第6話「魔人に拐われないで!勇者様っ!」
「ねえ。ねえ?ロイドさま。結婚しましょう?今からでもいいの。明日でも待てるから。今度こそわたしと、結婚しましょう?」
ロイドは完全に思考が停止していた。
なぜ、初めて会った女、それも魔人に、求婚されているのだろう。
「ロイドくんから、離れろ⋯⋯!」
敬語すら忘れたエリシャがタクトを振りかざした。ヴァルネピの目が細くなる。
「戦うの? 今のあなた達じゃ、わたしを止められないと思うのだけど……《《それでもやる》》?」
ゾッとした。咄嗟にロイドは、レベルスコープで、ヴァルネピのレベルを調べようとした⋯⋯が、ロイドの瞳の中に現れた魔法陣が、パキン、と割れた。
「————え?」
レベルスコープは、彼我のレベル差が開きすぎていると、魔力暴走を起こし、解析不可となるのだ。
「そんな⋯⋯ル、ルドガーさん⋯⋯っ」
「俺でも解析できない。今の俺のレベルではな」
ロイドは青ざめた。その頬を、ヴァルネピが撫でる。彼女の手つきは優しく、目はトロン、と甘く溶けている。
「そう怖い顔をしないで。今日は戦いに来たわけじゃないの。ロイドさまに逢いに来ただけ。 本当は、今すぐにでも連れ出したいけれど、ウェーヴンで、わたし一人暴れても、分が悪いから」
ヴァルネピは、ゆらりと立ち上がり、ロイドを除く三名へ向き直り、
「ウェーヴンに逃げ込んだのは正解だったわね。時期的に考えて、今ならまだ、彼女も、ウェーヴンにいるものね」
その発言に、全員顔色が変わる。ロイドだけが何も分からなかった。彼女、とは誰なのか。この街にいる誰かを指しているのだろうか。
「さて、騒ぎになってしまう前に、私はウェーヴンを出るわね。ロイドさま、また会いにくるわ」
「拒否しても、来そうだね」
ヴァルネピはくすくすと笑って「もちろん」と返すと、入ってきた窓の方へ踵を返し、窓際に足をかけて「最後に、いちばん伝えたいことを」と振り返る。
「わたしは、今のロイドさまに、見知らぬ英雄様を求めないから。もし全部にうんざりしたら、いつでも逃げてきてね」
終始軽やかな態度を貫いたヴァルネピであったが、その言葉だけは妙に重かった。
「心から愛しているわ、ロイドさま」
そう言い残し、投げキッスを向けた。
「またね」
ヴァルネピは、蝶の羽を、鱗粉を巻きながら羽ばたかせ、軽やかに上空へと消えていった。
ようやく静寂が戻ると、ドッ、と自分の心臓が重く感じ、今になって腰が抜けた。
(あれが、魔人⋯⋯っ。未来では、あんな怪物とやりあったのか⋯⋯?)
圧倒的なレベル差。今まで聞いてきた未来の話が、急に現実になったような気がしていた。
カラン。とエリシャの持っていたタクトが床に落ちる音がした。
「ロイドくん⋯⋯っ。ロイドくん、ロイドくん⋯⋯!」
足がもつれた勢いのまま、胸の中に飛び込み、ロイドの全身をくまなく触る。
「怪我は、ありませんか。どこも痛みませんか⋯⋯?あの、私、ごめんなさい、何も、何も出来なくて⋯⋯っ」
「俺は大丈夫だけど、エリシャは————」
「私のことなんてどうでもいいんです、私はどうなってもいい、ロイドくんが無事ならそれでいいんです、それだけで⋯⋯」
エリシャの冷や汗が止まらない。アンリは無言で震えていた。ルドガーもまだ警戒を解かず、
「とにかく、王宮に報告する。勇者の都ウェーヴンに、魔人が出たんだ。魔王軍に狙われでもしたら、ひとたまりもない」
適切な判断だった。しかし、エリシャも、アンリも、今は極度の不安状態にある。報告は、自分が行くしかないか、と、ルドガーは支度を始める。
◇
「まさか、ウェーヴンに来て初日で、王都へ逆戻りとはな」
旅支度をし、宿の玄関に立つルドガーと、それを見送る一行。ロイドの左手はアンリに掴まれ、右手はエリシャに脈を計られている。
「俺も着いていきますよ。やっぱりルドガーさんにだけってのは、申し訳ないです」
「その状態の女どもに着いてこられても迷惑だ。それに、ウェーヴンに居た方が安全なのは変わらない。アンリ、エリシャ。ロイドを頼むぞ」
二人は何度も頷いた。
「言われなくても、分かってるわよ」
「ルドガーさんも、道中お気をつけて」
こうしてルドガーは、一時、王都へ戻った。
ウェーヴンから王都までは片道で五日。往復で十日以上はかかるだろう。
◇
その夜。ロイドは宿屋のロビーで、座り込んでいた。
ロイドとしては、聞きたいことが山のようにあった。なぜあの魔人に旦那様と呼ばれていたのか? この街にいる彼女とは誰なのか? しかし、それを聞ける雰囲気ではないことは、ロイドにも分かった。
(無闇に未来のことを聞いても、不安にさせてしまうだけだろうしな⋯⋯)
すると、自室から降りてきたエリシャが、
「夜更かしは体に毒ですよ、ロイドくん」
隣に座った。
「エリシャこそ、寝れなかった?」
「今はロイドくんのお話をしています。寝れませんか? やはりどこか痛みますか?」
ロイドは困った顔で、頬をかいた。
「大丈夫だよ。少し寝つきが悪いだけで、どこも痛まない」
「溜まっているなら、私でよければ処理しますよ」
率直な提案に、ロイドは苦い顔をした。
「女神への誓いはどうなったの⋯⋯?」
「ロイドくんの安全には変えられませんから」
近くで見れば見るほど、美人だ。エリシャも、アンリも、王立歌劇団に入れば、黄色い声援の中で生きていけるほどのビジュアルをしている。そんな彼女が、貞操観念を殴り殺すような態度を貫いている。それほどまでに慕われている理由は、やはりすべては分からない。
「⋯⋯少し、羨ましいよ」
「何がですか?」
ロイドは、少しだけ言いづらそうにして口を開いた。
「皆と、ちゃんと五年を過ごせた自分が」
実をいえば、初日から少しだけ思っていたことだった。最初、あれだけ嫌われていた自分が、友情を育み、信頼と信用を築いた。その軌跡が羨ましかったのだ。
「俺が知らない俺と、色々話をしてくれたんだよね」
「はい。それはもう、本当に色々と」
「⋯⋯いいなあ」
エリシャの胸が、ぐじゅりと甘い音を立てて痛む。羨んでくれている。欲してくれている。嬉しい、嬉しい、嬉しい。
「⋯⋯では、これからも、たくさんお話をしましょう? 私でよければ、何億年でもお付き合いします」
単位が一々規格外に重いのだが、ロイドはそれが嬉しかった。
◇
翌朝。食堂で朝食をいただき、ロイドが自室で、ひとり身支度をしていると、バタン!と扉が空いた。
「ロイド!」
アンリの後ろにはエリシャも居る。どうやら、自分のいない間に、何かを話し合ったようだ。
「聖剣エスカバリーを、取りに行くわよ」
ロイドは目を丸くした。昨日、あれだけの危機に晒されたのだから、聖剣は見送りになると思っていたのだ。
「お、俺もついて行っていいのか……?」
「勿論。昨日ヴァルネピが来た以上、ロイドを一人で宿に残す方が不安だもの」
アンリが強く頷きながら、ロイドの手を引く。隣でエリシャが微笑み、手を重ねた。
「昨夜、アンリちゃんと話したんですよ。私達が知る未来が、変わる恐れもある。 だからこそ、いま備えられる準備はしておくべきだ、と」
「その為に、聖剣エスカバリーが必要だ、ってことか」
「その通りです。ですが、私達ではまだレベルが足りません。 聖剣エスカバリーが眠る未開拓ダンジョンは、S級ダンジョンですから」
S級ダンジョン。推奨レベルは80〜99。
今の自分達では、背伸びをしても届かないような高難易度ダンジョンだ。ただでさえ、ルドガーが不在だというのに。
「じゃあどうするんだ?まずは、レベリングからコツコツと始めるとか……?」
「そう悠長に構えている暇はありません。可能な限りの準備を、迅速に進めたい。そうですよね、アンリちゃん」
エリシャはアンリへ顔を向ける。アンリはひとつ、コクリ、と頷くとリュックを背負い直した。
「冒険者ギルドを頼るわ」
冒険者ギルド。勇者パーティとは違い、魔王軍討伐の遠征をするわけではなく、各地に留まり、魔獣の討伐や、ダンジョンの踏破を生業とする、言わばフリーの傭兵たちである。
「冒険者ギルド⋯⋯。ボディガードを雇うってこと?」
ロイドが質問すると、アンリは一瞬渋い顔をして頷き、
「一人。今のうちに頼っておきたい女がいるの」
アンリが一瞬だけ唇を結んだ。何やら複雑そうな顔だ。
「未来では、私達のパーティに入っていた女よ」
直感的に、それがヴァルネピの指していた彼女であると、ロイドは理解した。
◇
てっきり、今までとおなじパターンかと思った。自分の知らない未来を知る人なのだろうと。かつての自分達の仲間だった、と聞いたから。
「こんにちは!誰ですかあなた!」
しかし今回は違うようだった。こっちも初対面、向こうも初対面である。
「は、初めまして。俺はロイド。一応、勇者なんだ」
「勇者さんですか!⋯⋯レベル6!?私より低い!よくウェーヴンまで来れましたね!凄いです!」
年齢は十六歳ほどだろうか。顔にはまだ幼さが残り、手入れされずとも、クセのない薄灰色の髪の毛が、肩口まで伸びている。屈託の無い真っ直ぐな笑顔の眩しい少女だった。すると、
「おい、ナノ。いつまで待たせんだ。さっさと行くぞ」
「ただでさえ役立たずなんだから、時間くらい無駄にさせないでよ」
複数の冒険者らしい身なりをした男女が、その少女へ乱暴に声をかけた。ナノと呼ばれた少女は、それでも健気に笑いながら、
「ごめんなさい!いま行きます!」
ナノはロイド達へ向き直り、頭を下げた。
「すみません、皆さんを待たせてしまっているので⋯⋯! 声をかけてくれて、ありがとうございます!では!」
そうしてテトテトと走り、冒険者達へと合流していく。取り残されたロイド達、主にロイドが、ポカンと口を開けている。
「⋯⋯あの子が、ヴァルネピや、二人が彼女って呼んでた子であってるの⋯⋯?」
ロイドがナノの方を指さしながら、再確認する。S級ダンジョン攻略の要人とするくらいなのだから、てっきり、もっと強い女の人かと思ったが、冒険者パーティでの扱いを見る限りは、そうでもなさそうだ。アンリが、ひとつ咳払いをしてから説明する。
「あいつで間違いないわ。名前はナノ。付与魔法士よ」
付与魔法士。
攻撃、防御、回復などの、広く知られる魔法を扱えず、他人への強化付与のみに特化した天職である。母数が少なく、まだまだ研究の進んでいない付与魔法士は、一般的には「不能の天職」として知られている。
「この時期のナノは、あらゆるパーティをたらい回しにされているの。最弱魔法士、なんて呼ばれ方もしてたかしら」
「最弱⋯⋯?」
「そう」
「それでもS級ダンジョン攻略に必要⋯⋯?」
「そう」
アンリは帽子を深く被り直し、口を開いた。
「彼女は、ロイドが未来で最強に至れた、最大の要因と言ってもいいわ」
ますます、分からなくなってきた⋯⋯⋯
そう思うロイドであった。




