11. 影の少年、治癒師を驚かす
一年後。
王都の治癒師塔は、巻物や薬草、壊れた魔法陣の欠片で埋め尽くされていた。
白髪の治癒師 Q は机に向かっていたが、突然目を見開いた。
「な、なんだと!?《ハイ・ヒール》まで習得しただと!?
あれは普通の人間なら十年かけても身につかない高位治癒魔法だぞ!」
やはり――
彼は本物の賢者だ。
半年前
それは、雪誠が初めて Q に自分から話しかけた夜だった。
部屋には薬草の香りと、ページをめくる音だけが漂っていた。
Q が巻物を整理していると――
「……伝えたいことがある。」
声が空気の中から響いた。
静かで、冷たく、しかし圧迫感を伴って。
Q の手が震え、薬瓶を落としそうになる。
「ま、また天井にいるのか……?」
雪誠は答えず、淡々と告げた。
「職業を得た。システムによると……《賢者》だ。
理由は分からない。でも……これのおかげで、学習速度が上がった。」
Q の動きが止まった。
「……今、なんと言った?」
彼は空っぽの空間を見つめ、心臓が破裂しそうなほど脈打つ。
――賢者。
百年に一人現れるかどうかの職業。
「十歳までに世界基準の知識量に到達した者」にのみ与えられる称号。
王族ですら喉から手が出るほど欲しがる天賦。
だが目の前のこの子は――
自分がなぜ賢者になったのかすら知らない。
雪誠は続けた。
「治癒魔法を学びたい。
あなたは王国一の治癒師だ。
あなたの知識が必要だ。」
その瞬間、Q は悟った。
この見えない子供は、怪物ではない。
奇跡だ。
それ以来、Q は机に本を置き、筆記を残し、薬草を並べ、
“見えない生徒”が夜中に学びに来るのを待つようになった。
一年後
Q は筆記をしながらため息をついた。
「何度も言っているが……」
彼は空っぽの部屋を見上げる。
「王都治癒団に入らないか?
君には本当に才能がある。」
部屋は静まり返っている。
だが Q には分かっていた。
――あの謎の子供は、今もここにいる。
一年間、一度も姿を見たことはない。
だが深夜に本がめくられ、筆記が写され、
寝ている間に薬草が整理されている。
捕まえたこともない。
気配を感じたことすらない。
人間なのか、怪物なのかすら分からない。
その時――
天井から、かすかな振動。
「……ッ!」
影が天井から落ちてきた。
音もなく、気配もなく、まるで空気から抜け落ちたように。
銀髪が揺れる。
十歳の少年が Q の前に立っていた。
その瞳は冷静で、揺るぎない。
Q は全身を硬直させた。
これが――
一年間、自分の知識を盗み続けた“怪物”。
まさか、こんな子供だったとは。
「き、君は……?」
少年は淡々と言った。
「王都治癒団には興味ない。」
Q は言葉を失う。
雪誠は机に近づき、分厚い魔法書を置いた。
「高位治癒魔法は、もう習得した。」
Q のまぶたがぴくりと跳ねる。
「知っている……君は私の予想以上の速度で学んでいる。
だが分かっているだろう――それだけでは“あの子”は救えない。」
雪誠の瞳がさらに冷たく、強くなる。
「だから次が必要だ。あなたの指導が。」
Q は黙り込んだ。
この一年で、彼はこの子が
Heal すら使えなかった初心者から、
高位治癒術を使いこなし、治癒中に姿を消すほどの怪物へ成長するのを見てきた。
だが Q は知っている。
雪誠の本当の目的は――
あの少女。
Q は深く息を吸った。
「……本当に、この道を行くつもりか?」
雪誠は迷いなく頷く。
「選択肢はない。」
Q は本を閉じ、これまでで最も厳しい声で言った。
「では今日から教える。
――生命治癒術を。」
雪誠の瞳がわずかに揺れる。
Q は続けた。
「これは普通の治癒魔法ではない。
施術者の生命力を削る。
一歩間違えれば、死ぬ。」
雪誠は即答した。
「死なない。
まだ……彼女を救っていない。」
Q はその少年を見つめ、初めて奇妙な感情を抱いた。
それは弟子への賞賛でも、天才への驚嘆でもない。
――この子は、いずれ誰よりも高みに立つ。




