拾われた
※聖女視点
「キトゥン! 貴様が聖女でありながら魔族に款を通じ、国を裏切っていたことは分かっている! よって貴様に斬首刑を言い渡す!」
殿下が私にそう言った。
この世に生まれて15年、国のため民のためと自分を押し殺して生きてきた私に対して、彼は言った。
私は必死に弁明を試みました。
しかし殿下はおろか、王宮にいた人は誰一人私の言葉には耳を傾けてくださりませんでした。
それどころか、皆一様に、私に敵意を向けているような。
私が私の愚かさに気づいた時には、手遅れでした。
誰も私に味方してくれなかった。
貶められたんだとわかった時、冷たいものが胃に落ちました。
……逃げた。逃げ出した。
必死に、ただ生き延びるために。
夜の森は不気味でした。
何ともわからぬ獣が遠くで雄たけびを上げ、得体のしれない何かが茂みを揺らしていきました。
精神はすり減る一方。
しまったと思った時には手遅れでした。
降り続いた雨でぬかるんだ山道に足を掬われて、顔面から泥に向かってダイブしていました。
みじめで、情けなくて、形容しがたい感情が心の中で膨れ上がって、それで。
(……死ねば、楽になれる)
頭のどこかで、私が呟いた。
その言葉はひどく甘ったるく、とても魅力的でした。
もう、立ち上がらなくてもいい。
傷つかなくていい。
このまま、泥沼とまどろみに身をゆだねて……。
――生きてる。
霞のかかった頭で真っ先に思ったのは、たったそれだけのことでした。それから少しずつ青色の感情が顔をのぞかせて、死にたいと願ったことを思い出しました。
ここはどこでしょう。
私は森にいたはずなのに、どうして室内にいるのでしょうか。
まさか追手に見つかって、連れ戻されてしまったのでしょうか。だとしたら、私はいったい、何のために逃げ出したというのでしょう。
「目が覚めたか? あんた、山で倒れてたんだぜ?」
声がしました。
聞き覚えの無い声です。
ゆっくりとそちらに顔を向けると、上級国民とは無縁そうな男性が立っていました。
この家の持ち主さんでしょうか。
「……死なせて」
どうして、私を助けたのでしょう。
もう、全部失ったのに。
聖女として生きた今までも、これからを生きていく未来も。私の生きる場所なんて、どこにもないのに。
無駄に延命させられたって、苦しい、だけ。
「まあ、君の命だ。止めはしないさ。だが、君はそんな汚れた格好でご先祖様に会いに行くつもりか?」
……まあ、確かに。
生き延びてしまったことを後悔するくらいなら、引き伸ばされた時間でできることをするのも悪くないかもしれません。
せっかくのお気遣いですから、身を清めるくらいはさせていただきましょう。
「……これは」
「シャワーだ。ああ、使い方がわからないのか。この蛇口をひねればお湯が出る」
「いえ、そうではなく……、お湯を使うなんて、この身に余る贅沢です」
身を清めるといえば、冷水を浴びるのが常でした。
お湯などお貴族様の道楽。
見ず知らずの方にそこまでしてもらっては心苦しいです。
「心配するな。もとより魔法でできた家だ。いくらお湯を使ったところで大した出費にはならん」
「え、ええ?」
魔法?
この立派な家が、魔法?
確かに、簡易ホームと呼ばれる魔法を持っている人は、国中探せば数人います。
ですがそれは、あくまで人一人が寝られる程度のごく小さな空間に繋がる扉を設置する魔法です。
決してこのような立派な家を作れるような便利な魔法ではないなずなのです。
ですが、彼は嘘をついているようには見えませんでした。でしたら、本当に、お湯を使っても構わないのでしょうか。そのような贅沢をしても。
「……最期くらい、贅沢してもいい、よね」
天罰なら死んでから受ければいい。
そう考えた私は、蛇口をひねり、シャワーをいただきました。
「……んんっ」
加熱された水が、泥水に浸けられ冷え切った体にしみました。暖かい。肌だけではなく、心の底からそう感じました。
いけない。
これ以上いると、命が惜しくなってしまう。
……終わりに、しましょう。
『言い忘れていたが、ボディソープやシャンプーやリンスも好きに使ってくれて構わない』
そんなとき、扉の向こう、だいぶ遠いところから、そのような声がかけられました。
ボディソープに、シャンプー、それからリンス?
それこそ、上級貴族の嗜好品ではありませんか。
「どうして」
どうして、そこまで優しくしてくださるのですか。
そのつもりで投げかけた問いに、答えが返ってくることはありませんでした。
この声は、届かなかったのでしょうか。
代わりに、本当に石鹸を使用しても大丈夫なのか裏を取ることにしました。そして本当に、有り余るくらいの量が備蓄されていました。使っても問題ないというのは、まぎれもない本心なのでしょう。
彼はいったい何者なのでしょう。
いえ、考えたって、無駄ですね。
お言葉に甘えて、使わせていただきましょうか。
(あ、お花の香り)
体の汚れを落とすたび、優しい香りが体にまとわりついていくようでした。少しだけ、穏やかな心持ちになれた気がします。
……死ぬのが、つらくなるだけなのに。
風呂から上がると、着ていた泥だらけの衣服は無くなっていて、代わりに市井の女子が身に着けているような衣服がありました。
これを着ろという意味でしょうか。
急に恐ろしくなっていました。
どうして女性ものの服なんて持っているのでしょうか。
もしかして、ここまでの優しさは全部、偽り?
……気を引き締めていきましょう。
「……お湯、ありがとうございました」
「おう。構わねえってことよ」
「一つ、うかがってもよろしいですか?」
「なんだ?」
「この衣服は……」
どう、聞き出せばいいものか。
思い悩み、言葉をあいまいに濁すと、彼は「あー」と唸りながら頭をわしゃわしゃとかきました。
「娘がいたんだ。生まれつき病弱で、数か月前ころっと逝っちまったがな」
「……っ」
「おい、どうしてテメエが泣きそうになってやがる」
「だって、だって私、そんなこと、知らなくて」
私は、馬鹿でした。
人の善意を屈曲して受け取って、人の触れられたくない心にヅケヅケと割り込んだ。
申し訳なさで、心がいっぱいになります。
「……どうにも、辛気臭えのは苦手だ。テーブルに着け。飯を出してやる」
言われて、席に着くと、卵粥が出されました。
もしかして、私がシャワーをいただいている間に、これを用意してくれて……?
「……う、ぁ、あぁ……ぐずっ」
「あー、味については我慢してくれや」
「ちが、違うんです……っ、ただ、私、ただ」
ダメ。
この人は、毒だ。
傍にいると、依存してしまう。
その優しさに、つい縋りたくなってしまう。
咽び泣いた。
ぼろぼろと涙をこぼした。
顔をみっともないくらいぐちゃぐちゃにした。
「わりぃけど、仕事が残ってるんでな。少し留守番をしてもらっても構わねえか?」
彼がそう切り出したのは、私が卵粥をすっかり平らげてからのことでした。
「仕事、ですか?」
「ああ。ゴブリンの巣を探して、冒険者ギルドに報告するっつー簡単な仕事だ。簡易ホームしか使えない俺にぴったりの仕事だろ?」
「す、素敵だと思います!」
「ん?」
「へ?」
あ、あれ?
今、私なんて?
「あ、その、違うんです! ただ、その、何か私にお手伝いできることがあればお手伝いしたいと思って、それで、えと、その」
取り繕おうとするたび、混乱が加速していきます。
えと、えと、だから、つまり……。
「ばーか。病人はおとなしく寝てろ」
「で、ですが……!」
こつんとおでこを指で押されました。
……そう、ですよね。
私にできることなんて、なにも・
「……お前の体調が万全になったら、連れてってやるよ」
「ほ、本当ですか?」
「さてな」
「や、約束ですからね! 私、信じますからね?」
彼は振り返らず、手を軽く振って簡易ホームから出ていかれました。
(……生きたい、って。今、私)
ああ、もう、ダメみたい。
会って少ししか経ってないのに、もう、死ぬのを名残惜しいって思っちゃってる……。
「……あの人が戻ってくるまでに、私にできることは何かないかな?」
少し、家の中を探索させていただきましょうか。
掃除や洗濯など、私にもできることがあるかもしれません。
少しして、私は食糧庫を見つけました。
これです。
私は、実は料理が得意なのです。
腕によりをかけて、もてなす準備をしましょう。
……と、意気込んだのはいいのですが。
「っ!?」
コンロに火をかけた瞬間、走馬灯が見えました。
天井に向かって伸びる火柱。
顔に叩き付ける熱風。
一瞬、何が起きたのかわかりませんでした。
「あ、ああ、どうしましょう……」
火を消すのにも手間取ってしまい、その間に、フライパンの上の、料理になるはずだったものはただの炭に成り果ててしまいました。
「ただいま……なんだこりゃ」
そしてタイミング悪く、彼が戻ってきてしまいました。ど、どうしましょう。
「ひぐっ、その、ごめんなさい……、私、何か恩返しがしたくて、でも、料理に失敗して、ひぐっ」
少しだけ呆然とした彼が、ようやく状況を飲み込んだかのように、再び動き出しました。
その足が、一歩、また一歩と近づいてきます。
怒られる。
そう思い、身を縮こめて、目をぎゅっと瞑りました。
「……うめえな」
しかし、掛けられた言葉は、私の予想とはまるで異なりました。
「い、いけません! そんな炭化したものを食べたら体に悪いです!」
「かっかっか。炭だろうが何だろうが、真心がこもった食いもんはうめえにきまってんだろ」
「で、ですが」
「これは俺がもらう。欲しがったってやらねえよ」
彼は本当に、ぺろっと平らげてしまいました。
最後まで嫌な顔一つせず、本当に、嬉しそうに。
どうして、そこまで。
私、何もできてない。
優しくしてもらっても、何も返せてない。
それなのに、どうして。
どうしてそんなに、優しくしてくれるの。
「……あ」
「ん? ああ。悪い。煙草は嫌いだったか?」
「いえ、そうではなく、ただ、あなたの体が心配で……」
そういうと、彼は少しだけ驚いたような顔をしました。それから、穏やかに微笑むのです。
「そうかい。じゃあ、やめとくか」
彼は紫煙を棚引かせる煙草をポケット灰皿に突っ込み、それから、煙草を吸うところは見ませんでした。
何日も、何日も。
彼は毎日フィールドワークに向かいました。
今日もまた、ゴブリンの足跡をたどっているのでしょう。
その間私は掃除洗濯、それから料理をしました。
最初の一回以来、火加減には細心の注意を払っているので、もう失敗はしません。
そんな、ある日のことでした。
「動くな!! ここにいることは分かっている! 出てこい! 売国奴め!!」
ホームのドアが勢いよく開け放たれて、そこから王宮の兵士がやってきました。
(……どう、して)
私が一体、なにをしたの。
聖女であることなんて望まない。
ただ平穏な日々さえあれば良かった。
それなのに、そんな簡単なことさえ。
私には、許されないの?
「いたぞ! キトゥンだ! 捕えろ!」
「やぁっ、放して!!」
「抵抗はやめろ! 神妙にお縄につけ!!」
嫌だ。
死にたくない。
まだ、お帰りって言ってない。
ありがとうの思いを伝えきれていない。
だから、彼の帰りを、待っていないといけないのに。
どうして、私ばっかり。
――どさ。
その時でした。
私を取り囲む兵士の一人がその場に倒れ伏したのは。
何が起こったのか。
その場にいた全員が考えました。
ただ一人。
倒れた兵士の代わりに立っていた、彼を除けば。
「き、貴様! 何を!」
「ん、あー。悪いな。禁煙生活が長くて、ついカッとなっちまった。おい、そこの聖女」
本当に、どうして。
どうしてあなたは、駆けつけてくれたの。
「火ぃ、くれねぇか?」
「何をわけのわからないことを! 公務執行妨害でとらえるぞ!」
「……らしいぜ? なあ聖女、聞いてるか?」
彼は懐から煙草を取り出し、口にくわえた。
なんで、どういうこと?
わけがわからない。
「ダメ! お願い! もうやめて! もう、十分よ! これは私の問題だから、あなたまで巻き込まれる必要はないの!」
「ほう。それで?」
「それでって……、えと、巻き込んでごめんなさい。それから、最期に楽しい思い出をくれてありがとう。それから――」
「オーケー。十分だ」
彼はざっざっと地面につま先を叩き付けると、不敵な笑みを浮かべた。
「――闘志に、火が付いた」
「ほざけ! たった一人で何ができる!」
「なんだってできるさ。今の俺ならな」
がしゃん!
そんな音がしたと思った次の瞬間。
王宮の兵士だけを取り囲むように鉄格子の檻が現れました。いったい、何がどうなって。
「悪いが、そこは俺の領域だ」
「領域……、まさか、お前は、領域使いの――引退したはずじゃ」
領域使い。
聞いたことがあります。
今より10年以上前、冒険者ギルド最高位のSランクに、史上最年少で到達したという、伝説の男。
そんな人が、どうしてここに。
「そいつは俺が先に目を付けたんだ。次に手出ししてみろ。王国まるごと領域に堕としてやっても構わねえんだぜ?」
「て、敵対するつもりか? 王国を相手に!」
「貴様らの王がそれを望むならな」
それから、彼はこう言った。
「引け。引けば命までは取りやしない」
*
「……どうして?」
「あ? 何がだ」
星降る夜の森を、彼と二人で歩いていました。
時折、何ともわからぬ獣が遠くで雄たけびを上げ、得体のしれない何かが茂みを揺らしていきました。
でも、あの時のような恐怖はありません。
「どうして、あなたは、私を助けてくれたんですか?」
ずっと、考えていた。
彼が私を助ける理由を、私の価値を。
でも、やっぱりわからなかった。
どうして、私を助けてくれるの。
「……やっぱ、覚えてねえわな」
「え?」
彼が、ため息交じり呟きました。
「俺に娘がいたって話はしたろ? 生まれつき病弱だったって話も」
「え、ええ」
「そんでまあ、ちょうど1年くらい前か。娘が意識不明の重病に落ちてよ、俺は、必死に世界中をめぐって、その病気に効くっていう霊薬を探したんだ」
娘さん、意識不明、1年前。
なんだが頭の奥がむずかゆいです。
「でもま、そんなおとぎ話の薬、存在するわけがなくてな。万策尽きたころだった。ある噂を聞いたんだ」
「噂、ですか?」
「ああ。曰く、苦しむ人のために無償で奇跡を施す、聖女ってやつがいるってな」
「……あ」
奇跡とは、聖女が使う回復魔法の総称です。
失明した人の視力を回復させたり、半身不随になった人の体の自由を取り戻したり、そんな回復魔法を、人は奇跡と呼びました。
「そう、あんただよ。キトゥン」
思い、出しました。
確かに一年ほど前、屈強な男の人が娘を助けてくれと必死に懇願に来たことがありました。
あの人が、今目の前にいる彼?
「……で、ですが、たしか、あの時は」
「ああ。病気は完治しなかった」
一時的に意識を取り戻せはしたものの、数日後にはまた意識を失って、それ以降はどれだけ必死に回復魔法をかけても効果が無かった。
「でもな、あんたの回復魔法があったから、俺はもう一度娘と話ができたんだ」
「そんな、そんなの」
「そう言えば、お前が料理に失敗したとき、『何か恩返しがしたくて』って言ったよな」
何か口にしたくて、でも、どう言葉にすればいいかわからなくて。狼狽する私に、彼は言いました。
「これはさ、俺の恩返し、なんだよ」
星明りに、彼の顔が照らされている。
「俺が一人で背負い込んでたとき、助けてくれたのはあんただった。そのあんたが、どうして不安や悩みを一人で抱え込んでいる」
「それは……」
「そんなに俺は頼りないか? あんたにとって俺は頼るに値しない人間か? 娘の命一つ救えなかったロクデナシか?」
「ち、違う!」
そんなこと、思ってなんかいない。
この1週間と少し。
私がずっと感じていたことは……。
「あなたのそばは、居心地が良すぎるんです」
ずっと、そばにいたい、だった。
「あなたといると、死ぬのが怖くなって、命が惜しくなって、胸が苦しいんです。だから、だから」
「だったら、答えは簡単じゃねえか」
「え?」
「お前は生きたいと願っていて、俺は死んでほしくないって思ってる。だったら、他に何を望む」
その言葉はひどく甘ったるく、とても魅力的に思えました。そうできればと、願ってしまうほどに。
「一つだけ、強欲かも、しれませんが」
ただ一つ、私には欲があった。
それ以外は何もいらない。
何も望まない。
だから、せめて。
「約束、しましたよね。私の体調が万全になったら、フィールドワークに連れて行ってくれるって」
「さて、どうだったかな」
「しました! 絶対に!」
多少、一方的ではありましたけど。
「しゃあねえな。気が済むまでついてくればいいさ」
「……死ぬまで私から離れられませんよ?」
「ま、約束だからな」
星降る夜の森を、彼と二人で歩いていました。
頭上に一筋の流星が尾を引いていくのを、眺めながら。
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