あと1日【後半】
青年はしきりに首を傾げていた。
胡坐をかいた姿勢で腕を組み、思考に喘ぐ。
マンションの室内の天井には大きめな照明が備え付けられていたが当然電気は通っていない。
しかし。
「……」
ぱちぱちと、まばゆい。
まばたきをする。自分の目を擦る。頭を掻き毟る。青年には解らなかったのだろう。
少女が逝っても尚、世界が終わっていないことが。
「……」
苦しんでいた少女はそれでも泣き言は言わなかった。青年は少女の細く短い言葉を聞き逃すまいとしたが、青年の期待に沿うことの無かった少女の最期の言葉は『先に逝くから向こうで待っててあげる』であった。
「……」
少女と出会ってからの自分が尊い者になれたような錯覚をし、勘違いの果てに見据えた未来がコレだった。やはりダメだった。青年はダメだったのだ。
かけがえの無い人間の死に際して涙も出ないのだから。
『……!』
「……」
先程からは俄かに外が騒がしい。
いよいよ、なのだ。
人類の歴史とは秩序の歴史の事だ。
塗って固めて押し込んで、それでようやく成り立つものが道徳であり倫理。総称としての秩序。
それが安物のペンキのようにバラバラと剥がれ落ちてきている。
彼らは全て少女の在り方とは程遠い。
特別だった。
死して思い知る。
やはり青年は特別では無かった。
「……」
厄災に、染まっていく。
「ふー……」
外は喧騒に溢れている。
ヤッたりヤラれたり、奪ったり奪われたり。
切ったり切られたり、蹴ったり蹴られたり。
刺したり刺されたり、死んだり。
「ふ」
目が半開きのままだった少女のまぶたを青年は軽くなぞり瞳を閉じる。まだ身体は硬直していない。当然だ、さっき死んだばかりなのだから。
青年は寝ているような表情になった少女を見て幾ばくか満足感を得た。やはり死体とは言え少女に見られるのは後暗いのだろう。
今の青年の亀裂の笑顔はそれほど邪悪なものなのだから。
「ふふ」
算段を打つまでも無い。
今から外に出て、殺そうじゃないか。途中で殺されても構わない。そこが自分の終焉だと納得出来る。身勝手な理屈の押し付け合いの果て、喧騒のトグロの巻かれてみんな死ね。
おぞましい思考がどろりと漏れて少女の死体を汚してしまう前に『早く行かなくては』と焦りが生じた。
「ふ……ふふ」
どうせ。
みな死ぬ。
ならば、自分が殺すことに何の躊躇があろうか。
「……」
青年は、紅潮していた。
彼はあの原体験を忘れたことなど無いのだ。自衛の為已む無く両親、姉を殺害。已む無く。しょうがなく。
それは真実なのだろうか?
姉の為、自己防衛の為。
「……」
そんなものは、嘘だ。
青年は両親が小刻みに震えながら死んでいく様子をじっくりと観察しながら
射精した。あの時の興奮が今も、ずっと胸にある。
自分は異常者なのだと誰より自分が知っていた。
少女にそのことを伝えなかったのは意図的なものだったはずだ。
「……」
ココロカラノハンセイトハ?
イノチトハ?
ルールトハ?
拘置所の中で考えてきた、ありとあらゆる理屈は後付けのまがい物だ。
ただバグの埋め込まれた人間が生まれてしまっていたとどこかでいつもそう思っていなかっただろうか?
・・・・・・・・・・・・・・
そしてそれは真実ではないのか?
ぎゅ、と絨毯を掴み青年は腰をいよいよ上げ起こす。
さあいくぞ、と。
「……」
ミンナミンナ、ブッコロシテヤル。
ふふ、フフフフフフフフッフ。プックク。
殺しながら殺されながら世界は終わっていく。そうしよう。それがいい。
自分もその輝かしい喧騒に入れてくれ、と。どうせ自分は元よりそういう種類の変態異常性欲者でしかないんだと。
自ら赴く地はそういう類の薄暗く湿った、救いの無い現実でしかあり得ない。そしてそれは今ここにあるから。
早く、誰か、僕を。
ーーー殺してくれーーー
「うぁ」
その時。
青年は足元が白く光ったような錯覚を見た。
「……」
少女の小さな手の平が青年のジーンズの裾を掴んでいたのだ。
「……」
そこに意図など……意志など無い。
今際の際、病状の苦しさに掴んでしまっていた。
それだけなのだろう。
だって死んでいる。
あの眩しかった表情はすでに青白く変質をはじめ、目は先程閉じたのに口は白い歯が見えたまま。
物体、である。これはモノでしかない。
「……あ」
ぽた。
少女の死人の顔に水滴が落ちる。
青年は自分の涙だと理解するのに時間を要した。
歪む視界に少女の顔が良く見えなくなった青年は必死に自分の顔を拭う。
何度も擦った。力任せに。
ぽた。ぽた。
ぽた。ぽた。ぽた。ぽた。ぽた。ぽた。ぽた。ぽた。
「あ……あ」
汚れていく。
自分の涙で少女が汚れてしまう。
「うあああっ」
一心不乱に青年は少女の顔を拭きとる。もうこすっていると言った方が正しいほど念入りに、何度も。
少女が生きていたら恐らくは痛がっただろう強さで。
「やめろっ!とまれよ!」
自分の涙を必死に拭い、更に歪んでいく視界に四苦八苦する青年は気づかなかった。
自分のジーンズを掴んだ少女の手の平がそのまま硬直し始めていたことに。




