実感【遠見】
山の中を歩く、初めての経験だった。
太陽に蒸された木々の緑の匂いにむせかえりそうになるが、今は新鮮さが勝っている。
じじ、と鳴くセミの声をこんなに間近で聞くのも初めてだったし……花壇以外で土の上を歩くのも初めてだ。
世界は病室の窓からも無限に広がっていたのだと再確認する私。
それにしても……高坂さんには呆れた。
ワケの分からないウソまでついて、そんなに私と行動するのがイヤなんだろうか?
だいたいシリアルキラーってなによ。
そんな朝食みたいな呼び名の人殺しがいるんだろうか?
それに高坂さんはいつも『虫歯が痛い』人の表情をしてるクセに快楽殺人者とは笑わせる。
だって【快楽】って割にちっとも楽しそうじゃないじゃんあのひと。
多分そういった人達はいつも舌を出して中腰のはずだし。
おはようの挨拶は『ヒャッハー』でおやすみの挨拶は『ファック』のはず。
私の観察によると高坂さんはいずれの条件にも当てはまらない。
故に高坂さんは私に嘘を吐いている。帰ったらイジメながら問い詰めてやるのだ。
「あ……」
大きな木に手を突き汗を拭いながら顔を上げると、そこにはチラホラと人影があった。
ここからでも耳を澄ませば話し声が届く距離。
皆さん忙しそうに動き回っている。
あれだけ人が居れば色んな話も聞けるだろう。
高坂さんの言った事だけしか知らない私は、情報量がバカみたいに足りてない。
元々病院の外には出たことないし、3年間も寝てたし。
「……よし!」
頭を軽く振り目指すはシェルターの入り口。
例え一週間後にホントにあの隕石が堕ちて来たとしても。
私の人生はあと一週間は続く。
だから私はひたすら前に進んでやろうと……そう思うのデス。
「……君は?何班だ?」
シェルターの入り口付近に近寄る私を目ざとく見付け親の敵のような視線をぶつけられる。
「いや、私シェルターは初めてで。はじめまして」
私が笑顔でそう言った途端俄かに辺りの人達がざわめく。
そんなに珍しいのだろうか?
「っ……あなた……」
ひとりの女性が声を上げる。
「ああ!えっちゃん!久し振りー!」
私の入院していた病院で看護士をしていた『悦子』という女性が目を見開いて立ち尽くしている。
私の声を聞いても……尚。
「……」
いくら私でも歓迎されているかそうでないかくらい分かる。
全く歓迎されてはいない事くらいは、あの私を見つめる視線で分かった。
ここはさっさと用件を済ませた方が良さそうだ。
「お父さんかお母さんここにいないかな?一言お礼が……」
「ここにはアナタの居場所は無いわ」
「いや、だからね?私別に……」
「お願いだから消えて。早く」
私の言葉を打ち消すように、言い終わらない内に喋られる。
えっちゃんはこんな威圧的な喋り方をする人じゃなかったのに。
結構な人数がいるにも関わらずえっちゃん以外は誰も口を開こうとしなかった。
じじ、とセミの鳴き声が辺りを染め上げる。
「邪魔しないよ?すぐ帰るから……」
「感染したらどうするつもりよっ!!」
エキセントリックな叫びに一瞬身体が凍る。えっちゃんは声色や目つきまで別人のように切羽詰まっていた。
「感染……」
ざわざわと、それまで沈黙していた周りの人達がえっちゃんを取り囲む。
「あの子は病気なのっ!感染するのよっ!」
確かに可能性はある。
しかし勿論空気感染はしないし、日常生活を送る分にはまず安全だとにこやかに諭してくれたのは
えっちゃんじゃなかったっけ?
「あの子をシェルターに入れたりして……もし、感染が広がってしまったら……ぁあぁあああっ!!」
「あの子に近寄るなっ!銃を持ってこい!早くしろっ!」
……あら?
「取りあえず石でも材木でもいい!早く追い払うんだっ!」
……あらら?
次々と悪くなる事態を眺めながら私は……ドミノ倒しを見ているようで。
なんだか可笑しくなった。
…………っつ!!??
ごき、と鈍い音が体内で響いたと思ったら視界が3重に拡散する。
「近寄るなよ!石を当てるんだ!」
歓声だか罵声だか知らないけど……くぐもった声はあちこちで聞こえてくる。
顔のよこっ側がぬるい、そう思った次の瞬間には地面が目の前に迫っていた。
「当たった!」
「気を付けてっ!血が危ないのっ!感染するわっ!」
なぜだかえっちゃんの裏がえった声は良く聞こえる。
私はそんなどうでも良いことを考えていた。
頭からは血が流れているのに痛みがあまり無いから危機感も薄い。
ぼんやりとした意識の中で私はどんどん落ちていくような錯覚の中にいた。
…………。
…………。
ちょっと……調子に乗ってたかも。これほどあからさまな『暴力』に晒された事など無い。
言葉が、
気持ちが伝わらないと言うことはこれほど恐ろしい事だったのか。
一方的な暴力に私なんかがなす術は無い。私は温室育ちの死に損ないでしかないのだから。
「……」
そりゃあ戦争とか無くならないよね?
同じ文化で生きてきたはずの人達がコレなんだもん。
全くコミュニケーションが取れない、という点ではこの人達はエイリアンみたいなもんだ。
そしてシガニー・ウィバーでもウィル・スミスでも無い私は……もうお手上げ。
「まだ油断するな!生きてるぞ!」
手の平の二倍程の石が当たり前に飛んでくるからもしやと思ってたけど……やはりこの人達は本気で私を殺す気のようだ。
まあ今更か。
「凛子……」
ピクリと耳が反応した。
今確かに誰かが私の名を呼んだ!
不思議とぼやけていた視界がクリアに広がり、見る見るうちに声を掛けた主へとズームアップする。
そして……見た。
くるりと身を返しシェルターへと足早に去っていくお母さんの背中を。
昏い表情とガラスの眼球で私を捉え続けるえっちゃんを。
石を次から次に握り締め私に目掛けて投げつける群集を。
「……」
私は怖くて堪らない、と言う経験を今初めて実感していた。