っている鄧艾が本当は挑発に乗っているのではないかと心配していた。


「私も亡き仲達様から、事細かに教えられた事がある。かつて仲達様は諸葛亮に敗れたと言われていたが、仲達様は諸葛亮の死後も自身の敗戦を研究して諸葛亮の陣立の謎を解いておられた。もし姜維が諸葛亮の教えとやらを形だけで捉えていれば、あるいは粉砕する事も出来るかも知れない」


 希望的観測と言われても仕方がない事ではあるが、割りと起きうる事でもある。


 かつて諸葛亮の一番弟子と言われ周囲に期待され、その実力も充分だったはずの馬謖が街亭で有り得ない失敗をした事や、尋常ならざる資質を持っていたはずだがそれを活かす事が出来なかった諸葛恪などがそうである。


 姜維が優秀である事は鄧艾も知っているが、あの司馬懿をして神の如しとまで言わしめた諸葛亮の陣立を再現するのは、決して簡単な事ではない。


 そして形だけをモノにして自分を諸葛亮だと勘違いしてくれたのであれば、蜀を叩く最大の好機となる。


 さらに言えば姜維が布陣してくる陣立にも予想はついていた。


 八陣図。


「……将軍、あの陣形は?」


 杜預は眉を寄せて鄧艾に尋ねる。


「……やはり、か」


 鄧艾としても、実戦で見るのは初めてだ。


 だが話は司馬懿から聞いて、実際に鄧艾も陣を敷く事は出来る。


 一見すると小さくまとまっただけの陣立に見えるのだが、この八陣図は非常に複雑な変化を行うことの出来る、見た目より遥かに扱いの難しい陣形である。


「ならばこちらも驚かせてやろうか」


 鄧艾はそう言うと旗を振り、こちらも陣形を整える。


 それは姜維とまったく同じ八陣図だった。


「はっはっは! 形だけを真似たところで、この陣形の真髄は見抜けはしない! むしろ形だけでもそこまで真似る事が出来た事を誇ってもいいくらいだ」


 姜維は高らかに笑う。


「だが、この八陣図は陣の変化にこそ真髄がある。そこまで出来るのかな?」


「では、採点してもらいましょうか」


 鄧艾は陣を変化させてみせる。


 この八陣図、それ自体は昔からある陣立であり、司馬懿も当然それを知っていたが諸葛亮の研究や発想を組み込まれた八陣図は、彼自身の創作したまったく別物だったと話していた。


 司馬懿はその諸葛亮の八陣図に敗北した事もあり、改めて研究してそれを鄧艾に教えてくれた。


 それによって通常の八陣図では有り得ない陣形に変化出来る事も、鄧艾は分かっていると言わんばかりに姜維に変化した陣を見せつける。


「ほう、大したものだ。なるほど、師は司馬懿か」


 魏にも戦上手は数多く存在するが、諸葛亮の八陣図を実際に知っていてそれを研究して誰かに伝える事が出来る人物と言えば、それは司馬懿しか存在しない。


 そして司馬懿が伝えた事は、それだけではなかった。


 この八陣図は極めて複雑でその変化出来る陣形にはそれぞれに優れた長所があり、相手によって変化するのだからほとんど無敵に近い強さを持つ陣形である。


 とはいかない事を、司馬懿は深く注意していた。


 それぞれの陣形には長所と同じように短所もあり、そもそも陣形の変化が複雑である。


 その複雑な陣形の変化を指揮する事がすでに難しいのに、変化出来る陣形も無数にあるとは言え全てに無制限に変化出来る訳ではない。


 つまり八陣図は無数の長所と同じか、それ以上に問題と短所を抱えた扱いづらい陣形でもあるのだ。


「だが、変化出来ると言うだけでこの陣を破れると言う訳でもないのだろう? 駆け引き上手で逃げ上手な鄧艾将軍の事だ。陣立を披露すれば戦わずに脅せると思ったのでは?」


「将軍! これ以上は我慢なりません! 将軍は陣を知っているのだから、破れるでしょう! 蜀の賊共、血祭りにあげてやりましょう!」


 師纂は怒りの形相で、鄧艾に訴えかけてくる。


 これは暴発しそうだな。


「よし、ここで姜維と一戦交えるが、命令には絶対服従だ。それを守れないのであれば、戦に参加する事を許さない。それでも良いな?」


「もちろん、将軍の指示に全て従います」


 師纂は大喜びで言うと、鄧艾としては必ずしも望まない戦を始める事になった。


 いずれはどこかで戦う必要はあるのだから、姜維は絶対の自信があるようだが弱点の多い八陣図に頼っている今こそ好機と言えなくもない。


 様々な陣に変化出来ると言っても、八陣図の基本となる陣形は天地風雲竜虎鳥蛇の八陣であり、それぞれの派生がある。


 鄧艾はまず師纂の一軍を走らせ、次に自身の二軍が別方向から突撃する。


 非常に複雑な八陣図の分かり易い弱点が、この波状攻撃である。


 一隊に対してすら変化は難しいのに、波状攻撃、しかも別々のところからの時間差による攻撃による対処は極めて困難であり、指示は複雑を極める。


 もし姜維にその対策が出来たとしても、それを正確に兵に伝え、しかも兵も一糸乱れぬ動きをする事は、それこそ諸葛亮や司馬懿などの異才をもってしなければ無理なのだ。


 少々血の気が多すぎるところがあるが、師纂は武将として見るのであれば決して能力は低くない。


 それが暴れたがっているのだから、姜維としても厄介者のはずだ。


 それから鄧艾が少し遅れて別のところから突撃する。


 これに対処するのに、もっとも適した陣は竜。それであれば二箇所からの攻撃にも対処出来るだろう。


 だが、すでに師纂が入っている状態で竜への変化は嫌でも本隊の前を空ける必要があり、無理に竜に変化させようとした場合には師纂を先に押さえる必要があるので鄧艾の前に本隊を晒す事になる。


 はずだったのだが、姜維が選んだ陣は蛇への変化だった。


 蛇? けっきょく本陣は無防備になるのではないか?


 鄧艾は不思議に思ったのだが、結果で言うのなら不思議どころの話ではなかった。


 姜維の八陣図は蛇へ完全に変化せず、その途中で陣の変化が変わったのである。


 と言うより、すでに別の陣に切り替わっていたのだ。


「鄧艾将軍?」


 まったく別のところから突撃したはずの師纂の軍が、何故か目の前に現れて合流する。


「……しまった! 呼び込まれたか!」


 鄧艾は急いで反転して陣からの脱出を試みたが、四方は全て蜀の兵に囲まれ完全に包囲されていた。


「鄧艾! 降伏しろ!」


 蜀の兵士達が口々に叫ぶ。


「……姜維伯約、真の名将と知っていながら罠に落ちるとは。冷静に対処しようとしていたつもりが、私も才に溺れていたか」


 鄧艾は天を仰いで呟く。


「将軍! 戦を投げるには早すぎます! 俺らが一点を突破する為に突撃しますから、その隙に撤退して下さい!」


 杜預が鄧艾を励ます様に言う。


「何を言う! 杜預は司馬一族に連なる武将。私はともかく、君を死なす訳にはいかない」


「将軍こそ、何を言われますか。主将を補佐出来ずに何が副将ですか。それに、今の魏に必要なのは司馬一族に連なると言うだけの者ではなく鄧艾将軍です。ここで将軍を失わせる訳にはいきません。師纂、忠、俺達で退路を作るぞ!」


 杜預が決死隊を編成しようとしたまさにその時、蜀の陣に乱れが生じた。


 鄧艾はその隙を見逃さず、自ら槍を振るい陣頭に立って蜀の陣を突き破る。


 蜀の陣が乱れた理由は、司馬望が鄧艾救出の為に突撃してきたからだった。


「司馬望将軍、助かりました」


「士載殿、喜んでばかりもいられません。せっかく作った祁山に陣営も奪われてしまいました」




 今回は祁山の守りを司馬望が務めていたのだが、そこには夏侯覇の一軍がやって来た。


 当初、司馬望は祁山の九つの防衛拠点による守備力を活かした防衛を考えていたのだが、夏侯覇の動きに妙な違和感を覚えたのだ。


 夏侯覇は若い頃から前線に出て武勲を上げてきた人物であり、司馬望も直接の面識は無かったものの、その実績と人物像は耳に入っていた。


 攻勢に定評があり、かつ武勲に対する嗅覚に優れた戦上手であると言われていた人物が夏侯覇のはずなのだが、この時は妙に慎重と言うより、祁山に現れたもののここを本気で攻略しようという気配が無かった。


 では戦に対してやる気が無いのかと言えば、そんな事も無い。


 軍旗に乱れたところは無く、離れたところからでもその戦意の高さは伺われる。


 その噛み合わなさの原因を探った時、司馬望は夏侯覇の狙いが読めた。


 夏侯覇は祁山攻略を狙ったというより、司馬望をここに閉じ込めておく事を目的としているのだ。


 ここに閉じ込められている限り、司馬望が鄧艾の援軍に出る事は出来ない。


 その一方で、夏侯覇は必要とあらば、この一帯にこだわる事なく姜維の援軍に向かう事も出来る。


 この手を打ってきたという事は、蜀軍の狙いは雍州方面軍総司令である司馬望ではなく、その副将である鄧艾を狙ってきたという事だ。


 舐められたものだ、とは司馬望は思わない。


 単純な血筋による地位には何の意味も無い。


 能力の優劣だけでいうのであれば、鄧艾は司馬望より明らかに優れた、現在の魏でも三指の内に入るほどの実力者であると司馬望は思っている。


 そこで司馬望は祁山の防衛拠点を捨てて、鄧艾の救出に向かったのである。


 その際に司馬望は全ての拠点をカラにして、門も開き、完全な空城である事を敢えて敵に見せて撤退した。


 あまりにもあからさまな空城は、逆に相手に計略があると考えさせる事が出来る。


 こうして司馬望は夏侯覇の追撃を阻止した上で、鄧艾の窮地を助ける事に成功したという。




「将軍の機転が無ければ、今頃は姜維に討ち取られていました。何とお礼を申し上げれば良いか」


「お礼など、とんでもない。士載殿で無ければ姜維とは戦えません。もしそれでも、とお考えであれば、今からでも蜀を撃退する策を考案して頂ければありがたい」


「そうですね、何かしら手を打たなければ」


 姜維に敗北した雍州方面軍は、大きく後退する事を余儀なくされたのである。

諸葛亮の必殺陣形、八陣図


まず、本編で出てきた八陣図は純度百%の創作で、具体的に何がどう行われているのかは私にも分かりません。

八陣と名前はついていますが、日本に伝わった八陣(鶴翼や魚鱗などの陣形)とはまったく関係無く、あくまでも『八陣図』と言う名前の陣形だったみたいです。

しかも孔明先生の八陣図はさらに特殊で、完全に孔明スペシャルだったみたいなのですが、残念ながら資料が残されておらず、『なんか物凄い完成度の高い陣形』と言う事以外伝わっていないみたいです。


ちなみに私が参考資料としている『中国劇画 三国志』の中の姜維のセリフに、

「この陣形は三六五通りの変化がある!」

と豪語していますが、姜維自身はともかく兵士がそれに合わせて動けるものなのかがちょっと疑問だったりもします。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 諸葛亮の八陣。 これは周の太公望呂尚が考案し、諸葛亮が改良を加えた陣形。 その実態は現代に至るまで不明。 ただ、言えるのは容易な攻めでは術中に嵌り、虜囚かあの世に逝くこと…
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