5 ヘレン殴り込み
ヘンリエッタは、視る者協会の建物の中を人気のない方へと進み、埃っぽさの残る扉の前で立ち止まった。
(ここにクリスが…)
この扉の向こうに会いたくてたまらない人がいる。
そう思うと胸がドキドキした。
アダムから、微力どころかもっとも理想的なサポートを受け、クリスの職場に採用希望者としてやってきたのだ。
恋人として名乗りを上げられないのなら、一緒に働く仲間として彼のそばに行けばいい。それが、視る者協会の役席としてクリスを支援したいアダムの策だった。
本当はアダムから、女性の採用希望者がいることをクリスに伝え、採用を押し通すと提案されたのだが、ヘンリエッタは断った。彼の妻グローリアとヘンリエッタが仲良しだとクリスも知る以上、偽名を使ってもすぐバレて会うところまで持っていけないと。
…会いたかった。
とにかくクリスと直接会って、話したかった。
クリスの部屋に押しかけるよりは、仕事中、ほかのメンバーもいるところに行った方が、採用希望者の存在をクリスの一存でなかったことにされなくていいだろうと、仕事中に飛び込むことになった。
(わたしはヘレン・フォード。田舎から出て来たばかり。視る者協会総務長官アダムさんの親戚)
ヘンリエッタは偽りの経歴を胸の内でくりかえした。
目と髪の色は亜麻色に変え、服は田舎からの旅行者らしい茶系のワンピースを着てきた。
(大丈夫! 行く!)
ガチャリ。
ヘンリエッタは扉を開けた。
思いあまってノックもせずに開けるという失態を犯してしまったが、目に飛び込んできた彼の姿に細かいことは飛んでいった。
情報どおりクリスがいた。真剣な表情で十代の赤毛の男性と話をしていた。
(クリス…!)
ヘンリエッタは思わず涙ぐみ、手で口元をおおった。
魔法使いの反乱が起きて、彼を永久に失うかもしれないと思ったとき。ヘンリエッタは生きた心地がしなかった。無事だと人づてに聞いても安心できなかった。
実際に会って、触れて、細身に見えて案外たくましい彼の胸に抱きしめてもらうことで無事を実感したくてたまらなかった。
(少し…痩せた…? でも、なげやりじゃない。先の展望が見えなくても、今できることをすべてやり切ろうとしてる……!)
なんてカッコイイんだろう。
走っていって飛びつきたい気持ちを懸命に抑え、ヘンリエッタは声をあげた。
「すみません! ヘレン・フォードと申します。少しお時間、いただけないでしょうか?」
クリスと、もう一人の男性の視線がヘンリエッタに向いた。
赤毛の男性は素直に驚いた顔をしていた。女性が飛び込みで来るような場所ではないから。
肝心のクリスは…最初にハッと息を呑んだ以外、反応は希薄だった。じっと見つめても、眼鏡をかけている上に微妙に視線が合わなくて、気持ちが読み取れない。
「わたしは上級認定者で…魔法使いの横暴が許せません。どうかわたしも共に戦わせてください」
アダムに用意してもらった視る者の上級能力者の証を掲げながら、ヘンリエッタは言った。名前は偽名だが、能力に嘘偽りはない。
もうひとりの男性は「おぉ」と感心するような反応を見せた。
クリスは、相手を労わり、申し訳なく思うような表情を作った。
「大変申し訳ありません。非常にありがたいお申し出なのですが…。魔法使いに魔法で戦う力を持たせるのに、暴走防止策として、魔法使いと視る者がペアを組んで戦う仕組みを導入しておりまして。現状、男性しかいませんし、女性の採用は考えていません」
やわらかく、丁寧な言い回しで、クリスが言った。
拒否する相手を最大限思いやった完璧な対応だった。
そして、ヘンリエッタは。
(え………?)
大きなショックを受けて固まった。
クリスの対応が初対面の人に対する他人行儀なもので、ヘンリエッタが初めて受けるものだったから。
(う……そ…………!)
初めて会った舞踏会のときも、彼は目の奥に熱い情熱をのぞかせていた。
拒絶の言葉を口にしながら、態度やまなざしでヘンリエッタへの想いを見せる彼は、不誠実といえば不誠実だったが、それだけ大きな気持ちを持ってくれているのだと思えて、そのたびに彼への想いを募らせた。
(でも、クリスはもう気持ちの整理をつけてしまったの…? …そうよ。ここに入ってきたときだって、今できることをすべてやりきろうとしててカッコいいって思ったわ。それは、つまり…)
クリスにとってヘンリエッタはもう過去の思い出で、今は目の前の困難にだけ集中していたいのかもしれない。
そもそも入室からここまでの彼の反応では、目の前のヘレンがヘンリエッタだと気付いているのかすら判断がつかなかった。
(ど…どうしよう。これじゃ、わたし、しつこくてヤバイ、ただの勘違い女じゃない!)
あまりにもショックが大きすぎて、思考も体も停止して、ヘンリエッタはフリーズしてしまった。
すると。
「ヘレンさん。先程も言いました通り、女性の採用はしていません。お引き取り願えますか」
クリスが再度言った。
さっきとは違い、責めるような、苛立ちをふくませた声だった。
ヘンリエッタはハッとして、思考停止から立ち戻った。
(今の言葉はわたしに向けられたものだわ…!)
しかも、外向けに取り繕った言葉じゃなかった。
クリスはあからさまに視線を外し、ヘンリエッタを見てはくれなかったが、そんな動作も意識しているからこそだ。
(クリスは、わたしを思い出にしたわけじゃない…!)
ホッとしたら、ポロっと涙がこぼれた。
「あ、きみ…」
赤毛の男性が、ヘンリエッタの涙に戸惑った声を上げた。
「ご…ごめんないっ」
ヘンリエッタは、慌てて謝ると、身をひるがえした。
涙の理由も、クリスとの関係も口に出来ない以上、この場は逃げるしかないと思った。




