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異法人の夜-Foreigners night-/第二部  作者: 夕月日暮
十二月七日(水曜日)
14/34

断章「枯れ景色」

 遥たちが、ビルに向かって歩いている最中。

 榊原家では、美緒が一人庭先をぼんやりと眺めていた。

 庭の木々はすっかり枯れ果てて、小枝がいくつも落ちていた。

 寂しい風景だ。この庭が、こんなに寂しいものだと思ったことはない。

 悲しいのではなく、寂しい。そのイメージは、どこか兄と重なる。

 昔から、ちっとも変わらない。いつも一人であれこれ抱えて、いつも一人でどうにかしようとして、大概のことをどうにかしてしまう。

 そのくせ、ちっとも嬉しそうじゃない。

 周囲の笑顔を強く望むくせに。

 実際、多くの人を笑顔にしてきたくせに――兄は、いつも寂しそうだった。

 かさりと、音がした。

 音のした方を見た。

 驚きはしなかった。ただ、なんとなく予想していたからだ。

「……なんだ、お前だけか?」

 不躾に塀の上に立つのは、草薙樵。

 兄と同じものを背負う男。そして……。

「お兄ちゃんを、殺しに来たの?」

「ああ、そうだぜ」

 ぬけぬけと、この来訪者は言ってのけた。

 梢の残した言葉や状況から、薄々とは分かっていた。だが、こう臆面もなく言われると笑うしかない。

「残念だけど、お兄ちゃんはいないよ」

「なんだ、出かけたのか? おい、待たせてもらうぜ」

「別にいいけど、もう戻ってこないと思うよ」

「……あ、どういう意味だそりゃ」

 樵が顔をしかめる。こちらの態度が先日と違っているから戸惑っているのか、目的の相手がいなくて苛々しているのか、よく分からない。

 美緒は投げやりに手をひらひらと振った。

「あの馬鹿兄貴は、出て行ったの。自分から。私たちに、迷惑かけたくないんだって。だから残念だけど、無駄足だよ」

 本当に――何だったんだか。

 まったく、訳が分からない。

「嘘だって思うなら残ったら? 客人扱いはしないから、何も出さないけどね」

 ふん、と半ば当たるように言ってしまう。

 樵は、呆然としていた。

 呆けた顔のまま面を下げ、少しずつ肩を震わせ始める。

 ……少し言い方悪かったかな。

 だが、別に構わないだろう。家人を殺しに来たような奴相手に、何を遠慮することがあるものか。

 そんな美緒の考えは、樵の口から洩れた音で途切れた。

「ク」

 ク、ク。

「クク……迷惑かけたくない? 出て行った? 自分から? おいおいおいおいおいおいおいおいおいおい、どんな冗談だそりゃあよ、傑作にも程があるぜ! ハハハハ、ちゃんちゃらおかしい、へそで茶沸かすってのはこういうことか? え、おい!」

 樵は両手で目を覆いながら、狂ったように哄笑する。

 何がそんなにおかしいのか。ぽかんとする美緒を尻目に、樵は一しきり笑って――大きく地団駄を踏んだ。次の瞬間、狂った笑みは憤怒の形相へと変わり、

「馬鹿にしてるのか、糞野郎!」

 ――烈火の如く、吠え散らした。

 じろりとこちらを睨み、のしのしと迫ってくる。

 恐怖は感じない。ただ、呆然としていた。

「なんだよ、そりゃあ。え、おい。自分が死にそうで、あちこちから命狙われて、それでなんだ『迷惑かけたくないから消えます』だ? なんのドラマだよ、そりゃあ。何が何でも生き抜いてやろうとか、そういう根性はねえのか」

「……」

「悲劇のヒロインでも気取ってやがるのか、お前の兄貴は。気に入らねえな、おい。ってことはあれか、この家の連中がいないのは、奴を探してるってことだな」

「……そう、だけど」

「はん、馬鹿臭い。迷惑かけまいとして、心配かけてちゃ世話ねえわ。ますます気に入らねえ。むかついて仕方ないぜ」

 美緒の正面に立ち、樵は苛立たしげに鼻を鳴らした。

「親から貰ったテメエの命、人のために使うなんざアホの極みよ。ちっ、どんな野郎かと思ってたが、とんだ偽善者、とんだ根性無しだ」

「…………そう、かもね」

 確かにそう思う。

 梢はいつだって、誰かのために動いてきた。そのために救われた人も、きっと大勢いるのだろう。自分だってそのうちの一人だ。

 だが、ときにこうも思ったのだ。

 ――なんて勝手なんだろう。

 こちらの心配なんてどこ吹く風。確かに、私利私欲で動くことはなかったが、結局のところ、梢は自分のやりたいようにやっていただけとも言える。

 今回のことを含め、理は大概梢の方にあった。しかし、人間は理だけで納得出来るものではない。梢の理を前にして、美緒はいつも何かに耐えていた。

「勝手だよ。何もかも全部自分一人で抱え込んで、こっちには一言の相談もなし。いつだって、そうだった。……本当、勝手だよ」

 血の繋がった家族だった。それでも、いつも身近にいながら、自分は梢のことが分からなかった。向こうも、分かってもらおうとは思っていなかったのだろう。

 互いに大事な家族と思いつつ、どこかでその思いはすれ違っていたのかもしれない。

 いつの間にか、樵がハンカチを差し出していた。

 それを受け取る。

 そのとき、自分が泣いているのだと気づいた。

「……さっさと拭きやがれ。湿っぽいのは嫌いなんだよ」

 言われるままに、ごしごしと顔を拭く。

 苛立ちはとりあえず治まったのか、樵はそっぽを向いて所在なさげに突っ立っている。沈黙がしばらく続いた。

「これ、どうする?」

 ハンカチをひらひらさせる。普通なら洗って返すのだろうが、相手が相手だ。

「洗って返せ。必ずもう一度ここに来る」

「……何しに? お兄ちゃんは、もういないんだよ」

 問いに、樵はまた鼻を鳴らした。

 横目でこちらを見ながら、静かに、だが力強い声で言った。

「その馬鹿をぶち殺す前に、お前らのとこに連れて来てやる。必ずだ」

「な、なんで?」

「俺がそうしたいからだ。俺が決めたからだ。文句は聞かねえ、苦情も聞かねえ。俺は俺の決めたことに口出しされるのが嫌いだからだ。良いな?」

 一方的に言われ、こちらとしてはうんともすんとも言い難い。それを向こうは了承と見たのか、勝手に頷いている。

「いいか、連れてくるだけだ。その後どうするかはお前らに任せるぞ。ただし、それが終われば俺と野郎の殺し合いだ。こいつは絶対だ。そのとき邪魔したら誰だろうとぶちのめすから覚悟しとけよ――」

 次から次へとまくしたてる。美緒はどう答えていいか分からず、呆けたままでいるしかなかった。

「あんたは――」

「あん?」

「……ううん。あんたも、自分勝手だね」

 ようやく出せたのは、そんな言葉だった。

 嫌いだ。目の前のこの男も、兄も。皆自分勝手で、こちらのことなどちっとも分かってはくれないのだ。

 嫌いだと、思っていたかった。

 美緒の言葉に、樵はふんと軽く鼻を鳴らす。

「んなこたぁ先刻承知よ。俺ほど自己中な野郎はそうそういないぜ?」

 別に気分を害した様子はない。ただ、樵は笑っていた。

 ただ、それはこれまで彼が浮かべてきた笑みではなかった。哄笑、獰猛な笑み、等のものではない。苦笑に近いような――それでいて少し寂しげな――そんな笑みだ。

「……ふん。ま、んなこたぁどうでも良いんだよ。とにかく、俺様はやることが増えた。こんなシケたとこに用はねえ」

「行くんだ」

「ああ。……と言いたいところだが」

 途中から、樵の声に険しさが混じりだした。

 辺りの空気が、ちりちりと焦げ付きそうな気がする。

「ふん、つまらねえ」

 そう言って、ちらりとこちらを振り返る。その眼差しに、一瞬凶悪な光が宿った。

 だが、その光はすぐに消えた。樵はそっぽを向いて、素っ気なく、

「あばよ」

 短く告げて、身を投げ出すように、塀の向こうへと姿を消してしまった。

 庭木から、はらりと一つ、葉が落ちた。


 一番古い記憶は、焼け野原。

 まだ幼かった頃、自分はそこで死んだのだろう。

 本来あるべきだった自分の人生はそこで終わり、あるはずのないロスタイムが続いているだけだ。あってはならない。それが、今の自分だ。

 そのことに、絶望したことはない。最初から承知していた。悩んだところで、苦しんだところでどうにもならない。そういう自分と上手く付き合っていくしかないのだ。

 草薙樵は自己中心的な人間である。

 彼を多少知る者は、その呪われた宿命や、人間を超越した異法という力が、彼を歪ませたのだろう、などとしたり顔で語る。

 彼の友人二人は、特に何も語らない。語られることを樵が嫌がると知っているからだ。だが、彼らにしても、他の連中と似たような見解を持っているのかもしれない。

 樵自身は、そうは思わない。

 人を超越した力。忌むべき宿命。それは最初から自分と共にあったものだ。それを拭こうとは思わない。元から自分はそうだった。他人が自分を歪むというのであれば、それは何が原因というわけでもなく、ただ歪んでいるだけなのだろう。

 悲劇と感じたことはない。

 腹立たしいと思うことはある。

 そのうっ憤を晴らすため、自分に正直に生きることにした。

 それが、草薙樵の生き方だ。

 死ぬまで続く、一人の暴徒の生き方だ。

 何かが狂って暴徒になったのではない。最初から暴徒だった。そんな自分を――草薙樵は、嫌いではなかった。

「つまらねえな。人が発奮しようってときに、こそこそ覗いてんじゃねえぞコラ」

 榊原邸の近くにある山の中腹。そこで、樵は声を張り上げた。

 周囲に気配。十名前後といったところか。いずれも、並の使い手ではあるまい。

 人数からして飛鳥井の連中のはずだ。本当にしつこい。いくら姿を隠しても、いつの間にか捕捉されてしまう。

 不思議と、今回は姿を見せない。

 今まで、こうして呼びかければ馬鹿正直に出て来たのだ。あの飛鳥井の女は。

 不器用なのか馬鹿なのか。

 だが――今回はしいんとしている。気配だけが周囲にあり、それが表に出てこない。形を現さない。それが、酷く癪だった。

「なんだ、今日はいつもの姉ちゃんじゃねえのか。あの馬鹿正直なアホ丸出しの着物女ぁ留守なのか。そいで代わりに蚤の心臓が出張って来たってわけか」

「言いたいことを言ってくれますね」

 正面に女が姿を見せた。相変わらずの時代錯誤な格好だ。やはり馬鹿なのだろう。何かの記念日ならともかく、常時あの格好をしているのだろうか。

 いや、そんなことはどうでもいい。

「ふん、いるんなら最初っから姿見せろ。隠れてコソコソしやがって、趣味悪い」

「……」

 女は答えない。当然だ。あれこれと会話をするような間柄ではない。

 こちらの状態が、あの女から対話という選択肢を奪ってしまっている。あるのは、殺すか殺さないなどという、物騒な関係だけである。

「また、人質を取るのではと危惧しましたが」

 美緒のことを言っているのだろう。先日、実際に美緒を人質にして彼女たちから逃げたばかりである。その疑念はもっともだ。

「人質なんざ、もういらん」

「ほう。それは、どういう心境の変化です?」

「やることが増えた。だから、もう逃げるのはやめだ。てめえらは、ここで叩き潰す」

 その際、人質など却って邪魔なだけだ。相手は絡め手を得意とする魔術師。姑息な手段においては一枚も二枚も上手である。人質を取りながら逃げられると対処しにくいのだろうが、人質を持った者と戦う場合の方法は、心得ていると見て良い。

 だから、美緒には何もしなかった。

 ……あいつは、ただ待っていればいいんだ。

 樵は獰猛な笑みを浮かべ、相手を睨み据えた。

 両腕を大きく広げた。

 そこに、周囲の土が殺到する。腕を包み込むように、土が大きく咆哮した。

 樵の両腕は完全に土で覆われた。その土が――光沢を放ち始めた。次第に形も変形していく。"土で出来た金属製の篭手"のように。

 樵の異法は、大地を操る力。これはその応用技だ。

 両腕全体を包み込む、土色の武装。

 閻魔砕拳。

 すべてを砕く。邪魔する奴らを打ち砕く。この拳で。

 それだけが、樵の生き方だった。

「……やる気、のようですね」

「ああ、そうだ。ぶちのめす。この、俺のこぶしでなあ!」

 樵の拳が輝く。それに呼応するように、拳へと砂塵が収束していく。

 敵を倒すため、より強く輝く。

 女は、動じることなく鉄扇を構えた。

「そうですか。それは――こちらにとっても好都合」

 女が鉄扇を一振りする。たちまち濃霧が辺り一帯に広がっていく。こちらが一歩踏み出そうとしたときには、女の姿はおろか、周囲の風景すら定かではなくなった。

「っ、なんだこれ」

 強烈な眠気が樵を襲う。慌てて口を覆うが、全身から力が抜けていく。

 ……せこいやり口だな、おい。

 相手が魔術師だということを忘れていた。奴らは陰険で陰湿なのだ。こちらが正々堂々来いよと言えば、必ず邪道を用いる。

 樵が戦う気満々でも、向こうは戦うつもりなど最初からないのだ。こちらを捕縛してしまえば、それで良い。

「くそっ……たれ」

 意識が遠のく。

 駄目だ。これでは駄目だ。

 これでは――"奴"が出てくる。

 俺がオレでなくなる。

 ふざけるな。お前の出番じゃねえ。

 今は、まだ俺の時間だ。

 てめえは――。

 ――――。

 ――。


 ……私は。


 飛鳥井冷夏が撒き散らしたのは、強烈な睡眠効果を持つ煙である。周囲に潜む飛鳥井の者たち全員が、一斉に撒き散らしたのだ。冷夏がやったのは、その煙が周囲へ拡散しないよう、風圧を操り制御しただけだ。

 まともに戦うつもりなど毛頭なかった。

 今回の件が始まって以降、冷夏たちの方針は『梢と樵の無力化・捕獲という目的を達すること』だけである。一般人の被害を最小限に抑える点を順守すれば、手段を問うつもりはない。

 相手は異法人。基礎能力がこちらとはまるで違う。

 加えて草薙樵は数年前、スルトと呼ばれる怪物を倒した実績を持っている。スルトは各地で悪名を轟かせた怪物で、あのザッハークと同等の実力を有すると言われていた。そんな相手と正面切って戦うのは、律儀を通り越してただの阿呆である。

 ……でも、これで残るはあと一手。

 今頃は泉の姫様が、倉凪梢の身柄を拘束している頃だろう。倉凪梢の実力を過小評価するつもりはないが、生ける伝説と称されるあの二人に太刀打ち出来るとは思えない。

 心配材料は、どちらかと言えばこちらの方だった。だが、それも無事に済みそうだ。

 これが終われば、この件はほぼ決着を見ることになる。

 二人の若者が、咎なくも誅される。そうすることで――町が一つ救われる。

 そして、自分たちは業を重ねる。

 ……きっと、"二人"がこの場にいたら殴り飛ばされてるかもね。

 特に"彼"の方は黙ってはおるまい。あるいは、理解を示してくれるだろうか。

 この町で出会った、掛け替えのない友人。彼らとの間に交わした、"この町を守る"という約束。

 幼い正義心だけで誓った約束を果たすため、自分は彼らにとって大事な人を傷つけようとしている。純粋なはずだった誓いは、今や血で汚れようとしていた。

 そこまでして約束にこだわる自分は、妄執の念に囚われているのかもしれない。どんなに約束を守っても、彼らはもう戻ってくることはないのだ。

 誰が喜ぶわけでもない。誰が褒めてくれるわけでもない。憎まれ、恨まれ、血も涙もない冷血女と呼ばれるのがオチだ。

 いくらそう考えても――約束は投げだせなかった。

 ……いけない。集中しないと。

 述懐に耽るのは、すべてが終わってからだ――。

 そう思っていた矢先、冷夏の脇を何かが掠めて行った。気づいたときには、既にそれは通り過ぎていた。速い。

「これは……!」

 一瞬だが、強力な魔力を感じた。鋭く、抉り込むようなものを感じる。

 この状況下で思い当たるのは、一つしかない。

「各員、古賀里の襲撃です!」

 己が魔力を弾丸として扱う、あの女。草薙樵の数少ない友人だ。


 飛鳥井の者たちを張っていたのは正解だった。予想通りだ。

 彼らは樵の居所を掴み、何かを仕掛けた。不自然な形で煙が広がった。はっきりとした自信はないが、おそらく睡眠薬か神経毒の類だろう。

 ここで奴らに樵を渡しては、奪還は困難極まる。

 そう判断し、夕観は喧嘩を売ることにした。

 ……ああ、勝手に殺されて溜まるものか!

 どんな理由があろうと関係ない。誰が死のうと誰が生きようと、そんな大義なんぞは糞喰らえだ。

 夕観とフィスト、そして樵は幼馴染だ。それも、ただの幼馴染ではない。

 互いに境遇は違えど、幼い頃から、ただ生きるという当たり前のことも難しかった。そんな中で、互いに支え合ってきた三人だ。友情よりも深く、家族愛よりなお強い。

 そんな相手が殺されようとしている。

 どんな大義名分があろうと――それでハイソウデスカと納得出来るはずがない。

「フィスト、突っ込める?」

 牽制のための砲弾を一発撃ち込んでから、夕観は側のフィストに尋ねた。彼はマフラーをきつめに巻き、顔の下半分を覆い隠している。

「樵の奴を引っ張ってくれば良いんだな?」

「そういうこと。タイマンならいくらでも相手してやるけど、向こうさんの正確な人数も分からないからね。こっちが敵の意識を引き付けとくから、その間に宜しく」

「まったく、簡単に言ってくれるお嬢様だ」

「あんただから簡単に頼めるのよ。命がけのことでもね」

「……やれやれ。惚れた女にそう言われたら、良いとこ見せないとな」

 フィストは拳を打ち鳴らす。これが、彼なりの承諾の合図だ。

「十秒経ったら夕観は離脱してくれ。俺も樵を連れて姿を隠す。落ち着いたら合流だ」

「了解!」

 頷くと同時に、夕観は砲弾を数発打ち込む。

 それに合わせてフィストが駆け出す。


 その瞬間。

 樵の周囲を覆っていた煙が天へと舞い上がり――――大地が、躍動した。

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