Ⅱ 異端児の住むところ(3)
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「マテリア」
背後から凛とした声で名前を呼ばれてマテリアは肩を振るわせた。
その静かな呼びかけから、圧のある殺気を感じる。
おずおずと振り返ると、いつの間に現れたのか女司教が鬼の形相で微笑んでいた。
「マテリア、わたくしはずっと見ておりましたよ。ベルさんよりもあなたの素行が気になります。淑女らしく振る舞いなさいといつも言っているでしょう」
義母でもある女司教の強い口調に、マテリアはうなだれて「言い返す言葉も御座いません」と肩を丸めた。
日々、淑女らしくあろうとしているのに何かとベルに邪魔をされている気がする。
元凶の方を睨んだが彼は、礼拝が気になるのか祝い事でプレゼントを貰う前の子供の如くそわそわと嬉しそうな表情を浮かべている。
この男がいくら天然で世間知らずであっても、今だけは許したら負けな気がする。マテリアは静かに拳を握り締めた。
朝食の時間が終わるともうすぐ始まる『巡礼式』の準備に追われることとなった。
それは年に一度、殉教者が各地の教会を巡って礼拝をする大切な儀礼だった。
今年はシュティレ教会も、その巡礼地の一つに指定されているため、礼具の準備や施設内外の清掃作業などで日々の平穏さが失われている。
加えて、今年はなんと魔国の王が訪れるらしいという噂までが流れていて、教会内も混乱状態なのだった。
この地域は聖王様が御わす首都『サナアト』に近く遠からずの場所にある。
しかし、シュティレ教会はお世辞にも大きく、立派な施設という訳ではない。
マテリアは「魔王様もわざわざ、こんな辺鄙な土地を訪問しなくてもいいのに」と、そんなことを思いながら廊下を進む。出入り口の広間にある女神像の前でベルが膝を折っているのに気がついた。
「今朝に割った花瓶はいつか弁償します。でも我が輩は悪い子です。お許しくださいお許しください。主よ、見捨てないで~」
それでなくても人手が足りないというのに彼は、朝の失態を天にそれはそれは丁寧に報告しているようだ。
「ベル。あなたの情けない懺悔はいいから手伝って欲しいわ」
「あれ、マテリア殿。我が輩に何か用事であったか?」
余りにきょとんとした顔でベルが言うので、マテリアの方は力が抜けた。ガクリと肩を落としながらも強い言葉を放つ。
「あのね。みんなが忙しく働いているのが、そのやたら良い目に映らないのかしら?」
「巡礼式の準備であるなぁ。それにしても、聖都からも司教様の様な高貴な方々がいらっしゃるので非常に楽しみであるよ」
ベルは間抜け面でヘラヘラと笑いながら続ける。
「我が輩、正規の教者でない故、役に立たぬからここでじっとしていようかと思ったのであるが……」
そんなベルを見てマテリアは以外にも思った。
「なんだ。この男も自分の立場を分かっていたのか」、それでも猫の手も借りたいほどの忙しさなので天井を指さして言う。
「じゃあ、普段隠しているその翼で飛んでって屋根の鐘でも磨いてきてくれない?」
「残念ながら、我が輩の翼は小さいので空は飛べないのであるよ」
「あれ、やっぱり役に立たない」そう確信して落胆したが、そんなことで挫けているほど彼女は暇じゃない。
「じゃあ、天井裏の鍵を取ってくるから。鐘を磨いてきてちょうだい」
ベルの「分かったのである~」という間の抜けた返事を聞き流して、マテリアは天井裏の鍵を取りに向かうのだった。