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最近の卯木さんは変だ。
あの日。紅火君に誘われて夜に訓練へ行った後から、卯木さんの様子がおかしくなった。
中を見ながら、考え込むことが多くなったのだ。
初めはあの夜が近かったことから、自分の身に何が起こったのかを思い出そうとしているのだろうと思った。
滝津も同じだったからだ。
あの日の夜には確かに吾都万学園の普通科校舎へと私達は行った。
紅火君の提案で、腕磨きをするという名目で。
実際、序盤はとても順調だったのを覚えている。いや、順調だったというよりも、何の脅威も無かったと言った方が正しいかもしれない。
その位何も無かったし、とても楽しかった。
狂いだしたのは、あの時からだ。
卯木さんが一つの教室の前で足を止めた。
私には……私達には、何も感じられなかったけれど、卯木さんの感知に何かが引っ掛かったのだ。
力が強ければ強いほど、大きな存在感があると思っている人が多いかもしれないが、実際、ファーストコンタクト時においては逆の場合がほとんどだった。
力が強い存在は、長い年月を生き、人間並みの知恵をつけているモノが多いからだ。
彼等は、自分にとって不利益な者に見つからないように自らの存在感を小さく、小さく抑える。
逆に言うと、それだけ気配や存在感が大きいモノは生まれたばかりで力を抑えることも出来ない未熟者で、若手の能力者達の恰好の餌食だったりする。
つまり、感知に長けた能力者が見落とし、通り過ぎそうになったという時点で、若手の滝津達にとって、戦慄するに値する意味があった。
けれども、いざ教室の扉を開けてみると、そこにあったのは小さな浮遊霊の影で……。
仲間の誰もが拍子抜けし、苦笑し合ったと言うのに。
紅火君の経験値の一つで終わる話であったはずなのに。
何が引き金になったのかはわからない。わからなかったが、瞬き一回もしない内に、小さな浮遊霊が手に負えない脅威となった。
滝津がはっきりと覚えているのは、そこまでだった。
その後、気が付いたら滝津は自室のベッドにて眠っていた。どうなったのかわからず、様子を見に来てくれた家人に確認をしたら、滝津は吾都万の普通校舎にて倒れていた所を宝円の家に保護されたのだと教えられた。
宝円……。どうして照明君と紅火君の家が。
あくまでも秘密の修行という名目だったのだ。彼等も当然、家を抜け出して来たはずだろう。
ならばやはり、滝津の思い出せない記憶の中で、彼等のどちらかが、家に救援を求めたということなのだろう。そう思って納得していたのだが、後日、顔を合わせた時に聞いてみると、二人共連絡をした記憶が無いというのだ。
それどころか、よくよく聞いてみると、滝津同様に、彼等も……一緒に学校に行った仲間達全員があの夜の記憶を曖昧にしていた。
一体これはどういうことなのか。
あの夜、自分達の身に一体何が起こり、何故こうも版を押したように同じ部分の記憶が抜け落ちるというのか。
いや、『抜け落ちる』と言う表現は正しくない。曖昧ながらもなんとなく覚えている所もあるのだから。
だがそれでも、大部分がわからなくなっているのには変わりがなかった。
聞けば卯木さんも同様で、気付いたら宝円の保護を受けていたらしいのだが、喰いついたのはそこだった。
何度も納得がいかないように繰り返したのだ。
本当に保護に来たのは『宝円』だったのか、と。『廉条』は何も動いていないのか、と。
何故、卯木さんがそこまで『廉条』に拘るのかが、わからなかったが、彼なりに思う所があるのだろう。
以来、何かを考えながら、ぼうとすることが多くなったように思う。
そんな卯木を見かける度に、滝津は悔しく思うのだ。
確かに自分達は、卯木よりも年下で、今は彼に守られる立場かもしれない。けれど、相談くらいしてくれたっていいじゃないか。何よりも、滝津はーーー……。
「……ん? 滝津じゃないか。珍しいな。普通校舎にいるなんて」
いつの間にか、ぼんやりとしながら歩いていたらしい。滝津は行く手から聞こえた声の方へと弾かれるように顔を上げる。
「……あ」
視界に入るのは、予想した通りの人物。今の今まで滝津の頭を悩ませていた卯木が、降りている階段の下から滝津を見上げていた。
皆、各々食事中であろう、人気の無い階段の踊り場に立ち止まり、今度は滝津が卯木を見上げる。
「今日の委員会のことで担当の先生に聞きたいことがあって。……こんな時間でもなきゃ、いろんな人にじろじろ見られちゃうし……。卯木さんは? お昼はもう食べたの?」
「ああ。俺は、ちょっとこっちに用があってな。もうちょっとかかりそうだから、まだ飯は食ってない。
まぁ、次の時間ちょうど空きだからな、その時に何か腹に入れるさ」
「うわぁ。さすが教師。限られた時間でしか食事出来ない生徒とはまず、発言が違うわぁ!」
滝津が茶化して言うと、卯木は唇の端を釣り上げて笑った。
「まぁ、これも一つの特権ってやつさ。じゃあ、お前も早く帰って何か食えよ」
「はぁい」
やり取りに満足し、滝津がその場を立ち去ろうとした時、何かを思い出したように卯木が再び滝津の名を呼んだ。
「何?」
「一つ、確かめたいんだが。お前、ちっさい頃にさ、俺のこと『にぃに』なんて呼んだことなかったよな?」
にぃに? 何それ。
言葉にすることなく、あからさまに顔に出ていたようで、卯木は納得したように一つ頷くと、滝津の頭をくしゃりと撫でた。
「わかった。すまんな。変なこと聞いて」
これでこの話は終わり。如実にそう物語る卯木の態度に、何故か滝津の胸が焦燥に駆られた。
嘘でも、自分だと言わなければ。
でないと、この人は。
この人が。
理屈の無い予感に、滝津が口を開こうとしたのに、次の瞬間には、もう卯木の心が別のことへと移り変わっていた。
険しい表情。
その眼の中には、もう滝津への関心は無かった。
卯木は呟く。
「……この気配はっ」
その呟きを拾ってしまった。
あ。だめ。
直観的にそう思う。
「卯木さんっ!」
「悪いな滝津。また今度な」
え?
自分でも驚くほどの切羽詰まった声だと思った。
今までの彼だったら、滝津がこんな風に声を荒げたら、どんなに急ぎの用があっても必ず滝津を優先してくれたのに。
また今度な、なんて、言われたことなかったのに。
もう、すでに目の前から消えた背中を思い出しながら、滝津は立ち尽くした。
今まで感じたことのない、この心に吹き抜ける風は何なのだろうか。
この何とも言えない虚しさは、一体何なのだろうか。




