1 伯爵令嬢、家出する
その大事件は、都の人々にとって晴天の霹靂だった。
天才魔法使いダグラスが突如、都警察を乗っ取り、自分が王となって魔法使いのための王国を作ると、王城を襲撃したのだ。
ただし、魔法使いが都に入るには王家が発行する許可証が必要で、二十数年前に大罪を犯し、処刑寸前に逃亡・消息を絶っていたダグラスは王都に入れなかった。
実行犯は、ダグラスにそそのかされた魔法使いの刑事たちだった。
魔法使いの刑事たちは事件捜査に魔法の力を使うことから、暴走防止用に心臓機能停止装置を心臓に埋め込まれ、その発動ボタンを警察署長に握られた。そのため、日常的に理不尽な仕打ちを受けてきたのだ。
ダグラスは国家機密である技術を解析し、魔法使いの刑事たちから心臓機能停止装置を外して彼らを駒とした。
王家が非常事態を宣言し、クリスを指揮官にして、王城襲撃を返り討ち、都警察は三日で奪取した。
ところがダグラスはその後すぐ、都警察と同じ手口で全国の警察組織を乗っ取った。
魔法使いの刑事たちにとって心臓機能停止装置から解放してくれたダグラスは救世主であり、また、ダグラスの掲げる魔法使いのための国は夢の国だった。
もっとも、ダグラス配下に走ったのは刑事だけではなかった。ありとあらゆる立場の魔法使いたちがダグラスの元に集った。
建国以来、視る者上位で抑えつけられ、管理されてきた魔法使いたちの不満が爆発した瞬間だった。
都は王家。
地方は魔法使いダグラス。
そんな勢力図が出来上がった。
*
激しい雨がガラス戸に当たって、無数の水の筋となって流れ落ちていく。
外は灰色の雨が止まない。
「お父様。今、なんとおっしゃいました?」
照明が煌々と灯る明るい室内をふりかえると、ヘンリエッタは震える声で言った。
お気に入りの空色のドレスを着たり、自室にハーブを飾ったりと気分が落ち着くよう努力をしたが、残念ながらそれらは無駄だったとしか言いようがない。
激情のまま睨みつけると、父キングスフォード伯爵はたじろいだ。
「だから、結婚の話は白紙に戻して欲しいというのがクリス君の返事だ。待ってもらっても期待には添えないからと」
半歩後ろに下がりつつも、父は同じ言葉を繰り返した。
「そう言われて、引き下がって来たの?」
「ん? いや、まあ、引き下がるというかだな、その…魔法使いダグラスがあらわれて、すべては変わってしまったのだよ。奴はまちがいなく、パパラチア王国始まって以来、史上最恐の反逆者だ。そして、クリス君はその討伐指揮官。王都を守るために彼が担っている重責を考えると、これは当然の判断というか……むしろお前は何がしたいのだね?」
クリスのために、ヘンリエッタにできることは何もないのに。
痛烈な父の指摘にヘンリエッタは唇をかんだ。
「お前も分かっていると思うが、いくら今、クリス君の裁量が必要とされているからといって、マッキンレイがこの結婚を…クリス君がキングスフォード家とつながることを認めることは絶対にあり得ない。結果、王家方が内部崩壊して、反逆者・魔法使いダグラスにこの国を明け渡すことになる」
「なにそれ……ついこのあいだまで、キングスフォード伯爵令嬢だからクリスと結婚できるって思ってたのよ。それが、状況が変わったって……突然、わたしだから駄目だなんて言われたって、そんなの…っ! そんなの、受け入れられるわけないじゃない!」
「諦めなさい、ヘンリエッタ。結婚はタイミング…巡り合わせだ。別にお前たちのケースに限らず、想いあっていても、うまく行かない場合はあるものだ」
人生の先輩らしく、もっともらしいことを並べた父に、ヘンリエッタは蒼白になった。
頭が真っ白になるほどの激しい怒りが全身を駆け巡った。
(お父様はクリスを見限ったんだわ…!)
死を約束された男に娘はやれないと、父は心変わりしたのだ。
実際、クリスが置かれている状況は厳しい。
魔法使いダグラスは若い頃から魔法学において右に出るものはないと言われた天才。最初の奇襲を撃退できたのも、実動部隊にダグラスがいなかったからだ。
地方警察と、地方の大多数の魔法使いを配下に従えたダグラス。
次にダグラスが王都攻めを決行するときは、魔法使いたちの一大軍勢による侵略戦争となるだろう。
都は、外部からの魔法攻撃を防ぐ性質を持った、天然の、巨大なシールドの内側にあったが、ダグラスはその護りを壊す術にたどりついたのだと触れ回っていた。誰がどう見ても、王家側に勝ち目はなかった。
「なあ、ヘンリエッタ。お前なら分かるはずだ。我が家の保険のお前が今、成すべきことを」
「!」
本家が倒れたとき、代わりに立つキングスフォード家の保険。
「…わたしに国を出て、隣国のアネッサ叔母さまのところへ行けと?」
「アネッサも保険ではあるが、技術的習熟度はおそまつなものだ。再建のための場所や費用、環境面での助力は期待はできても、技術は…な。ヘンリエッタ。キングスフォード造船の技術を絶やさぬためにはお前の知識が必要なのだ」
父は真面目顔して言ったが、ヘンリエッタには後付けの屁理屈にしか聞こえなかった。
(お父様がこだわっているのはウチの技術を残すことじゃない。わたしを安全な場所に逃がしたいだけじゃないの…!)
「そんな言葉が聞きたいんじゃないっ! お父様の役立たず!」
ヘンリエッタは父に暴言を投げつけると、部屋を飛び出した。
*
着の身着のまま家を飛び出したヘンリエッタは、しばらく行ったところで、遅ればせながらその存在に気付いた。
「雨……」
激しい雨を一身にあびて、頭からつま先までぐっしょりと濡れていた。
髪も、水をふくんで重たくなった服も、ぺたりと体に貼り付き、先っぽから雫をしたたらせている。
大雨を避けてか、通りは他に誰もいなかった。
ヘンリエッタは空を見上げた。
どんよりと空を覆いつくす、分厚い灰色の雲から無数の雨粒が降りそそいでいた。
(冷たい雨…気持ちいい…)
季節は十一月。本来なら気持ちいいではすまない。
けれど、内側から発光しそうに熱い体には、冷たい雨がちょうどいいと感じた。
それから少し冷静になった頭で、父とクリスの共謀に気付いていた。
父はクリスに、ヘンリエッタを国外に出すと言ったのだ。だから手を離して欲しいと。
(そして、クリスはお父様の考えに賛同したのよ…!)
ヘンリエッタが国外に行くということが、他の男との結婚を意味すると分かっていて。
安全な場所で生きていって欲しい、と。
(勝手よ。…みんな勝手。わたしの気持ちを無視して生きろ…なんて。わたしは…わたしだって、みんなと一緒に最後の最後まで戦いたいのよ……!)
~詳細補足~
「魔法使いダグラスによる王城襲撃事件の顛末」
かつて、パパラチア王国が誕生したとき。
視る者はみずからの血を流し、大量の犠牲者を出して魔法使いを抑えた。
しかし、平和な時代が三百年近く続き、魔法を無効化する視る者の自傷がよしとされなくなったこの時代において、かつての戦い方はもはや考えられなくなっていた。
魔法使いダグラスが起こした反乱に対して王家が取ることのできた手段は、隷属する魔法使いを駆り出して迎え撃つことだけだった。
だが、魔法使いのための国を謳う相手と戦えと、魔法使いに命ずる。それは一歩間違えば、寝返る者を大量に出しかねない状況だった。
もちろん、警察官にしていたように心臓機能停止装置をつけ、命が惜しければ従えという方法も論外。
王家から指揮官に任命されたクリスはまず、魔法使いも視る者も、同じ人として尊敬し合い、共に戦うパートナーとして認め合おうと提唱した。
視る者上位で上から押さえつけられることに反発して起こった魔法使いの反乱をただ制するだけでは問題は解決しないと訴えたのだ。
そして、その理念の形として、魔法使いと視る者がペアを組んで戦闘にあたるという方法を取った。
もともとクリスが視る者と魔法使いの両方から好かれていたこともあり、王家方は一致団結。また、クリスがたぐいまれな洞察力をもって敵の動きを読み切り、味方を動かしたことで、都における反乱は鎮圧できた。
けれども。
魔法使いダグラスが地方警察を乗っ取り、争いが長期化すると、足並みは乱れた。
軍隊のないこの国で即時戦闘要員となれる魔法使いは、警察官か、王侯貴族の警備員だけ。
都における反乱は、非常事態ということで、王侯貴族の警備員たちを主力に戦った。しかし事態が長期化すると警備員たちは元の職場に戻ってしまった。
クリスは有志を募って、戦闘要員を育成するところから始めなければならなかった。
しかし、魔法使いの、視る者に抱く嫌悪感は根強かったし、視る者の、魔法使いは自分たちに従って当然という感覚も根が深かった。
また、自分だけ助かろうと奔走する都人のその組織に対する反応は、勝ち目のない戦いに志願する無謀な自殺志願者という冷たいものだった。
勝つ見込みがないどころか戦力の確保もままならない。
このとき、クリスが置かれた状況は非常に理不尽で厳しいものだった。




