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3 初めての願い

クリスが求婚を決意するエピソードです。

 呼び出しを受け、視る者協会の長官室を訪れたクリスは、執務机に投げ置くようにされた封書を見て当惑した。長官(父)から手紙を差し出されたことがなかったから、なにを意図したものか分からなかったのだ。

 すでに封が切られているそれの宛名は、『アンダーソン殿』となっていた。


「おまえ宛ての手紙だった。だから、渡しておく」


 執務机の奥に座る父は、いつもどおりのしかめ面で言った。

 封書を手に取り、裏を見たクリスは、息を呑んだ。キングスフォード家の紋が印璽されていたからだ。


「一応、言っておくが、ほかに誰もいない場所で、直接手渡されたんだ」


 中身を読むと、『クリストファー・アンダーソン君へ』と始まり、後はパパラチア王国創世記の引用だった。

 暴虐の限りを尽くした魔法使いが、嫌々従っていた配下から裏切られ、滅ぶ話。


(不退転の決意でもって打倒マッキンレイを表明すれば、想像以上にたくさんの味方が集まる…ということですか)


 キングスフォード家がクリスを拾うということは、退路を断ってマッキンレイに挑むこと。

 この手紙は、クリスがヘンリエッタに言った言葉に対する、キングスフォード家としての回答だ。


「随分と見込まれたものだな。…まあ、手首を切って助けたら当然か」

「べつに、そんなつもりでやったわけでは…」


 ただ、彼女に他の男が触ることが許せなかった。


 そのときの気持ちを思い出したクリスは、自分で自分にげんなりとした。

 彼女に応えられない、応えてはいけないと思いながら、いつも行動は裏腹だった。

 ずっと、自分の望みを諦めることは得意だと、王太子を支えること以外に諦められないものなんてないと思ってきた。

 けれど。


(彼女に対しては、どうしても理性が働いてくれない。そして、私はもう…)


 あの日。

 父を思うクリスの心を大事にして『結婚したくなくなった』と言った彼女に、深く惚れ直してしまった。

 もうこの気持ちを、なかったことにはできない。

 今日、父から呼び出されなくても、自分から訪ねてくるつもりだった。父と話をつけ、キングスフォード伯爵に頭を下げに行こうと思っていた。


(まさか、あちらから、こうも華麗なアシストをいただくとは思ってもみませんでしたが)



 動き出したら取りやめはできない。

 キングスフォード家をマッキンレイの矢面に立たせ、都中の人々を巻き込み、何万人もの人生を狂わせる。


(それでも、言いたいんだ。私は彼女が欲しいと。彼女は私のものだと)


 そのために、後はただ頑張るしかない。

 一人でも多くの人に『マッキンレイに戦いの狼煙を上げてくれてありがとう』と思ってもらえるように。

 キングスフォード伯爵が手紙で教えてくれたように、マッキンレイは今や裸の王様。マッキンレイ一族以外の誰もその存在を良しとは思っていないのだ。


 クリスは真正面から父の目を見た。


「私にどれほどのことができるかは分かりません。……ですが、お受けしたいです。このお話」


 父は静かにクリスの言葉を受け止めた。

 そして。

 ふっと、表情をやわらかくした。

 これまでクリスの前で弱さをみせるな、マッキンレイにつけこまれる隙を与えるなと、厳しい顔しか見せてくれなかった父が。


「受けるといい。私も後押しするから。せっかくアンダーソンを名乗らせたのに、キングスフォード殿にもっていかれるのは少々癪だがね」

「は?」


 後押しの件は、と本題を切り出そうとしたクリスは、その前に父の口から飛び出した予想外の言葉が引っかかり、不平の声をあげた。


「姓とか、心底どうでもいいんですが」

「私にはどうでもよくなかった」


(アンダーソンを名乗れと言った続きに、自分の顔に泥を塗るなと理不尽な言葉を言っておきながら…)


「…今更ですね」


 ため息まじりにクリスが言うと、父は「はは、そうだな」と軽く笑って答えた。

 初めて自分の前で笑う父を見たクリスは、思いのほか心を揺さぶられた。

 父に笑いかけて欲しいと思いながら叶わず、悲しかった子どもの頃の気持ち。これまでクリスが父に抱えさせてきた重圧から、今、彼が解放されたのだと実感して、あらためて彼が背負ってきたものの重たさを知り、胸がギュッとつかまれる気持ち。


(ああ……きっと、この決断は間違いじゃない)


 目尻にこみあげてきた熱いものを瞬きで目の奥に返し、気持ちも新たにクリスは父を見た。


「長官にも後押しいただけるとのことですが、ひとつ、お願いがあります」

「もちろん、必要な連携は取ろう」


 父は、子の心をまるで知らない応えを返してきた。

 クリスは深呼吸をひとつ置き、そして、自分の胸に手を当てた。


「父上の生命、私に預けてください」


 あなたを死なせない。

 クリスの願いに、父は目を丸くして絶句した。

 そんな父の後ろ、執務室の窓際ではハーブの草花が陽の光を浴びて、ぴんと葉を伸ばしていた。









 もう会ってはいけない人だから。


 そう言って、かたくなに父と会おうとしない母。

 すぐ近くにいて、マッキンレイに見つからず会うことだってできるし、父の執務室に心を込めてハーブを届けているのに。

 互いに、人づてに様子を聞くだけのふたりが、ずっともどかしかった。

 もし父が今の名前や立場から解放されることで、二人の新たな道が始まるのなら──。


とても丸く収まったところで恐縮なのですが、クリスとヘンリエッタの物語はまだまだ続きます。

この先のお話も楽しんでいただけますように。

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